半月の探偵

山田湖

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第一夜 再び登る半月

連行、過去への回帰

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「隣で変死体が見つかったんだ。少し話を聞きたいんだけどいいかな?」とその黒いスーツを着た男は言った。
 突然の宣告、彼はそれを飲み込むまでに呼吸2回分の時間を要すことになる。

 しかし、そんな彼の受けた衝撃など露も知らないであろう黒いスーツの男は流れるように警察手帳を見せてきた。どうしても自分が主導権を握っていたいらしい。

 白谷透しろやとおるという文字がその鈍く黒く光りする警察手帳に刻まれている。
「隣の夫婦について話を聞かせてもらっていいかな?」と白谷という刑事はこちらが怯えているのかと思ったのか今度は少し優しく聞いてきた。

 彼が何も応えなかったことで勘違いさせてしまったらしいが、別に彼は白谷におびえているわけではない。ただ、隣の家で殺人事件が起こるという展開に衝撃を受けていたのだ。
 それと同時に自分の中から別の誰かが出てきたような感覚を覚える。
 
そして、彼は好奇心の怪物に瞬間的に早変わりするのだった。
 
「ここじゃ何ですので、どうぞな……」
 中へどうぞと言いかけて、彼は自分の部屋の惨状を思い出した。彼の部屋は本やらゲーム機やらがまだ散らばっているのだった。その状態で部屋に他人を入れたなんて知られたら、母親がどんな顔をするかわからない。警察、特殊部隊、何だったら神様が相手だって彼の母親は自分の承諾なしに家の中を見られることが好きじゃないのだ。
 それに詳しい話も聞きたい。この壁の薄いマンションでは誰に聞かれるか分からない。
 そこで、「警察署で話を聞きましょう」と言った。
 今度は白谷が衝撃を受ける番になったのか、面食らったような表情を作る。まあ当たり前だろう。
 
 夜風の吹き始めた外に出てみると、もう遺体は搬送されたのか部屋の周りには鑑識の人間が、マンションの外には赤い非日常を知らせる光におびき寄せられた野次馬ばかりがいた。その野次馬たちを押し退けながら、彼らは徒歩15分の位置にある世田谷第一警察署に向かう。
 彼は警察署の自動ドアをくぐりながらとても懐かしい気持ちになった。
 実は彼は警察署に入るのは、決して初めての事ではない。しかし、前は彼の2歩前に、今となっては愛おしいほど懐かしい人がいたのだが。

 その人はよく彼に
「これはフランスの作家の受け売りなんだけどね、もし君が厄介な事件に直面したら、その関係者が世界でたった一人の独自の人物に見えるようになるまでよく観察してみることよ。それはタクシーの運転手だろうと夫婦だろうと、場所だろうとね」とこれはまた愛おしいほど懐かしい声で彼の心を震わせるのだった。
 その時の思い出は陽光に照らされるが如くとても暖かなものに感じられる。

 警察署の中は沢山の人でごった返している。恐らく警視庁の人間もかなりの人数がここに来ているのだろう。落ち着いて話ができるような状態ではなく、とても騒々しい。

 それを見た白谷は「多分、ここだと落ち着いて話ができないだろうから、取調室行こうか」と言ってきた。彼は思わず「ふぇ」という間抜けな声が出てしまった。
まさか、参考人の事情聴取で取調室を使うとは思ってもみないことだった。
 
 取調室に入って、すぐ白谷は隣の夫婦仲の事や喧嘩について色々聞いてきた。こちらが聞き取りやすいように文節で区切って質問してくれる。
 答えとしては、正直、隣の夫婦仲は最悪でよく喧嘩もしていたと言った方がいいだろう。時には物が壊れる音がした程だ。

 それを聞いた白谷は頷いて、メモ帳に情報を書き留める。白谷はあとでメモを切り取りやすいロディアのメモ帳を使っている。

 そして、今回の核心を突く質問である、ここ最近の不審者の目撃の有無について聞いてきた。
「そういえば、1年ほど前、窃盗事件が起きていたような気がします」と彼。
「その犯人はどこから侵入したか、なにを盗んだのか分かるかな」と白谷。
「えーとどこからだったかな」と彼はあえて返答を濁し、部屋の写真を見せて欲しいと言う。当然今あるのは現場写真のみだろう。
 白谷は若干迷ったようだったが、遺体の片付いた部屋の写真を見せてくれた。
 壁の塗装に邪魔にならないようにエアコンや加湿器らしきもの以外の家具は全て片付けられていた。唯一何か入った水槽は片付けられなかったのか塗料がかかりにくい真ん中に移動させらており、エアーポンプのコードが限界ギリギリまで伸びていた。
 彼は後で違和感に気付けるように写真を転写するように記憶する。
 そして、すこし考えたのち、「あぁ、思い出した、窓からだ」と彼は返した。
 

 だが、ここで彼は少し嘘をついていた。
 確かに窃盗事件は起きていたが、入られたのはその部屋ではない。ただ一年前の窃盗事件と今日起きた殺人事件を関連づけることはできないはずだ。それに刑事達から見れば過去の窃盗より殺人の方が重大だろう。そんなことを言えば、緑色のコートを羽織った刑事に怒られるだろうが。

 白谷は特に有益と思える情報は夫妻の不仲だけと判断したようだ。
 その後、自販機まで行ってコーラを買ってきて、彼に手渡し、取調室から出すと、入り口まで送ってくれた。
 

 ちなみにその警察署の取調室は、マジックミラーとなっていて外からは中の様子が見えるが、中から外は見えない。
 つまり、外から誰かが見ていたとしても中の人間は自分が見られていることに気づくことができない。
 白谷と彼は彼らを見るものに気づかぬまま質疑の応答をしていたのだ。



 彼が帰った後、白谷はある人物に呼び出された。彼を呼び出したのは今回の事件の主任警部である、大津信敏おおつのぶとしだった。この大津という刑事は30年近く刑事をやっているベテランである。最近、警察の捜査にも機械が参入している中で地道な捜査を行い、とても高い検挙率を誇る刑事だった。その豪快だが気配りもでき、身分で人を判断せず、実力で相手を判断するなどの公平性を持ち合わせていた。なにより、人を偏見の色眼鏡で見ないことから警視総監からの信頼も厚い。
「君はなかなか懐かしいお客人を連れてくるじゃないか」と肩を叩きながら言う。
「あの、嘉村匠という子供ですか?」
「そうだとも、俺と彼は顔見知りのような仲でね。灰色のコートはまだ着ていないみたいだけど」そう話す大津の顔はまるで懐かしい友人にあったかのような表情だった。
「灰色のコート?」と白谷は大津に疑問を投げたが、大津はそれに咳払いという形で返し、言葉を続ける。
 
 この後大津がした提案は、白谷に大きな衝撃と驚きをもたらすことになり、

 

 同時に――運命の歯車が回りだす、そのきっかけになりえたのだった。
 
 

「突然なんだがね、彼をこの事件の捜査に加えたらどうだろう?」
「え、民間人を巻き込むのですか?」白谷は少し驚きながら言った。
「そうだとも、彼は普通の民間人とは違う、どうかな、解決はしなくとも膠着した状況は抜け出せると思うがね」と大津は少し口調を強めていった。


 警察は捜査の際、協力者という者を頼る時がある。例えば、ある犯行の手口の仮説を作った時にはその仮説が実際に可能なのか専門家に尋ねに行ったりする。これは警察は犯人を逮捕する権利を持ってはいるが、その筋の知識の専門家程深い知識を持っていないためだ。このようなケースは多々ある。このほかにも警察の監視対象となった組織の人員を引っこ抜き、スパイとして起用する場合や情報提供者なども該当する。総じて協力者というのは警察が頼るに値する何かを持っている者――犯罪コンサルタントや学者、弁護士など様々だが――がなるのである。ちなみに志願すれば一般人でもなることは可能だが、スパイなどの可能性も考慮し、公安局によって身元や私生活の監視などが行われる。

 そして、その中でも警視総監からの指名によってしかなりえない特別な能力や経歴を持っている協力者は『A級協力者』と呼ばれる。このA級協力者は各局に一人ずつ置かれ、刑事との契約によって警察組織と結びついている。直接の捜査権限は持たないが警視庁に出入りすること、捜査情報が普通の協力者に比べて深く広く見ることができること、捜査方針の検討や修正が可能になるなど警察からの信頼は他の協力者たちとは一線を画している。まさに警察が持てる最高にして最強のカードなのだ。まあ、中には有能だとは言えど民間人が捜査に深く介入することに疑問や反感を覚える刑事も少なくないのだが。



「君はまだ、警視庁に入ってから日も浅い。協力者との関係は後々の強みになると保証しよう」

 結局白谷も自分の階級は大事にする男だった。
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