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第8話 階下での食事
①
ロランに噂の話を聞いてから数日が過ぎた。未だヴィルジールは沙汰を下しておらず、セルジュは一介の騎士と同じく訓練に明け暮れる日々を送っていた。
西の空が茜色に染まる夕暮れどき、一日の訓練を終えた騎士達が宿舎へと戻っていく。赤い地面に伸びる長い影を眺めながら、セルジュは列の最後尾を歩いていた。
このあと夕食を取り、いつもどおりコレットとの訓練をこなせば一日が終わる。小さく息を吐いて、先程まで剣の柄を握っていた己の手のひらをみつめた。
騎士のそれらしく節くれだった太い指。分厚い皮に覆われた手のひらは硬く、がさついていた。この、触れたものを端から傷付けそうな厳つい手で、セルジュは毎晩コレットの手を握っているのだ。
柔らかな手のひらと、ほっそりと伸びた指を思い浮かべ、セルジュは薄らと瞼を閉じた。
夕陽に紅く染まるこの時間は、セルジュにとって非常に厄介なものだった。小さな手のひらと、ほっそりとした指先の記憶が、少年の頃から続く悪夢の記憶を呼び醒すからだ。
毎晩の訓練でコレットに対して邪な考えを抱いたことはなかった。けれど、こうして夕陽を浴びていると、あの日の記憶に否応無く劣情を煽られてしまう。
こんなことがコレットに知れてしまえば、毎晩の訓練など、たちまち取り止めになってしまうに違いない。
「セルジュさん」
媚びるようにセルジュを見上げる潤んだ榛色の瞳が今でも脳裏に焼き付いていた。細い指がセルジュのものをたどたどしく撫であげて、ぬめりを帯びて絡みつく。
いくらでも拒むことはできたはずだ。けれど、あのときセルジュは、あろうことか、果実のように潤った柔らかな唇に更なる期待を寄せて――。
唐突に服の端を引っ張られて、セルジュは目を見開いた。心臓が口から飛び出そうなほど跳ね上がり、おかしな声が喉から出掛かった。
慌てて振り返った視界に上衣の裾を握る白い指が映る。心臓が、また大きく跳ね上がった。
「セルジュさんてば」
少しばかり不機嫌な顔のコレットが、セルジュを見上げていた。慌てて周囲を見回すと、辺りは既に薄闇がかり、目の前の宿舎の窓から漏れた明かりが青味がかった地面を照らしていた。
「もう、何回も呼んでるのに。何か考え事でもしてたんですか?」
「す……すまん。ちょっとな」
ぷうっと頬を膨らませて拗ねた顔をするコレットに、セルジュは慌てて頭を下げた。直前まで如何わしい想像をしていたこともあり、今日のセルジュは弱腰だった。
いつもの尊大さが見る影もないその態度に、コレットが怪訝そうに首を傾げる。
「本当にどうしちゃったんですか?」
「いや、特に……と言うか、何故お前がここに居る?」
セルジュが切り返すと、コレットはたちまち表情を翳らせて。いつになく深刻な様子で重々しく口を開いた。
「あのですね……さっき食堂で女中さんに聞いたんですけど。……なんか、セルジュさんが毎晩女性を部屋に連れ込んでるって、城中で噂になってるみたいで……」
もじもじとしながらコレットが視線を彷徨わせる。例の噂がようやくコレットの耳にも届いたようだ。
意外に遅かったな、などと思いながら、セルジュは顔を綻ばせた。
「その件なら問題ない。女性恐怖症についてはロランに話しておいた。じきに皆にも伝わる。噂もすぐに忘れられるだろう」
穏やかに声を掛ける。宥めるつもりで口にしたはずが、セルジュの言葉は更にコレットの不安を煽ったようだった。
「話した……って、良いんですか? 女性恐怖症のせいで任務に支障が出る可能性があると知れたら、セルジュさんのことを良く思ってない人がそれを理由に殿下に護衛騎士の解任を進言するかもしれないんですよ?」
「それを殿下が受け入れたなら従うしかないだろう。護衛騎士の任は解かれるかもしれんが、騎士を辞めるわけではない。それに、お前の純潔を散らしたと誤解されて責任を取れと迫られるよりは幾分マシだ」
ニッと笑ってそう言うと、コレットは浮かない顔で「……笑いごとじゃないですよ」と俯いた。
普段は能天気なくせに。らしくない、しおらしい態度に思わず笑みが零れる。
しょげかえった亜麻色の頭をぽんぽんと撫でてやると、コレットは顔をあげて、ほっと表情を和らげた。
「それよりも、そろそろ晩餐の時間だろう。食堂に向かわなくて良いのか?」
「そうですね、急がないと。……て言うか、セルジュさんも行きますよね?」
「着替えたらな」
警護のために食堂の隅に立つだけの仕事とはいえ、訓練で汗をかいたままで行けるはずもない。
セルジュが指先で襟元をつまんで肩を竦めてみせると、コレットはこくりと頷いてセルジュに背を向けて、居館へと続く小道を小走りに駆けていった。
白いエプロンとヘッドドレスが、蝶のように薄闇をひらひらと舞う。コレットが無事に居館に入るのを見届けて、セルジュは足早に宿舎に戻った。
西の空が茜色に染まる夕暮れどき、一日の訓練を終えた騎士達が宿舎へと戻っていく。赤い地面に伸びる長い影を眺めながら、セルジュは列の最後尾を歩いていた。
このあと夕食を取り、いつもどおりコレットとの訓練をこなせば一日が終わる。小さく息を吐いて、先程まで剣の柄を握っていた己の手のひらをみつめた。
騎士のそれらしく節くれだった太い指。分厚い皮に覆われた手のひらは硬く、がさついていた。この、触れたものを端から傷付けそうな厳つい手で、セルジュは毎晩コレットの手を握っているのだ。
柔らかな手のひらと、ほっそりと伸びた指を思い浮かべ、セルジュは薄らと瞼を閉じた。
夕陽に紅く染まるこの時間は、セルジュにとって非常に厄介なものだった。小さな手のひらと、ほっそりとした指先の記憶が、少年の頃から続く悪夢の記憶を呼び醒すからだ。
毎晩の訓練でコレットに対して邪な考えを抱いたことはなかった。けれど、こうして夕陽を浴びていると、あの日の記憶に否応無く劣情を煽られてしまう。
こんなことがコレットに知れてしまえば、毎晩の訓練など、たちまち取り止めになってしまうに違いない。
「セルジュさん」
媚びるようにセルジュを見上げる潤んだ榛色の瞳が今でも脳裏に焼き付いていた。細い指がセルジュのものをたどたどしく撫であげて、ぬめりを帯びて絡みつく。
いくらでも拒むことはできたはずだ。けれど、あのときセルジュは、あろうことか、果実のように潤った柔らかな唇に更なる期待を寄せて――。
唐突に服の端を引っ張られて、セルジュは目を見開いた。心臓が口から飛び出そうなほど跳ね上がり、おかしな声が喉から出掛かった。
慌てて振り返った視界に上衣の裾を握る白い指が映る。心臓が、また大きく跳ね上がった。
「セルジュさんてば」
少しばかり不機嫌な顔のコレットが、セルジュを見上げていた。慌てて周囲を見回すと、辺りは既に薄闇がかり、目の前の宿舎の窓から漏れた明かりが青味がかった地面を照らしていた。
「もう、何回も呼んでるのに。何か考え事でもしてたんですか?」
「す……すまん。ちょっとな」
ぷうっと頬を膨らませて拗ねた顔をするコレットに、セルジュは慌てて頭を下げた。直前まで如何わしい想像をしていたこともあり、今日のセルジュは弱腰だった。
いつもの尊大さが見る影もないその態度に、コレットが怪訝そうに首を傾げる。
「本当にどうしちゃったんですか?」
「いや、特に……と言うか、何故お前がここに居る?」
セルジュが切り返すと、コレットはたちまち表情を翳らせて。いつになく深刻な様子で重々しく口を開いた。
「あのですね……さっき食堂で女中さんに聞いたんですけど。……なんか、セルジュさんが毎晩女性を部屋に連れ込んでるって、城中で噂になってるみたいで……」
もじもじとしながらコレットが視線を彷徨わせる。例の噂がようやくコレットの耳にも届いたようだ。
意外に遅かったな、などと思いながら、セルジュは顔を綻ばせた。
「その件なら問題ない。女性恐怖症についてはロランに話しておいた。じきに皆にも伝わる。噂もすぐに忘れられるだろう」
穏やかに声を掛ける。宥めるつもりで口にしたはずが、セルジュの言葉は更にコレットの不安を煽ったようだった。
「話した……って、良いんですか? 女性恐怖症のせいで任務に支障が出る可能性があると知れたら、セルジュさんのことを良く思ってない人がそれを理由に殿下に護衛騎士の解任を進言するかもしれないんですよ?」
「それを殿下が受け入れたなら従うしかないだろう。護衛騎士の任は解かれるかもしれんが、騎士を辞めるわけではない。それに、お前の純潔を散らしたと誤解されて責任を取れと迫られるよりは幾分マシだ」
ニッと笑ってそう言うと、コレットは浮かない顔で「……笑いごとじゃないですよ」と俯いた。
普段は能天気なくせに。らしくない、しおらしい態度に思わず笑みが零れる。
しょげかえった亜麻色の頭をぽんぽんと撫でてやると、コレットは顔をあげて、ほっと表情を和らげた。
「それよりも、そろそろ晩餐の時間だろう。食堂に向かわなくて良いのか?」
「そうですね、急がないと。……て言うか、セルジュさんも行きますよね?」
「着替えたらな」
警護のために食堂の隅に立つだけの仕事とはいえ、訓練で汗をかいたままで行けるはずもない。
セルジュが指先で襟元をつまんで肩を竦めてみせると、コレットはこくりと頷いてセルジュに背を向けて、居館へと続く小道を小走りに駆けていった。
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