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第29話 辺境の花嫁
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春の陽射しが村をやさしく包み込んでいた。
あの日、丘の上で交わされた約束から、半月が経つ。
レティシアとエドガーの結婚式が行われるその朝、村は早くから活気にあふれていた。
風見亭の前の広場には布や花で作られたアーチが設えられ、子供たちは花冠を手に走り回っている。
村人全員が、二人の幸せを祝うために集まっていた。
貴族の豪奢な式ではない。
けれど、笑いと祝福の色に満ちたこの光景は、何よりも温かかった。
レティシアは小部屋で支度をしていた。
鏡に映る自分の姿を見つめる。
白い麻布で仕立てた素朴なドレス。裾には村の子たちが摘んだ小花が縫い付けられている。
手作りの花冠を頭に乗せた自分が、こんなにも柔らかな顔で笑っているなんて、かつての王都の令嬢時代には想像もできなかった。
マーサ女将が背後から声をかけた。
「本当に綺麗だよ、レティシア。こんな笑顔をする子だとは、正直思ってなかったさ。」
「女将さん、からかわないでください。」
「からかってなんかいないよ。あのエドガーの頑固者を落とすなんて大したもんだ。」
ビスケットのような優しい笑い声が部屋に満ちた。
マーサは手にしていた刺繍入りのハンカチを差し出す。
「祝いの品だよ。昔、自分の結婚のときに作ったやつなんだ。これで拭う涙は、絶対に幸せの涙になるからね。」
レティシアは受け取り、胸に抱いた。
「ありがとうございます。」
外では音楽が流れ始めた。笛の軽やかな調べ、太鼓の規則正しいリズム。
窓の外をのぞけば、エドガーが村人に囲まれて立っている。
普段よりも整えられた黒の衣装。
飾り気のないその姿が、この村の空気の中でひどく自然に見えた。
やがて扉の向こうから声がした。
「レティシア、準備はいいか?」
エドガーの声だった。
緊張が一気に胸に押し寄せる。
「はい……すぐ行きます。」
外に出ると、光が差し込んだ。
村人たちが一斉に拍手し、花びらが舞う。
エドガーが一歩前に出て手を差し伸べた。
その手を取った瞬間、過去に味わった数々の痛みも悲しみも、すべてがやさしく遠ざかっていくように感じられた。
「本当に、私でいいんですか?」
「またそれを言うのか。」
「だって、奇跡みたいで……夢じゃないかと思うんです。」
エドガーは小さく笑う。
「これは夢じゃない。お前と生きる現実だ。」
司祭役は村の長老が務めた。
「王家の名を借りずとも、神々は心に宿る。ここに集まった皆が、証人であり祝福者だ。」
ざわめきが収まり、静かな風だけが吹く。
エドガーの声が響いた。
「俺は、レティシア・アーベルグを妻として迎える。愛し、嫌な時も支え、共に笑うことを誓う。」
続いて、レティシアも言葉を紡いだ。
「私は、エドガー・ラインハルトと共に歩みます。困難も喜びも分かち合い、あなたの背を共に守ることを誓います。」
その瞬間、村の鐘が鳴り響いた。
子供たちが花を投げ、花びらが陽光の中で舞い上がる。
二人は自然に見つめ合い、同時に微笑んだ。
風の音に誘われるように、彼がそっと顔を寄せた。
唇が触れる一瞬、それは約束よりも深い永遠の誓いに変わる。
歓声が上がり、村全体が祝福の歓びに包まれた。
宴が始まると、マーサのスープにパン、果実酒、子供たちの歌声が広場を満たした。
レティシアは合間にふと夜空を見上げる。
星が、王都で見たときよりもずっと優しく輝いている。
「多分、これが本当の幸せなんですね。」
隣に立つエドガーが頷く。
「そうだ。戦も嘘もない。ただ、今のお前の笑顔が答えだ。」
するとマイラがグラスを手に歩み寄ってきた。
王都からわざわざ祝辞に訪れてくれたのだ。
「元監察官が祝うなんて場違いかもしれませんね。」
「そんなことありません。あなたが真実を守ってくれたから、今があります。」
「……あなたたちを見ていると、正義って何なのか、ほんの少しだけ分かる気がします。」
そう言って、マイラは穏やかに微笑んだ。
ふと、村の少年が駆けてきて、レティシアの手を引いた。
「お姉さん、踊りましょう!」
「ええ。でも、私そんなに上手では――」
「平気だ。俺が相手をする。」
エドガーが手を差し出す。
照れくさそうに笑いながら、彼女はその手を取った。
夜風が吹く。笛が再び鳴り響き、足音が土を打つ。
ふたりはぎこちなくも楽しげに踊った。
エドガーの目が合うたびに、胸が熱くなる。
その時間が永遠に続くように、と願った。
踊りが終わったあと、エドガーが彼女の耳元に囁いた。
「今度、家を建てよう。丘の上に、小さな家を。」
「……丘の上?」
「風見亭が見える場所だ。お前の笑い声があそこまで届くように。」
レティシアは頬を染めながら笑う。
「はい、一緒に建てましょう。窓の多い家がいいです。光をたくさん入れて。」
「それなら、朝寝坊はできんな。」
「構いません。あなたが起こしてくれるなら。」
二人の笑い声が重なり、星明かりがその輪郭を照らした。
夜も更け、祭りの喧噪が少しずつ静まるころ。
レティシアは丘の上に立ち、村の灯りを見下ろした。
背後からエドガーの足音が近づく。
「ここが好きだ。」
「私も。出会いから、全部が繋がっています。」
「……あの時、俺がこの村に流れ着いていなければ、今この瞬間はなかっただろうな。」
「でも、そうなってもまた出会っていたと思います。」
エドガーは笑い、そして彼女の肩を抱いた。
「そうだ。きっとどんな道を歩いても、お前に辿り着く。約束する。」
レティシアはその言葉に目を閉じ、風に身を委ねた。
村の灯りが遠くで揺れている。
その温かな光が二人を包み込む。
――かつて名門の令嬢だった彼女と、罪人と呼ばれた騎士。
遠く離れた世界の出会いが、奇跡のようにひとつに結ばれた春の夜。
そして、彼らの物語はこの日、ようやく一つの結末を迎えた。
だがそれは終わりではなく、新しい「始まり」という名の永遠だった。
完
あの日、丘の上で交わされた約束から、半月が経つ。
レティシアとエドガーの結婚式が行われるその朝、村は早くから活気にあふれていた。
風見亭の前の広場には布や花で作られたアーチが設えられ、子供たちは花冠を手に走り回っている。
村人全員が、二人の幸せを祝うために集まっていた。
貴族の豪奢な式ではない。
けれど、笑いと祝福の色に満ちたこの光景は、何よりも温かかった。
レティシアは小部屋で支度をしていた。
鏡に映る自分の姿を見つめる。
白い麻布で仕立てた素朴なドレス。裾には村の子たちが摘んだ小花が縫い付けられている。
手作りの花冠を頭に乗せた自分が、こんなにも柔らかな顔で笑っているなんて、かつての王都の令嬢時代には想像もできなかった。
マーサ女将が背後から声をかけた。
「本当に綺麗だよ、レティシア。こんな笑顔をする子だとは、正直思ってなかったさ。」
「女将さん、からかわないでください。」
「からかってなんかいないよ。あのエドガーの頑固者を落とすなんて大したもんだ。」
ビスケットのような優しい笑い声が部屋に満ちた。
マーサは手にしていた刺繍入りのハンカチを差し出す。
「祝いの品だよ。昔、自分の結婚のときに作ったやつなんだ。これで拭う涙は、絶対に幸せの涙になるからね。」
レティシアは受け取り、胸に抱いた。
「ありがとうございます。」
外では音楽が流れ始めた。笛の軽やかな調べ、太鼓の規則正しいリズム。
窓の外をのぞけば、エドガーが村人に囲まれて立っている。
普段よりも整えられた黒の衣装。
飾り気のないその姿が、この村の空気の中でひどく自然に見えた。
やがて扉の向こうから声がした。
「レティシア、準備はいいか?」
エドガーの声だった。
緊張が一気に胸に押し寄せる。
「はい……すぐ行きます。」
外に出ると、光が差し込んだ。
村人たちが一斉に拍手し、花びらが舞う。
エドガーが一歩前に出て手を差し伸べた。
その手を取った瞬間、過去に味わった数々の痛みも悲しみも、すべてがやさしく遠ざかっていくように感じられた。
「本当に、私でいいんですか?」
「またそれを言うのか。」
「だって、奇跡みたいで……夢じゃないかと思うんです。」
エドガーは小さく笑う。
「これは夢じゃない。お前と生きる現実だ。」
司祭役は村の長老が務めた。
「王家の名を借りずとも、神々は心に宿る。ここに集まった皆が、証人であり祝福者だ。」
ざわめきが収まり、静かな風だけが吹く。
エドガーの声が響いた。
「俺は、レティシア・アーベルグを妻として迎える。愛し、嫌な時も支え、共に笑うことを誓う。」
続いて、レティシアも言葉を紡いだ。
「私は、エドガー・ラインハルトと共に歩みます。困難も喜びも分かち合い、あなたの背を共に守ることを誓います。」
その瞬間、村の鐘が鳴り響いた。
子供たちが花を投げ、花びらが陽光の中で舞い上がる。
二人は自然に見つめ合い、同時に微笑んだ。
風の音に誘われるように、彼がそっと顔を寄せた。
唇が触れる一瞬、それは約束よりも深い永遠の誓いに変わる。
歓声が上がり、村全体が祝福の歓びに包まれた。
宴が始まると、マーサのスープにパン、果実酒、子供たちの歌声が広場を満たした。
レティシアは合間にふと夜空を見上げる。
星が、王都で見たときよりもずっと優しく輝いている。
「多分、これが本当の幸せなんですね。」
隣に立つエドガーが頷く。
「そうだ。戦も嘘もない。ただ、今のお前の笑顔が答えだ。」
するとマイラがグラスを手に歩み寄ってきた。
王都からわざわざ祝辞に訪れてくれたのだ。
「元監察官が祝うなんて場違いかもしれませんね。」
「そんなことありません。あなたが真実を守ってくれたから、今があります。」
「……あなたたちを見ていると、正義って何なのか、ほんの少しだけ分かる気がします。」
そう言って、マイラは穏やかに微笑んだ。
ふと、村の少年が駆けてきて、レティシアの手を引いた。
「お姉さん、踊りましょう!」
「ええ。でも、私そんなに上手では――」
「平気だ。俺が相手をする。」
エドガーが手を差し出す。
照れくさそうに笑いながら、彼女はその手を取った。
夜風が吹く。笛が再び鳴り響き、足音が土を打つ。
ふたりはぎこちなくも楽しげに踊った。
エドガーの目が合うたびに、胸が熱くなる。
その時間が永遠に続くように、と願った。
踊りが終わったあと、エドガーが彼女の耳元に囁いた。
「今度、家を建てよう。丘の上に、小さな家を。」
「……丘の上?」
「風見亭が見える場所だ。お前の笑い声があそこまで届くように。」
レティシアは頬を染めながら笑う。
「はい、一緒に建てましょう。窓の多い家がいいです。光をたくさん入れて。」
「それなら、朝寝坊はできんな。」
「構いません。あなたが起こしてくれるなら。」
二人の笑い声が重なり、星明かりがその輪郭を照らした。
夜も更け、祭りの喧噪が少しずつ静まるころ。
レティシアは丘の上に立ち、村の灯りを見下ろした。
背後からエドガーの足音が近づく。
「ここが好きだ。」
「私も。出会いから、全部が繋がっています。」
「……あの時、俺がこの村に流れ着いていなければ、今この瞬間はなかっただろうな。」
「でも、そうなってもまた出会っていたと思います。」
エドガーは笑い、そして彼女の肩を抱いた。
「そうだ。きっとどんな道を歩いても、お前に辿り着く。約束する。」
レティシアはその言葉に目を閉じ、風に身を委ねた。
村の灯りが遠くで揺れている。
その温かな光が二人を包み込む。
――かつて名門の令嬢だった彼女と、罪人と呼ばれた騎士。
遠く離れた世界の出会いが、奇跡のようにひとつに結ばれた春の夜。
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