半月の探偵

山田湖

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第一夜 再び登る半月

満月

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 「がしゃこん」という音ともに、自動販売機が缶のミルクティーを近所の中学校の制服を着た着た一人の少年の手元に吐き出す。嘉村匠かむらしょうは自販機から白いラベリングのされたそれを取り出し、プルタブの蓋を開ける。と同時に「ぷしゅっ」という音とともに茶色い液体が少し缶の上に噴き出してきた。その茶色の波は彼の手元に到達し、制服を汚そうとしている。
「あーあーあーあー」と少し慌てて叫びながら、彼は慌てて口を付けた。
 すると、「おーお前やってんなー」と偶然通りかかった彼のクラスメイトが彼に声をかける。基本、彼の通う中学校は帰り道での寄り道、物品の購入は許可が無い限り禁止だ。
「うるせーよ。今日は色々、ん、ごく、大変だったんだから仕方ないだろ」彼はミルクティーを飲みながら、同級生に反論する。
「あーお前今日大変だったもんなあ……」
「全くだ。掃除中に野球したら男子だけ特別教室の掃除だと。あそこ机多いからやなんだよなあ」
「まあ、お前らに原因があるしなあ……。自業自得だろ」その同級生が言うと、彼は空になった缶を捨てつつその同級生を蹴る真似をした。
「ところでさあ、お前今日暇?」
「なんで?」
「いやあ、なんかさあ今シーズン中にマスターまで行きたいんだよ。お前ハンマー持ちだろ? 手伝ってくれよ」
「……いやあ今日はちょっと予定があってな……。ごめん」
 その彼の返答を聞いた同級生は露骨に困ったような顔をして点を仰ぎ見る。
「そうかあ……むりかあ」
「悪いな」その同級生があんまりにも落ち込んでいるので、さすがに少し悪い気がしてくる。
 しかし、今日はもう疲れた腕のためにリラックスすると決めているのだ。今日はゲーミングマウスを握る気にもならない。



――それに明日は……明日はあの人の月命日なのだ。彼は一生をかけてでもあの人の無念を晴らすと、とうに決めている。彼を立ち直らせ、ここまで導いてくれたあの人のために。
 瞬間、体が芯から凍っていくように冷たくなり、彼の意識はどんどんあの日へと戻っていく。思い出したくもないあの日へと。
「師……匠? なん……で? あ、あああああ、うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!????????」
 
「うおおおお⁉ どうした匠? なんかいま殺気やばかったぞ? 俺がゲーム誘ったのやばかったか?」
 深い深い海から急速に浮上してくるが如く彼の意識は、その声によって呼び戻された。
「匠? だいじょぶか?」と消え入りそうな声で聞いてくる同級生。
「………‥え?」
「え? じゃねえよ。まじで殺気やばかったぞ? どうした?」
「あ、ああ。ごめん。ちょっと、トイレ行きたくなって」そう苦し紛れに言い訳する。案の定同級生はそれが嘘だと速攻で気づいたようで「おまえ、トイレ行きたくなる度、あんな殺気放つのか」と眉根を寄せて聞いてきた。
「まあね。悪い俺は大丈夫だ」と適当にいなす。
「そうか、ならよかった」
 彼はこの同級生の単純さに少しほっとしたのだった。




 その後、同級生と分かれた彼は彼とその両親が住む三宿のマンションへとたどり着いた。
 下のポストを見ると、塾の広告や分譲地の広告に混じって3日前に注文した深夜プラス1ミッドナイトプラスワン(キャビン・ライアル著のハードボイルド小説)が届いていた。先ほどの事が嘘のように彼とその周りの空気が華やぐ。
 この本が届いた瞬間の彼の雰囲気と中学生とは思えないような本のチョイスから分かるように彼の趣味は読書だ。基本ジャンルや国内外は選ばず読んではいるが、そのなかでもミステリーがお気に入りでシャーロックホームズは全巻読破したし、アガサクリスティーやエラリークイーンの本もかなりの冊数を積んでいる。

 彼はその華やいだ空気のまま1階の部屋に入り、自室に閉じこもる。誰だって好きなことをする前は浮足立つだろう。中は本やゲームで少し散らかっているが、彼の中では整理できてるつもりだ。「そういえば今日は父さんは海外出張、母さんは同窓会とか言ってたな……。一人で静かに本が読める……」と思いながら、人を駄目にするという売り文句のクッションに身を沈め、非日常への1ページを開く。彼の比較的整った中性的な顔にはこれからの物語への期待の笑みが浮かんでいる。まるで冒険に出る前の勇者のような気持ち。彼にとってみんなでワイワイと騒ぐ時間よりも孤独な時間が何よりの癒しなのだ。

 そうして本の世界に浸っていると、隣から「ガタン、ゴト、キイー」という騒音が聞こえてくる。彼の一家の住む部屋の右隣は旦那が職業不詳の夫婦、左隣には一人暮らしのサラリーマンが住んでいた。
「そういえば、朝、壁やら天井やらの塗装するって言ってたな……。あーもーすげーうるさい……」と隣には絶対聞こえないような音量で言う。因縁でもつけられたりしたら溜まったもんではない。
 彼はため息をついてワイヤレスイヤホンを取り出し、耳に着け、スマホから自然音を流す。さっきと比べて隣の騒音が聞こえづらくなった。

 そのまま読み進めて半分ほどまで来た時、ワイヤレスイヤホンのノイズキャンセリングを貫通するが如き騒音が隣から聞こえてきた。流石の彼も本にしおりを挟んで右隣を見る。
「え、なになに? 落ちたの?」
 
 どうやら向こうで何かトラブルがあったらしい。確認しに行こうにも、なぜか怖くて行けない。「師匠なら行っているぞ……。心配よりも好奇心で……」と言い聞かせても足が動かなかった。それから2分間ほど物音が聞こえなくなった。
「……大丈夫かな?」
 さらに5分経つ。すると、今度はサイレンの音が外から聞こえてくる。どうやら何台か救急車やパトカーが来ているようだ。
「え、まさか頭打った?」と彼はそろりそろりと自室から出て家の廊下に出た。一応無事は確認しなければならないという思いからだった。

 背後からピンポーンとインターホンの音が心臓まで響き、しばし硬直する。
「そういえば……母さんが洗剤が来るからって言ってたよな……」と自分に言い聞かせながら、祈るように外への扉を開ける。

 そこにいたのはいつもの優しい宅配業者ではなく、全身を黒いスーツで固めた少し背の高い男だった。

 その男は彼を見下ろしながらこう告げる。

「僕は警視庁の者だ。隣で男性の変死体が発見されたんだ。少し話を聞かせてもらってもいいかな?」と。

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