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第17話 眠れぬ夜の告白
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その夜、外では風がうなりをあげていた。
山から吹き降ろす強い風が宿の窓を叩き、木々を軋ませる。
村全体が嵐の気配に包まれる中、風見亭の灯だけが静かに揺れていた。
レティシアはベッドの上に腰かけ、震える指先で短剣を握りしめていた。
エドガーが残していったもの。彼の決意の象徴。
まるで心臓の鼓動がその刃に伝わるようで、握るたびに息が詰まりそうになる。
――彼がこの村から消えるかもしれない。
昼間の会話が頭を離れない。
逃げるという言葉。
巻き込まないためにと言った、優しいけれど残酷な拒絶。
「……本当に、それでいいの?」
誰に問いかけるわけでもなく、囁いた言葉は静まり返った室内で吸い込まれていく。
窓の外を見やると、暗闇の中で時折稲光が走る。
遠くで雷鳴が響き、まるで空が泣いているように思えた。
眠ることはできなかった。
彼がこのままいなくなるのをただ待つだけなんて、耐えられない。
気づけば、足が動いていた。
上着を纏い、宿の廊下をそっと抜け出す。
板のきしむ音に耳を澄ませながら、扉を開けると冷たい夜風が頬を打った。
――エドガーがいるはずの場所。
彼は嵐の日でも巡回を欠かさない。
村の外れ、古い見張り塔。きっとそこにいる。
雨が降り始め、裾が重くなる。
それでも足は止まらなかった。
塔に近づいたとき、窓から漏れるわずかな灯りが見えた。
扉を押し開けると、エドガーがそこにいた。
濡れた外套を脱ぎ、火を焚いている。
驚きの色が瞳に浮かぶ。
「レティシア……どうしてここに。」
荒い息を整えながら、レティシアは答えた。
「あなたに、伝えたいことがあって。」
エドガーは眉をひそめた。
「こんな嵐の夜に何を考えてる。危ないだろうが。」
「危ないのは分かってます。でも、行かずにはいられなかった。」
「そんな無茶をしてまで来るほどのことか?」
「ええ。」
レティシアは一歩踏み出す。
濡れた髪から水滴が落ちる音が、静かな室内に響いた。
「あなた、明日出て行くつもりなんでしょう?」
「……誰から聞いた。」
「誰からでもない。そう思っただけ。でも、顔を見れば分かります。」
エドガーは視線を逸らした。
焚火の光が頬を照らす。
口を開きかけたが、何も言わずに黙り込む。
「逃げることが悪いとは思いません。けれど、私を置いて行くのは許しません。」
その声は、いつになく強かった。
エドガーは驚いたように目を見開く。
「……お前を守るためだ。」
「守られるだけじゃ、嫌なんです!」
涙が溢れた。抑えきれなかった感情が、胸から溢れ出る。
「あなたに出会って、変われたんです。誰かに必要にされたこともなかった私を、ここにいさせてくれたのはあなた。
だから、もういなくならないで。お願いです、私を一人にしないで。」
言葉を失ったエドガーは、立ち尽くしていた。
火のはぜる音が響く中、彼はゆっくりと歩を進め、レティシアの前に立つ。
「……泣くな。」
大きな手が頬をなでた。
指先が涙を掬い取るように滑り、温もりがひとつ、またひとつと伝わってくる。
「俺は、誰かにそうやって泣かれたことなんて一度もなかった。……その涙を見ていると、逃げる理由がなくなってしまう。」
「だったら、逃げないでください。」
「簡単に言うな。俺は王都にとって罪人だ。捕らえられれば処刑される。お前を巻き添えにするだけだ。」
「それでも構いません。」
真っ直ぐな瞳が、彼を捉える。
その強さに、エドガーが息を詰まらせた。
沈黙ののち、ぽつりと呟くように言う。
「お前は、どうしてそこまで俺に拘る。」
「あなたは、私の生きる理由だから。」
「……理由?」
「生まれて初めて、心の底から誰かを想いました。あなたがいなければ、私はただの“過去の亡霊”のままです。」
言葉が途切れた瞬間、稲妻が外を照らした。
眩しい光が部屋を白く染め、その後に続いた雷鳴が地を揺らした。
ほんの一瞬、恐怖に震えたレティシアを、エドガーが反射的に抱き寄せた。
強く、けれど優しい力。
彼の胸に頬を押し当てると、心臓の鼓動が早く響いていた。
「……口がうまい女だ。」
「本心です。」
「だろうな。」
エドガーは小さく息を吐き、彼女を腕の中で離さなかった。
「俺はこれまで、誰かを愛すなんて考えたことがなかった。戦場で命を落とすのがいつかも分からなかったからな。」
「今は?」
「今も怖い。けれど、お前を見ていると、初めて生きたいと思った。」
レティシアの胸の奥がきゅっと痛む。
その言葉を聞いただけで、泣きそうになる。
「それは、愛ですか?」
「……多分な。」
小さく頷いた彼が、ゆっくりと彼女の頬に手を伸ばす。
指先が震えながら触れる。触れた場所から火が灯るように熱が走る。
「お前に触れるのがこんなにも怖いとは思わなかった。」
「怖いことなんて……ありますか。」
「ある。失うのが、何より怖い。」
その瞬間、レティシアは彼の胸に手を置いた。
「だったら、二人で生き抜きましょう。恐れるのでも、逃げるのでもなく、一緒に。」
エドガーはしばらく彼女を見つめてから、静かに微笑んだ。
その笑顔は今まで見たどんなものよりも穏やかで、痛いほど優しかった。
「……お前の言葉はいつも俺の鎧を壊す。」
「壊してしまってもいいですか?」
「もう壊れてる。」
二人の距離が、自然に近づく。
息が触れそうな距離。
火がぱちぱちとはぜ、雷が遠ざかっていく。
空気の中に静かな熱が満ちた。
唇が重なるまで、言葉はいらなかった。
ただ、確かめるように。
もう二度と離れないと、約束するように。
時間が止まったかのような静寂ののち、エドガーは額をレティシアの額に寄せた。
「すまない。」
「何がですか?」
「お前が俺を好きだって言ってくれたのに、俺のほうが先に堕ちてた。」
頬に笑みと涙が同時に浮かぶ。
もう返す言葉は見つからなかった。
風が弱まり、遠くで雲が割れ、月が顔を出した。
淡い光が二人を包み込む。
この夜、互いの想いは確かに形を持った。
だが、嵐のあとに訪れる運命が、まだ二人を試そうとしていることを、誰も知らなかった。
続く
山から吹き降ろす強い風が宿の窓を叩き、木々を軋ませる。
村全体が嵐の気配に包まれる中、風見亭の灯だけが静かに揺れていた。
レティシアはベッドの上に腰かけ、震える指先で短剣を握りしめていた。
エドガーが残していったもの。彼の決意の象徴。
まるで心臓の鼓動がその刃に伝わるようで、握るたびに息が詰まりそうになる。
――彼がこの村から消えるかもしれない。
昼間の会話が頭を離れない。
逃げるという言葉。
巻き込まないためにと言った、優しいけれど残酷な拒絶。
「……本当に、それでいいの?」
誰に問いかけるわけでもなく、囁いた言葉は静まり返った室内で吸い込まれていく。
窓の外を見やると、暗闇の中で時折稲光が走る。
遠くで雷鳴が響き、まるで空が泣いているように思えた。
眠ることはできなかった。
彼がこのままいなくなるのをただ待つだけなんて、耐えられない。
気づけば、足が動いていた。
上着を纏い、宿の廊下をそっと抜け出す。
板のきしむ音に耳を澄ませながら、扉を開けると冷たい夜風が頬を打った。
――エドガーがいるはずの場所。
彼は嵐の日でも巡回を欠かさない。
村の外れ、古い見張り塔。きっとそこにいる。
雨が降り始め、裾が重くなる。
それでも足は止まらなかった。
塔に近づいたとき、窓から漏れるわずかな灯りが見えた。
扉を押し開けると、エドガーがそこにいた。
濡れた外套を脱ぎ、火を焚いている。
驚きの色が瞳に浮かぶ。
「レティシア……どうしてここに。」
荒い息を整えながら、レティシアは答えた。
「あなたに、伝えたいことがあって。」
エドガーは眉をひそめた。
「こんな嵐の夜に何を考えてる。危ないだろうが。」
「危ないのは分かってます。でも、行かずにはいられなかった。」
「そんな無茶をしてまで来るほどのことか?」
「ええ。」
レティシアは一歩踏み出す。
濡れた髪から水滴が落ちる音が、静かな室内に響いた。
「あなた、明日出て行くつもりなんでしょう?」
「……誰から聞いた。」
「誰からでもない。そう思っただけ。でも、顔を見れば分かります。」
エドガーは視線を逸らした。
焚火の光が頬を照らす。
口を開きかけたが、何も言わずに黙り込む。
「逃げることが悪いとは思いません。けれど、私を置いて行くのは許しません。」
その声は、いつになく強かった。
エドガーは驚いたように目を見開く。
「……お前を守るためだ。」
「守られるだけじゃ、嫌なんです!」
涙が溢れた。抑えきれなかった感情が、胸から溢れ出る。
「あなたに出会って、変われたんです。誰かに必要にされたこともなかった私を、ここにいさせてくれたのはあなた。
だから、もういなくならないで。お願いです、私を一人にしないで。」
言葉を失ったエドガーは、立ち尽くしていた。
火のはぜる音が響く中、彼はゆっくりと歩を進め、レティシアの前に立つ。
「……泣くな。」
大きな手が頬をなでた。
指先が涙を掬い取るように滑り、温もりがひとつ、またひとつと伝わってくる。
「俺は、誰かにそうやって泣かれたことなんて一度もなかった。……その涙を見ていると、逃げる理由がなくなってしまう。」
「だったら、逃げないでください。」
「簡単に言うな。俺は王都にとって罪人だ。捕らえられれば処刑される。お前を巻き添えにするだけだ。」
「それでも構いません。」
真っ直ぐな瞳が、彼を捉える。
その強さに、エドガーが息を詰まらせた。
沈黙ののち、ぽつりと呟くように言う。
「お前は、どうしてそこまで俺に拘る。」
「あなたは、私の生きる理由だから。」
「……理由?」
「生まれて初めて、心の底から誰かを想いました。あなたがいなければ、私はただの“過去の亡霊”のままです。」
言葉が途切れた瞬間、稲妻が外を照らした。
眩しい光が部屋を白く染め、その後に続いた雷鳴が地を揺らした。
ほんの一瞬、恐怖に震えたレティシアを、エドガーが反射的に抱き寄せた。
強く、けれど優しい力。
彼の胸に頬を押し当てると、心臓の鼓動が早く響いていた。
「……口がうまい女だ。」
「本心です。」
「だろうな。」
エドガーは小さく息を吐き、彼女を腕の中で離さなかった。
「俺はこれまで、誰かを愛すなんて考えたことがなかった。戦場で命を落とすのがいつかも分からなかったからな。」
「今は?」
「今も怖い。けれど、お前を見ていると、初めて生きたいと思った。」
レティシアの胸の奥がきゅっと痛む。
その言葉を聞いただけで、泣きそうになる。
「それは、愛ですか?」
「……多分な。」
小さく頷いた彼が、ゆっくりと彼女の頬に手を伸ばす。
指先が震えながら触れる。触れた場所から火が灯るように熱が走る。
「お前に触れるのがこんなにも怖いとは思わなかった。」
「怖いことなんて……ありますか。」
「ある。失うのが、何より怖い。」
その瞬間、レティシアは彼の胸に手を置いた。
「だったら、二人で生き抜きましょう。恐れるのでも、逃げるのでもなく、一緒に。」
エドガーはしばらく彼女を見つめてから、静かに微笑んだ。
その笑顔は今まで見たどんなものよりも穏やかで、痛いほど優しかった。
「……お前の言葉はいつも俺の鎧を壊す。」
「壊してしまってもいいですか?」
「もう壊れてる。」
二人の距離が、自然に近づく。
息が触れそうな距離。
火がぱちぱちとはぜ、雷が遠ざかっていく。
空気の中に静かな熱が満ちた。
唇が重なるまで、言葉はいらなかった。
ただ、確かめるように。
もう二度と離れないと、約束するように。
時間が止まったかのような静寂ののち、エドガーは額をレティシアの額に寄せた。
「すまない。」
「何がですか?」
「お前が俺を好きだって言ってくれたのに、俺のほうが先に堕ちてた。」
頬に笑みと涙が同時に浮かぶ。
もう返す言葉は見つからなかった。
風が弱まり、遠くで雲が割れ、月が顔を出した。
淡い光が二人を包み込む。
この夜、互いの想いは確かに形を持った。
だが、嵐のあとに訪れる運命が、まだ二人を試そうとしていることを、誰も知らなかった。
続く
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