君を拒まなかった言い訳が欲しい

小湊ゆうも

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同じ名字の彼

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「うっ、」

「あ、隆義たかよしさん、こんにちは」

 しばらく部屋にこもっていたからだろう、たまらなく外の空気が吸いたくなった。
 窓をしばらく開けていたが、そこからの風では足りなくて、公園にでも出かけてみようかと玄関のドアを開ければ、ちょうど荷物を届けに来た原沢はらさわくんと遭遇した。

 中身が軽いのか彼が力持ちなのかは分からないが、大きな段ボールを相変わらずに軽々と持ち上げている。
 袖から覗く筋肉がたくましく、思わず見惚れてしまう。

「……お疲れ様。それじゃあ」

「あのっ、すみませんが、待っていてください。これを届けてきた後で隆義たかよしさんにお渡ししたいものがあるので」

「……え?」

 お願いします、とその言葉を付け足して、彼は隣の隣の部屋へと荷物を届けに行った。

 そういえば隣が松倉まつくらさんだというのはたまたま知ったけれど、その隣までは知らないなあ。
 自分が暮らしている世界は狭いのにその世界さえも何も知らないのだと不思議な気持ちになった。

 ここで暮らしはじめてそこそこ長い時間が経ったものの、良くしてくれる担当編集者を除いては、誰とも交流がない。すっかり一人の生活に慣れてしまった。
 
 それなのにどうしてか原沢はらさわくんは違うように思える。
 名前を聞かれたあの日から、自分の生活が変わってしまいそうな予感さえもしている。

 原沢弘明はらさわひろあきという名は、私は他に覚える人がいないから簡単に覚えられるが、毎日たくさんの人と関わる彼が今日も私の名を覚えていたのは驚きだった。

隆義たかよしさん、お待たせてしまって申し訳ないです。これを渡したくて……」

 一度下へとおりていき、何か小さな箱を持って戻って来た彼は、それを私へと差し出した。

「これは……?」

「地元のお土産です。たまたま実家から送られてきて。この間のお詫びにもらってください」

「この間のお詫びって、まさか部屋を間違ったことか?」

「はい」

 私がなかなか手を差し出さないからか、彼はその箱をぐいっと押し付けてきた。有名なお菓子でその美味しさは知っている。
 きっと原沢はらさわくんのお気に入りで両親が送ってくださったのだろう。

「その程度のことで、君はいちいちこうしてお詫びをしているのか? わざわざ後日に詫びるような失敗ではないだろう? 気にすることはないのに。いただくのは気が引けるよ」

「じゃあ言い方をかえます。お詫びというのは口実で、隆義たかよしさんとお話ししたかっただけです。これを渡せば次に会ったときに、お菓子おいしかったですか? と、自然な会話ができるでしょう?」

 もう言ってしまったので自然な会話にはなりませんが、と頬を掻きながらそう言った彼の口元に力が入っているのが分かった。

「……何のために」

 彼は私なんかと会話をしたいと思うのだろうか。
 面白い話ができるようには見えないし、そもそも愛想がないことくらい、初対面の時から分かっているだろうに。

 若くてキラキラしている彼は、私からすればたまらなく眩しくて、本来ならば関わりたくないタイプの人間だ。
 私が彼の輝きを汚してしまうのは怖いし、理由が分からないままに歳の離れたただの配達員と関わるのは怖い。

 人との付き合いはとうの昔になくなっていて、だからこうして気軽に話をすることもないわけで。彼と関わると何もかもが私にとっては非日常だ。

隆義たかよしさん……、俺、あなたと友人になりたいです。この前の間違いも何かの縁だと思って仲良くしてください。ね……?」

 だからどうして私なんかと、とその先は言わせてはくれなかった。
 ぐっととお腹に箱の角が食い込むほど強く押し付けられ、反射的に受け取るしかなくなってしまった。

 おじさんをからかうのはいい加減にしろと腹が立ったけれど、彼の顔はどうしたってふざけているようには見えず、じっと見つめてくるその瞳を見ていたら何の言葉も出てこなかった。

「俺ね、ここらへんを担当しているからってだじゃあなく、このマンションへのお届けってけっこう多いんです。あなたのことも以前から何度かお見かけしていました。俺とすれ違っても絶対に顔を上げてくれないし、上げていたとしても見てくれない。一方的に知っていただけでしたけど。あの日が初めて、あなたと目を合わせられた日でした」

「……っ、」

 眉を垂らして微笑む彼に私の体は固まってしまったようだ。息をするのも苦しくて、思わずお菓子の箱を受け取ってしまったままの姿勢から手足が動かない。
 彼が一歩、私へと近づいてきた。

隆義たかよしさん……、今日は髭、剃ってるんですね」

 彼は手を伸ばし、私の頬に触れた。指先が少しだけゴツゴツしているのがそこから伝わる。

 何をするのかと逃げたくなったけれど、体は相変わらずで抵抗もできないし、何より触れ方があまりにも優しくて、その優しさのせいではっきりと分かってしまった。私に触れる彼の手が震えていることに。

「髭、色っぽいなあってずっと思ってたんですけど、ないのも良いですね。髭のないあなたも新鮮で素敵です」

「……ひろ、あ……」

「ん? 名前を呼んでくださるんですか?」

「……っ、」

「ふふっ、じゃあ今日はもう行きますね」

「あ……」

 ゆっくりと手が離れていく。それでも彼の熱がほんのりと残っていて。大した熱でもないくせに、なぜか頬でなく胸が、じりじりと焼けるようだった。


 押し付けられたお菓子は八個入りだった。
 二口程で食べきってしまうサイズのそれを、毎日一つずつ食べることにし、全て食べ終わって彼に感想を伝える練習をしていたけれど、一か月経ってもそれを伝えることはできず、何となく取っておいた箱も捨ててしまった。

 同じ階のインターホンが聞こえても、彼が私の部屋に来てくれることはなかった。
 荷物を届けに来てくれるのが彼のところだけとも限らないけれど、これだけの部屋数があるのに一か月のうちに一度も私が住んでいるこのマンションへ、荷物を届けることはなかったのだろうか。

 友人になりたいとそう言ったくせに、全然何も……。

 結局私だけが惑わされて終わってしまったんだ。彼の望む自然な会話ができるよう、私だって会話の内容を考えていたというのに。

「……って何を考えて、」

 これじゃあまるで、私のほうが彼に会いたいとそう思っていることになってしまうと、変な考えを消し去ろうと頭を振るも、「隆義たかよしさん」と名前を呼ぶ彼の優しい顔と声がはっきりと浮かんでくる。

「あ……」

 じわり、と頬の熱が上がり、内側から焼けていくようだ。これまでずっと穏やかだった心臓は、彼のことを考えると壊れてしまったように騒ぎ始める。
 これほどの胸の高鳴りは長らく経験していないから、どのようにしておさめるのが良いのだろうか。

 とにかく気持ちを落ち着かせようとコップに注いでいた水を一気に飲み干したとき、部屋のインターホンが鳴った。

「……っ」

 動揺して手からコップが滑り落ち、テーブルの上で大きな音を立てた。水滴が飛び散る。
 床に落として割れなかったことへの安堵からまた心臓がうるさく動いた。落ち着かせようとして飲んだ水のせいで、また落ち着きがなくなるだなんて。
 一人でこんなにも慌てて、私は本当に馬鹿だ。

 この状態で彼に顔を合わせたくないと思う反面、出なかったら出なかったで彼にあなたを意識していますと、そう伝えることになりそうで嫌だ。
 良い歳したおじさんが若者に振り回されているのは格好が悪い。
 何ともない顔で久しぶりだねと、そう伝えなければ。

 ふう、と大きな呼吸を一つして、私は玄関のドアを開けた。いつもより扉が重く感じる。


「先生!」

「……なんだ。なつめさんか」

「なんだ、とは何ですか。ひどいなぁ、もう。この間電話したときに先生の元気がなかったから、差し入れ持って来てあげたんじゃあないですか!」

 てっきり弘明ひろあきくんだと思っていたけれど、立っていたのは担当編集者のなつめさんだった。

 まだ若いほうなのにしっかりしているし、思ったことを遠慮せずに言ってくれる彼女には心を許せていて、友人とも呼べる特別な存在だ。
 ただ、編集者としての仕事を抜きにしての彼女は、思ったことを言い過ぎて少しは遠慮してほしいところもあるけれど。

「はぁ……」

 力の抜けた私は、彼女の肩に頭を預けた。

「先生、どうしたんです? 私に甘えるなんて珍しい~!」

 おじさんにこんなことをされても、彼女は嫌がることなく私の頭に手を置いてぽんぽんと軽く叩いた。それからよしよしと子どもをあやすように撫でてくれる。
 彼女に触れられるときは、胸の高まりなんてものはなく、ただただ落ち着くだけだ。

「……楽しそうに笑うなよ」

「この間電話したときに珍しく落ち込んでらっしゃったから、心配で来てみたんですけど、こんなレアなお姿を見られるとは。ぷっ……! 今日はもしかしてデレ期ですか?」

「そんなわけないだろう! はぁ……、本当に楽しそうだな!」

 彼女に弱みを見せることは滅多にないから、私のこんな姿を見て楽しいのは分からないでもないが、吹き出すほどに笑わなくても、とは思った。
 大きくため息をつけば、彼女はまた笑いをこぼす。

「先生はテレビも見ないし、ネットも見ないし、家族と交流もないし、心を刺激される何かに触れることはないですよね? それなのに落ち込んでるから一体何があったんだろうって。馬鹿は風邪引かないって言うのにもしかして風邪か~? なんて思って来たんですよ。ほら、だから飲み物とかゼリーとかたくさん買ってきて。えっ、でも全然熱とかなさそうですね。じゃあ何です? 何が原因なんです?」

 珍しく落ち込んでいる私を冗談を言って励まそうとしてくれている、とは頑張っても思い込めないような内容に呆れるも、彼女はいつもこんな調子だ。

「言っていることひどすぎじゃあないか。私のことを先生って呼ぶ以外に、君が私を敬ってくれている要素が一つもないよね。それになつめさんって、よくもまぁ息継ぎもなくそんなに一気に話せるなぁ。感心するよ」

「先生とは長い付き合いだし、特別なんですよ」

「こうやって良いことを言えばその失礼な態度も許されると思っているの?」

「え? 許してくれないんですか? 担当編集者かえます?」

「……またそんなことを言う。なつめさんがいいよ。こんな私に付き合ってくれるのは君しかいないし」

 先生って時々とても可愛らしいですよね、と最後にまたそうしてなつめさんがからかいの言葉を私にかけたとき、「……隆義たかよしさん」と彼の声が聞こえたような気がした。

 気のせいか? と思いながらも、彼女に預けていた頭をゆっくりと上げて確認してみると、眉を垂らして私たちを見ている弘明ひろあきくんがいた。
 久しぶりに彼の顔を見られたと、何となく嬉しく思ったのも束の間、誤解されかねないこの状況に焦る。

「あ……」

「その俺、荷物を届けたついでにあなたの顔を見ようと思って来たんですけど、邪魔して、ごめんなさい」

弘明ひろあきくん、違うんだ。これは」

 違うんだ……って、何を焦って説明する必要があるのだろうか。

 仮に今、なつめさんが私の恋人だという誤解をされたとして、それを必死に解いても解かなくても彼には何の関係もない。
 それに、知りもしない彼一人に誤解されたくらいで棗さんもどうこう言う人でもないのだから。

「先生、この人……誰です? 隆義たかよしさんって、どうしてあなたの名前を?」

「えっと、なつめさん、これは、」

「ちょっと待ってください! ひろ……何とかって言う君もちょっと待って。ねぇ、先生。友人ができたんですか? 私以外に? やっと?」

 彼女は持っていたビニール袋を投げ捨てるようにして手放すと、人目も気にしないで大きくガッツポーズをした。
 彼女の言動に私も戸惑っているのだから彼も相当戸惑っているだろうと思って見れば、ポカンとした顔で彼女を見ている。

「いや~、先生良かったですね。孤独な生活から抜け出せるんですよ。私しかいないと思ってましたが違ったんですね。孤独なおじさんって心の中で呼んでましたが、もう呼びません。心の中でも先生って呼びます。えっ、じゃあ電話したとき元気なかったのって、新しくできた友人との接し方が分からなくてとか、そんな感じですか? 一体いつから友人がいなかったんです? その歳でもまだ接し方が分からないんですか? 対人スキルのレベルどのくらいです?」

 相変わらず息継ぎもせずに言いたいことをべらべらという彼女に心が折れた。

 私でなければ許されない言葉でも、私は嫌だと思うことも怒ることもなかったけれど、孤独なおじさんだというその事実を彼の前で話されてしまったことは恥ずかしいし、変な責任を負わせてしまいそうな彼女の発言に固まった。 

 さっきの誤解は解かなくても良かった内容だったけれど、今回のは誤解ではなく事実であって、でもそれは言ってほしくなかったことで、あぁどうしたらいいのだろう、何の言い訳も浮かばない。

「じゃあ先生、私は帰るのでご友人と仲良くしてくださいよ?」

「え?」

 電話で元気がなかったとか、そういう細かなところは気遣ってくれるのに、こういう状況への気遣いは全くない。
 なつめさんは、自分が大きくやらかしてしまったことに気づいていないのか? と頭を抱えたけれど、そもそも私が彼女に甘えたことが今へと繋がっているのだから、彼女だけを責められない。

 どうしてあんなふうに甘えてしまったのかと、ひどく後悔した。

隆義たかよしさん」

「へっ」

 あっという間に去っていったなつめさんの背中を目で追うこともなく、言い訳じみたものにならない何か良い言葉はないかと、俯いたままで探していた私を、彼はきつく抱きしめた。

 突然のことに驚くと同時に、彼女にもたれかかった時はさほど気にならなかった体臭や手入れのしていない髪や髭が、途端に気になり始める。
 彼には、みっともない姿を見られてばかりだ。

「元気がなかったのって、もしかして俺のせいですか? 一か月来なかったから寂しかったとか? そうだったのなら嬉しいんですけど」

「違っ」

「……違うんですか? 俺はあなたに会えなくて寂しかったですよ」

 ぎゅうっとさらに力強く抱きしめられるのに比例して、私の心臓は握り潰されたように痛くなる。
 今すぐ腕を離してこの息苦しさから解放してほしいのに、まだこのままでいてほしいとも思ってしまう。
 どうしてこんなに忙しいのだろう。彼といるときに心が休まる瞬間がこれっぽっちもない。

 ああ、胸が痛いし、うるさい。自分の鼓動でおかしくなりそうだ。

隆義たかよしさん、そういえばさっき、俺の名前を呼んでくれましたね」 

「……っ」

「正直、しばらく会えなかったから名前を忘れられたらどうしようって思ってました。それに女性にもたれかかっているあなたを見て、すごくショックを受けたんですよ。彼女とはただの友人なんですか? 本当に何もないんですか……?」

「……思っているようなことは、何もないよ。彼女は唯一心を許せる友人なんだ」

 なつめさんは仕事以外でも良くしてくれる。こんな面倒な私の相手をずっとしてくれるのは彼女しかいないだろう。
 彼女の前の編集者さんとはうまく付き合えず短い期間でかえられることも多かったのに、彼女だけは違った。

「唯一……ですか。俺は、あなたが心を許せる友人にはなれませんか? あなたのこと、もっと知りたいです。彼女が呼んでいた先生という呼び名は何なのか。あなたがどんな仕事をしてどんな生活を送っているのか。教えてください。それから俺のことも知ってほしいです。駄目ですか?」

「……それ、は、」

「今日の夜、仕事終わりにここにもう一度来ます。俺と仲良くしたいと思っていただけるのなら、このドアを開けてください。これまで強引に色々話を進めてきたけれど、あなたが嫌なら無理に関わりません。嫌われたくないので。関わりたくなければ、インターホンが鳴っても出てこないで。今後はあなたの部屋に荷物を届ける以外にお邪魔したりはしません」

 あれだけ強く抱きしめていたのに、そう言った彼はあっさりと私を解放した。
 締め付けられる感覚がなくなり、一気に血液が回り始めるようだ。少しだけ、気持ち悪くてなる。

 そんな私に気づくこともなく、では、と短く挨拶をして頭を下げた彼に思わず伸ばしそうになった手を、後ろへと隠した。

 淡々と話し終えた彼に、なぜだか寂しさが募る。
 ドアを開けなければそこで終わりだ。私宛の荷物なんて来ることはないだろうし、もう会えなくなると思うとひどく悲しくなった。




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