魔女見習いのロッテ

柴咲もも

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第6話 エリクシアの花を求めて

 結局、その夜は緊張でぐっすり眠ることができなくて、ロッテは夜中に何度か目を覚ました挙句、夜明け前に身支度を整えて寝室を出た。
 いつもの服装の上から少し大きめのポーチを腰に付けてケープを羽織る。ファナの森で暮らしていた頃は毎朝近くの森へ薬草を詰みに出かけていたけれど、本格的に森の奥を目指した経験なんて一度もなかった。だから、何を持っていけばいいのかもよくわからなくて、ロッテはとりあえず棚の中から使えそうなものを見繕ってポーチに詰めた。
 傷薬と包帯とガーゼに消毒用アルコール。気休め程度の魔獣除けのお香。採取した薬草を持ち帰るための保存容器。日保ちのする焼き菓子と水。護身用に身を守る武器でもあればいいのだろうけれど、あいにく使えそうな道具は持っていなかった。

 宮殿を出ると、外はまだ薄っすらと暗かった。見渡した庭園に、栗毛の馬が二頭と他よりひとまわり大きい黒い軍馬一頭が並んでいる。ロッテの記憶が確かなら、黒い軍馬はゲオルグの馬だ。
 馬の側にはフィオラントの騎士装束を纏った人影が三つ。ロッテに背を向けるかたちで手前に立っている大柄な影がゲオルグで、ゲオルグの向かいにいる金髪の男はフリッツだろう。もう一人の黒髪の男は見た感じ少年という年頃で、ロッテが知らない顔だった。
 黒髪の少年はロッテに気が付くと、ゲオルグに何やら話しかけたあと、にこにこと笑いながらこちらを指差した。振り返ったゲオルグの視線がロッテに向けられる。ロッテはぺこりと頭を下げて、三人の元に駆け寄った。
「おはようございます。お待たせしてすみません」
「おはよう、ロッテちゃん」
 フリッツがいつもと変わらない軽い調子で手を挙げる。その隣で頭を下げた黒髪の少年を、ゲオルグが手短かに紹介してくれた。
「カミルだ。まだ若いが剣の腕はなかなかのもので、山育ちで勘も良い。今回の任務では頼りになると判断して選んだ」
「よろしく、ロッテさん」
「ロッテです。足手纏いにならないように頑張りますので、よろしくお願いします」
 差し出されたカミルの手を軽く握り、ロッテは周囲を見渡した。
「これで全員ですか?」
 ちょっぴり不安になってゲオルグに訊ねると、ゲオルグは軽く頷いて淡々とロッテに告げた。
「今回は魔獣の討伐が目的ではないからな。お前の身の安全を考えれば魔獣に出会さないように行動する必要がある。少数精鋭のほうが都合が良い」
 なるほど、とは思ったものの、ロッテはちょっぴり不安になった。
 八年前に大規模な魔獣討伐があったファナの森でさえ、魔女の結界を出てしまえばあっさりと魔獣に遭遇してしまうほど危険なのだ。これから向かう北の霊峰は魔獣の巣窟と呼ばれているというのに、こんな少人数で本当に大丈夫なのだろうか。それに、ぱっと見た限り、三人は騎士装束に鎖帷子くさりかたびらを重ね着しただけで、鎧すら身に付けていない。荷物もそれぞれ布袋にひとつだけだ。
「……随分と軽装なんですね」
「平地や森ならまだしも、今回は山だからな。がっちり鎧を着込むわけにもいかないだろう」
 ゲオルグは軽く肩を竦めて見せたが、ロッテの不安を感じ取ったのだろう。困ったように眉根を寄せると、ロッテの肩にぽんと軽く手を置いて、わずかに口元を綻ばせた。まるで「安心しろ」とでも言うように。
 ゲオルグもフリッツもカミルもフィオラントの騎士であり、休む暇もないほどに日々魔獣討伐に明け暮れている、謂わば魔獣相手のプロフェッショナルだ。時と場合を考えて、適した装備や編成を整えて行動するのにも慣れているのだろう。
 なんとか自分を納得させてロッテが顔を上げると、ゲオルグの瞳がまっすぐにロッテを見下ろしていた。何か言いたいことがある。そんな雰囲気が伝わってくる。
 ロッテが小首を傾げると、ゲオルグは二人の騎士をちらりと横目で確認して、それから腰の後ろに手を回し、「念のために持っておけ」と、手にした短剣をロッテの手に握らせた。
 短剣の黒い柄と鞘には緻密な金の装飾が施されていた。どこかで見覚えがある——確か、昔盗み見たリーゼロッテの魔術書に似たような紋様が描かれていた気がする。おそらく高貴な身分の者が護身用に持ち歩く、そこらの武器屋ではお目にかかれない対魔獣用の高級な品だ。
 父親が国王の近衛騎士隊長を務めているくらいだ。ゲオルグも王宮勤めは長そうだし、お金も持っているだろう。魔獣討伐で方々飛び回る毎日を送っているのだから、こうした術の施された武器だって持っていて当然なのかもしれない。
 けれど、だからといってこの短剣が貴重で高価な品であることには変わりない。大切な物のはずだ。そんなものを、どうしてロッテなんかに渡すのだろう。護身のためにと言うのなら、騎士団の武器庫にある普通の短剣でも充分なのに。
「これ、ゲオルグさんが持っていたほうが良くないですか……?」
 困惑したロッテがゲオルグを見上げると、ゲオルグは腰に携えた剣に触れ、「俺にはこれがある」と笑ってみせた。見れば、確かに長剣にも同じ紋様が刻まれている。
「でも……」
 ロッテが口を開きかけた、丁度そのとき、東の空に眩い光がきらめいた。
 夜が明けた。出立の時間だ。

 フリッツとカミルがひらりと馬に跨って、ゲオルグが黒い軍馬の元へと向かう。その背中をぼんやりと見送って、ロッテははっとして周囲を見回した。
 庭園には三人の騎馬の他、馬車も馬も見当たらない。ロッテは馬に乗れないから馬がいたとしてもどうしようもないけれど、移動手段がないのではそもそも北の霊峰に向かえないではないか。
 ロッテがおろおろしていると、ぶるると鼻を鳴らす音とともに黒い影がロッテを覆った。見上げれば、陽の光を背に受けたゲオルグが馬上からロッテに手を差し伸べていた。
「お前はこっちだ」
「え……?」
「馬に乗れないだろう? 馬車を使う余裕はないから、俺の馬に乗ってもらう」
 いつも通りの仏頂面でそう言って、ゲオルグが急かすように指を動かしたので、ロッテは慌ててフリッツとカミルの馬を確認した。確かにゲオルグの馬は他の二頭よりも身体が大きく、鞍の前部にグリップが付いていることもあり、二人で乗っても大丈夫そうだった。
 ロッテがこくりと頷いてゲオルグの手を握ると、鐙に足を掛ける間もなく、身体がぐんと引き上げられた。「わっ」と小さく声が洩れる。気が付けば、ロッテの身体はすっぽりとゲオルグの腕の間に収まっていた。
「落ちるなよ」
 後ろからロッテを見下ろして、ゲオルグが含み笑う。ちょっぴり馬鹿にされた気がして、ロッテはムッとしながら両手でグリップを握り締めた。

 馬の嘶きが朝焼けの空に響く。
 丘の上に輝く白亜の宮殿を背に、三騎の馬は転がるように坂道を駆け降りた。


***


 草の海を別つ街道を三つの影が駆けていく。先頭を走る黒い軍馬の背に揺られながら、ロッテはじっと顔を俯かせていた。
 ロッテの後ろで馬の手綱を繰るゲオルグは、険しい顔で前方を見据え続けている。だからきっと、彼は気付いていないのだろう。ロッテの顔が、恥ずかしさのあまり耳まで真っ赤になっていることに。
 ロッテの腰には今、ゲオルグの逞しい腕が回されている。理由は単純なものだ。ロッテがうっかり馬から転落しそうになった。ただそれだけのことだ。
 王都を出てからしばらくは、ロッテも必死にグリップにしがみついていたけれど、川に差し掛かったあたりですっかり腕が疲れてしまい、石橋を渡り終えると同時に馬の背から転がり落ちてしまったのだ。すんでのところでゲオルグに抱き止められたものの、それからというもの、ゲオルグはずっとロッテを片腕で抱きかかえている。おかげで激しい揺れもあまり気にならないけれど、ロッテの心境は複雑だった。
 ゲオルグは真剣だ。愛するシャルロッテの命に危機が迫っているのだから当然だろう。例え腕の中にロッテがいようが眼中にない。そんなことはわかっている。
 ロッテだってあんなことを思い出さなければ、きっと平静でいられたのだ。それなのに、リーゼロッテが媚薬のことを聞いたりするから、あの夜のことを思い出してしまった。そんなこと、考えている場合じゃないのに、ゲオルグを異性として意識してしまう。

 ロッテは一度深く息を吸い、手綱を握るゲオルグの手に目を向けた。
 魔獣討伐の任務では馬上で剣を振るうこともあるのだろう。ゲオルグは鐙に掛けた両脚でバランスを取り、片手で馬を駆っている。器用だな、とも思うけれど、正しく言えばゲオルグは運動神経が良いのだと思う。
 だってロッテが知る限り、ゲオルグはどちらかと言えば不器用だ。簡単な傷薬を作るだけで手間取っているし、ロッテの目の前で野菜と一緒に指を切ったことだってある。剣術の腕前はフィオラントの騎士の中でも一二を争うほどなのに、包丁の扱いはてんで駄目なのだから面白い。
 騎士団宿舎の夕食当番を手伝ったあの日のことを思い出して、ロッテがくすくす笑っていると、不意にゲオルグが手綱を引いた。馬の嘶きが広々とした草原に響き渡る。
「見ろ。ファナの森だ」
 ロッテに低く呟いて、ゲオルグは遠くの森を指差した。見れば、草の海の向こうに鬱蒼と樹々が茂る深い森があった。
 魔獣が徘徊する危険な森。偉大なる森の魔女リーゼロッテの住まう場所。ロッテはずっとその森の中で暮らしていたから、こうやって外からファナの森を見たことなんてなかった。ゲオルグに言われなければ、きっと気付くことすらできなかった。

「この任務を無事に終えたら、俺がまた連れてきてやる。お前だって、たまには師匠リーゼロッテ様に会いたいだろう?」
 険しかった表情を和らげて、ゲオルグがロッテを見下ろした。いつもより優しいその眼差しに、心臓がとくんと胸を打つ。
 ロッテがこくりと頷くと、ゲオルグは薄く笑い、再び北に向かって馬を走らせた。

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