おとぎ話は終わらない

灯乃

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2巻

2-3

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 しかし彼は紛れもなく、この国の皇太子――ベルナルド・ティルティス・レンブラント・ネイ・ギネヴィア殿下だった。
 母の素性すじょうがヨシュアの言う通り現皇帝陛下の姉であった場合、この少年はヴィクトリアの従弟いとこにあたる。
 反射的にリージェスの体を盾にして、彼らから隠れながら、ヴィクトリアは思った。あんな恐ろしげな滑り台に乗りたがる子どもと自分が血縁関係にあるなんて、絶対に何かの間違いだ――と。

「リ、リア? いきなり、どうした?」

 盾にされたリージェスの動揺した声は、ヴィクトリアには聞こえていなかった。

(いや、だって、ヨシュアさまの話では、わたしの顔がシャーロット皇女殿下に似てるってー!)

 シャーロット皇女殿下は国民の前に出る機会が少なく、彼女を見たことのあるたみは少ないと聞く。しかも、彼女が行方不明になったのは二十年前。シャーロット皇女殿下とよく顔を合わせていた有力貴族や臣下を除き、皇都民で彼女の姿を覚えている者はまれである。
 また、ヴィクトリアの髪色は、シャーロット皇女殿下の金髪とはイメージのかけ離れた銀髪だ。
 そのため、ヴィクトリアの顔を見た一般の国民で、シャーロット皇女殿下とのつながりを察する者はいないだろうとヨシュアは言っていた。
 しかし皇城に、歴代皇帝一家の肖像画が一枚もないはずがない。自分と似た顔をしていたという『シャーロット皇女殿下』の若い頃の肖像画だってあるだろう。
 そしてあの子どもは、皇室のお坊ちゃま。それらの肖像画を目にする機会など、今までにいくらでもあったはずだ。
 おまけに今のヴィクトリアは、男の子の格好ではない。モーガンたちの素晴らしい努力によって、ぴっかぴかのお嬢さま仕様。……ネコ耳付きではあるものの。

(ま、まずい気がします。今のわたしがあのお坊ちゃまに見つかるのは、なんだかとってもまずい気がするのですよ……っ)

 お嬢様姿のヴィクトリアを見たら、いくら髪色が違うといえど、顔が似ていると気がついてしまうかもしれない。
 いやな汗がヴィクトリアの背筋を滑り落ちていく。彼女は、盾にしているリージェスの制服をぎゅっとにぎりしめた。震えながら、どうにか口を開く。

「リ……リージェス、さま。リージェスさまの後ろの方に、皇太子殿下とお付きの方が……」
「……なんだと?」

 途端にリージェスの声が、寮長りょうちょうモードの低く淡々としたものに変わった。その声を聞くといつもは寂しくなるのに、今は気持ちを落ち着かせてくれる。
 ヴィクトリアは泣きそうになりつつリージェスを見上げた。

「あの、えぇと、わたしの顔を殿下に見られるのは、とってもまずいと思うのですけれど……っ」

 何がまずいのかは、自分でもよくわからない。けれど、とてもまずいことだけは確かだ。
 勘、だとか――本能、だとか。そういったものが『もしあの子どもに母の素性すじょうがバレてしまったら、とってもめんどうなことになっちゃうゾ! 全力で回避セヨ!』と叫んでいる。
 その警鐘けいしょうがあまりにも大きすぎて、自分が今、何をどうしたらいいのかまるで考えられない。
 パニックを起こしかけたヴィクトリアの背中を、リージェスがとんとんと優しく叩く。

「落ち着け。あの方は、まだ八歳だぞ? お忍びでいらした祭りで遊びに夢中になっていたら、周囲の人間の顔に注意を払う余裕なんてないだろう。――大丈夫……大丈夫だ」

 落ち着いた低い声で大丈夫だとささやかれているうちに、少しずつ平静を取り戻していく。
 深呼吸できる余裕が生まれて、強張こわばっていた指先から力が抜けてくる。

「落ち着いたか?」
「……はい」

 うなずくと、リージェスの長い指がそっとヴィクトリアの前髪を払う。彼はヴィクトリアの顔色を確かめ、軽く目を細める。

「少し、待っていろ」

 リージェスはポケットから携帯通信魔導具を取り出し、誰かを呼び出した。そして淡々と相手に告げる。

「オレだ。会場に身長制限未満の子どもが増えてきている。カーニバルモードに移行しろ」

 リージェスが通信を切るとすぐに、周囲でわぁっと歓声が上がる。
 それにつられて、ヴィクトリアは視線を動かす。――風景が、一変していた。
 あたり一面に色とりどりの花が舞い、美しい羽の小鳥たちが飛んでいる。きらめく光のシャワー、そこかしこに架かる小さな虹。
 ――まるで突然、おとぎの国に迷いこんだかのよう。
 それが、巨大な滑り台の最上部から会場全体に映し出されている幻影だと気がつくには、少し時間が必要だった。
 楽しげに踊る動物や、ぽんぽんとあちこちに飛び跳ねるぬいぐるみやおもちゃ。子どもたちは明るい笑い声を上げて、それらを追いかけていく。

「子どもたちに、乗り物に乗れずに悔しい思いをさせるだけというのは、申し訳ないからな。これなら殿下も、まずおまえに気がつくようなことは――」
「ベルナルドさまあぁあああー! それはここの者たちがひとびとを楽しませるために制御しているぬいぐるみであって、訓練用の自律稼働型ターゲットではございません! だめです! いけません! それを破壊してはなりませんー!!」

 ――ヴィクトリアとリージェスは、黙ってその場をあとにした。
 連続して聞こえてくる破壊音とお付きの青年の悲痛な声には、気がつかなかったことにして。


     * * *


 それからヴィクトリアはリージェスの案内で、『楽園』内でも技術開発方面に秀でた生徒たちが開いている小型魔導具店を、あちこち見て回った。
 実用的な生活魔導具を扱っている店はなかったけれど、興味を惹かれる小型魔導具がたくさんあった。
 四季折々の色彩の変化を忠実に再現している樹木の置物や、複雑な機構を持つおもちゃ、精巧な仕掛けをほどこしたびっくり箱など、かなり高度な技術が必要と思われるものばかりだ。
 在学中は、ほかの生徒たちの技術に意識を向ける余裕はまるでなかった。
 しかし、改めてじっくりと見てみると、彼らの技術力には本当に驚かされる。
 繁華街の立派な店舗で売られている魔導具と比べても、性能もデザイン性も引けを取らない。
 いくら脳筋育成機関である『楽園』で殺伐さつばつとした生活を送っていても、彼らは基本、貴族階級のお坊ちゃま。芸術的な素養が、一般人よりもはるかに身についているのかもしれない。
 おまけに、それらの魔導具の価格は市販のものよりもずっと安い。目の前で、個性的な魔導具が次々に売れていく。
 客たちと楽しげに言葉を交わしている生徒たちは本当に生き生きとしていて、ヴィクトリアは彼らがとってもうらやましくなった。

(もし男の子に生まれていたら、わたしだって今も楽しく『楽園』生活を――いや、でもネコ耳裸エプロンはイヤだな)

 一瞬、自分が女に生まれたことを恨めしく思ったヴィクトリアだったが、先ほど見たランディたちの恥ずかしい格好を思い出し、復活しかけた『楽園』生活への未練を即座に断ち切った。
 人間には、二種類いる。
 その場のノリに最後まで全力で乗っかれる人間と、途中でうっかり我に返ってしまう人間。
 ヴィクトリアは、間違いなく後者だった。

「……リア? それが気に入ったのか?」
「え? あ、はい、そ……ういうわけではないみたいですーっ!」

 物思いにふけっていたヴィクトリアの目の前には、実物大のタランチュラを模した動くおもちゃがあった。ヴィクトリアは女の子なので、蜘蛛くもたぐいは大嫌いなのだ。どんな小さなものでも、目にした瞬間に殺意がわいてしまう。
 ぷるぷる震えていると、リージェスがひょいと手を伸ばし、それをヴィクトリアの前から遠ざけてくれる。

「あ……ありがとう、ございます。リージェスさま」

 もし殺意のままに商品を叩き潰したりしていたら、弁償しなければならなかったところだ。
 ほっとしてリージェスを見上げると、彼は小さく苦笑した。

「何か、考えごとでもしていたのか?」

 図星を指されて、ヴィクトリアはへにょりと眉を下げる。一瞬、ごまかそうかとも思ったけれど、自分にこんなによくしてくれるリージェスに、いい加減なことは言いたくない。

「その、わたしが男の子に生まれていたら、今でも『楽園』にいられたかなー、なんて思ってしまいまして」

 できるだけ軽く聞こえるよう願いつつ、へらっと笑いながら言うと、リージェスが黙った。もしかして、未練がましいやつだと思われたのだろうか。
 ばかなことを言ったと後悔してうつむくと、リージェスが静かに口を開いた。

「それは、困るな」
「……困ります、か?」

 思いがけない言葉に困惑して、顔を上げる。彼は、ふっとほほえんだ。

「ああ。……オレは、今のおまえがいい」

 不意打ちの笑顔と甘ったるい声の複合攻撃を食らったヴィクトリアは、今手の中に商品を持っていなくてよかった、と思った。もし何か持っていたら、間違いなくにぎり潰していた。

「そ、そう、デスカ」

 頬がじわじわと熱くなるのを感じながらどうにか言うと、リージェスは真顔でうなずいた。

「いくら可愛らしい外見をしていても、男に優しくして喜ぶような趣味はオレにはないからな」

 さらりと言われて、ヴィクトリアはぎょっとした。
 そういえば、リージェスと親しくなったきっかけは、夏の休暇前に女だとバレたことだ。もし自分が男だったなら、メイア家の別荘への招待もなかっただろう。こうして今のように親しく言葉を交わすなんて、きっと夢のまた夢だったに違いない。

(お、女の子でよかったね、わたし! それに、リージェスさまが、女性に親切なジェントルマンでよかったねー!)

 ヴィクトリアが内心胸をで下ろしていると、リージェスが苦笑しながら言った。

「リア? 連れてきておいてなんだが……。ここの商品は、ミュリエルがあまり喜ばないかもしれないな」

 確かに、この店にあるのはヴィクトリアの身長ほどもある樹木の置物や、『楽園』の授業で使用されているのと同じモデルの遠距離攻撃魔導具型を模した超強力水鉄砲。ふたを開けたら、中からぱっくりと口を開けて「イィイイヤッフウウゥウウー!」と叫びながら人間の実寸大頭蓋骨ずがいこつ模型が飛び出してくるびっくり箱、といったものばかり。この中のどれを贈っても、ふんわりとほほえむ天使のような少女に喜んでもらえるとは思えない。
 ふたりは結局、手ぶらでその店を出た。
 それからいくつもの店を回って、ようやく納得できるものを見つける。

(ふ……っ、わたしは今後もう二度と、『楽園』の生徒たちを十把一絡じっぱひとからげに脳筋呼ばわりしたりはいたしません。コレを作った生徒さんは今からでも遅くないので、人生の選択を考え直した方がいいんじゃないかと思います)

 ――とっても望み通りのお土産みやげを見つけることができたのに、ヴィクトリアが若干じゃっかんやさぐれているのはほかでもない。とある店で売られていた、一口サイズの砂糖菓子のせいである。
 美しく繊細せんさいな花々の姿を見事にかたどった、食べられる芸術品。それは、よほど上質な砂糖で作られているのか、口に入れた瞬間にほろりと溶けて、さわやかな香りと甘みを残して消えていく。
 そんな砂糖菓子は、決して汗臭い男の園に生きる脳筋が作るに相応ふさわしいものではないと思うのだ。
 ここの生徒たちは、本当に無駄に芸が達者だと思う。

(……わたしが見たことがあるものしか作れないのは、当たり前だもん。きれいなお菓子は、リージェスさまの別荘やラング家で何度も見たことがあるけど、それを魔導具で作るなんて今まで考えたこともなかったんだもん)

 客人や居候いそうろうの身分で、管理責任者が衛生面で最も気をつかわなければならない厨房ちゅうぼうに、厚かましく見学を申し出るわけにはいかないではないか。
『楽園』の生徒たちの実力を目の当たりにするたびに、皇都でもガンガン稼げる魔導具職人になる夢を叶える難しさを思い知らされる。
 自分には、彼らのような芸術的素養に基づいたデザインセンスも、皇都で需要じゅようのありそうな美しいお菓子を作れる魔導具を目にした経験もない――と思ったところで、ふと気がついた。

「リア? どうかしたか?」

 幼い頃から立派な芸術的素養を身につけさせられているだろうリージェスを、じっと見上げる。

「リージェスさま。ヨシュアさまのレディ教育をがんばって受けていれば、今からでも芸術的な感性やデザインセンスが少しは磨かれると思いますか?」

 ヴィクトリアの真剣な質問に、リージェスはきちんと答えてくれた。

「芸術的な感性もデザインセンスも、誰でもある程度は経験と努力次第で向上するものだろう。そういう意味では、ヨシュアさまの教育を受け続けるのは非常に有益だと思うぞ」
「そうですか。これからは、もう少し前向きに授業を受けてみようと思います」

 いつかリージェスに魔導具の作製を依頼されたときには、母がのこした魔導具のデザインを流用したりしたくない。その基礎性能から外観設定まで、すべて自分でデザインしたものを作りたいのである。

(く……っ、リージェスさまのような素敵なイケメンに、しょぼいデザインの魔導具を持っていただくなんて、絶対に許されることではないのです……!)

 今までずっと、わけのわからないレディ教育なんて真面目に受ける気にならなかった。しかし、それが将来役に立つものであると納得できれば、話は別だ。

(でもやっぱり、ご飯くらいは気楽に食べたいです……)

 明日からの授業には、きちんと気合いを入れてのぞもうと決意する。
 いまだになんの役に立つのかさっぱり理解できない、テーブルマナーを除いて。
 何はともあれ、これから自分のがんばるべきことがだいぶはっきりしてきた。ヴィクトリアは、改めて気合いを入れ直したのだが――

(あ。マズい)

 そこでようやく、せっかくの祭りだというのに、自分の行きたいところにリージェスをつきあわせてばかりだったことに気がつく。
 今日はリージェスにとって、『楽園』生活最後の祭り。にもかかわらず、自分の案内役だけで終わらせてしまっては、あまりにも申し訳なさすぎる。
 慌てたヴィクトリアは、リージェスの袖を軽く掴んで引っ張った。

「リージェスさま、リージェスさま。あの、リージェスさまはどこか行きたいところはないのですか? なんだか、わたしばかり楽しんでいる気がするのですけど」

 リージェスは、いいや、と笑って応じる。

「オレも楽しかったぞ。今まで、こんなふうにじっくりあちこちを見て回ったことはなかったからな。――ずっと歩き通しで疲れただろう。少し休むか?」

 楽しく遊んだり買い物したりしているときにはまるで気がつかなかったが、言われてみれば、慣れない靴をいた足はいやな熱を持っていた。
 本当に気遣きづかいのできるひとだなー、と感動しながら、リージェスとともに休息スペースである近くの庭園へ向かう。
 その途中にあった屋台で、リージェスは絞りたてのフルーツジュースとコーヒーを購入した。
 庭園のベンチに並んで腰を下ろすと、彼はフルーツジュースを手渡してくれる。

「ありがとうございます! ……あれ、わたしこのジュースが好きだって言いましたか?」

 リージェスが選んで買ってくれたそれは、すっきりとした香りで、ヴィクトリアが好んでよく飲んでいるものだ。

「いや。だが、夏の別荘でもそれを嬉しそうに飲んでいただろう?」

 ヴィクトリアは、驚いた。
 そんな些細ささいなことまで記憶しているとは、リージェスの頭は一体どんな作りをしているのだろう。
 彼が自分の好むものを覚えていてくれたことが、とても嬉しい。
 胸の奥がじんわりと温かくなって、幸せでふわふわとした気分になる。

「覚えていてくださって、嬉しいです。リージェスさまは、やっぱりコーヒーがお好きなのですか?」
「コーヒーが好きというより、甘い飲み物が苦手なんだ。消去法で茶かコーヒーになる」

 そうなのですかとうなずきながら、ヴィクトリアは思った。
 これはもしかしたら、将来酒飲みになるタイプかもしれん、と。

(そのうち皇国軍に入ったら、つきあいで飲む機会も多いんだろうなー。……田舎いなかでお医者のじっちゃんに、二日いに効く薬の種類とかいろいろ教わっておけばよかった)

 ヴィクトリアは、小さな頃に故郷で何度か世話になった老齢の医者を思い出した。
 彼は大らかな人柄で、さまざまな事柄に豊富な知識があり、非常に頼りがいのある人物だ。母が亡くなったときには一番親身になって力を貸してくれて、随分ずいぶんと世話になった。
 あのじっちゃん医者は、今も元気でやっているだろうか。
 そこでふと、今頃ヴィクトリアの故郷を訪れているだろう老人のことも思い出す。

「リージェスさま? ヨシュアさまは、いつ頃お戻りになるのでしょうか。何か、お話を聞いていますか?」
「……どうだろうな。詳しいことは、オレも聞いていないが――」

 リージェスが珍しく、少し迷ったような顔になる。

「少なくとも御大おんたいからシャノンに、おまえの外出時には必ず護衛をつけるよう指示が行っているのは確かだ。だから……おまえの母君は、やはりシャーロット皇女殿下なのだろうと思う」

 それについては、ヨシュアに母の形見が皇女殿下のものだと言われてからどこかあきらめていたので、さほどがっかりはしない。
 とはいえ、あのわがままな皇太子殿下と自分の間に、ばっちり濃いめの血の繋がりがあるのは、やっぱりイヤだ。何より、年端としはもいかない小さな子どもが日常的に命を狙われている皇室と、浅からぬ縁があるという現実が、一番イヤである。

(まぁ……皇太子殿下と違って、皇籍に入っていないわたしには継承権も何もあったもんじゃないし。血で血を洗うという噂の、継承権争いがらみで命を狙われるようなことはない……よね? うん、多分ない……絶対にないと思いたいです、切実にっ!)

 戦死したと思われていた『シャーロット皇女殿下』の子どもですー、とご挨拶あいさつすることが、かつて彼女の護衛騎士だった方々にとってなぐさめになるのなら、がんばってみてもかまわない。
 だが、それ以上のことは本当に勘弁していただきたい。ヴィクトリアにとっては、自分の身の安全の方がはるかに大事なのだ。

「……リア」

 いやだなー、怖いなー、とうつむいていたヴィクトリアは、柔らかく名を呼ぶリージェスの声に顔を上げる。

「ちょっと、手を出せ」
「え? あ、はい」

 言われた通り、ジュースの入ったコップを脇に置いて両手を出した。
 手のひらに載せられたのは、びっくりするほど魔力純度の高い魔導石をあしらったペンダント。
 つるんときれいな卵形に磨かれた深い藍色あいいろ貴石きせきを、つたのように繊細せんさいな意匠のプラチナ枠が包みこんでいる。魔導石の大きさは、ヴィクトリアの親指の爪くらい。これほど純度の高いものであれば、シャノンに作った魔導剣レベルのものを問題なく作ることができるだろう。
 ヴィクトリアは、困惑した。
 リージェスがこの魔導石を使って魔導具を作れと言うなら、喜んで応じたい。
 だが今の自分のスキルでは、彼が持つに相応ふさわしい性能と外観設定を備えたものは作れないだろう。どうしても作るとなると、母ののこした魔導具の術式を応用することになってしまう。
 ――これほど立派な魔導石をリージェスのために加工するなら、できればきちんと自分のスキルを高めてからにしたい。
 複雑な思いでペンダントを見つめていると、リージェスが苦笑まじりに口を開く。

「リア? それで何かを作れと言っているわけじゃない。――おまえの母君の形見の品を、オレの一存でヨシュアさまに預けてしまっただろう。そのびだ」

 目を丸くしたヴィクトリアに、リージェスは真顔になって続けた。

「もし今後、身の危険を感じたときには、それを使って自分を守ることだけを考えろ。まぁ……ラング家の護衛がついている限り、そんな事態にはおちいらないと思うが。万が一のときのためのお守りだと思って、いつもつけていろ。いいな?」
「リージェスさま……」

 ヴィクトリアは心の底から感動して、泣きそうになりながら思った。
 外出時にラング家の寡黙かもくいかつい護衛がつくのをどれほど気詰まりに思っても、「コッソリ屋敷を抜け出して、ひとりで街に遊びにいこう!」というひそかな計画を実行に移すのは、絶対にやめておこう――と。

(ふ……ふふふっふっふ、ふふふふふ。リージェスさまの魔力がばっちりこもった素敵な魔導石をゲットしました。いつの日か納得のいく性能とデザインの魔導具を作れる自信がついたら、これを使ってあっと驚くような魔導具を作って差し上げるのです。きっとその頃には、今は曖昧あいまいで不安定なわたしの立場も、どうにかなっている、はず……が、がんばってどうにかしようね! がんばれ、わたしー!)

 リージェスからもらったお守りのペンダントを、さっそくいそいそと首にかける。
 だがそのお守りを、自分のために使うつもりなどまるでない。我が身の安全に関しては、現在自分を庇護ひごしてくれているラング家に完全に丸投げしているヴィクトリアであった。
 リージェスからこんな素敵なお守りを贈ってもらえたことは、本当に嬉しい。ものすごく嬉しい。ちょっぴり頭がぱーんとお花畑になってしまいそうなくらいに嬉しい。

「リージェスさま? 似合いますか?」
「ああ。よく似合っている」

 ヴィクトリアは、褒められてますます嬉しくなった。
 うふふー、と笑み崩れながら、鎖の先で揺れる魔導石をそっと持ち上げてみる。
 本当に、なんてきれいなんだろう。どれだけ見ていても、まったく飽きない。
 いつかこの魔導石を、リージェスが持つに相応ふさわしい魔導具に加工することができたなら――

(……ヤバい。それを持つリージェスさまを想像するだけで、え死んでしまいそうです)

 まだ死にたくないヴィクトリアは、魔導石が目に入らないよう、ネックレスの鎖を少し短めに調整した。この魔導石が常に視界に入るところにあったら、萌えと妄想が先走って何も手につかなくなってしまいそうだ。危ない。
 ふぅ、と息をついて少し落ち着きを取り戻したヴィクトリアは、リージェスに向き直る。

「リージェスさま、ありがとうございます。本当に嬉しいです。ところでリージェスさまは、魔導剣と遠距離攻撃魔導具でしたら、どちらがお得意ですか?」

 そう言うと、リージェスはなんだか微妙な顔になった。

「また随分ずいぶん、話が飛んだな……」
(ありゃ?)

 喜びのあまり、つい先走ってしまった。
 リージェスにとって、このペンダントはヴィクトリアに贈ったものだ。ヴィクトリアがこれをいずれ彼の魔導具に加工しようとしていることは、黙っておいた方がいいかもしれない。
 ヴィクトリアは彼がこうして自分の身を案じてくれて、本当に、とっても嬉しかったのだ。彼に魔導具を作るのは、いつか自分の身の安全が確保できてからのお楽しみにして、今は大切に預からせてもらおう。
 だが、リージェスの得意分野はやはり知っておきたい。
 ヴィクトリアは細かいことは気にせず、期待にち満ちた目でリージェスの答えを待った。
 つか、遠いところを見ていたリージェスが、小さく息をついて口を開く。

「……どちらかといえば、遠距離攻撃魔導具だな」

 そうなのですか、とヴィクトリアはうなずいた。ラング家に戻ったら、図書館に所蔵されている遠距離攻撃魔導具の研究書を片っ端から読み漁ろう、と決意する。
 ――本当は、武器である魔導剣や遠距離攻撃魔導具なんて作りたくない。
 けれど、武門の貴族であるラング家にばっちり世話になっている以上、いつまでもそんな甘いことは言っていられないだろう。

(まぁ……わたしが武器系の魔導具を作るとしたら、リージェスさまとシャノンさまと、ランディのためだけだし。ほかの人のために作れと言われても、それは断固拒否させていただきます!)

 ヴィクトリアには、戦争だの外交だのという難しい話は何もわからない。
 だけど、大切なひとが死んでしまうのは絶対にいやだ。
 母が亡くなったとき、ヴィクトリアは何もできず、ただ泣きながら見送った。あのときの全身の血が凍るような無力感は、もう二度と味わいたくない。
 この皇国や国民のためには、ヴィクトリアは動けない。
 そんな大勢の顔も知らない相手のために動けるほど、ヴィクトリアは強くないし、覚悟もない。
 けれど、自分にとって大切なひとたちだけは、何があっても絶対に生きていてほしいから。

(……うん。とりあえず、あのお子さま皇太子殿下が近くの国とおばかな理由で戦争をはじめたりしない大人に育つことを、毎日お祈りしよう)

 他力本願たりきほんがんはなはだしいが、こればっかりは自分には何もできないので、仕方あるまい。
『楽園』で学んだ歴史によれば、二十年前に北の隣国セレスティアと不可侵条約を結んで以来、この皇国が経験しているのは東の小国連合との小競こぜいくらいのようだ。
 皇国の南の果ては、まだまだ未開の土地である。幾人かの冒険家たちの記録によると、南の森をいくつか越えた先は、荒涼こうりょうとした砂の大地がどこまでも続いているという。
 この皇国と西の大国サフィスとの国境は、とても容易に踏破できない急峻きゅうしゅんな山脈だ。その上サフィスは、十年ほど前からセレスティアと何度も派手な戦闘を繰り返していると聞く。
 まったく物騒なことだが、そのおかげで現在彼らの目は皇国に向いていない。


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