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第5話 王国の亡霊
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夜明けとともに、冷たい霧が丘を包んでいた。廃村を発ったリオンたちは、西に続く街道を進んでいた。風が草を撫でる音だけが静かに響く。前夜の戦いの影がまだ胸に残り、誰も口を開かなかった。
影の眷属――あれがルシエル、つまりかつての自分が残したものだと思うと、胸の奥が焼けるように痛む。リオンは深呼吸をして空を見上げた。薄く白む空の向こうに、見えない鎖のような気配が絡みついているような感覚に襲われる。
「顔がこわばってるぞ。」隣を歩くカイルが声をかけてきた。
「寝不足だ。」リオンが答えると、カイルは苦笑して肩をすくめた。
「無理もない。昨日のアレはどんな兵士でも腰を抜かすさ。まさか影が実在してたなんて。」
「放っておけない。ああいうものがまた出る前に、何か手を打たないと。」
カイルは頷くと、手綱を引く馬をなでた。「だからこそ西の都なんだろ?“蒼き契約”ってやつを探してるんだろ。」
リオンは短く肯定した。「あの竜が言った。そこに真実があるって。」
リナは無言のまま歩いていたが、不意に口を開いた。「真実……それを知ったとき、あなたは耐えられる?」
リオンは答えられなかった。彼女の声には、薄い悲しみが混じっていた。
昼を過ぎ、彼らは街道沿いの小さな集落に立ち寄った。家が十数軒ほど並ぶ静かな村で、交易路の休憩地らしい。カイルが宿屋を探して交渉している間、リオンとリナは井戸のそばで水を汲んでいた。
「この辺もずいぶん人が少ないな。」リオンが言う。
「西の都といっても、王都ルディアンまではまだ遠い。最近は魔物や盗賊が増えてるって噂よ。人々も避難して東へ移っているのかもしれない。」
リナの声には疲労が滲んでいた。村を滅ぼすような脅威が広がっている――その事実が、明るい陽射しの中でも陰を落としていた。
宿屋で一泊し、翌朝早くに出発する。だがその道のりの途中、奇妙なものを目にした。丘の向こうに、白い霧の塊が動いている。風の流れに逆らい、形を保ったまま進んでいく。
カイルが弓を構えた。「魔物の匂いがする。」
「違う……」リナが目を細めた。「あれ、人の形をしてる。」
霧が風にほどけるように散り、一行の前にひとりの灰色の人影が現れた。鎧をまとい、傷だらけの剣を携えた男。だがその顔は透け、その輪郭は揺らいでいる。
リオンが息を呑んだ。「まさか……」
霧の兵士はうつろな声で呟いた。「……王の命を、果たさねば……ルシエル様の……ために……」
その名を聞いた瞬間、リオンの中で何かが弾けた。血が逆流する感覚。周囲の音がすべて遠のいた。
「ルシエル様……?」
男の霊はうなだれたまま剣を掲げ、霧が一層濃くなる。「我らは王に仕え、王と共に滅んだ……なのに、なぜ……なぜ眠りを許されぬ……」
「待て!」リオンは叫んだ。「俺は――その王じゃない!俺はリオンだ!」
だが霊には届かない。亡霊は空を切るように剣を振り下ろした。リオンは咄嗟に短剣で受け止めた。刃同士がぶつかる音の代わりに、冷たい金属音と悲鳴のような響きが空気を震わせた。
「リオン、下がれ!」カイルが矢を放つ。だが矢は霧を裂くだけで、霊には通じない。リナがすぐに詠唱を始め、地に光の円を描く。
「過ぎし魂よ、安らぎを得よ……光に還れ!」
広がった光が霧の兵士を包む。だが抵抗するように霧が渦を巻き、リナの体を吹き飛ばした。カイルが彼女を支える。
「チッ、完全に憑かれてる!」
「俺がやる!」リオンが地を蹴る。短剣が再び光を帯びる。胸の奥から熱が込み上げ、白竜シェリアの声が響いた。
「迷える魂を導け。お前の光は滅びだけではない。」
言葉に従い、リオンは刃を振り下ろした。光の軌跡が円を描き、亡霊の身体を包む。男の顔から苦悶の色が消え、静かな声が漏れた。
「……ルシエル様……あなたは……まだ……」
「俺は違う!でも、もう同じ過ちは繰り返さない!」
光が強く閃き、霧の兵士はふっと消えた。残ったのは古びた剣だけ。リオンはそれを拾い、目を閉じた。
「……眠れ。」低く囁き、土に突き立てる。
沈黙の後、風が吹き抜け、丘の草がゆらめいた。空は澄み渡り、遠くで鳥が鳴いた。
カイルがしばらく無言のまま立っていたが、やがて言った。「なあリオン、今の……あれ、王国の兵だったのか?」
「そうだと思う。俺……いや、ルシエルが生きた時代の兵士。王国が滅んだあと、魂だけがこの時代に縛られたんだ。」
リナが眉を寄せた。「その滅びの力、どうして今になって目覚めたのかしら。」
「たぶん、俺が動き出したからだ。輪が再び回り始めた。」
リオンの胸の奥に、かすかな幻が浮かんだ。あの白い都、燃える空、人々の叫び。自分の手が、剣が、その中心にあった。
彼は拳を握りしめた。「あの時代の亡霊がまだ苦しんでいるなら、俺が終わらせてやる。もう誰も縛られないように。」
リナは静かに頷き、カイルはにやりと笑った。「黙っててもついて行くさ。今さら引き返せねえだろ。」
三人は再び歩き出した。丘を越えると、遠くに巨大な城砦の影が見えた。灰色の石壁が並び、塔の先に旗が翻っている。
「次の町、“エルカノ砦”だ。」カイルが言った。「王国の西門を守ってた古い城塞だが、今は駐屯地になってる。」
リオンはその城を見つめた。胸の奥で、また別の記憶が疼く。あの城も、かつて自分が築いたものだったような――ぼやけた映像が浮かんでは消えた。
空には薄い雲が流れ、日差しが彼らの影を長く引き伸ばした。
道の先に待つのは王国の残滓か、それとも新たな真実か。
リオンの背中で、月の石が微かに光を放った。
(続く)
影の眷属――あれがルシエル、つまりかつての自分が残したものだと思うと、胸の奥が焼けるように痛む。リオンは深呼吸をして空を見上げた。薄く白む空の向こうに、見えない鎖のような気配が絡みついているような感覚に襲われる。
「顔がこわばってるぞ。」隣を歩くカイルが声をかけてきた。
「寝不足だ。」リオンが答えると、カイルは苦笑して肩をすくめた。
「無理もない。昨日のアレはどんな兵士でも腰を抜かすさ。まさか影が実在してたなんて。」
「放っておけない。ああいうものがまた出る前に、何か手を打たないと。」
カイルは頷くと、手綱を引く馬をなでた。「だからこそ西の都なんだろ?“蒼き契約”ってやつを探してるんだろ。」
リオンは短く肯定した。「あの竜が言った。そこに真実があるって。」
リナは無言のまま歩いていたが、不意に口を開いた。「真実……それを知ったとき、あなたは耐えられる?」
リオンは答えられなかった。彼女の声には、薄い悲しみが混じっていた。
昼を過ぎ、彼らは街道沿いの小さな集落に立ち寄った。家が十数軒ほど並ぶ静かな村で、交易路の休憩地らしい。カイルが宿屋を探して交渉している間、リオンとリナは井戸のそばで水を汲んでいた。
「この辺もずいぶん人が少ないな。」リオンが言う。
「西の都といっても、王都ルディアンまではまだ遠い。最近は魔物や盗賊が増えてるって噂よ。人々も避難して東へ移っているのかもしれない。」
リナの声には疲労が滲んでいた。村を滅ぼすような脅威が広がっている――その事実が、明るい陽射しの中でも陰を落としていた。
宿屋で一泊し、翌朝早くに出発する。だがその道のりの途中、奇妙なものを目にした。丘の向こうに、白い霧の塊が動いている。風の流れに逆らい、形を保ったまま進んでいく。
カイルが弓を構えた。「魔物の匂いがする。」
「違う……」リナが目を細めた。「あれ、人の形をしてる。」
霧が風にほどけるように散り、一行の前にひとりの灰色の人影が現れた。鎧をまとい、傷だらけの剣を携えた男。だがその顔は透け、その輪郭は揺らいでいる。
リオンが息を呑んだ。「まさか……」
霧の兵士はうつろな声で呟いた。「……王の命を、果たさねば……ルシエル様の……ために……」
その名を聞いた瞬間、リオンの中で何かが弾けた。血が逆流する感覚。周囲の音がすべて遠のいた。
「ルシエル様……?」
男の霊はうなだれたまま剣を掲げ、霧が一層濃くなる。「我らは王に仕え、王と共に滅んだ……なのに、なぜ……なぜ眠りを許されぬ……」
「待て!」リオンは叫んだ。「俺は――その王じゃない!俺はリオンだ!」
だが霊には届かない。亡霊は空を切るように剣を振り下ろした。リオンは咄嗟に短剣で受け止めた。刃同士がぶつかる音の代わりに、冷たい金属音と悲鳴のような響きが空気を震わせた。
「リオン、下がれ!」カイルが矢を放つ。だが矢は霧を裂くだけで、霊には通じない。リナがすぐに詠唱を始め、地に光の円を描く。
「過ぎし魂よ、安らぎを得よ……光に還れ!」
広がった光が霧の兵士を包む。だが抵抗するように霧が渦を巻き、リナの体を吹き飛ばした。カイルが彼女を支える。
「チッ、完全に憑かれてる!」
「俺がやる!」リオンが地を蹴る。短剣が再び光を帯びる。胸の奥から熱が込み上げ、白竜シェリアの声が響いた。
「迷える魂を導け。お前の光は滅びだけではない。」
言葉に従い、リオンは刃を振り下ろした。光の軌跡が円を描き、亡霊の身体を包む。男の顔から苦悶の色が消え、静かな声が漏れた。
「……ルシエル様……あなたは……まだ……」
「俺は違う!でも、もう同じ過ちは繰り返さない!」
光が強く閃き、霧の兵士はふっと消えた。残ったのは古びた剣だけ。リオンはそれを拾い、目を閉じた。
「……眠れ。」低く囁き、土に突き立てる。
沈黙の後、風が吹き抜け、丘の草がゆらめいた。空は澄み渡り、遠くで鳥が鳴いた。
カイルがしばらく無言のまま立っていたが、やがて言った。「なあリオン、今の……あれ、王国の兵だったのか?」
「そうだと思う。俺……いや、ルシエルが生きた時代の兵士。王国が滅んだあと、魂だけがこの時代に縛られたんだ。」
リナが眉を寄せた。「その滅びの力、どうして今になって目覚めたのかしら。」
「たぶん、俺が動き出したからだ。輪が再び回り始めた。」
リオンの胸の奥に、かすかな幻が浮かんだ。あの白い都、燃える空、人々の叫び。自分の手が、剣が、その中心にあった。
彼は拳を握りしめた。「あの時代の亡霊がまだ苦しんでいるなら、俺が終わらせてやる。もう誰も縛られないように。」
リナは静かに頷き、カイルはにやりと笑った。「黙っててもついて行くさ。今さら引き返せねえだろ。」
三人は再び歩き出した。丘を越えると、遠くに巨大な城砦の影が見えた。灰色の石壁が並び、塔の先に旗が翻っている。
「次の町、“エルカノ砦”だ。」カイルが言った。「王国の西門を守ってた古い城塞だが、今は駐屯地になってる。」
リオンはその城を見つめた。胸の奥で、また別の記憶が疼く。あの城も、かつて自分が築いたものだったような――ぼやけた映像が浮かんでは消えた。
空には薄い雲が流れ、日差しが彼らの影を長く引き伸ばした。
道の先に待つのは王国の残滓か、それとも新たな真実か。
リオンの背中で、月の石が微かに光を放った。
(続く)
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