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第19話 夢から醒めて
②
***
人影ひとつない静まり返ったホールを駆け抜けて、勢いよく玄関扉を開け放つ。
眩しい朝陽に眼を細め、肩で息をしながら前庭へ飛び出すと、黒塗りの馬車に乗り込もうとする深緑のドレスの女性に向けて、セルジュは声を張り上げた。
「コレット!」
ステップに掛けようとしていた足を止めて、振り返ったつばの広い帽子の影から榛色の瞳が覗く。
「セルジュさん……?」
セルジュの登場が予想外だったのか、コレットは眼を丸くしてぼんやりとセルジュの名を呟いた。
前庭への大階段を足早に駆け降りる。
コレットの元へと急ぐセルジュの足は、荷積みを終えた黒服の男に阻まれた。
男の顔には見覚えがあった。七年以上前、セルジュがまだ頻繁にコレットの元を訪れていた頃からマイヤール家に仕えていた下僕のひとりだ。
セルジュの顔を見て微かに眉を顰めると、男は黙ってセルジュを睨み付けた。コレットが男の腕に触れて小さく首を振って見せたところで、ようやく渋々頭を下げて、ふたりから距離を取った。
貴族令嬢らしく品のある佇まいで、コレットはまっすぐにセルジュの顔を見上げていた。
言いたいことも聞きたいことも山ほどあるはずなのに、肝心の言葉に上手く出来なくて。やっとの思いでセルジュが捻り出した言葉は、自分でも驚くほど意味のないものだった。
「マイヤールに、帰るのか……?」
ぱちくりと目を瞬かせて、コレットはこくりとうなずいた。
夢ではない。確かに昨夜、コレットはこの腕に抱かれたはずなのに、何も言わずにセルジュの元を去ろうとしているのは一体どういうことなのか。
その理由を確かめなければならないのに、肝心の言葉が出てこない。
セルジュが何も言えずにいると、コレットは困ったように微笑んで、いつもと変わらない弾んだ声を響かせた。
「良かったですね、最後までちゃんとできて」
「……は?」
「セックスです。ちゃんと最後までできたじゃないですか。これで訓練も無事終了……ですよね?」
コレットは満面の笑みで、こてっと小首を傾げて言い切った。
心臓が、どくんと大きく胸を打つ。
頭の中が真っ白で、コレットの言葉の意味が理解できない。
昨夜のアレは……、あの行為は……。
「ちょっ……と待て、お前、何を言って……」
「セルジュさんの女性恐怖症も完治したことだし、わたしも心置きなくマイヤールに帰れます」
安堵するように言い切られては、それ以上食い下がることもできなかった。
頭ではまだ納得が出来ていない。けれど、想いが通じたつもりでいたのはセルジュだけで、コレットはあの約束を――セルジュの女性恐怖症を治すという責任を――果たしただけだった。
要するに、そういうことなのだろう。
からからに乾いた喉にごくりと唾を流し込み、セルジュはなんとか声を絞り出した。
「今度はいつ……」
「会えません」
「は……?」
顔面が引き攣ったのが自分でもよくわかった。
セルジュの言葉をすっぱり切り捨てると、コレットは淡々とセルジュに告げた。
「結婚するんです。お城にあがってから父が連絡を寄越して、縁談を勧められて。マイヤールに戻ったら先方とお会いして婚約します。だから、セルジュさんとこうして個人的にお会いするのは、これが最後になります」
そう言って、コレットはぺこりと頭を下げた。
セルジュの胸の奥で、何かが粉々に砕け散った音がした。
割れた硝子の破片に胸の内側からずたずたに切り裂かれていくようなこの感覚は、以前にも一度経験していた。
薄暗い部屋からようやく這い出して、コレットに連絡を取りたいと父に願い出たあの日。いつのまにか婚約が解消されていたことを知った、あのとき感じたものと同じ痛みだ。
「婚約する……って……それなら俺は、とんでもないことを……」
「気にしないでください。わたしと結婚したがる男性なんてマイヤールの爵位だけが目当てなんですから。わたしが傷モノだからって、どうせ気にも留めませんよ」
「だが……」
「本当に大丈夫ですってば! おかげさまでリアルなベッドシーン書けそうですし」
なんでもないことだと言うように、コレットがくすくす笑う。
それから少しうつむいて、瞼を伏せて。セルジュの手にそっと触れて、コレットは囁くように告げた。
「セルジュさんは昨日のご令嬢に晩餐にお呼ばれしたんでしょう? せっかくの機会なんですから、自分のことだけ考えてください。ねっ」
顔を上げ、眩しい笑顔をセルジュに向ける。
踵を返し、ドレスの裾をふわりと翻して、コレットは素早く馬車に乗り込んだ。
主人の乗車を待ち構えていた御者が、間髪入れず手綱を引く。
みるみるうちに小さくなるマイヤール家の黒塗りの馬車を、セルジュは煮え切らない思いで見送った。
人影ひとつない静まり返ったホールを駆け抜けて、勢いよく玄関扉を開け放つ。
眩しい朝陽に眼を細め、肩で息をしながら前庭へ飛び出すと、黒塗りの馬車に乗り込もうとする深緑のドレスの女性に向けて、セルジュは声を張り上げた。
「コレット!」
ステップに掛けようとしていた足を止めて、振り返ったつばの広い帽子の影から榛色の瞳が覗く。
「セルジュさん……?」
セルジュの登場が予想外だったのか、コレットは眼を丸くしてぼんやりとセルジュの名を呟いた。
前庭への大階段を足早に駆け降りる。
コレットの元へと急ぐセルジュの足は、荷積みを終えた黒服の男に阻まれた。
男の顔には見覚えがあった。七年以上前、セルジュがまだ頻繁にコレットの元を訪れていた頃からマイヤール家に仕えていた下僕のひとりだ。
セルジュの顔を見て微かに眉を顰めると、男は黙ってセルジュを睨み付けた。コレットが男の腕に触れて小さく首を振って見せたところで、ようやく渋々頭を下げて、ふたりから距離を取った。
貴族令嬢らしく品のある佇まいで、コレットはまっすぐにセルジュの顔を見上げていた。
言いたいことも聞きたいことも山ほどあるはずなのに、肝心の言葉に上手く出来なくて。やっとの思いでセルジュが捻り出した言葉は、自分でも驚くほど意味のないものだった。
「マイヤールに、帰るのか……?」
ぱちくりと目を瞬かせて、コレットはこくりとうなずいた。
夢ではない。確かに昨夜、コレットはこの腕に抱かれたはずなのに、何も言わずにセルジュの元を去ろうとしているのは一体どういうことなのか。
その理由を確かめなければならないのに、肝心の言葉が出てこない。
セルジュが何も言えずにいると、コレットは困ったように微笑んで、いつもと変わらない弾んだ声を響かせた。
「良かったですね、最後までちゃんとできて」
「……は?」
「セックスです。ちゃんと最後までできたじゃないですか。これで訓練も無事終了……ですよね?」
コレットは満面の笑みで、こてっと小首を傾げて言い切った。
心臓が、どくんと大きく胸を打つ。
頭の中が真っ白で、コレットの言葉の意味が理解できない。
昨夜のアレは……、あの行為は……。
「ちょっ……と待て、お前、何を言って……」
「セルジュさんの女性恐怖症も完治したことだし、わたしも心置きなくマイヤールに帰れます」
安堵するように言い切られては、それ以上食い下がることもできなかった。
頭ではまだ納得が出来ていない。けれど、想いが通じたつもりでいたのはセルジュだけで、コレットはあの約束を――セルジュの女性恐怖症を治すという責任を――果たしただけだった。
要するに、そういうことなのだろう。
からからに乾いた喉にごくりと唾を流し込み、セルジュはなんとか声を絞り出した。
「今度はいつ……」
「会えません」
「は……?」
顔面が引き攣ったのが自分でもよくわかった。
セルジュの言葉をすっぱり切り捨てると、コレットは淡々とセルジュに告げた。
「結婚するんです。お城にあがってから父が連絡を寄越して、縁談を勧められて。マイヤールに戻ったら先方とお会いして婚約します。だから、セルジュさんとこうして個人的にお会いするのは、これが最後になります」
そう言って、コレットはぺこりと頭を下げた。
セルジュの胸の奥で、何かが粉々に砕け散った音がした。
割れた硝子の破片に胸の内側からずたずたに切り裂かれていくようなこの感覚は、以前にも一度経験していた。
薄暗い部屋からようやく這い出して、コレットに連絡を取りたいと父に願い出たあの日。いつのまにか婚約が解消されていたことを知った、あのとき感じたものと同じ痛みだ。
「婚約する……って……それなら俺は、とんでもないことを……」
「気にしないでください。わたしと結婚したがる男性なんてマイヤールの爵位だけが目当てなんですから。わたしが傷モノだからって、どうせ気にも留めませんよ」
「だが……」
「本当に大丈夫ですってば! おかげさまでリアルなベッドシーン書けそうですし」
なんでもないことだと言うように、コレットがくすくす笑う。
それから少しうつむいて、瞼を伏せて。セルジュの手にそっと触れて、コレットは囁くように告げた。
「セルジュさんは昨日のご令嬢に晩餐にお呼ばれしたんでしょう? せっかくの機会なんですから、自分のことだけ考えてください。ねっ」
顔を上げ、眩しい笑顔をセルジュに向ける。
踵を返し、ドレスの裾をふわりと翻して、コレットは素早く馬車に乗り込んだ。
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