元婚約者に冷たく捨てられた令嬢、辺境で出会った無愛想な騎士に溺愛される ~今さら戻ってこないでください~

usako

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第30話 「もう二度と離れません」完

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春が過ぎ、夏が訪れた。  
辺境の丘には一面の緑が広がり、風に花の香りが混ざっていた。  
レティシアが目を覚ますと、窓から吹き込む風が頬を撫でた。  
まだ建てられて間もない家の中には、木の香りと新しい生活の匂いが満ちている。  

隣で寝ているエドガーは、いつものように早朝から村の見回りに出かけて帰ってきたばかりのようだった。  
鎧に代わって軽いシャツを着ている姿は、もうあの「騎士」ではなく、ただの優しい村の男の顔をしていた。  

「おはよう。」  
「もう起きたのか。今日はもう少し寝ていろ。」  
「駄目です。今日は大切な日ですから。」  
レティシアは微笑み、テーブルの上に布を敷く。  
その上には、マーサ女将からもらったハーブと、自分で焼いたパンが並んでいた。  

今日は、ふたりが結婚してちょうど一年――彼女が「辺境の花嫁」になった日だった。  

「一年か……信じられんな。」  
「私もです。いろいろありすぎて、まるで夢みたい。」  
エドガーはパンを取り、静かに言う。  
「夢みたいじゃない。現実だ。しかも、俺が生涯で一番誇らしい現実だ。」  

その言葉に、レティシアの胸が熱くなった。  
かつて誰かに褒められることなどなかった彼女にとって、その一言はどんな宝石よりも価値がある。  

「そういうことを、いつもさらっと言うんですから。」  
「事実だからな。」  
「ずるい人。」  
そう言いながら笑う彼女の笑顔に、エドガーは心の底から安堵の息を吐いた。  

王都を離れてから、彼はずっとこの村を守り、村人たちと共に過ごしてきた。  
レティシアは風見亭の手伝いを続けながら、時折子どもたちに読み書きを教えた。  
ふたりの小さな家は、丘の上にある。どこからでも村の灯りが見え、星が一番綺麗に見える場所だった。  

季節の移り変わりと共に、彼らの生活は穏やかに流れていった。  

***

その日、村の広場では祭りの準備が行われていた。  
一年に一度の「収穫祭」。  
麦の穂を束ね、音楽を奏で、踊り、神々に豊穣を感謝する日だ。  
今年はその祭りの中心に、エドガーとレティシアが訪れた。  

「お前もすっかり村の人気者だな。」  
「人気者なのはあなたの方です。子供たち、みんなあなたに懐いてるじゃないですか。」  
「それは……まあ、いいことか。」  
「照れていますね」  
「していない。」  
そんな他愛もない会話に、周囲の村人たちは温かな笑い声をこぼしていた。  

太鼓が鳴り、祭りの音楽が広場を満たした。  
子どもたちは花飾りを頭に乗せ、大人たちは酒を酌み交わし、空気に笑い声が溶けていく。  

レティシアは踊りの輪に引き込まれ、花を編んだ冠を頭にかぶせられた。  
「女神みたいだ!」と誰かが叫び、彼女は頬を染めながら笑った。  

少し離れた場所から、その姿を見つめる男がいた。  
エドガーだ。  
彼は微笑んだまま、胸の奥にあたたかなものを感じていた。  
戦場でも、王都でも、剣の音の中でも得られなかった平穏。  
それが今、自分のすぐ近くにある。  

ふと、レティシアと目が合う。  
彼女は微笑み、そっと彼のもとへ歩いてきた。  

「ねえエドガー、踊りましょう?」  
「俺が? 無理だ、昔から踊りは苦手だ。」  
「でも、去年は一緒に踊ってくれましたよ。」  
「去年は、お前が泣きそうだったからだ。」  
「今年は泣きません。だから踊ってください。」  
「……仕方ないな。」  

手を取られると、レティシアの指が彼の指に静かに絡む。  
その軽い温もりに、心臓の鼓動が小さく跳ねた。  
唇に笑みが浮かび、音楽に合わせて二人はゆっくりと歩き始める。  

周囲のざわめきが遠のいていく。  
音も光も、すべてが二人だけの世界に変わっていくようだった。  

レティシアがそっと囁く。  
「この瞬間を、覚えていてくださいね。」  
「忘れられると思うか?」  
「ふふ、ええ、そうですよね。」  
「お前こそ、何を思い出していた?」  
「いろいろ。でも一番は……王都で泣いていた私に、あなたが手を差し伸べてくれたこと。」  
「俺の方こそ、救われたのはあの日からだ。」  

彼女の瞳は夜の星よりも柔らかく光っていた。  

「エドガー。」  
「ん?」  
「私はもう、何も怖くありません。あなたがいるから。」  
「……俺もだ。」  
言葉を重ね、彼はレティシアを抱き寄せた。  

長い戦いも、過去の影も、二人の胸の中では静かに消えていく。  
残るのは互いの体温だけ。  
耳元でエドガーの声が低く響く。  
「俺は二度と、この手を離さない。たとえ何があっても、お前を守る。」  
「……約束ですよ?」  
「誓いだ。命ある限り、俺のすべてをお前に捧げる。」  

彼の額が彼女の額に触れ、そして唇が重なった。  
世界の時間が、ゆっくりと止まる。  

やがて二人が顔を離すと、レティシアは小さく笑った。  
「あなたがいてくれるなら、それだけで生きていけます。」  
「それじゃ、もうどこへも行けないな。俺もお前も、ずっとここに留まる。」  
「ええ。それでいいんです。」  

夜空の中で花火が打ち上がり、橙と金の光が村を照らした。  
人々の歓声が聞こえ、子供の笑い声が風に乗る。  

エドガーは小さく息を吐き、彼女の耳元に囁く。  
「お前に出会えて、本当に良かった。」  
「私もです。あなたが生きていてくれたから、私の世界は始まりました。」  

二人はそのまま夜空を見上げた。  
花火の煙の向こうに、無数の星が瞬いている。  

レティシアがぽつりと呟く。  
「ねえ、私たちの物語は、これで終わりですか?」  
「終わりじゃない。」  
エドガーは彼女の手を強く握った。  
「これは“始まり”の続きだ。これから先も、ずっと共にある。」  
「なら……」  
レティシアは彼の胸に顔を寄せ、静かに囁いた。  
「もう二度と離れませんね。」  
「永遠に、だ。」  

風が二人の間を渡り、花火の光が最後の閃光を描く。  
辺境の夜は穏やかに、そして祝福に満ちていた。  
新しい季節が、二人の未来を静かに照らしていく。  

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