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第16話 囚われの偽公爵令嬢
②
***
そこは、屋敷の地下にある貯蔵庫のようだった。
明かり取りの窓から冷たい月の光がさして、壁一面に酒樽が並ぶ庫内を照らしていた。庫内を満たす眉を顰めたくなるほどのあまったるい香りの出所は、どうやら年代物のワイン樽だったようだ。
松明の灯りを消して庫内の様子を素早く確認すると、セルジュは地下通路から床の上に這い上がった。
セルジュの記憶によれば、地下の貯蔵庫は広大なグランセル公爵邸の森側の端にあり、王城の階下と同様、厨房や使用人の食堂、作業部屋などと共に廊下に面して配置されていた。
予測したとおり、革命軍の上層部は森側の隠し通路を知らないらしく、彼らの見張りの殆どが、彼らの侵入口がある海側に配置されているようだった。
慎重に迅速に無人の廊下を通り抜けて、階上への階段を駆け上がる。分厚い扉を押し開けると、だだ広いホールの隅に二階への階段が見えた。
乾いた泥の足跡で汚れた上等な絨毯がセルジュの靴底を柔らかく受け止めて、ホールに響くはずの靴音を吸収する。おかげでセルジュは物音ひとつ立てることなく階段まで移動することができた。
二階には公爵夫妻の寝室と令嬢の部屋、そして多くの客間がある。グランセル公爵邸の構造上、公爵夫妻とその令嬢が囚われている部屋は、夫妻の寝室しかあり得ない。これまでとは違い、見張りも充分な人数が配置されているはずだ。
ぐっと息を呑み、階段を上がる。途中、踊り場の手すりの花台に飾られた花を見て、セルジュはふとリュシエンヌの言葉を思い出した。
夜会当日に向けて屋敷のあちこちに花を飾るコレットとリュシエンヌの姿が脳裏に浮かび、強張った頬が緩む。
ちょうどそのとき、二階廊下に明かりが現れ、人影が壁に映し出された。
手すりの陰に素早く身を隠し、息を潜める。見張りが通り過ぎたのを確認して、セルジュはほっと息を吐いた。
公爵夫妻の寝室は二階の南側にあった。
途中、セルジュは避けて通れなかった見張りを三人ほど、気を失わせて客室に縛り上げてきた。
――奴らの意識が戻る前に、早急に公爵夫妻とコレットの身の安全を確保しなければ。
逸る気持ちを抑えながら、セルジュは鍵穴から寝室の中を覗き込んだ。
室内には革命軍の兵士が二人。奥に置かれたソファの手前で、グランセル公爵とその妻が後手に腕を縛られて膝をついており、その傍に、ワイン色のデイドレスを着たコレットが跪いていた。
僅かに乱れた亜麻色の髪に目が止まり、胸が大きく揺さぶられる。顔は確認できなかったが、どうやらコレットの視線は窓辺に立つ革命軍の主導者へ向けられているようだった。
セルジュは扉に背を預け、大きく深呼吸を繰り返した。
いつのまにか、夜明け前の薄明かりが窓から廊下を照らしていた。
祈るように目を閉じて、ぐっと顎を引き、気を引き締める。ふたたび褐色の目を見開くと、セルジュは目の前の大扉を勢いよく蹴破った。
夜通しの見張りで気が散漫になりがちだったのだろう。突然の侵入者に驚いて革命軍の兵士達が身構える。
セルジュは一切の躊躇もなく一人目の首筋を剣の鞘で薙ぎ、二人目が剣を抜く前に己の切っ先で鍔を絡め取った。
弾かれた剣がくるくると回転し、天井に突き刺さる。腕を押さえて跪く兵士に見向きもせずに、窓辺の男の喉元に剣先を突き付けた。
瞬く間の出来事だった。
王国騎士の中でも精鋭中の精鋭から選び抜かれる護衛騎士を務めるセルジュだ。一介の騎士程度の者ならば、束になって掛かかられても捩じ伏せる自信がある。
今この瞬間、主導者の首はセルジュの手中にあった。
だが、人質三人に対し、戦える者はセルジュひとりのこの状況は、邸内に潜む革命軍の数に対し限りなく分が悪かった。
大勢のけたたましい靴音が、階下から、廊下から近付いて。公爵夫妻の寝室前は、すぐさま革命軍の兵士達に埋め尽くされた。
主導者の首は手中にあれど、この数の兵士を相手に公爵夫妻とその令嬢を――コレットを無事に連れ出すことは困難に思えた。
喉元に剣先を突き付けられたまま、革命軍の主導者が口の端を釣り上げる。
部屋を取り囲む武装した革命軍に怯えるように、コレットが榛色の揺れる瞳でセルジュを見上げた。
「セルジュさん……」
震える声が耳に届く。
怯えるコレットを振り返り、セルジュはにやりと笑ってみせた。
「安心しろ。俺が道を切り拓いておいた」
含み笑う声と同時に樹々の向こうに朝陽が昇る。
デュラン王国正規軍の出撃を示す角笛の音が、グランセルの森に鳴り響いた。
そこは、屋敷の地下にある貯蔵庫のようだった。
明かり取りの窓から冷たい月の光がさして、壁一面に酒樽が並ぶ庫内を照らしていた。庫内を満たす眉を顰めたくなるほどのあまったるい香りの出所は、どうやら年代物のワイン樽だったようだ。
松明の灯りを消して庫内の様子を素早く確認すると、セルジュは地下通路から床の上に這い上がった。
セルジュの記憶によれば、地下の貯蔵庫は広大なグランセル公爵邸の森側の端にあり、王城の階下と同様、厨房や使用人の食堂、作業部屋などと共に廊下に面して配置されていた。
予測したとおり、革命軍の上層部は森側の隠し通路を知らないらしく、彼らの見張りの殆どが、彼らの侵入口がある海側に配置されているようだった。
慎重に迅速に無人の廊下を通り抜けて、階上への階段を駆け上がる。分厚い扉を押し開けると、だだ広いホールの隅に二階への階段が見えた。
乾いた泥の足跡で汚れた上等な絨毯がセルジュの靴底を柔らかく受け止めて、ホールに響くはずの靴音を吸収する。おかげでセルジュは物音ひとつ立てることなく階段まで移動することができた。
二階には公爵夫妻の寝室と令嬢の部屋、そして多くの客間がある。グランセル公爵邸の構造上、公爵夫妻とその令嬢が囚われている部屋は、夫妻の寝室しかあり得ない。これまでとは違い、見張りも充分な人数が配置されているはずだ。
ぐっと息を呑み、階段を上がる。途中、踊り場の手すりの花台に飾られた花を見て、セルジュはふとリュシエンヌの言葉を思い出した。
夜会当日に向けて屋敷のあちこちに花を飾るコレットとリュシエンヌの姿が脳裏に浮かび、強張った頬が緩む。
ちょうどそのとき、二階廊下に明かりが現れ、人影が壁に映し出された。
手すりの陰に素早く身を隠し、息を潜める。見張りが通り過ぎたのを確認して、セルジュはほっと息を吐いた。
公爵夫妻の寝室は二階の南側にあった。
途中、セルジュは避けて通れなかった見張りを三人ほど、気を失わせて客室に縛り上げてきた。
――奴らの意識が戻る前に、早急に公爵夫妻とコレットの身の安全を確保しなければ。
逸る気持ちを抑えながら、セルジュは鍵穴から寝室の中を覗き込んだ。
室内には革命軍の兵士が二人。奥に置かれたソファの手前で、グランセル公爵とその妻が後手に腕を縛られて膝をついており、その傍に、ワイン色のデイドレスを着たコレットが跪いていた。
僅かに乱れた亜麻色の髪に目が止まり、胸が大きく揺さぶられる。顔は確認できなかったが、どうやらコレットの視線は窓辺に立つ革命軍の主導者へ向けられているようだった。
セルジュは扉に背を預け、大きく深呼吸を繰り返した。
いつのまにか、夜明け前の薄明かりが窓から廊下を照らしていた。
祈るように目を閉じて、ぐっと顎を引き、気を引き締める。ふたたび褐色の目を見開くと、セルジュは目の前の大扉を勢いよく蹴破った。
夜通しの見張りで気が散漫になりがちだったのだろう。突然の侵入者に驚いて革命軍の兵士達が身構える。
セルジュは一切の躊躇もなく一人目の首筋を剣の鞘で薙ぎ、二人目が剣を抜く前に己の切っ先で鍔を絡め取った。
弾かれた剣がくるくると回転し、天井に突き刺さる。腕を押さえて跪く兵士に見向きもせずに、窓辺の男の喉元に剣先を突き付けた。
瞬く間の出来事だった。
王国騎士の中でも精鋭中の精鋭から選び抜かれる護衛騎士を務めるセルジュだ。一介の騎士程度の者ならば、束になって掛かかられても捩じ伏せる自信がある。
今この瞬間、主導者の首はセルジュの手中にあった。
だが、人質三人に対し、戦える者はセルジュひとりのこの状況は、邸内に潜む革命軍の数に対し限りなく分が悪かった。
大勢のけたたましい靴音が、階下から、廊下から近付いて。公爵夫妻の寝室前は、すぐさま革命軍の兵士達に埋め尽くされた。
主導者の首は手中にあれど、この数の兵士を相手に公爵夫妻とその令嬢を――コレットを無事に連れ出すことは困難に思えた。
喉元に剣先を突き付けられたまま、革命軍の主導者が口の端を釣り上げる。
部屋を取り囲む武装した革命軍に怯えるように、コレットが榛色の揺れる瞳でセルジュを見上げた。
「セルジュさん……」
震える声が耳に届く。
怯えるコレットを振り返り、セルジュはにやりと笑ってみせた。
「安心しろ。俺が道を切り拓いておいた」
含み笑う声と同時に樹々の向こうに朝陽が昇る。
デュラン王国正規軍の出撃を示す角笛の音が、グランセルの森に鳴り響いた。
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