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番外編 4. 私と彼女 -セドリック-
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瞼が重い。
腕も重くて上がらない。
頭は熱くぼんやりとしているのに、指先は冷たくて動かすことが出来ない。
ここは、どこだ?
途切れ途切れに浮かんでは消える、場面、声、音、そして面影。
『……さま。セドリック様……』
甘く優しい声色で、誰かが私を呼んでいる。
『聞こえますか?』
ずっと、ずっと聞こえていた……優しい声……
「セドリック様? 目が覚めまして?」
揺ら揺らと漂うように意識が浮上する。何て温かくて気持ちが良いのだろう。まだこの空間に留まって、揺蕩っていたいけど……
「セド? 起きていないのか? ふーん?」
今度は聞き馴染みのある声だ。このままもう少しいたいけど、邪魔しないで欲しい。
「セドリック! いい加減起きろ!」
キュッと鼻を摘まれた。ムググッ! く、苦しい!
「で、殿下! 止めて下さいっ! こっちは怪我人ですから!」
ベッドサイドから覆いかぶさるように見えた顔は……
「エーリック殿下……」
人形の様に整った綺麗な顔に、特徴的なアメジストの瞳が利発そうに澄んでいる。久し振りにじっくりとこんな近くで見たかもしれない。けど、鼻を摘んで起こすとか、子供みたいな事をされた。
「ようやく目が覚めたか? 私はそろそろ屋敷に戻らねばならないのだが、シュゼットはどうする? 一緒に帰るのならば送って行くけど?」
私よりも早く退院した彼女は、毎日のようにお見舞いに来てくれる。今日は魔法科学省で行っている特別講義の後に、エーリック殿下と共に来てくれた。
彼女が来てくれているのには意味がある。それは、光の識別者として行うことが出来る『癒しの魔法』の実地訓練を行うため。
私の意識がはっきりしない頃から、彼女は手を握って私を励ましてくれていたという。実は医師も驚いていた不思議なことがあって、とにかく傷や痣の治りが早かったらしい。確かに薬液や技術的な治療方法も惜しみなく施されていたけれども。
「ありがとうございます。でも、今日は父が迎えに来てくれる事になってるので大丈夫です。セドリック様、もう少しお邪魔させて頂いても宜しいですか?」
彼女がそう言って、エーリック殿下に頭を下げて私の方に振り返った。
全然大丈夫だ。寧ろ、殿下はすぐにでも、遠慮なく、お引き取り頂いて結構だ。マズイ。何となく頬がむずむずして来た。
「……セド……お前、考えていることがダダ洩れだぞ? 全く、正直な奴だ」
エーリック殿下が呆れたように言うと、クスクスと彼女が笑う。目を細めて楽しそうに、嬉しそうに表情がふにゃりとしていている。……可愛い。かもしれない?
「本当にお前は……まあいい。じゃあ、シュゼット。悪いけど私はお先に失礼するよ。セドリックの事を宜しく頼むね? セド、シュゼットを困らせるなよ? いいな」
肩を竦める真似をしながら、エーリック殿下は鞄を持って立ち上がった。殿下が彼女に注ぐ眼差しは、とても深く優しく見えた。
「うふふ。大丈夫です。エーリック殿下も、お気を付けてお帰り下さいね?」
彼女も微笑みながら立ち上がって、エーリック殿下をドアの外まで見送っている。
「……」
何だろう。モヤモヤするような気がする。胸の奥で、ぐずりと何かが身じろぎしたような、何とも嫌な気配。
嫉妬だ。コレが嫉妬とという気持ちなんだ。
「じゃあ、セドリック様、もう少し魔法術の練習にお付き合いくださいな? コツが掴めて来た様な気がしますの」
頷いて彼女に応えると、ふわりとベッドサイドの椅子に腰を掛けた。
「じゃあ、続けますね? 変な感じがしたら教えて下さいな」
そう言って私の左手を優しく包んだ。『癒しの魔力』を確実に患部に作用させるには、患部に直接触れるか魔力の受動力が高い掌から流すのが一番効果的らしい。
これは治療だ。
彼女は少なからず、私が大怪我を負ったのを自分のせいであると感じている。だから、責任を感じているのだろう。
責任感からの事だ。例え私でなく別の人間の為であっても、彼女は同じようにするだろう。
「……」
ちりりと胸の奥が痛くなった。
◇◇◇◇◇◇
初夏。
王宮主催のガーデンパーティーが華々しく行われ、彼女は立派にブライズメイドを務めていた。
王妃の力技で超特急で作られたドレスは、パステルブルーが美しいドレスだった。当初、デザインは同じで色だけ変えるはずだったが、3人が余りにもイメージが違い過ぎた為に、デザインから全て新たに起こしたと聞いた。
確かに、彼女、ドロシア嬢、イザベラ嬢は髪色も瞳も顔立ちも全く違うのだから、誰かに合わせれば致命的に誰かに合わない。そんな感じだったのかもしれないけど、まあ、女性のドレスの事は良く判らないな。
「セドリック様には果汁の炭酸割をどうぞ」
銀台に置かれた色とりどりの菓子や料理を前に、彼女が小さな盆にグラスを載せて出してくれた。見れば三種類のグラスだ。小さな泡が硝子の底から浮き上がっている。
「これは?」
紫色のグラスを指す。
「これは山葡萄です。こちらの緑色はキウィ、黄色はレモンです。一番甘くないのはレモンですね」
「そう。君のお薦めは?」
「キウィです。甘さと酸味が絶妙なんですよ。宜しければどうぞ?」
どれも美味しいのですけど。と言った後に、ぱあっと瞳を輝かせて緑のグラスを差し出してきた。
「……頂こう」
目が眩むような笑顔に一瞬言葉が出なかった。いつにも増して美しく輝いているからだ。
そんな風に見ていることを悟られないように、至って普通にグラスを受け取ると、一口飲んで辺りを見回す。見知った顔ばかりだ。皆考える事は同じという事か、彼女の周りにはいつもの見慣れた面々が集っている。
彼女は、コレール王国に留まる限り自分で結婚相手を選べる。
そのせいで、彼女の伴侶になりたい輩が湧いて出ている。そう、ワラワラとだ。
エーリック殿下に、シルヴァ様、レイシル様。この三人は確実だ。特にエーリック殿下とシルヴァ様はご自分から名乗りを上げたとおっしゃっていた。
すでにシルヴァ様は王位継続権をご辞退されて、コレール王国への永住権と魔法科学省への入省も果たしている。以前から望んでいたようだったけれど、彼女の事があってから一気に動きを速めたという所だ。
エーリック殿下も今度の夏季休暇に帰国すると言っていた。きっと陛下に婚約の話をされるつもりなんだろう。
「セドリック様? どうかされまして?」
グラスを持ったまま少しぼうっとしていたようだ。
彼女が小さな声で聞いてきた。何でも無いと答えると、一瞬だけじっと目を見詰められた。何か言いたそうに口を開きかけたけど、そのままにっこりと微笑まれた。
彼女は前を向いて、そして進んでいる。
最初は頑なに嫌がった光の識別者になることも、今では触れずとも癒しの魔力を行使できるようになったという。物凄い進歩だと、レイシル様が喜んでおられた。
彼女だけでなく、エーリック殿下も、シルヴァ様も、カテリーナ様も、彼女に関わる事で随分変わった。考え方も立場も、そしてこれからについても。
もしかして、変わらないのは私だけか。私だけ何も変わっていないような気がする。
駄目だ。駄目だ。駄目だ。このままでは駄目だ。自分が何をしたいか、どうしたいかをよく考えなければ。
「セドリック様? やっぱりまだ本調子ではありませのね? 大丈夫ですか?」
いけない。彼女にそんな顔をさせて心配させるようでは。
「いや、大丈夫だ。本当に何でもないんだ。只、残念だなと思って。君をエスコート出来るようリハビリも頑張ったけど、今日の君はここから動くことが出来ないんだな? こんなに見事な庭園なのに、他は見れたのかい?」
自分のモヤモヤを悟られないように、私は彼女に話を振った。私の変な表情は、あくまでも君をエスコート出来ない残念さから来ているんだ。そう思ってくれれば良いのだけど。
「まあ、セドリック様が私をエスコトートして下さるおつもりだったのですか? それでリハビリをあんなに頑張っていらしたのですか?」
何だ。その顔は!? 何でそんな嬉しそうな顔なんだ?
「うっ。わ、悪かったか? と、当然だろう? 君のお陰もあって回復がこんなに早かったのだから。お、お礼も兼ねていたんだ。いたんだけど……」
余りに嬉しそうに目を輝かせる彼女に見詰められて、私はしどろもどろになってしまった。変な汗が出てくる。額からぶわっと汗が噴き出してきた。
ポケットにしまってあるハンカチを取り出すと、彼女から顔を背けて素早く拭った。
「まあ! 使って下さっているのですね」
いきなり彼女が私の腕を引き寄せた。な、何だ?
「ハンカチーフです。これ、私が刺繍をしたセドリック様のハンカチーフですね?」
引かれた腕の先、右手には白いハンカチを握っている。
「ああ。折角君に作って貰ったから、最初は仕舞って置こうと思ったんだけど。やっぱり、持っていたいと思って」
「ええ、そうですわ。普段使いして下さいな。その方がハンカチーフも喜びます」
「君も、喜ぶの?」
「はい。使って頂きたいです。だって、使わなければずっと新品のままですから、新しいハンカチが要りませんでしょう? そうしたら、私はいつまでもセドリック様に、新しいハンカチをプレゼント出来ませんもの。色んな模様も考えていますのに」
君はそう言って、握っていた私の手からハンカチを取ると、優しく私の額の汗を拭ってくれた。
「良かったです。額の傷痕は全く判りませんね? 消えてくれて良かったです。折角綺麗なお顔なんですもの」
見下ろしている彼女の瞳がうっすらと涙で潤んでいる様に見えた。
「シュゼット?」
「ごめんなさい。この刺繍をしていた時の事を思い出してしまいました。まだ、セドリック様がベッドに寝てた時で……」
「うん。目が覚めて私の刺繍をしてくれていると聞いて、嬉しかったよ」
ハンカチを彼女の手から受け取って、刺繍された模様を撫でる。
「月。私の名前だ」
「また、作ったら使って頂けますか?」
「……」
「セドリック様?」
「……また、じゃなくって、ずっと、ずっと作って欲しいと言ったら?」
「はい?」
「だから、シュゼット・メレリア・グリーンフィールド。君にずっと私の名前を刺繍したハンカチーフを作って欲しいと言ったら?」
ざわざわしていた周りの音が消えた様に感じた。
花々の咲き乱れる庭園の東屋で、私と彼女しかいないみたいな静けさ。
「……それって、まるで……」
彼女にその先を言わせてはいけない。私が自分で言わなければ。
「シュゼット。私は君の事を、大切に思っている。ずっと一緒にいたいと思うほど」
ああ、言いそびれた告白の言葉をようやく言えた。
大きな碧い目が、もっと大きく見開かれた。零れそうになった瞳に私の顔が映っている。
「ずっと?」
「うん。ずっと」
「本気ですか?」
「本気。信じられない? 伝わっていなかったかな? 皆からはダダ洩れだって言われていたけど?」
「だ、だって」
彼女は目を伏せると、ぶんぶんと頭を振っている。まるで何かを振るい落とすかのように。
「シュゼット・メレリア・グリーンフィールド! 君は、私に張り合える位勉強も出来るし、試験では私を抜かす時もある程優秀だ。それからピアノは音楽家並みに堪能だし、乗馬も得意だったな? 容姿に至っては髪も瞳も綺麗で、可愛くて、誰が見ても見惚れる位だ。それに優しくて、気も強い所があって、でも涙もろくて、誰からも好かれて、天使だとか言われているし」
一呼吸置いて彼女を見ると、その頬が恥ずかしそうに赤くなっている。居た堪れなさそうにしている彼女が、とても可愛く見える。
重症だ。相当ヤラレテいるかもしれないけど……
でも、まだ言い足りない。
「その上、とっても珍しい識別の光の魔術を使える識別者で、国の重要人物になってしまったけど!!」
私はその場に跪いた。
そして、ずっと、ずっと言いたかった一言を、最後に伝えた。
「君を愛しているよ」
腕も重くて上がらない。
頭は熱くぼんやりとしているのに、指先は冷たくて動かすことが出来ない。
ここは、どこだ?
途切れ途切れに浮かんでは消える、場面、声、音、そして面影。
『……さま。セドリック様……』
甘く優しい声色で、誰かが私を呼んでいる。
『聞こえますか?』
ずっと、ずっと聞こえていた……優しい声……
「セドリック様? 目が覚めまして?」
揺ら揺らと漂うように意識が浮上する。何て温かくて気持ちが良いのだろう。まだこの空間に留まって、揺蕩っていたいけど……
「セド? 起きていないのか? ふーん?」
今度は聞き馴染みのある声だ。このままもう少しいたいけど、邪魔しないで欲しい。
「セドリック! いい加減起きろ!」
キュッと鼻を摘まれた。ムググッ! く、苦しい!
「で、殿下! 止めて下さいっ! こっちは怪我人ですから!」
ベッドサイドから覆いかぶさるように見えた顔は……
「エーリック殿下……」
人形の様に整った綺麗な顔に、特徴的なアメジストの瞳が利発そうに澄んでいる。久し振りにじっくりとこんな近くで見たかもしれない。けど、鼻を摘んで起こすとか、子供みたいな事をされた。
「ようやく目が覚めたか? 私はそろそろ屋敷に戻らねばならないのだが、シュゼットはどうする? 一緒に帰るのならば送って行くけど?」
私よりも早く退院した彼女は、毎日のようにお見舞いに来てくれる。今日は魔法科学省で行っている特別講義の後に、エーリック殿下と共に来てくれた。
彼女が来てくれているのには意味がある。それは、光の識別者として行うことが出来る『癒しの魔法』の実地訓練を行うため。
私の意識がはっきりしない頃から、彼女は手を握って私を励ましてくれていたという。実は医師も驚いていた不思議なことがあって、とにかく傷や痣の治りが早かったらしい。確かに薬液や技術的な治療方法も惜しみなく施されていたけれども。
「ありがとうございます。でも、今日は父が迎えに来てくれる事になってるので大丈夫です。セドリック様、もう少しお邪魔させて頂いても宜しいですか?」
彼女がそう言って、エーリック殿下に頭を下げて私の方に振り返った。
全然大丈夫だ。寧ろ、殿下はすぐにでも、遠慮なく、お引き取り頂いて結構だ。マズイ。何となく頬がむずむずして来た。
「……セド……お前、考えていることがダダ洩れだぞ? 全く、正直な奴だ」
エーリック殿下が呆れたように言うと、クスクスと彼女が笑う。目を細めて楽しそうに、嬉しそうに表情がふにゃりとしていている。……可愛い。かもしれない?
「本当にお前は……まあいい。じゃあ、シュゼット。悪いけど私はお先に失礼するよ。セドリックの事を宜しく頼むね? セド、シュゼットを困らせるなよ? いいな」
肩を竦める真似をしながら、エーリック殿下は鞄を持って立ち上がった。殿下が彼女に注ぐ眼差しは、とても深く優しく見えた。
「うふふ。大丈夫です。エーリック殿下も、お気を付けてお帰り下さいね?」
彼女も微笑みながら立ち上がって、エーリック殿下をドアの外まで見送っている。
「……」
何だろう。モヤモヤするような気がする。胸の奥で、ぐずりと何かが身じろぎしたような、何とも嫌な気配。
嫉妬だ。コレが嫉妬とという気持ちなんだ。
「じゃあ、セドリック様、もう少し魔法術の練習にお付き合いくださいな? コツが掴めて来た様な気がしますの」
頷いて彼女に応えると、ふわりとベッドサイドの椅子に腰を掛けた。
「じゃあ、続けますね? 変な感じがしたら教えて下さいな」
そう言って私の左手を優しく包んだ。『癒しの魔力』を確実に患部に作用させるには、患部に直接触れるか魔力の受動力が高い掌から流すのが一番効果的らしい。
これは治療だ。
彼女は少なからず、私が大怪我を負ったのを自分のせいであると感じている。だから、責任を感じているのだろう。
責任感からの事だ。例え私でなく別の人間の為であっても、彼女は同じようにするだろう。
「……」
ちりりと胸の奥が痛くなった。
◇◇◇◇◇◇
初夏。
王宮主催のガーデンパーティーが華々しく行われ、彼女は立派にブライズメイドを務めていた。
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確かに、彼女、ドロシア嬢、イザベラ嬢は髪色も瞳も顔立ちも全く違うのだから、誰かに合わせれば致命的に誰かに合わない。そんな感じだったのかもしれないけど、まあ、女性のドレスの事は良く判らないな。
「セドリック様には果汁の炭酸割をどうぞ」
銀台に置かれた色とりどりの菓子や料理を前に、彼女が小さな盆にグラスを載せて出してくれた。見れば三種類のグラスだ。小さな泡が硝子の底から浮き上がっている。
「これは?」
紫色のグラスを指す。
「これは山葡萄です。こちらの緑色はキウィ、黄色はレモンです。一番甘くないのはレモンですね」
「そう。君のお薦めは?」
「キウィです。甘さと酸味が絶妙なんですよ。宜しければどうぞ?」
どれも美味しいのですけど。と言った後に、ぱあっと瞳を輝かせて緑のグラスを差し出してきた。
「……頂こう」
目が眩むような笑顔に一瞬言葉が出なかった。いつにも増して美しく輝いているからだ。
そんな風に見ていることを悟られないように、至って普通にグラスを受け取ると、一口飲んで辺りを見回す。見知った顔ばかりだ。皆考える事は同じという事か、彼女の周りにはいつもの見慣れた面々が集っている。
彼女は、コレール王国に留まる限り自分で結婚相手を選べる。
そのせいで、彼女の伴侶になりたい輩が湧いて出ている。そう、ワラワラとだ。
エーリック殿下に、シルヴァ様、レイシル様。この三人は確実だ。特にエーリック殿下とシルヴァ様はご自分から名乗りを上げたとおっしゃっていた。
すでにシルヴァ様は王位継続権をご辞退されて、コレール王国への永住権と魔法科学省への入省も果たしている。以前から望んでいたようだったけれど、彼女の事があってから一気に動きを速めたという所だ。
エーリック殿下も今度の夏季休暇に帰国すると言っていた。きっと陛下に婚約の話をされるつもりなんだろう。
「セドリック様? どうかされまして?」
グラスを持ったまま少しぼうっとしていたようだ。
彼女が小さな声で聞いてきた。何でも無いと答えると、一瞬だけじっと目を見詰められた。何か言いたそうに口を開きかけたけど、そのままにっこりと微笑まれた。
彼女は前を向いて、そして進んでいる。
最初は頑なに嫌がった光の識別者になることも、今では触れずとも癒しの魔力を行使できるようになったという。物凄い進歩だと、レイシル様が喜んでおられた。
彼女だけでなく、エーリック殿下も、シルヴァ様も、カテリーナ様も、彼女に関わる事で随分変わった。考え方も立場も、そしてこれからについても。
もしかして、変わらないのは私だけか。私だけ何も変わっていないような気がする。
駄目だ。駄目だ。駄目だ。このままでは駄目だ。自分が何をしたいか、どうしたいかをよく考えなければ。
「セドリック様? やっぱりまだ本調子ではありませのね? 大丈夫ですか?」
いけない。彼女にそんな顔をさせて心配させるようでは。
「いや、大丈夫だ。本当に何でもないんだ。只、残念だなと思って。君をエスコート出来るようリハビリも頑張ったけど、今日の君はここから動くことが出来ないんだな? こんなに見事な庭園なのに、他は見れたのかい?」
自分のモヤモヤを悟られないように、私は彼女に話を振った。私の変な表情は、あくまでも君をエスコート出来ない残念さから来ているんだ。そう思ってくれれば良いのだけど。
「まあ、セドリック様が私をエスコトートして下さるおつもりだったのですか? それでリハビリをあんなに頑張っていらしたのですか?」
何だ。その顔は!? 何でそんな嬉しそうな顔なんだ?
「うっ。わ、悪かったか? と、当然だろう? 君のお陰もあって回復がこんなに早かったのだから。お、お礼も兼ねていたんだ。いたんだけど……」
余りに嬉しそうに目を輝かせる彼女に見詰められて、私はしどろもどろになってしまった。変な汗が出てくる。額からぶわっと汗が噴き出してきた。
ポケットにしまってあるハンカチを取り出すと、彼女から顔を背けて素早く拭った。
「まあ! 使って下さっているのですね」
いきなり彼女が私の腕を引き寄せた。な、何だ?
「ハンカチーフです。これ、私が刺繍をしたセドリック様のハンカチーフですね?」
引かれた腕の先、右手には白いハンカチを握っている。
「ああ。折角君に作って貰ったから、最初は仕舞って置こうと思ったんだけど。やっぱり、持っていたいと思って」
「ええ、そうですわ。普段使いして下さいな。その方がハンカチーフも喜びます」
「君も、喜ぶの?」
「はい。使って頂きたいです。だって、使わなければずっと新品のままですから、新しいハンカチが要りませんでしょう? そうしたら、私はいつまでもセドリック様に、新しいハンカチをプレゼント出来ませんもの。色んな模様も考えていますのに」
君はそう言って、握っていた私の手からハンカチを取ると、優しく私の額の汗を拭ってくれた。
「良かったです。額の傷痕は全く判りませんね? 消えてくれて良かったです。折角綺麗なお顔なんですもの」
見下ろしている彼女の瞳がうっすらと涙で潤んでいる様に見えた。
「シュゼット?」
「ごめんなさい。この刺繍をしていた時の事を思い出してしまいました。まだ、セドリック様がベッドに寝てた時で……」
「うん。目が覚めて私の刺繍をしてくれていると聞いて、嬉しかったよ」
ハンカチを彼女の手から受け取って、刺繍された模様を撫でる。
「月。私の名前だ」
「また、作ったら使って頂けますか?」
「……」
「セドリック様?」
「……また、じゃなくって、ずっと、ずっと作って欲しいと言ったら?」
「はい?」
「だから、シュゼット・メレリア・グリーンフィールド。君にずっと私の名前を刺繍したハンカチーフを作って欲しいと言ったら?」
ざわざわしていた周りの音が消えた様に感じた。
花々の咲き乱れる庭園の東屋で、私と彼女しかいないみたいな静けさ。
「……それって、まるで……」
彼女にその先を言わせてはいけない。私が自分で言わなければ。
「シュゼット。私は君の事を、大切に思っている。ずっと一緒にいたいと思うほど」
ああ、言いそびれた告白の言葉をようやく言えた。
大きな碧い目が、もっと大きく見開かれた。零れそうになった瞳に私の顔が映っている。
「ずっと?」
「うん。ずっと」
「本気ですか?」
「本気。信じられない? 伝わっていなかったかな? 皆からはダダ洩れだって言われていたけど?」
「だ、だって」
彼女は目を伏せると、ぶんぶんと頭を振っている。まるで何かを振るい落とすかのように。
「シュゼット・メレリア・グリーンフィールド! 君は、私に張り合える位勉強も出来るし、試験では私を抜かす時もある程優秀だ。それからピアノは音楽家並みに堪能だし、乗馬も得意だったな? 容姿に至っては髪も瞳も綺麗で、可愛くて、誰が見ても見惚れる位だ。それに優しくて、気も強い所があって、でも涙もろくて、誰からも好かれて、天使だとか言われているし」
一呼吸置いて彼女を見ると、その頬が恥ずかしそうに赤くなっている。居た堪れなさそうにしている彼女が、とても可愛く見える。
重症だ。相当ヤラレテいるかもしれないけど……
でも、まだ言い足りない。
「その上、とっても珍しい識別の光の魔術を使える識別者で、国の重要人物になってしまったけど!!」
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そして、ずっと、ずっと言いたかった一言を、最後に伝えた。
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