元婚約者に冷たく捨てられた令嬢、辺境で出会った無愛想な騎士に溺愛される ~今さら戻ってこないでください~

usako

文字の大きさ
9 / 30

第9話 小さな村祭りと微笑み

しおりを挟む
春が深まるころ、辺境の村では毎年恒例の小さな祭りが開かれる。  
冬を乗り越え、土地に命が戻ったことを祝う、陽気で素朴な行事だ。  
麦の苗を植える前に女神へ感謝を捧げ、人々は歌い踊り、ささやかなお酒を分け合う。  

その知らせを聞いた日、風見亭の厨房は朝からざわついていた。  
常連客の分の食事を仕込みながら、マーサ女将がご機嫌に歌を口ずさんでいる。  

「レティシア、今年の祭りは特別賑やかになりそうだよ。旅の楽師まで来るって、村にしては珍しいんだ。」  
「楽しみですね。どんなお料理を並べますか?」  
「そうだねえ、鹿肉の燻製と、あとは蜂蜜パンだね。あんた、焼き加減の勘もよくなったし、きっと上手くいくよ。」  
「ありがとうございます。」  

忙しさは増えたが、レティシアの心は軽かった。  
あの火事の夜以来、村の人々との絆は一層深まった。  
誰も彼女を「訳ありの旅人」としてではなく、“この村の仲間”として見てくれる。  

祭り当日、村の広場には色とりどりの布が飾られ、子供たちは花の冠を頭に乗せて走り回っていた。  
レティシアはマーサと共に屋台を出し、焼き立てのパンや温かなスープを配る。  
麦の香りと焚火の煙が混ざり合い、幸せな匂いが村全体に広がっていた。  

「エドガーさん、見に来ないのかしら。」  
思わずつぶやくと、マーサが笑う。  
「昼間は見回りだろうけど、夜には顔を出すさ。あの人も、こういう場が嫌いじゃないんだよ。」  
「そうなんですか?」  
「まったく笑わん顔して、実は子どもが踊ってるのを眺めるのが好きなんだ。」  

その言葉に、レティシアの口元が緩んだ。  
あの無愛想な人が子供の踊りを見ている姿――想像すると、にわかに可笑しくなる。  

日が暮れる頃、村人たちが火を囲んで輪になり、笛や太鼓の音が鳴り始めた。  
焚火の光がはぜ、熱気が夜気を追い払う。  
花飾りを付けた少女たちが踊りの輪を広げ、その中には少年たちの笑顔もある。  

「さあ、レティシア、踊らないのかい?」  
マーサが背中を軽く押す。  
「わ、私が? 無理です、踊りなんて……!」  
「貴族の舞踏会で散々踊ったんだろ? あんたが一番様になりそうじゃないか!」  
「それは……でも……」  

彼女が戸惑っていると、背後から低い声がした。  
「確かに、あんたは舞台で踊る方が似合いそうだ。」  

振り返ると、エドガーが立っていた。  
村祭りの喧噪の中、それでも彼の姿は不思議と目を引く。  
普段の鎧ではなく、麻のシャツと黒い上着。硬さの抜けたその姿に、思わず胸が鳴る。  

「お疲れさまです、今日も村の見回りを?」  
「ああ。だが、村は平和だった。……だから、今は見物人だ。」  
「踊りませんか?」  
「俺が? そんな柄じゃない。」  
「私もです。」  
「じゃあ丁度いいな。柄じゃない者同士だ。」  

そう言いつつ、彼は焚火のそばのベンチに腰を下ろした。  
レティシアもその隣に座り、遠くで踊る人々を眺める。  

音楽が風に乗って村中を包み、子供たちの笑い声が響く。  
エドガーの横顔が火の明かりに照らされるたびに、柔らかい光がその頬の線を浮かび上がらせた。  

その静かな時間が、レティシアには奇跡のように感じられた。  

「……こういう景色を見ると、王都のことを思い出すか?」  
「いいえ。」  
「そうか。」  
「昔の私は、“誰かにどう見られるか”ばかり気にしていました。今は、ただ誰かと一緒に笑えるだけで充分なんです。」  

言葉にして初めて、自分が本当に変わったことを実感した。  
エドガーは何も言わず、ただ頷いた。  

「あなたは、王都に戻ろうとは思わないのですか?」  
「俺は戻れない。……けれど、不思議と後悔はしていない。」  
「この村があるから、ですね。」  
「そうだ。守る人たちがいると、過去の罪も少しは軽く感じる。」  

焚火のぱちりという音が、二人の沈黙を埋めた。  
やがて、村の娘たちが青年たちと踊りながら列を作り、手を取り合って火の周りを一周する。  
その中の一人がレティシアを見つけ、笑いながら手を取った。  

「レティシアさんも来て! 一緒に回りましょう!」  
「え、でも……」  
「大丈夫! 皆で楽しむ祭りなんですから!」  

強引に連れ出されたレティシアは照れながら輪の中に入り、音楽に合わせて足を踏み出した。  
最初はぎこちなかったが、次第に体が自然に動く。風がスカートを揺らし、髪がふわりと宙に舞う。  
遠ざかる焚火の光の向こうで、エドガーが見ていた。  

彼の視線に気づき、レティシアはふと立ち止まり、笑みを向ける。  
その笑顔は、村人たちの灯よりも柔らかく暖かく、夜の闇を照らした。  

輪が終わるころ、息を弾ませて戻ると、エドガーが立ち上がっていた。  
「……似合ってた。」  
「え?」  
「笑ってる方が、似合ってた。」  

静かに告げられたその言葉に、心臓が跳ねる。  
頬が熱くなり、俯きそうになるが、彼の視線が真っ直ぐに自分を捉えている。  

――この人の言葉はいつも不器用で、それでもまっすぐ届く。  

「ありがとうございます。」  
それしか言えなかった。だけど、その一言に今のすべての想いが詰まっていた。  

祭りの終わり、焚火が小さくなっていく。  
夜空には星が瞬き、空気が少し冷えた。  
人々が帰る中、最後に残った二人が並んで夜空を見上げた。  

「この村の祭りはいつもこうなんですか?」  
「ああ。冬を越した命を祝う。昔の兵も農民も、皆で歌ったそうだ。」  
「……いい風習ですね。」  
「そうだな。」  

しばらくして風が吹き、火の粉が小さく舞い上がった。  
エドガーが無言で自分の上着を脱いで差し出す。  

「風が冷たい。着ていろ。」  
「でも、あなたの方が……」  
「俺は慣れてる。」  

差し出された上着はまだ温かかった。  
レティシアはそれに包まれながら、彼の横顔を見つめる。  
言葉よりも、静かな時間が胸に沁みる。  

焚火の最後の光が消える頃、レティシアは小さく息を吐いて呟いた。  
「……来年も、この祭りを一緒に見られますか。」  
エドガーは少し驚いた顔をしてから、短く笑った。  
「ああ。約束しよう。」  

その一言で、春の夜がいっそう温かくなった。  

続く
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

冷徹婚約者に追放された令嬢、異国の辺境で最強公爵に見初められ、今さら「帰ってきて」と泣かれてももう遅い

nacat
恋愛
婚約者である王太子に濡れ衣を着せられ、断罪の末に国外追放された伯爵令嬢レティシア。 絶望の果てにたどり着いた辺境の国で、孤高と噂の公爵に助けられる。 彼は彼女に穏やかに微笑み、たった一言「ここにいなさい」と囁いた。 やがてレティシアは、その地で新しい居場所と愛を見つける。 だが、彼女を見捨てた王太子が、後悔と未練を胸に彼女を追って現れて――。 「どうか許してくれ、レティシア……!」 もう遅い。彼女は優しく強くなって、誰より愛される人生を歩き始めていた。

婚約破棄されて去ったら、私がいなくても世界は回り始めました

鷹 綾
恋愛
「君との婚約は破棄する。聖女フロンこそが、真に王国を導く存在だ」 王太子アントナン・ドームにそう告げられ、 公爵令嬢エミー・マイセンは、王都を去った。 彼女が担ってきたのは、判断、調整、責任―― 国が回るために必要なすべて。 だが、それは「有能」ではなく、「依存」だった。 隣国へ渡ったエミーは、 一人で背負わない仕組みを選び、 名前が残らない判断の在り方を築いていく。 一方、彼女を失った王都は混乱し、 やがて気づく―― 必要だったのは彼女ではなく、 彼女が手放そうとしていた“仕組み”だったのだと。 偽聖女フロンの化けの皮が剥がれ、 王太子アントナンは、 「決めた後に立ち続ける重さ」と向き合い始める。 だが、もうエミーは戻らない。 これは、 捨てられた令嬢が復讐する物語ではない。 溺愛で救われる物語でもない。 「いなくても回る世界」を完成させた女性と、  彼女を必要としなくなった国の、  静かで誇り高い別れの物語。 英雄が消えても、世界は続いていく―― アルファポリス女子読者向け 〈静かな婚約破棄ざまぁ〉×〈大人の再生譚〉。

婚約破棄されるはずでしたが、王太子の目の前で皇帝に攫われました』

鷹 綾
恋愛
舞踏会で王太子から婚約破棄を告げられそうになった瞬間―― 目の前に現れたのは、馬に乗った仮面の皇帝だった。 そのまま攫われた公爵令嬢ビアンキーナは、誘拐されたはずなのに超VIP待遇。 一方、助けようともしなかった王太子は「無能」と嘲笑され、静かに失墜していく。 選ばれる側から、選ぶ側へ。 これは、誰も断罪せず、すべてを終わらせた令嬢の物語。 --

『婚約破棄ありがとうございます。自由を求めて隣国へ行ったら、有能すぎて溺愛されました』

鷹 綾
恋愛
内容紹介 王太子に「可愛げがない」という理不尽な理由で婚約破棄された公爵令嬢エヴァントラ。 涙を流して見せた彼女だったが── 内心では「これで自由よ!」と小さくガッツポーズ。 実は王国の政務の大半を支えていたのは彼女だった。 エヴァントラが去った途端、王宮は大混乱に陥り、元婚約者とその恋人は国中から総スカンに。 そんな彼女を拾ったのは、隣国の宰相補佐アイオン。 彼はエヴァントラの安全と立場を守るため、 **「恋愛感情を持たない白い結婚」**を提案する。 「干渉しない? 恋愛不要? 最高ですわ」 利害一致の契約婚が始まった……はずが、 有能すぎるエヴァントラは隣国で一気に評価され、 気づけば彼女を庇い、支え、惹かれていく男がひとり。 ――白い結婚、どこへ? 「君が笑ってくれるなら、それでいい」 不器用な宰相補佐の溺愛が、静かに始まっていた。 一方、王国では元婚約者が転落し、真実が暴かれていく――。 婚約破棄ざまぁから始まる、 天才令嬢の自由と恋と大逆転のラブストーリー! ---

辺境に追放されたガリガリ令嬢ですが、助けた男が第三王子だったので人生逆転しました。~実家は危機ですが、助ける義理もありません~

香木陽灯
恋愛
 「そんなに気に食わないなら、お前がこの家を出ていけ!」  実の父と義妹に虐げられ、着の身着のままで辺境のボロ家に追放された伯爵令嬢カタリーナ。食べるものもなく、泥水のようなスープですすり、ガリガリに痩せ細った彼女が庭で拾ったのは、金色の瞳を持つ美しい男・ギルだった。  「……見知らぬ人間を招き入れるなんて、馬鹿なのか?」  「一人で食べるのは味気ないわ。手当てのお礼に一緒に食べてくれると嬉しいんだけど」  二人の奇妙な共同生活が始まる。ギルが獲ってくる肉を食べ、共に笑い、カタリーナは本来の瑞々しい美しさを取り戻していく。しかしカタリーナは知らなかった。彼が王位継承争いから身を隠していた最強の第三王子であることを――。 ※ふんわり設定です。 ※他サイトにも掲載中です。

貧乏人とでも結婚すれば?と言われたので、隣国の英雄と結婚しました

ゆっこ
恋愛
 ――あの日、私は確かに笑われた。 「貧乏人とでも結婚すれば? 君にはそれくらいがお似合いだ」  王太子であるエドワード殿下の冷たい言葉が、まるで氷の刃のように胸に突き刺さった。  その場には取り巻きの貴族令嬢たちがいて、皆そろって私を見下ろし、くすくすと笑っていた。  ――婚約破棄。

婚約破棄と暗殺で死んだはずの公爵令嬢ですが、前に出ずに全てを崩壊させます

鷹 綾
恋愛
フォールス・アキュゼーション。お前に全ての罪がある」 王太子フレイム・ファブリケイト・ロイヤル・ロードは、自らの失策を公爵令嬢フォールスに押し付け、婚約を破棄。 さらに証拠隠滅のため、彼女を追放し、暗殺まで差し向ける。 ――彼女は、死んだことにされた。 だがフォールスは、生き延びた。 剣も魔法も持たず、復讐に燃えることもない。 選んだのは、前に出ないという生き方。 隣国で身を潜めながら、王弟エクイティ・フェアネス・ロイヤル・ロードのもと、 彼女は“構造の隣”に立つ。 暴かず、裁かず、叫ばない。 ただ、歪んだ仕組みを静かに照らし、 「選ばなかった者たち」を、自ら説明の場へと追い込んでいく。 切れない証人。 使えない駒。 しかし、消すこともできない存在。 これは、力で叩き潰すザマアではない。 沈黙と距離で因果を完成させる、知的で冷静な因果応報の物語。 ――前に出ない令嬢が、すべての答えを置いていく。

離婚寸前で人生をやり直したら、冷徹だったはずの夫が私を溺愛し始めています

腐ったバナナ
恋愛
侯爵夫人セシルは、冷徹な夫アークライトとの愛のない契約結婚に疲れ果て、離婚を決意した矢先に孤独な死を迎えた。 「もしやり直せるなら、二度と愛のない人生は選ばない」 そう願って目覚めると、そこは結婚直前の18歳の自分だった! 今世こそ平穏な人生を歩もうとするセシルだったが、なぜか夫の「感情の色」が見えるようになった。 冷徹だと思っていた夫の無表情の下に、深い孤独と不器用で一途な愛が隠されていたことを知る。 彼の愛をすべて誤解していたと気づいたセシルは、今度こそ彼の愛を掴むと決意。積極的に寄り添い、感情をぶつけると――

処理中です...