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取引は、信頼できる相手とするものです
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何はともあれ、王太子がアレクシアの素性を口外する危険がなくなったのは、非常に喜ばしいことである。ここは、互いによけいなことは言わないということで、手打ちにするべきだろう。
少し考え、彼女は問うた。
「王太子殿下。きみはなぜ、わたしの腹違いの兄妹についてわざわざ語ったりしたのかな。彼らの情報が、わたしにとってなんらかの価値があるとでも思ったか?」
アレクシアと彼ら兄妹は、エイドリアンとブリュンヒルデの離婚によって人生をひっくり返されたという意味で、同じ境遇と言えなくもない。片親とはいえ血がつながっている相手でもあるし、なんの興味も抱いていないと言えば嘘になる。
とはいえ、彼らはいずれスウィングラー辺境伯家の一員となるのだ。アレクシアにとって、できれば一生顔を合わせたくない相手である。
思いがけない形でふたりの情報を得られたことで、多少は好奇心を満たされたけれど、それだけだ。特段、ありがたいと思うようなことではない。
首をかしげた彼女に、ローレンスが応じる。
「いいや。ただ、世間話の種くらいにはなっただろう?」
「……きみは、そんなに暇なのかね」
アレクシアが胡乱な眼差しを向けると、彼は小さく苦笑した。
「先ほども言ったけれど、僕はきみを敵に回したくはない。――アレクシア嬢。僕と、取引をしてくれないだろうか」
視線だけで続きを促す彼女に、ローレンスが言う。
「きみとて、これからずっと自分の素性を隠しおおせるとは思っていないだろう。エイドリアン殿の婚儀が済めば、スウィングラー辺境伯もベネディクトの補佐として、きみの従者を呼び戻す算段をはじめるはずだ」
そうなれば、今は無人の別邸に、スウィングラー辺境伯家の人員が派遣される。アレクシアは皮肉げに微笑した。
「辺境伯は、我々のことを半年以上も山奥に放置された子どもふたり、と油断してくださるような方ではない。ウィルを殺さない程度に弱らせた上で、彼の主であるわたしだけ処分しようというんだ。最低でも、完全武装の一個大隊くらいは投入してくるだろうな」
「なのに、きみたちはどこにもいない。辺境伯は、さぞ慌てふためくだろうね。総力を挙げて、きみたちの消息を辿るに違いない」
なんの頼る当てもない子どもが無事に生きられる術は、さほど多くない。そして、孤児院の門を叩くのは、その中で最も選びやすい手段だ。そこまでならば、辺境伯家もすぐにたどり着くだろう。
問題は、その先だ。アレクシアは、くくっと肩を揺らす。
「だが、我々はここにいる。王家の庇護下にある、シンフィールド学園だ。王家との約定を考えれば、陛下に我々のことを知られるのもまずい。辺境伯も、さぞ困ることだろうな。想像するだけで、実に愉快だ」
ローレンスが、微妙に表情を歪める。
「きみは、王家とスウィングラー辺境伯家が反目し合うことを狙っているのかい?」
「まさか。言っただろう? わたしは、王家にもスウィングラー辺境伯家にも興味はないと。わたしはただ、ウィルとふたりで、きみたちと関わり合いにならずに生きていたいだけだよ」
そのために利用できるのであれば、かつて忠誠を捧げた王家だろうと利用する。
にこりとほほえみ、アレクシアは言う。
「甘やかされて育った子どもが、そう粋がるものではない。ローレンス・アーサー・ランヒルディア。取引などと言ったところで、きみがわたしに確約できるものなどないだろう。きみはただ、我々の存在を知らなかったことにして、今まで通りに過ごしていればいい。わたしとて、これ以上の面倒ごとはごめんだ。わざわざ王家に喧嘩を売るような真似はしないから、安心したまえ」
ぐっと唇を噛んだローレンスに、柔らかな口調で彼女は告げた。
「覚えておくといい。取引というのは、信義を通せる相手とでなければ、決して交わしてはいけないのだよ」
アレクシアはもう二度と、王家もスウィングラー辺境伯家も信じるつもりはない。
言外にそう伝えた彼女に、ローレンスが低く押し殺した声で言う。
「……僕がきみの立場なら、王家もスウィングラー家も憎んでいる。だから、きみが王家にその牙を向けないという言葉を信じられない」
「ほう? わたしに憎まれるだけのことをしたという自覚は、あるわけか。その上で取引を申し出てくるとは、なかなか厚かましくて将来有望だぞ」
からかうと、ゴールドアンバーの瞳がきつく睨みつけてくる。アレクシアは、笑みを深めた。
「そう怯えるな。わたしは慈悲や寛容といった美徳には縁遠い人間だが、物事の優先順位を誤るほど愚かではない。そもそも、王家に復讐をしたいのであれば、わたしは先ほどきみの首をもらっていた。きみが今生きていることが、わたしに復讐の意思がないことの証拠だよ」
ローレンスが、唇を噛みしめる。そんな彼を見てどう思ったのか、ウィルフレッドが発言の許可を求めてきた。
「アレクシアさま。少々、よろしいでしょうか?」
「あぁ、構わんぞ」
それでは、とうなずいたウィルフレッドが、冷ややかな眼差しでローレンスを見る。
「思い上がるのもいい加減にしろ、愚かな王太子。王家にもスウィングラー辺境伯家にも、アレクシアさまが憎むほどの価値はない」
辛辣な物言いに、ローレンスとその従者が顔を強張らせた。そんな彼らに、ウィルフレッドは淡々と続ける。
「おまえの勝手な理屈と価値観を、アレクシアさまに押しつけるな。オレは、おまえたちのそういう傲慢さが大嫌いだ」
ほんのわずか、ウィルフレッドがいつも完璧に抑えている魔力の圧が乱れた。それだけで、ローレンスたちが蒼白になって硬直する。
なぁ、とウィルフレッドが小さく笑う。
「目の前で、人間がどんどんただの肉塊になっていって、いつ自分がその仲間入りをするかわからない恐怖がどんなものか、おまえたちにわかるか?」
ローレンスたちが、息を呑む。
「おまえたちには、一生わからない。権力者の理論で生きているおまえたちに、使い捨てられる兵士の恐怖は理解できない」
冷め切った光をフォレストグリーンの瞳に浮かべて、ウィルフレッドは言う。
「そんなくだらないものを、おまえたちが理解する必要はないんだろう? 未来の国王陛下。おまえがアレクシアさまのお気持ちを理解できないのは、当たり前だ。理解できないものに対する恐怖を、アレクシアさまに抱くのも当然だ。だが、その恐怖を払拭する責任を、アレクシアさまに押しつけるな。そんなものは、おまえ自身でどうにかしろ」
低く吐き捨てたウィルフレッドが、自分のために怒ってくれているのだとわかり、アレクシアはじーんとする。
(うむ。わたしの育て方は、間違っていなかったのだな、ウィル。おまえが優しい子に育ってくれていて、わたしはとても嬉しいぞ……!)
密かに感涙していたとき、「うーん」という間の抜けた声がした。見れば、アレクシアたちの担任教師が、朦朧とした様子で目を開いている。
アレクシアは、彼の傍らにしゃがんで声をかけた。
「おい、エリック・タウンゼント。ここがどこだかわかるか?」
「……学園の、応接室」
ぼんやりと瞬きをした彼の口から、思いのほかはっきりとした答えが返る。アレクシアは、重ねて問うた。
「ここにいるのは、誰だ?」
「王太子殿下、と……」
それまで曖昧だったエリックの瞳が、不意に強い光を帯びる。腹筋だけで勢いよく上体を起こした彼が、反射的にのけぞったアレクシアを見つめたまま口を開く。
「アレクシア……スウィングラー辺境伯、令嬢……?」
今まで気絶していたエリックは、彼女の素性について、いまだに新鮮な驚きを保持したままのようだ。その視線の強さに苦笑しつつ、彼女は応じる。
「元、な。今のわたしは、平民のアレクシア・ガーディナーだ。王太子殿下も、そのように納得してくださった。おまえも、これまで通りの対応と他言無用を頼む」
エリックは、何度か無意味に口を開閉させたあと、掠れた声で低くうめいた。
「……胃が痛い」
「そうか。わたしの素性が外部に漏れた場合、エッカルト王国との友好関係が崩壊する可能性が高い。おまえの口の固さに、この国の人々の幸福と平和がかかっていると思え」
彼女の忠告に、エリックがものすごく情けない顔をしたあと、がっくりと肩を落とす。
「なぁ、ガーディナー。ここまで重い秘密をバラすなら、できれば俺のいないところでして欲しかったよ……」
「正直、すまん」
王太子の言動にイラつくあまり、エリックの存在をすっかり忘れていたのである。申し訳ない。
少し考え、彼女は問うた。
「王太子殿下。きみはなぜ、わたしの腹違いの兄妹についてわざわざ語ったりしたのかな。彼らの情報が、わたしにとってなんらかの価値があるとでも思ったか?」
アレクシアと彼ら兄妹は、エイドリアンとブリュンヒルデの離婚によって人生をひっくり返されたという意味で、同じ境遇と言えなくもない。片親とはいえ血がつながっている相手でもあるし、なんの興味も抱いていないと言えば嘘になる。
とはいえ、彼らはいずれスウィングラー辺境伯家の一員となるのだ。アレクシアにとって、できれば一生顔を合わせたくない相手である。
思いがけない形でふたりの情報を得られたことで、多少は好奇心を満たされたけれど、それだけだ。特段、ありがたいと思うようなことではない。
首をかしげた彼女に、ローレンスが応じる。
「いいや。ただ、世間話の種くらいにはなっただろう?」
「……きみは、そんなに暇なのかね」
アレクシアが胡乱な眼差しを向けると、彼は小さく苦笑した。
「先ほども言ったけれど、僕はきみを敵に回したくはない。――アレクシア嬢。僕と、取引をしてくれないだろうか」
視線だけで続きを促す彼女に、ローレンスが言う。
「きみとて、これからずっと自分の素性を隠しおおせるとは思っていないだろう。エイドリアン殿の婚儀が済めば、スウィングラー辺境伯もベネディクトの補佐として、きみの従者を呼び戻す算段をはじめるはずだ」
そうなれば、今は無人の別邸に、スウィングラー辺境伯家の人員が派遣される。アレクシアは皮肉げに微笑した。
「辺境伯は、我々のことを半年以上も山奥に放置された子どもふたり、と油断してくださるような方ではない。ウィルを殺さない程度に弱らせた上で、彼の主であるわたしだけ処分しようというんだ。最低でも、完全武装の一個大隊くらいは投入してくるだろうな」
「なのに、きみたちはどこにもいない。辺境伯は、さぞ慌てふためくだろうね。総力を挙げて、きみたちの消息を辿るに違いない」
なんの頼る当てもない子どもが無事に生きられる術は、さほど多くない。そして、孤児院の門を叩くのは、その中で最も選びやすい手段だ。そこまでならば、辺境伯家もすぐにたどり着くだろう。
問題は、その先だ。アレクシアは、くくっと肩を揺らす。
「だが、我々はここにいる。王家の庇護下にある、シンフィールド学園だ。王家との約定を考えれば、陛下に我々のことを知られるのもまずい。辺境伯も、さぞ困ることだろうな。想像するだけで、実に愉快だ」
ローレンスが、微妙に表情を歪める。
「きみは、王家とスウィングラー辺境伯家が反目し合うことを狙っているのかい?」
「まさか。言っただろう? わたしは、王家にもスウィングラー辺境伯家にも興味はないと。わたしはただ、ウィルとふたりで、きみたちと関わり合いにならずに生きていたいだけだよ」
そのために利用できるのであれば、かつて忠誠を捧げた王家だろうと利用する。
にこりとほほえみ、アレクシアは言う。
「甘やかされて育った子どもが、そう粋がるものではない。ローレンス・アーサー・ランヒルディア。取引などと言ったところで、きみがわたしに確約できるものなどないだろう。きみはただ、我々の存在を知らなかったことにして、今まで通りに過ごしていればいい。わたしとて、これ以上の面倒ごとはごめんだ。わざわざ王家に喧嘩を売るような真似はしないから、安心したまえ」
ぐっと唇を噛んだローレンスに、柔らかな口調で彼女は告げた。
「覚えておくといい。取引というのは、信義を通せる相手とでなければ、決して交わしてはいけないのだよ」
アレクシアはもう二度と、王家もスウィングラー辺境伯家も信じるつもりはない。
言外にそう伝えた彼女に、ローレンスが低く押し殺した声で言う。
「……僕がきみの立場なら、王家もスウィングラー家も憎んでいる。だから、きみが王家にその牙を向けないという言葉を信じられない」
「ほう? わたしに憎まれるだけのことをしたという自覚は、あるわけか。その上で取引を申し出てくるとは、なかなか厚かましくて将来有望だぞ」
からかうと、ゴールドアンバーの瞳がきつく睨みつけてくる。アレクシアは、笑みを深めた。
「そう怯えるな。わたしは慈悲や寛容といった美徳には縁遠い人間だが、物事の優先順位を誤るほど愚かではない。そもそも、王家に復讐をしたいのであれば、わたしは先ほどきみの首をもらっていた。きみが今生きていることが、わたしに復讐の意思がないことの証拠だよ」
ローレンスが、唇を噛みしめる。そんな彼を見てどう思ったのか、ウィルフレッドが発言の許可を求めてきた。
「アレクシアさま。少々、よろしいでしょうか?」
「あぁ、構わんぞ」
それでは、とうなずいたウィルフレッドが、冷ややかな眼差しでローレンスを見る。
「思い上がるのもいい加減にしろ、愚かな王太子。王家にもスウィングラー辺境伯家にも、アレクシアさまが憎むほどの価値はない」
辛辣な物言いに、ローレンスとその従者が顔を強張らせた。そんな彼らに、ウィルフレッドは淡々と続ける。
「おまえの勝手な理屈と価値観を、アレクシアさまに押しつけるな。オレは、おまえたちのそういう傲慢さが大嫌いだ」
ほんのわずか、ウィルフレッドがいつも完璧に抑えている魔力の圧が乱れた。それだけで、ローレンスたちが蒼白になって硬直する。
なぁ、とウィルフレッドが小さく笑う。
「目の前で、人間がどんどんただの肉塊になっていって、いつ自分がその仲間入りをするかわからない恐怖がどんなものか、おまえたちにわかるか?」
ローレンスたちが、息を呑む。
「おまえたちには、一生わからない。権力者の理論で生きているおまえたちに、使い捨てられる兵士の恐怖は理解できない」
冷め切った光をフォレストグリーンの瞳に浮かべて、ウィルフレッドは言う。
「そんなくだらないものを、おまえたちが理解する必要はないんだろう? 未来の国王陛下。おまえがアレクシアさまのお気持ちを理解できないのは、当たり前だ。理解できないものに対する恐怖を、アレクシアさまに抱くのも当然だ。だが、その恐怖を払拭する責任を、アレクシアさまに押しつけるな。そんなものは、おまえ自身でどうにかしろ」
低く吐き捨てたウィルフレッドが、自分のために怒ってくれているのだとわかり、アレクシアはじーんとする。
(うむ。わたしの育て方は、間違っていなかったのだな、ウィル。おまえが優しい子に育ってくれていて、わたしはとても嬉しいぞ……!)
密かに感涙していたとき、「うーん」という間の抜けた声がした。見れば、アレクシアたちの担任教師が、朦朧とした様子で目を開いている。
アレクシアは、彼の傍らにしゃがんで声をかけた。
「おい、エリック・タウンゼント。ここがどこだかわかるか?」
「……学園の、応接室」
ぼんやりと瞬きをした彼の口から、思いのほかはっきりとした答えが返る。アレクシアは、重ねて問うた。
「ここにいるのは、誰だ?」
「王太子殿下、と……」
それまで曖昧だったエリックの瞳が、不意に強い光を帯びる。腹筋だけで勢いよく上体を起こした彼が、反射的にのけぞったアレクシアを見つめたまま口を開く。
「アレクシア……スウィングラー辺境伯、令嬢……?」
今まで気絶していたエリックは、彼女の素性について、いまだに新鮮な驚きを保持したままのようだ。その視線の強さに苦笑しつつ、彼女は応じる。
「元、な。今のわたしは、平民のアレクシア・ガーディナーだ。王太子殿下も、そのように納得してくださった。おまえも、これまで通りの対応と他言無用を頼む」
エリックは、何度か無意味に口を開閉させたあと、掠れた声で低くうめいた。
「……胃が痛い」
「そうか。わたしの素性が外部に漏れた場合、エッカルト王国との友好関係が崩壊する可能性が高い。おまえの口の固さに、この国の人々の幸福と平和がかかっていると思え」
彼女の忠告に、エリックがものすごく情けない顔をしたあと、がっくりと肩を落とす。
「なぁ、ガーディナー。ここまで重い秘密をバラすなら、できれば俺のいないところでして欲しかったよ……」
「正直、すまん」
王太子の言動にイラつくあまり、エリックの存在をすっかり忘れていたのである。申し訳ない。
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