夢とリアルと七森君

織田しらん

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夢とリアルと七森君

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 私、乙倉小春おとくらこはるには、夢の中に行きつけの本屋がある。
 子供の頃から月に数回、何度も来たことのある見知らぬ街の見知らぬ本屋。目が覚めるとぼんやりとしか思い出せないけど、夢では雑誌コーナーや漫画の新刊の場所も把握している。
 本屋に入ると足は真っすぐと新刊コーナーへ向かって、大好きな漫画を物色するのが楽しみだ。店長のおじさんも親し気に声をかけてくれるので、夢の中というより感覚的には現実リアルに近い。
 この夢は小学生くらいから見続けていたため、てっきり誰しも行きつけの店があるのだと思っていた。それが違うと知ったのは家族に夢の話をした時のこと。現実ではよくわからない街のショッピングセンターの一画なのに、夢では何度も通っていて棚の位置まで把握していると言えば、両親から大層驚かれた。もしや前世の記憶なのでは? とまで言いだされたが、それなら私どんだけ本屋に未練があったのだと思うよ。楽しみにしていた新刊を読む前に亡くなってしまったとかだったら悲しすぎる。
 私以外の家族はほとんど夢を視ないらしい。視たとしても目が覚めると覚えていないのだとか。現実かと錯覚するほど色鮮やかで五感も正常に働き、飲み食いをしては味を楽しめるというのは珍しいようだ。大人になるにつれてこういう現象も減るんだろうな~と思っていたのだが、高校生になっても未だに月一ペースで夢の本屋に通い続けていた。

 高校に入学してから初めて視た夢の本屋で、いつもの店長の他に見知らぬ男の子がいた。黒髪に眼鏡をかけた文学少年っぽさのある男の子。パーカーとジーンズというカジュアルな服装をした、同年代くらいの子だ。
 そういえば私以外のお客さんがいるなんて珍しい。
 そこそこ広さのある本屋だけど、店長のおじさんの他にお客さんがいた記憶がない。私が漫画の新刊をすぐに物色していたから、あまり周囲を見ていなかったのかもしれないけど。
 彼は私に気づくことなく、大学受験用の参考書を手にしていた。ええ~夢の中まで勉強するとか、この子ストレス溜まっているのかな? というのが第一印象だ。もちろん彼が実際に存在しているのかどうかもわからないけど。夢に出てくる人物って誰なんだろうね、謎だわ。
 たった一度きり遭遇しただけなら気にも留めなかっただろう。けれど、それから何故か毎回この本屋に行くと、同じ彼を見かけるようになった。
 おかしいな……私の夢なんだけどな……。勝手に出演するのやめてくれるかな。
 彼の服装は毎回違う。さすがに夢の中で服装を気にしたことなかったけど、彼を見つけてから私ははじめて夢の恰好に意識が向いた。普段着として着まわしている着心地重視のワンピースとスニーカーだ。ダサくもないしよれよれでもないから合格点だろう。
 今回も私は彼を見てみぬふりして、漫画の新作をチェックした。ずっと続きを待っていた新作が出ていた! まだリアルの書店では並んでいないはずだ。これはさっそく買って読まねばと、レジで購入して即効で読みふけった。
 めっちゃ楽しかったはずなのに朝起きたら内容をさっぱり覚えていなかった。チクショウ。
 漫画の内容などは覚えていないのに、何故か彼のことだけは覚えている。顔も雰囲気も、やはり実際には見覚えがない。
 はは、これは前世で恋人だったとかかな? なんて自分で考えてすぐにないわーと首を振った。そもそもトキメキというものを感じていない。前世からのロマンスなら、少しくらい運命の再会に胸キュンするはずだ。
 そんな予感はちっとも感じないまま二年生に進級し、私は驚愕した。

「……いた」

 窓際の一番後ろの席に、あの彼が座っている。
 いつも盗み見していた横顔とそっくりだし、正面をちらりと見たときもまさしく同じ。制服姿が逆に新鮮に感じるほど、私には見慣れたあの男の子だった。

「小春? どうしたの」

 友人に声をかけられてハッとし、慌てて自分の席に着いた。何故か心臓がドクドクと高鳴っているのは、この不思議な出会いを処理しきれていないから。
 こういうのってあれかな、運命ってやつなのかな!?
 自己紹介の順番が回ってくる。彼は七森冬馬ななもりとうまというらしい。一年間一方的に知っていたのにまさか同じ学校で、クラスメイトになれるとは! いや、夢の中の彼が七森冬馬という証拠もないのだけど。
 奇妙な高揚感を抱いたまま眠ったその日、はじめて夢の本屋で彼が私に話しかけてきた。話しかけられたことも、店長のおじさん以外と会話ができることにも驚きだ。私は思い切って彼に名前を尋ねると、『七森冬馬』と返ってきた。
 ヤバい、これは私が見ている都合のいい夢に過ぎないのかな? 
 それから毎回本屋に行くたびに、冬馬と会話をすることが増えてきた。実際の彼はあまり笑わないしはしゃぐこともせず、なにやら難しい文庫本を読んだり、生徒会役員で忙しくしていることが多い。学年首席というのも初めて知った。さすが本屋で参考書を読んでいるだけあるわ~リアルは知らんけど。
 夢で親し気に話すときは人懐っこい笑顔を見せてくれるのに、学校では接点がまったくない。たまに朝「おはよう」と声をかけると返してくれるが、向こうは私を知っている気配がない。
 ……昨夜の会話覚えている? なんて話しかけたら絶対頭おかしい人じゃん……あたおか認定なんてされたくないし、露骨に避けられるようになったらちょっと悲しい。
 クラスメイト以上に進展できないまま、冬馬の観察が続く。できれば真相が訊きたい。私を知っているかどうかが確認したい。けれど、大した接点もないのに、急に変な質問していい? なんて声をかけてくる女ってどうなんだろう。やっぱりヤバい奴としか思われないなとぐるぐる考えていたら、一学期が終わった。
 
 ◆

『もう二年の夏休みだけど、小春は進路どうするの?』

 最近できた本屋内の休憩スペース(ソファとか椅子が置かれている)で、冬馬が話しかけてきた。

『進学するつもりだよ。睡眠科学とか夢の研究に興味あって、将来そういうことに関係する仕事がしたいなって。極上の眠りを提供できるグッズの販売とか寝具の開発とかも面白そう』

 あまりにも夢の世界と関わっているため、次第に興味を持ち始めた。夢の研究に携わるにはどうしたらいいのか、まだ調べ途中だけども。脳科学に強い大学を受験しようと思っている。
 私の答えを聞いた冬馬はちょっと驚いていた。まさかこんなはっきり進路を言われると思っていなかったのだろうか。『小春ってちょっとぼんやりしているよね』と友人には言われるけど、その半分くらいは想像力を鍛えているだけである。

『そうなんだ、実は僕も脳科学に興味があってそっちの方面を進学するつもりなんだ。もしかしたら小春と同じ大学に行けるかもね』

 冬馬がはにかんだ笑顔を見せた。思わず胸がキュンと高鳴る。
 一見地味目に見えるけど、冬馬は意外と整った顔立ちをしている。派手なイケメンではないのも好感度が高い(※個人の意見です。)
 この頃には夢で冬馬と会話できるのを密かに楽しみにしていただけに、同じ大学に進学できる可能性を見つけて目標ができた。

『私頑張るよ! まだ二年だし、なんて思っていたけれど今から勉強頑張るわ。だから一緒の大学行こうね!』

 冬馬が笑顔で頷いてくれた。あー可愛いな! でもどうせ朝起きると忘れているんだろうな……途端に可愛くなくなってきたわ。
 私だけが覚えていて、冬馬は忘れているなんてフェアじゃない。いや、相手に同等のものを求めるべきではないんだけど。頭で理解はできても、感情がちょっと納得がいかないって言っている。簡単に言えば寂しいのだ。

『冬馬はさ、もし好きな人に自分を忘れられるのと、自分が好きな人の記憶を失うのを選ばなくてはいけなかったら、どっちを選ぶ?』
『え、どうしたの急に。心理テスト?』

 心理テストの言葉に反応してか、私の手元には心理テストの本が現れた。こういうところが夢なんだよなと思わせてくれる。先ほどまで何も持っていなかったのに。
 まあそんなとこ、と適当に誤魔化して答えを促す。冬馬はしばし眉を寄せて考えこんだ。

『僕は……、前者かなぁ。相手に自分のことを忘れられても、僕の記憶は失わないなら、陰ながら相手が幸せか見守り続けたい。どういう状況かはわからないけど』
『なるほど、奇遇だね。私もだよ。でも、私は陰ながら相手の幸せを願うなんて嫌だな。何度でも相手の前に現れて、また一から恋を始めたい。他の誰かに譲りたくはないかな』

 自分の口からするりと出た台詞は、私の深層心理の願望だろうか。
 相手の記憶から自分が消えたとしても、また相手に自分の存在を刻みつけたい。幸せを願って引くなんてことはちょっと腹立たしい。

『小春らしいね、逞しいや』

 冬馬が苦笑する。そこでこの日の夢は醒めた。

 夏休み最終日、ふたたび私は本屋にいた。お気に入りのノースリーブのワンピースを着て、夢にまつわる本を選んでいる。珍しく漫画の新作コーナーにいなかったため、店長から声をかけられた。今日は目当ての新刊がないのだと答えておいた。
 今日は冬馬はいないのだろうか。いや、今まで同じタイミングでこの本屋に訪れていた方がどういう遭遇率なんだと思うけど。
 今日は夢でお気に入りのワンピース姿を見せたくて、わざわざパジャマを着替えてワンピースのまま眠っている。毎日本屋の夢を視るわけじゃないから失敗する可能性もあったけど、結果は成功して若干驚いている。朝起きたら皺ができているだろう。

『今日はなに読んでるの?』

 背後から声がかけられた。それだけで冬馬だとわかる。

『んー、夢占いの本』
『面白そうだね』

 夢の中で夢占いの本を持っているなんてちょっとシュールだな。中身を読んでも覚えているだろうか。
 今日の冬馬はシンプルな白いTシャツに水色のジーンズだった。制服姿だとまさに優等生って感じだけど、私服姿は程よく緩くていいなって思う。

『今日の小春も可愛いね』

 冬馬がサラッと私を褒めた。思わず変な声が出そうになった。
 そんなチャラ男みたいにサラッと女の子を褒めるスキルをいつの間に身に着けたの! 冬馬の夏休みが非常に気になる。
 夢の中で彼と出会えても、彼は私をきっと覚えていない。リアルな冬馬は私以外の友人と遊んだり、もしかしたら彼女がいるかもしれない。そして現実の冬馬のことを、私はなにも知らないのだ。
 もやりとした感情に気づかぬふりをして、『ありがとう』とお礼を告げた。
 冬馬は視線を少し彷徨わせ、なにかを決意したかのようにじっと見つめてくる。その表情がいつもと違ってどこか緊張しているようだ。目元がほんのりと赤く色づき、その変化に首をかしげる。
 何だろう、この空気……そわそわする。
 冬馬が声を潜めて、私を呼んだ。

『……小春、よかったら僕と付き合わない?』
『……え?』
『小春のことが好きなんだ』

 真っすぐ私を見下ろす目がしっとりと濡れていて、思わず見入ってしまう。こんな風に誰かに告白されたのは初めてだ。一瞬で気持ちがふわっとして、足が地から浮きそうになる。顔に熱が集まり、鼓動が速い。
 頷いてしまいたい。けれど、冬馬は一体どこまで気づいているのだろうか。ここでの出来事はすべて夢で、冬馬の記憶は現実にも引き継がれているのかわからない。

『突然ごめん、困惑するよね……でも、冗談とかじゃないから。その、返事は次会うときでいいから』

 冬馬が恥ずかしそうに微笑んで、私の意識が浮上した。

「って、マジで!? ここで目が覚める普通!」

 起きたと同時に叫ぶと、階下から「小春うるさいわよ! 起きたなら朝ごはん食べなさい!」と母の声が響いてきた。
 今日から新学期。私はいそいそと皺くちゃになったワンピースを脱いで、制服に腕を通した。

 ◆

 新学期を迎えて皆多少の変化はあったけど、冬馬は冬馬だった。日焼けもしていなければ、いきなり金髪に染めてピアスを開けているようでもない。私が「おはよう」と声をかけると、平然と挨拶を返してくれる。数時間前まで、乙女が恥じらうように告白してくれたとは思えないそっけなさだ。
 だよね~こっちだけ期待するのは無意味だよね~。
 わかっていたけど地味に堪える……。もう少しさ、夢の欠片くらい持っていないの? それとも全く夢を視ていないの? もしくは全部私の夢だけで私の妄想? 
 そうなると冬馬からの告白もこちらの一方通行な気持ちが見せた願望になる。「君、昨夜私に告白したよね?」なんて口が裂けても言えない。思っていた以上にダメージが大きくて、朝から机に突っ伏したい。
 何度も何度も考えて、決意した。
 もしも冬馬の進路先が違ったら、全部私の頭が作りだした妄想に過ぎない。でももしも夢で語ったことと現実が一致していたら、冬馬の情報を私が夢で得ていた証明になる。
 これ以上もやもや悩んでいたら勉強にだって支障があるわ。
 帰り支度を済ませた後、私は冬馬が一人で廊下を歩いているところを見つけ、話があると言って屋上に連れ出した。

「乙倉さん、どうしたの? 悩み事なら先生の方がいいと思うけど」
「うん、悩み事だから冬馬……じゃなくて、七森君に直接確認しようと思って」

 うっかり下の名前を口にしたら、心の距離が開いてしまった。一歩下がるなんてひどくない? 涙目になるぞ。
 私は軽く深呼吸を繰り返し、深く息を吐きだした。

「単刀直入に訊く。七森君、将来脳科学を学んでみたいって思ってる?」
「……なんで知ってるの? 誰にも言ってないはずだけど」

 冬馬の目に不審な色が浮かんだ。心の距離がさらに開いた気がする。

「君が私に言ったんだよ。夢の中でだけど」

 頭おかしいと思って引かないでね、これ以上ドン引きされたら多分暫く立ち直れない。
 高校に入学した時から冬馬が夢に出てくること、二年に上がってから冬馬が実在する人間で驚いたこと、本屋で会うたびに進路とか話していること。さすがに昨夜私に告白したとは言いだせなかったけど、私の妄想なのか冬馬も同じ夢を視ているのかを確かめたいとはっきり告げた。
 冬馬が無表情でちょっと怖い。あんなに笑いかけてくれたのに、現実ではクールすぎないか……。
 言わなきゃよかったかもと後悔したところで、冬馬が息を吐いた。

「僕の妄想じゃなかったんだ」
「え」
「でもそうか、陰ながら幸せを見守り続ける僕と違って、小春は何度でも一から恋を始めたいんだっけ」
「それ……!」

 そんなにはっきり覚えていたとは知らず驚愕する。
 思わず大口を開けていると、冬馬が夢と同じ微笑を浮かべて一歩間合いを詰めてきた。

「それじゃあ、昨夜の夢の返事も次の夢を待たずに聞かせてくれるのかな」

 予想外の問いかけに思わず一歩後退る。

「それは……えっと、現実でも言ってくれたら答えてあげる!」

 なんとも上から目線な返事をすると、冬馬は苦笑しながらもう一度夢と同じ告白をしてくれたのだった。



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