元婚約者に冷たく捨てられた令嬢、辺境で出会った無愛想な騎士に溺愛される ~今さら戻ってこないでください~

usako

文字の大きさ
28 / 30

第28話 プロポーズの朝

しおりを挟む
辺境の村に春が満ちた。  
長い雪が溶け、畑の芽が顔を出し、鳥が小さな声で季節の訪れを告げている。  
静かな朝の空気の中で、風見亭には新しい一日が始まろうとしていた。  

レティシアは厨房でパン生地をこねながら、窓の外を見上げた。  
東の空を染める光が眩しく、村に生きる喜びがそのまま溢れているように感じられた。  
王都から戻って二ヶ月、ようやく日々の生活に落ち着きが戻った。  
――けれど、その中に静かに募る想いもあった。  

エドガーは、村の子供たちに剣の構えと護身を教えていた。  
平和な辺境にあっても、いつ災いが訪れるか分からない。  
彼が指導する姿はまるで長年の戦士ではなく、優しい教師そのものだった。  

「エドガー先生! 見て、ほら、できた!」  
「お、よくやった。けど刃は出して構えるな。剣は人を救うためのものだ。忘れるな。」  
笑う子供の頭をなでるその姿に、レティシアの頬が自然にゆるむ。  
――この穏やかな時間が、永遠に続けばいい。  
そう願わずにはいられなかった。  

昼、暖かい風が村を渡るころ。  
マーサ女将が厨房の扉に顔を出す。  
「レティシア、ちょいと買い出しを頼めるかね。南の丘の果樹園に果実を取りに行きたいんだが、腰が痛くってね。」  
「分かりました。私が行きます。」  

果樹園は、村の外れにある。  
坂を上ると、風通しのいい丘陵地に桃の花が咲き誇っていた。  
木々の向こうで陽光がきらめき、蜜の匂いと湿った大地の香りが混ざる。  

すると、先にそこにエドガーが来ていた。  
木の剪定を手伝っているのか、袖をまくって太い幹を支えている。  
「こんにちは。」  
「おう。」  
短い返事でも、以前より柔らかい声。  
「子供たちの稽古、終わったんですか?」  
「ああ。あいつらは元気すぎて、もう手に負えん。」  
エドガーは苦笑し、額の汗を拭った。  
その仕草さえも穏やかで、戦場の記憶とは遠い。  

二人で果実を摘みながら、笑いながら過ごす。  
風の音だけが静かに流れ、言葉はいらなかった。  
けれどその沈黙の中に伝わる想いが、どんな言葉より温かく感じられた。  

「なあ、レティシア。」  
「はい?」  
「お前、この村が好きか?」  
「もちろんです。こんなに穏やかで、あたたかい場所はありませんもの。」  
「俺にとっても、もう“帰る場所”はここだけだ。」  
彼がそう言った時、レティシアの心が一度止まりかけた。  
その声の響きが、何かの前触れのように聞こえたから。  

エドガーは少し間を置いて、果実を摘んだ手を止めた。  
「……王都を離れて、この村で暮らすことを選んだのは俺のわがままだ。だが、今はそれ以上に願いがある。」  
彼の灰色の瞳が、真っすぐに彼女を捉える。  
あの日、剣を握った時とは違う強さがそこにあった。  

「レティシア、俺のそばにいてくれないか。」  
その言葉が、静かに降りた。  
風が二人の間を抜け、花びらが舞い上がる。  
レティシアは一瞬何も言えなかった。心臓が速く打ち、手にした籠の中の果実が震えた。  

「……い、今のは……どういう意味でしょう。」  
「そのままの意味だ。」  
彼は照れくさそうに髪をかき上げた。  
「お前と一緒に生きたい。別の言葉を使うなら――結婚してほしい。」  

レティシアの頬に温かい風が吹いた。  
世界がやさしく光を増し、空が広がったような気がした。  
「私と……」  
「お前と。」  
「私なんかで、いいんですか……?」  
「“なんか”じゃない。お前だからいい。」  
その一言で、張りつめていた涙がこぼれた。  

「……馬鹿ですね。こんなところで言うなんて。」  
「人目がないからいいだろう。」  
「花も、鳥も、人目です!」  
「そいつらは祝福してくれるだけだ。」  

レティシアは笑いながら涙を拭った。  
「昔の私が聞いたら、信じないでしょうね。王都で笑いもせずに、仮面のような日々を送っていたんですもの。  
それが今、こんなに幸せで、こんなに誰かを愛してるなんて。」  
「俺もだ。生きていてこんな気持ちになるとは思わなかった。」  

エドガーはそっと片膝をつき、レティシアの手を取った。  
その仕草は昔の騎士の礼のようで、同時に心からの敬意と慈しみを込めた動作だった。  
「お前と手を取り合って生きたい。王都の名誉も、家のしがらみもいらない。  
ただ、お前の笑顔と、この場所があればいい。」  

その言葉が胸の奥に沁みて、もう何の迷いも残らなかった。  
レティシアは静かに頷き、そっと手を重ねた。  
「はい。喜んで。」  

胸の奥が熱くなり、世界中の音がその瞬間だけ消えた。  
ただ風の匂いと、二人の鼓動だけが確かにあった。  

エドガーが立ち上がり、レティシアを抱きしめた。  
強すぎず、でも決して離さない力で。  
その腕の中には、あの日火の中で見た絶望の影も、涙も、すべて溶けていった。  

「俺を選んでくれてありがとう。」  
「こちらこそ、もう絶対に離れません。」  

遠くで鐘の音が響いた。  
小さな村の礼拝堂の朝の合図だ。  
けれどそれは二人にとって、まるで祝福の鐘のように聞こえた。  

やがて日が昇り、光が丘を染める。  
花びらが風に舞い、二人の足元に降りかかる。  
未来は見えない。だが、そこに恐れはなかった。  

レティシアはそっと呟く。  
「あなたの隣が、私の居場所です。」  
「なら、これから俺が導いていこう。いや――一緒に歩こう。」  

朝の空は青く澄み、過去を取り込むように広がっていた。  
辺境の花咲く丘で、彼と彼女は新しい約束を交わす。  
それは、数々の苦難の果てに見つけたたった一つの真実だった。  

手の温もりを確かめながら、レティシアは微笑む。  
この手を離さないかぎり、幸せはもう逃げない。  

続く
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

冷徹婚約者に追放された令嬢、異国の辺境で最強公爵に見初められ、今さら「帰ってきて」と泣かれてももう遅い

nacat
恋愛
婚約者である王太子に濡れ衣を着せられ、断罪の末に国外追放された伯爵令嬢レティシア。 絶望の果てにたどり着いた辺境の国で、孤高と噂の公爵に助けられる。 彼は彼女に穏やかに微笑み、たった一言「ここにいなさい」と囁いた。 やがてレティシアは、その地で新しい居場所と愛を見つける。 だが、彼女を見捨てた王太子が、後悔と未練を胸に彼女を追って現れて――。 「どうか許してくれ、レティシア……!」 もう遅い。彼女は優しく強くなって、誰より愛される人生を歩き始めていた。

婚約破棄されて去ったら、私がいなくても世界は回り始めました

鷹 綾
恋愛
「君との婚約は破棄する。聖女フロンこそが、真に王国を導く存在だ」 王太子アントナン・ドームにそう告げられ、 公爵令嬢エミー・マイセンは、王都を去った。 彼女が担ってきたのは、判断、調整、責任―― 国が回るために必要なすべて。 だが、それは「有能」ではなく、「依存」だった。 隣国へ渡ったエミーは、 一人で背負わない仕組みを選び、 名前が残らない判断の在り方を築いていく。 一方、彼女を失った王都は混乱し、 やがて気づく―― 必要だったのは彼女ではなく、 彼女が手放そうとしていた“仕組み”だったのだと。 偽聖女フロンの化けの皮が剥がれ、 王太子アントナンは、 「決めた後に立ち続ける重さ」と向き合い始める。 だが、もうエミーは戻らない。 これは、 捨てられた令嬢が復讐する物語ではない。 溺愛で救われる物語でもない。 「いなくても回る世界」を完成させた女性と、  彼女を必要としなくなった国の、  静かで誇り高い別れの物語。 英雄が消えても、世界は続いていく―― アルファポリス女子読者向け 〈静かな婚約破棄ざまぁ〉×〈大人の再生譚〉。

婚約破棄されるはずでしたが、王太子の目の前で皇帝に攫われました』

鷹 綾
恋愛
舞踏会で王太子から婚約破棄を告げられそうになった瞬間―― 目の前に現れたのは、馬に乗った仮面の皇帝だった。 そのまま攫われた公爵令嬢ビアンキーナは、誘拐されたはずなのに超VIP待遇。 一方、助けようともしなかった王太子は「無能」と嘲笑され、静かに失墜していく。 選ばれる側から、選ぶ側へ。 これは、誰も断罪せず、すべてを終わらせた令嬢の物語。 --

『婚約破棄ありがとうございます。自由を求めて隣国へ行ったら、有能すぎて溺愛されました』

鷹 綾
恋愛
内容紹介 王太子に「可愛げがない」という理不尽な理由で婚約破棄された公爵令嬢エヴァントラ。 涙を流して見せた彼女だったが── 内心では「これで自由よ!」と小さくガッツポーズ。 実は王国の政務の大半を支えていたのは彼女だった。 エヴァントラが去った途端、王宮は大混乱に陥り、元婚約者とその恋人は国中から総スカンに。 そんな彼女を拾ったのは、隣国の宰相補佐アイオン。 彼はエヴァントラの安全と立場を守るため、 **「恋愛感情を持たない白い結婚」**を提案する。 「干渉しない? 恋愛不要? 最高ですわ」 利害一致の契約婚が始まった……はずが、 有能すぎるエヴァントラは隣国で一気に評価され、 気づけば彼女を庇い、支え、惹かれていく男がひとり。 ――白い結婚、どこへ? 「君が笑ってくれるなら、それでいい」 不器用な宰相補佐の溺愛が、静かに始まっていた。 一方、王国では元婚約者が転落し、真実が暴かれていく――。 婚約破棄ざまぁから始まる、 天才令嬢の自由と恋と大逆転のラブストーリー! ---

辺境に追放されたガリガリ令嬢ですが、助けた男が第三王子だったので人生逆転しました。~実家は危機ですが、助ける義理もありません~

香木陽灯
恋愛
 「そんなに気に食わないなら、お前がこの家を出ていけ!」  実の父と義妹に虐げられ、着の身着のままで辺境のボロ家に追放された伯爵令嬢カタリーナ。食べるものもなく、泥水のようなスープですすり、ガリガリに痩せ細った彼女が庭で拾ったのは、金色の瞳を持つ美しい男・ギルだった。  「……見知らぬ人間を招き入れるなんて、馬鹿なのか?」  「一人で食べるのは味気ないわ。手当てのお礼に一緒に食べてくれると嬉しいんだけど」  二人の奇妙な共同生活が始まる。ギルが獲ってくる肉を食べ、共に笑い、カタリーナは本来の瑞々しい美しさを取り戻していく。しかしカタリーナは知らなかった。彼が王位継承争いから身を隠していた最強の第三王子であることを――。 ※ふんわり設定です。 ※他サイトにも掲載中です。

貧乏人とでも結婚すれば?と言われたので、隣国の英雄と結婚しました

ゆっこ
恋愛
 ――あの日、私は確かに笑われた。 「貧乏人とでも結婚すれば? 君にはそれくらいがお似合いだ」  王太子であるエドワード殿下の冷たい言葉が、まるで氷の刃のように胸に突き刺さった。  その場には取り巻きの貴族令嬢たちがいて、皆そろって私を見下ろし、くすくすと笑っていた。  ――婚約破棄。

婚約破棄と暗殺で死んだはずの公爵令嬢ですが、前に出ずに全てを崩壊させます

鷹 綾
恋愛
フォールス・アキュゼーション。お前に全ての罪がある」 王太子フレイム・ファブリケイト・ロイヤル・ロードは、自らの失策を公爵令嬢フォールスに押し付け、婚約を破棄。 さらに証拠隠滅のため、彼女を追放し、暗殺まで差し向ける。 ――彼女は、死んだことにされた。 だがフォールスは、生き延びた。 剣も魔法も持たず、復讐に燃えることもない。 選んだのは、前に出ないという生き方。 隣国で身を潜めながら、王弟エクイティ・フェアネス・ロイヤル・ロードのもと、 彼女は“構造の隣”に立つ。 暴かず、裁かず、叫ばない。 ただ、歪んだ仕組みを静かに照らし、 「選ばなかった者たち」を、自ら説明の場へと追い込んでいく。 切れない証人。 使えない駒。 しかし、消すこともできない存在。 これは、力で叩き潰すザマアではない。 沈黙と距離で因果を完成させる、知的で冷静な因果応報の物語。 ――前に出ない令嬢が、すべての答えを置いていく。

離婚寸前で人生をやり直したら、冷徹だったはずの夫が私を溺愛し始めています

腐ったバナナ
恋愛
侯爵夫人セシルは、冷徹な夫アークライトとの愛のない契約結婚に疲れ果て、離婚を決意した矢先に孤独な死を迎えた。 「もしやり直せるなら、二度と愛のない人生は選ばない」 そう願って目覚めると、そこは結婚直前の18歳の自分だった! 今世こそ平穏な人生を歩もうとするセシルだったが、なぜか夫の「感情の色」が見えるようになった。 冷徹だと思っていた夫の無表情の下に、深い孤独と不器用で一途な愛が隠されていたことを知る。 彼の愛をすべて誤解していたと気づいたセシルは、今度こそ彼の愛を掴むと決意。積極的に寄り添い、感情をぶつけると――

処理中です...