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第9話 小さな村祭りと微笑み
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春が深まるころ、辺境の村では毎年恒例の小さな祭りが開かれる。
冬を乗り越え、土地に命が戻ったことを祝う、陽気で素朴な行事だ。
麦の苗を植える前に女神へ感謝を捧げ、人々は歌い踊り、ささやかなお酒を分け合う。
その知らせを聞いた日、風見亭の厨房は朝からざわついていた。
常連客の分の食事を仕込みながら、マーサ女将がご機嫌に歌を口ずさんでいる。
「レティシア、今年の祭りは特別賑やかになりそうだよ。旅の楽師まで来るって、村にしては珍しいんだ。」
「楽しみですね。どんなお料理を並べますか?」
「そうだねえ、鹿肉の燻製と、あとは蜂蜜パンだね。あんた、焼き加減の勘もよくなったし、きっと上手くいくよ。」
「ありがとうございます。」
忙しさは増えたが、レティシアの心は軽かった。
あの火事の夜以来、村の人々との絆は一層深まった。
誰も彼女を「訳ありの旅人」としてではなく、“この村の仲間”として見てくれる。
祭り当日、村の広場には色とりどりの布が飾られ、子供たちは花の冠を頭に乗せて走り回っていた。
レティシアはマーサと共に屋台を出し、焼き立てのパンや温かなスープを配る。
麦の香りと焚火の煙が混ざり合い、幸せな匂いが村全体に広がっていた。
「エドガーさん、見に来ないのかしら。」
思わずつぶやくと、マーサが笑う。
「昼間は見回りだろうけど、夜には顔を出すさ。あの人も、こういう場が嫌いじゃないんだよ。」
「そうなんですか?」
「まったく笑わん顔して、実は子どもが踊ってるのを眺めるのが好きなんだ。」
その言葉に、レティシアの口元が緩んだ。
あの無愛想な人が子供の踊りを見ている姿――想像すると、にわかに可笑しくなる。
日が暮れる頃、村人たちが火を囲んで輪になり、笛や太鼓の音が鳴り始めた。
焚火の光がはぜ、熱気が夜気を追い払う。
花飾りを付けた少女たちが踊りの輪を広げ、その中には少年たちの笑顔もある。
「さあ、レティシア、踊らないのかい?」
マーサが背中を軽く押す。
「わ、私が? 無理です、踊りなんて……!」
「貴族の舞踏会で散々踊ったんだろ? あんたが一番様になりそうじゃないか!」
「それは……でも……」
彼女が戸惑っていると、背後から低い声がした。
「確かに、あんたは舞台で踊る方が似合いそうだ。」
振り返ると、エドガーが立っていた。
村祭りの喧噪の中、それでも彼の姿は不思議と目を引く。
普段の鎧ではなく、麻のシャツと黒い上着。硬さの抜けたその姿に、思わず胸が鳴る。
「お疲れさまです、今日も村の見回りを?」
「ああ。だが、村は平和だった。……だから、今は見物人だ。」
「踊りませんか?」
「俺が? そんな柄じゃない。」
「私もです。」
「じゃあ丁度いいな。柄じゃない者同士だ。」
そう言いつつ、彼は焚火のそばのベンチに腰を下ろした。
レティシアもその隣に座り、遠くで踊る人々を眺める。
音楽が風に乗って村中を包み、子供たちの笑い声が響く。
エドガーの横顔が火の明かりに照らされるたびに、柔らかい光がその頬の線を浮かび上がらせた。
その静かな時間が、レティシアには奇跡のように感じられた。
「……こういう景色を見ると、王都のことを思い出すか?」
「いいえ。」
「そうか。」
「昔の私は、“誰かにどう見られるか”ばかり気にしていました。今は、ただ誰かと一緒に笑えるだけで充分なんです。」
言葉にして初めて、自分が本当に変わったことを実感した。
エドガーは何も言わず、ただ頷いた。
「あなたは、王都に戻ろうとは思わないのですか?」
「俺は戻れない。……けれど、不思議と後悔はしていない。」
「この村があるから、ですね。」
「そうだ。守る人たちがいると、過去の罪も少しは軽く感じる。」
焚火のぱちりという音が、二人の沈黙を埋めた。
やがて、村の娘たちが青年たちと踊りながら列を作り、手を取り合って火の周りを一周する。
その中の一人がレティシアを見つけ、笑いながら手を取った。
「レティシアさんも来て! 一緒に回りましょう!」
「え、でも……」
「大丈夫! 皆で楽しむ祭りなんですから!」
強引に連れ出されたレティシアは照れながら輪の中に入り、音楽に合わせて足を踏み出した。
最初はぎこちなかったが、次第に体が自然に動く。風がスカートを揺らし、髪がふわりと宙に舞う。
遠ざかる焚火の光の向こうで、エドガーが見ていた。
彼の視線に気づき、レティシアはふと立ち止まり、笑みを向ける。
その笑顔は、村人たちの灯よりも柔らかく暖かく、夜の闇を照らした。
輪が終わるころ、息を弾ませて戻ると、エドガーが立ち上がっていた。
「……似合ってた。」
「え?」
「笑ってる方が、似合ってた。」
静かに告げられたその言葉に、心臓が跳ねる。
頬が熱くなり、俯きそうになるが、彼の視線が真っ直ぐに自分を捉えている。
――この人の言葉はいつも不器用で、それでもまっすぐ届く。
「ありがとうございます。」
それしか言えなかった。だけど、その一言に今のすべての想いが詰まっていた。
祭りの終わり、焚火が小さくなっていく。
夜空には星が瞬き、空気が少し冷えた。
人々が帰る中、最後に残った二人が並んで夜空を見上げた。
「この村の祭りはいつもこうなんですか?」
「ああ。冬を越した命を祝う。昔の兵も農民も、皆で歌ったそうだ。」
「……いい風習ですね。」
「そうだな。」
しばらくして風が吹き、火の粉が小さく舞い上がった。
エドガーが無言で自分の上着を脱いで差し出す。
「風が冷たい。着ていろ。」
「でも、あなたの方が……」
「俺は慣れてる。」
差し出された上着はまだ温かかった。
レティシアはそれに包まれながら、彼の横顔を見つめる。
言葉よりも、静かな時間が胸に沁みる。
焚火の最後の光が消える頃、レティシアは小さく息を吐いて呟いた。
「……来年も、この祭りを一緒に見られますか。」
エドガーは少し驚いた顔をしてから、短く笑った。
「ああ。約束しよう。」
その一言で、春の夜がいっそう温かくなった。
続く
冬を乗り越え、土地に命が戻ったことを祝う、陽気で素朴な行事だ。
麦の苗を植える前に女神へ感謝を捧げ、人々は歌い踊り、ささやかなお酒を分け合う。
その知らせを聞いた日、風見亭の厨房は朝からざわついていた。
常連客の分の食事を仕込みながら、マーサ女将がご機嫌に歌を口ずさんでいる。
「レティシア、今年の祭りは特別賑やかになりそうだよ。旅の楽師まで来るって、村にしては珍しいんだ。」
「楽しみですね。どんなお料理を並べますか?」
「そうだねえ、鹿肉の燻製と、あとは蜂蜜パンだね。あんた、焼き加減の勘もよくなったし、きっと上手くいくよ。」
「ありがとうございます。」
忙しさは増えたが、レティシアの心は軽かった。
あの火事の夜以来、村の人々との絆は一層深まった。
誰も彼女を「訳ありの旅人」としてではなく、“この村の仲間”として見てくれる。
祭り当日、村の広場には色とりどりの布が飾られ、子供たちは花の冠を頭に乗せて走り回っていた。
レティシアはマーサと共に屋台を出し、焼き立てのパンや温かなスープを配る。
麦の香りと焚火の煙が混ざり合い、幸せな匂いが村全体に広がっていた。
「エドガーさん、見に来ないのかしら。」
思わずつぶやくと、マーサが笑う。
「昼間は見回りだろうけど、夜には顔を出すさ。あの人も、こういう場が嫌いじゃないんだよ。」
「そうなんですか?」
「まったく笑わん顔して、実は子どもが踊ってるのを眺めるのが好きなんだ。」
その言葉に、レティシアの口元が緩んだ。
あの無愛想な人が子供の踊りを見ている姿――想像すると、にわかに可笑しくなる。
日が暮れる頃、村人たちが火を囲んで輪になり、笛や太鼓の音が鳴り始めた。
焚火の光がはぜ、熱気が夜気を追い払う。
花飾りを付けた少女たちが踊りの輪を広げ、その中には少年たちの笑顔もある。
「さあ、レティシア、踊らないのかい?」
マーサが背中を軽く押す。
「わ、私が? 無理です、踊りなんて……!」
「貴族の舞踏会で散々踊ったんだろ? あんたが一番様になりそうじゃないか!」
「それは……でも……」
彼女が戸惑っていると、背後から低い声がした。
「確かに、あんたは舞台で踊る方が似合いそうだ。」
振り返ると、エドガーが立っていた。
村祭りの喧噪の中、それでも彼の姿は不思議と目を引く。
普段の鎧ではなく、麻のシャツと黒い上着。硬さの抜けたその姿に、思わず胸が鳴る。
「お疲れさまです、今日も村の見回りを?」
「ああ。だが、村は平和だった。……だから、今は見物人だ。」
「踊りませんか?」
「俺が? そんな柄じゃない。」
「私もです。」
「じゃあ丁度いいな。柄じゃない者同士だ。」
そう言いつつ、彼は焚火のそばのベンチに腰を下ろした。
レティシアもその隣に座り、遠くで踊る人々を眺める。
音楽が風に乗って村中を包み、子供たちの笑い声が響く。
エドガーの横顔が火の明かりに照らされるたびに、柔らかい光がその頬の線を浮かび上がらせた。
その静かな時間が、レティシアには奇跡のように感じられた。
「……こういう景色を見ると、王都のことを思い出すか?」
「いいえ。」
「そうか。」
「昔の私は、“誰かにどう見られるか”ばかり気にしていました。今は、ただ誰かと一緒に笑えるだけで充分なんです。」
言葉にして初めて、自分が本当に変わったことを実感した。
エドガーは何も言わず、ただ頷いた。
「あなたは、王都に戻ろうとは思わないのですか?」
「俺は戻れない。……けれど、不思議と後悔はしていない。」
「この村があるから、ですね。」
「そうだ。守る人たちがいると、過去の罪も少しは軽く感じる。」
焚火のぱちりという音が、二人の沈黙を埋めた。
やがて、村の娘たちが青年たちと踊りながら列を作り、手を取り合って火の周りを一周する。
その中の一人がレティシアを見つけ、笑いながら手を取った。
「レティシアさんも来て! 一緒に回りましょう!」
「え、でも……」
「大丈夫! 皆で楽しむ祭りなんですから!」
強引に連れ出されたレティシアは照れながら輪の中に入り、音楽に合わせて足を踏み出した。
最初はぎこちなかったが、次第に体が自然に動く。風がスカートを揺らし、髪がふわりと宙に舞う。
遠ざかる焚火の光の向こうで、エドガーが見ていた。
彼の視線に気づき、レティシアはふと立ち止まり、笑みを向ける。
その笑顔は、村人たちの灯よりも柔らかく暖かく、夜の闇を照らした。
輪が終わるころ、息を弾ませて戻ると、エドガーが立ち上がっていた。
「……似合ってた。」
「え?」
「笑ってる方が、似合ってた。」
静かに告げられたその言葉に、心臓が跳ねる。
頬が熱くなり、俯きそうになるが、彼の視線が真っ直ぐに自分を捉えている。
――この人の言葉はいつも不器用で、それでもまっすぐ届く。
「ありがとうございます。」
それしか言えなかった。だけど、その一言に今のすべての想いが詰まっていた。
祭りの終わり、焚火が小さくなっていく。
夜空には星が瞬き、空気が少し冷えた。
人々が帰る中、最後に残った二人が並んで夜空を見上げた。
「この村の祭りはいつもこうなんですか?」
「ああ。冬を越した命を祝う。昔の兵も農民も、皆で歌ったそうだ。」
「……いい風習ですね。」
「そうだな。」
しばらくして風が吹き、火の粉が小さく舞い上がった。
エドガーが無言で自分の上着を脱いで差し出す。
「風が冷たい。着ていろ。」
「でも、あなたの方が……」
「俺は慣れてる。」
差し出された上着はまだ温かかった。
レティシアはそれに包まれながら、彼の横顔を見つめる。
言葉よりも、静かな時間が胸に沁みる。
焚火の最後の光が消える頃、レティシアは小さく息を吐いて呟いた。
「……来年も、この祭りを一緒に見られますか。」
エドガーは少し驚いた顔をしてから、短く笑った。
「ああ。約束しよう。」
その一言で、春の夜がいっそう温かくなった。
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