元婚約者に冷たく捨てられた令嬢、辺境で出会った無愛想な騎士に溺愛される ~今さら戻ってこないでください~

usako

文字の大きさ
16 / 30

第16話 すれ違う心、確かめる想い

しおりを挟む
翌朝の空は、薄灰色の雲に覆われていた。  
まるで嵐の前触れのように風が冷たく、村の人々もどこか落ち着かない様子で家の戸を閉めていた。  
風見亭の中も重い空気に包まれている。  
マイラ監察官は昨夜から滞在を続け、朝から文書を広げては静かに何かを書き記していた。  

レティシアはその様子を遠くから見ていた。  
食堂の端に座り、手元の皿を片づける。けれど、指先に力が入らない。  
――マイラがここにいる限り、エドガーの行動は縛られたままだ。  

ふと視線を上げると、窓の外を見ているエドガーの姿が見えた。  
硬い表情のまま腕を組み、何かを決意するような横顔。  
朝日が差すたびに、その瞳が鋼のように光る。  

胸の奥がざわついた。  
彼がどこかへ行ってしまいそうで、怖い。  
その恐れが形にならないまま、声をかける勇気だけが心の奥で揺れていた。  

昼過ぎ、監察官が宿を出る。  
「今夜までに王都へ送る報告書を完成させる必要があります。」  
穏やかに言いながらも、口調は無機質だった。  
ただの報告書ではない。きっと、エドガーの身を断罪するための内容が記されるのだろう。  

レティシアは思わず、マイラの背に言葉をかけた。  
「あなたは……本当に、それが正しいと思っているのですか?」  
マイラは振り返ることなく歩き出した。  
「誰かが“正しい”と信じなければ、国は立てません。あなたも元は貴族なら、理解できるでしょう。」  
その言葉を残して、彼女は去った。  

沈黙の中、エドガーが小さくため息をつく。  
「……無駄だ。」  
「どうしてですか?」  
「正義を盾に戦う人間ほど、頑固なものはない。」  
「でも、だからといって諦めたら、もう何も変えられません。」  
レティシアの声が震える。  
彼女の瞳には焦燥が滲んでいた。  

夕方、風が強くなった。  
宿の戸が軋み、外の木々がざわめく。  
エドガーは剣を手入れしていたが、その手もどこか落ち着きがない。  
レティシアは耐えきれず、彼のもとへ歩み寄った。  

「……隠していることがあるなら、教えてください。」  
「何のことだ?」  
「最近、夜に外へ出ているでしょう? 誰にも言わずに。」  
「ただ巡回しているだけだ。」  
「嘘です。あなたは嘘をつく時、目を逸らします。」  

エドガーが顔を上げる。  
その灰色の瞳が、真っ直ぐに彼女を射抜いた。  
「分かってどうする。」  
「分からなければ、落ち着けません。」  
「落ち着けなくてもいい。」  

その言葉に、胸がズキリと痛む。  
静寂が二人の間に重く垂れ込めた。  

「どうして、私を遠ざけようとするんですか。」  
「お前を巻き込みたくない。」  
「もう巻き込まれています!」  

声が大きくなった。  
レティシアの目に涙が浮かぶ。  
「あなたが戦うとき、私も息ができないほど怖いんです。だから教えてください、今何をしようとしているのか。」  

エドガーはしばし黙り、やがて短く息を吐いた。  
「……マイラが報告書を出す前に、俺は消えるつもりだ。」  
「消える?」  
「辺境を離れる。北の国境を越えて、名前を捨てる。」  
「そんな……逃げるんですか?」  

彼の顔が苦しげに歪む。  
「逃げる以外に手はない。このままでは、村全体が巻き込まれる。俺の存在が、害になる。」  

レティシアは首を振った。  
「そう思ってるのは、あなた一人です!」  
「分かってる。けど、俺がいる限り、誰かが泣く。」  
「違います。私が泣くのは、あなたがいなくなるときだけ。」  

沈黙が落ちた。  
二人の距離が数歩もないのに、心は遠い。  

「レティシア。」  
「はい。」  
「お前の気持ちは、嬉しい。本当に救われた。」  
「なら——」  
「けど、俺はお前に何も残せない。過去を背負って、罪を抱えたまま、誰かの隣には立てない。」  

言葉が冷たく刃のようだった。  
なのに、その声が震えている。彼自身も、痛みに耐えているのだと分かった。  

「……何も残せないなんて、あなたらしくありません。」  
「どうしてそう言える。」  
「あなたが教えてくれたんです。生きるとは、誰かを守ることだと。」  

レティシアの声が掠れていた。  
手を伸ばし、彼の手に触れる。  
「私は、あなたが残してくれた“優しさ”の中で生きています。それがもう、十分すぎるほどの証です。」  

エドガーは微かに笑った。だが、その笑みはどこか苦しげだった。  

外の風が強く吹き抜け、宿の扉がガタンと鳴る。  
嵐が近い。  
このままでは、本当に彼が消えてしまう気がした。  

レティシアは意を決して一歩踏み出した。  
「私、ついて行きます。」  
「なに?」  
「あなたがどこへ行っても、一緒に行きます。」  
「駄目だ。」  
「嫌です。」  
「俺は追われている。命を狙われるかもしれん。」  
「それでも構いません。」  

エドガーの手が震えた。  
「……どうして、そこまで。」  
「好きだからです。」  

静寂が時を止めた。  
彼の瞳が揺れ、硬い表情が少しずつ崩れていく。  

「レティシア……」  
「あなたがどんな過去を背負っても、私はそれごと愛します。」  

彼の唇が何かを言おうと動いたその瞬間、外から兵の声が響いた。  

「監察官殿、お急ぎください! 王都より早馬が!」  

マイラの従者の声だ。  
エドガーがすぐに動き出す。  
だが、レティシアの手を離さなかった。  

「……すまない。これ以上、言葉にできない。」  
それだけ言い残し、彼は嵐のように去っていった。  

背を見送るレティシアの胸に、どうしようもない痛みが広がる。  
言葉にしなければ伝わらない。  
伝えたのに届かない。  

涙が頬を伝い、握りしめた拳が小さく震えた。  

「――あなたがどこへ行っても、私は探します。」  

その誓いだけを胸に、彼女は暗く曇った空を見上げた。  
吹き荒れる風が頬を打ち、遠くの空に稲光が走った。  
嵐が、すべてを試す夜が始まろうとしていた。  

続く
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

冷徹婚約者に追放された令嬢、異国の辺境で最強公爵に見初められ、今さら「帰ってきて」と泣かれてももう遅い

nacat
恋愛
婚約者である王太子に濡れ衣を着せられ、断罪の末に国外追放された伯爵令嬢レティシア。 絶望の果てにたどり着いた辺境の国で、孤高と噂の公爵に助けられる。 彼は彼女に穏やかに微笑み、たった一言「ここにいなさい」と囁いた。 やがてレティシアは、その地で新しい居場所と愛を見つける。 だが、彼女を見捨てた王太子が、後悔と未練を胸に彼女を追って現れて――。 「どうか許してくれ、レティシア……!」 もう遅い。彼女は優しく強くなって、誰より愛される人生を歩き始めていた。

婚約破棄されて去ったら、私がいなくても世界は回り始めました

鷹 綾
恋愛
「君との婚約は破棄する。聖女フロンこそが、真に王国を導く存在だ」 王太子アントナン・ドームにそう告げられ、 公爵令嬢エミー・マイセンは、王都を去った。 彼女が担ってきたのは、判断、調整、責任―― 国が回るために必要なすべて。 だが、それは「有能」ではなく、「依存」だった。 隣国へ渡ったエミーは、 一人で背負わない仕組みを選び、 名前が残らない判断の在り方を築いていく。 一方、彼女を失った王都は混乱し、 やがて気づく―― 必要だったのは彼女ではなく、 彼女が手放そうとしていた“仕組み”だったのだと。 偽聖女フロンの化けの皮が剥がれ、 王太子アントナンは、 「決めた後に立ち続ける重さ」と向き合い始める。 だが、もうエミーは戻らない。 これは、 捨てられた令嬢が復讐する物語ではない。 溺愛で救われる物語でもない。 「いなくても回る世界」を完成させた女性と、  彼女を必要としなくなった国の、  静かで誇り高い別れの物語。 英雄が消えても、世界は続いていく―― アルファポリス女子読者向け 〈静かな婚約破棄ざまぁ〉×〈大人の再生譚〉。

婚約破棄されるはずでしたが、王太子の目の前で皇帝に攫われました』

鷹 綾
恋愛
舞踏会で王太子から婚約破棄を告げられそうになった瞬間―― 目の前に現れたのは、馬に乗った仮面の皇帝だった。 そのまま攫われた公爵令嬢ビアンキーナは、誘拐されたはずなのに超VIP待遇。 一方、助けようともしなかった王太子は「無能」と嘲笑され、静かに失墜していく。 選ばれる側から、選ぶ側へ。 これは、誰も断罪せず、すべてを終わらせた令嬢の物語。 --

『婚約破棄ありがとうございます。自由を求めて隣国へ行ったら、有能すぎて溺愛されました』

鷹 綾
恋愛
内容紹介 王太子に「可愛げがない」という理不尽な理由で婚約破棄された公爵令嬢エヴァントラ。 涙を流して見せた彼女だったが── 内心では「これで自由よ!」と小さくガッツポーズ。 実は王国の政務の大半を支えていたのは彼女だった。 エヴァントラが去った途端、王宮は大混乱に陥り、元婚約者とその恋人は国中から総スカンに。 そんな彼女を拾ったのは、隣国の宰相補佐アイオン。 彼はエヴァントラの安全と立場を守るため、 **「恋愛感情を持たない白い結婚」**を提案する。 「干渉しない? 恋愛不要? 最高ですわ」 利害一致の契約婚が始まった……はずが、 有能すぎるエヴァントラは隣国で一気に評価され、 気づけば彼女を庇い、支え、惹かれていく男がひとり。 ――白い結婚、どこへ? 「君が笑ってくれるなら、それでいい」 不器用な宰相補佐の溺愛が、静かに始まっていた。 一方、王国では元婚約者が転落し、真実が暴かれていく――。 婚約破棄ざまぁから始まる、 天才令嬢の自由と恋と大逆転のラブストーリー! ---

辺境に追放されたガリガリ令嬢ですが、助けた男が第三王子だったので人生逆転しました。~実家は危機ですが、助ける義理もありません~

香木陽灯
恋愛
 「そんなに気に食わないなら、お前がこの家を出ていけ!」  実の父と義妹に虐げられ、着の身着のままで辺境のボロ家に追放された伯爵令嬢カタリーナ。食べるものもなく、泥水のようなスープですすり、ガリガリに痩せ細った彼女が庭で拾ったのは、金色の瞳を持つ美しい男・ギルだった。  「……見知らぬ人間を招き入れるなんて、馬鹿なのか?」  「一人で食べるのは味気ないわ。手当てのお礼に一緒に食べてくれると嬉しいんだけど」  二人の奇妙な共同生活が始まる。ギルが獲ってくる肉を食べ、共に笑い、カタリーナは本来の瑞々しい美しさを取り戻していく。しかしカタリーナは知らなかった。彼が王位継承争いから身を隠していた最強の第三王子であることを――。 ※ふんわり設定です。 ※他サイトにも掲載中です。

貧乏人とでも結婚すれば?と言われたので、隣国の英雄と結婚しました

ゆっこ
恋愛
 ――あの日、私は確かに笑われた。 「貧乏人とでも結婚すれば? 君にはそれくらいがお似合いだ」  王太子であるエドワード殿下の冷たい言葉が、まるで氷の刃のように胸に突き刺さった。  その場には取り巻きの貴族令嬢たちがいて、皆そろって私を見下ろし、くすくすと笑っていた。  ――婚約破棄。

婚約破棄と暗殺で死んだはずの公爵令嬢ですが、前に出ずに全てを崩壊させます

鷹 綾
恋愛
フォールス・アキュゼーション。お前に全ての罪がある」 王太子フレイム・ファブリケイト・ロイヤル・ロードは、自らの失策を公爵令嬢フォールスに押し付け、婚約を破棄。 さらに証拠隠滅のため、彼女を追放し、暗殺まで差し向ける。 ――彼女は、死んだことにされた。 だがフォールスは、生き延びた。 剣も魔法も持たず、復讐に燃えることもない。 選んだのは、前に出ないという生き方。 隣国で身を潜めながら、王弟エクイティ・フェアネス・ロイヤル・ロードのもと、 彼女は“構造の隣”に立つ。 暴かず、裁かず、叫ばない。 ただ、歪んだ仕組みを静かに照らし、 「選ばなかった者たち」を、自ら説明の場へと追い込んでいく。 切れない証人。 使えない駒。 しかし、消すこともできない存在。 これは、力で叩き潰すザマアではない。 沈黙と距離で因果を完成させる、知的で冷静な因果応報の物語。 ――前に出ない令嬢が、すべての答えを置いていく。

離婚寸前で人生をやり直したら、冷徹だったはずの夫が私を溺愛し始めています

腐ったバナナ
恋愛
侯爵夫人セシルは、冷徹な夫アークライトとの愛のない契約結婚に疲れ果て、離婚を決意した矢先に孤独な死を迎えた。 「もしやり直せるなら、二度と愛のない人生は選ばない」 そう願って目覚めると、そこは結婚直前の18歳の自分だった! 今世こそ平穏な人生を歩もうとするセシルだったが、なぜか夫の「感情の色」が見えるようになった。 冷徹だと思っていた夫の無表情の下に、深い孤独と不器用で一途な愛が隠されていたことを知る。 彼の愛をすべて誤解していたと気づいたセシルは、今度こそ彼の愛を掴むと決意。積極的に寄り添い、感情をぶつけると――

処理中です...