鮮血の非常識

おしりこ

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「さて、とりあえず、冷静になろうぜ」

 鉄竜は突きつけられた現実に混乱しかける頭を深呼吸で落ち着かせる。
 そして、改めて女性に面と向かい、鉄竜は口を開いた。
 
「んで、君。名前も所属も、出身地も分からないわけだが……」
「ああ。私は一体、何者なんだろうな?」
「いや、俺に聞かれても……」

 捨てられた子犬のように小さくなり、困惑している女性に鉄竜は戸惑う。
 確かに連れて来たのは鉄竜だが、別に彼女の事を知っている訳ではない。完全な赤の他人。
 鉄竜が返答に困っていると、愛が優しく慈悲深い笑顔を浮かべる。

「大丈夫だよ、別に私たちは悪い人じゃないから。君は怪我をしててね。彼はそれを助けたくて、ここまで君を連れて来たんだよ」
「け、ケガ? 私がか? どこもしていないようだが……」

 己のグラマラスな肢体を眺める女性の声音にはどこか戸惑いの色が伺える。
 だが、そのケガについて、君のケガは再生したんだよ、なんて口が裂けても言えるはずもなく、またも鉄竜が困っていると、またも愛が助け舟を出す。

「ケガをしてたのは本当なんだけど、あまり深い傷じゃなくてね。彼が治してくれたんだ。彼、こう見えても人よりちょっと凄い所があるからね」
「そ、そうなのか……私は君たちに助けてもらっていたのか……ありがとう」
「ううん。別に。お礼なら私じゃなくて、彼に言ってね」

 愛が手を広げ、鉄竜へと女性の視線を促すように誘導する。
 勿論、傷を治したような記憶はないのだが、今はそういう事にしておこう。
 鉄竜が小さく頷くと、女性はベッドの上で姿勢を正し、頭を下げる。

「ありがとう、何だかお世話になったみたいで……」
「い、いや、そんなに畏まらなくても良いって。俺がやりたくてやった事なんだから。それよりもこっちから質問してもいいか?」
「あ、ああ。私も覚えている範囲内でなれば……」

 深々と下げていた頭を上げ、質問を待つ女性に、鉄竜は真っ直ぐ向かい合って口を開いた。

「えっと、単純に、どこからの記憶が無いんだ?」
「少しだけ待ってくれ……」

 女性は本気で考えてくれているのか、顎に手を当て、じっくりと考え込んでいる素振りを見せる。
 邪魔をしないようにと鉄竜と愛も口を挟まず、待ちに徹する。
 その場に沈黙が流れるが、そう長くは続かず、女性はしゅん、と肩を落した。

「……なんだろうな。思い出そうとすると、何だか頭の中に黒い靄のようなものがあって思い出せないんだ。ただ一つだけ。朧げだが、真っ赤な城だけは思い出せる……」
「真っ赤な城?」

 そんなものがこの辺りにあっただろうか。
 鉄竜が考えていると、女性はその城を思い出しているのか、目を閉じたまま口を開く。

「真っ赤に染まっているんだ、お城が……けれど、思い出せるのはそれだけで……何故それが思い出されるのか、何故、それがあるのか……そうした事は何一つ思い出せない……」

 目を閉じ、額に脂汗を浮かべ、必死な様子で思い出そうとする女性に愛は静止をかけた。

「ごめんね。無理はしなくてもいいんだよ?」
「すまない……」

 女性は脱力するようにがっくりと肩を落す。
 あまりにもその姿は痛々しく、可哀想なものだった。
 それは無理もないだろう。彼女が思い出せる記憶が何一つない。右も左も分からない世界なんて不安以外の何者でもないだろう。言うなれば、彼女にとってここは、何も分からない異世界にも近しいのだから。
 だから、鉄竜は出来るだけ優しい笑みを女性に向けた。

「別に気にするなって。じゃあ、今度は君が聞きたい事を沢山聞いてくれないか? 聞きたい事、山ほどあるんじゃないのか?」
「い、良いのか?」
「そうすれば、何か思い出す事があるかもしれないし。何でも聞いて?」

 戸惑った表情を見せる女性に愛もまた優しい声音で女性を諭すように言う。
 やはり、気の利いて、優しい彼女の事だ。ほっとけないのだろう。それは鉄竜も同じだ。
 鉄竜と愛が質問を待っていると、女性は正座を崩し、足を伸ばしてから、考え込んでいると。

 それはそれはとても大きな、腹の虫が鳴っていた。

 その音を間違いなく聞いた鉄竜と愛が顔を見合わせると、女性は恥ずかしそうに顔を真っ赤にし、お腹を抑える。

「う、うぅ……え、えっと、その、今のは……ちがくて……」
「フフッ、気にしないで。ちょうどおにぎりがあるの。待っててね」

 愛は言うと、笑顔のままリビングを後にする。
 鉄竜はその姿を見送ってから、女性へと視線を向ける。
 女性は未だに恥ずかしそうに腹を抑え、トマトのように顔を真っ赤にしている。
 視線は鉄竜の方向へと向いていて、瞳にはうっすらと涙が溜まっている。
 グラマラスな体型とはうって変わる、小動物のような仕草。
 鉄竜は思わずドキリとしてしまうが、あくまでも平静を装う。

「まぁ、腹減るのはしゃーねぇって。こっちに座れよ。そこじゃ食べづらいだろ?」

 鉄竜はリビングのちょうど真ん中においている正方形の机の一辺を指差す。
 女性は忙しなくベッドから降り、鉄竜の示した場所へと小さくなりながら移動し、腰を落ち着かせる。

「おまたせ~」

 女性が座ると同時に愛が両手で作り置きしていたおにぎりの山を載せた皿を持って、リビングに現れる。
 愛が座りながらおにぎりの山を載せた皿を机の上に乗せ、鉄竜は思わず笑みを零す。

「それ、全部塩だろうな?」
「勿論だよ。ていうか、テツくんはおにぎり抜きじゃなかったっけ?」
「なっ!? お前、俺にそれは拷問だろ!?」

 鉄竜の大好物を目の前にして食べられないというのは最早拷問の他ない。
 いかにしておにぎりを食べようか鉄竜が考えていると、愛はクスリと小さく笑った。

「冗談だって。ちゃんとテツくんの為に作ったんだから、食べなきゃダメだよ?」
「んだよ、ちゃんと食べるって!」
「……良いのか?」
「ん? 何がだよ」

 唐突に口を開いた真向かいに座る女性に視線を向けると、女性は俯きがちに口を開いた。

「いや、だから、それを食べてもいいのか?」
「なんで食べるのに許可が要るんだよ。お前、腹減ってんだろ? なら、腹いっぱい食べないとな」

 机の上に置かれたおにぎりの山から鉄竜は一つ手ごろなおにぎりを手にし、口いっぱいに頬張る。
 口に広がる白米の甘さを絶妙な塩加減が引き立てる。いつも食べているおにぎり。
 鉄竜は思わず笑顔になる。

「んっ! やっぱ、うめぇな! 初めて食ったときと味はかわんねぇな! ほら、お前も食べろって」
「……いや、しかし……私は……」

 何やら女性は申し訳なさそうに顔を伏せ、哀しそうな顔を見せる。
 その表情の意図が鉄竜にはまるで分からないが、鉄竜は机の上に積み上げられたおにぎりを手にし、女性の手の上に無理矢理載せた。

「有無言わずに食べろって。毒でも入ってるとか、そういう心配か? なら、大丈夫だって」

 そう言ってから、鉄竜はまたも自身の手にあったおにぎりを口いっぱいに頬張る。
 何口食べても美味しいものは美味しい。鉄竜が綻んだ表情を見せると、女性も手にあるおにぎりを見つめる。それから、遠慮がちに口を開き、一口頬張った。

「んくっ……お、美味しいな」
「だろ? 愛のおにぎりは世界一なんだよ! 初めて食ったときから、何も変わらねぇ優しい味だよ」
「褒めすぎだって」

 鉄竜の真っ直ぐな言葉に愛が少しばかり顔を紅くして照れた様子を見せる。
 しかし、この味は初めて食べたときから何一つ変わっていない。味も、こうして笑顔になれるところも。
 鉄竜は手にあったおにぎりを食べ切り、机の上にあるおにぎりに手を伸ばしたときだった。
 ちょうど、女性の顔が視界に入ってきたのは。その女性は、一つ、また一つの瞳から、涙を零していた。
 けれど、本人はそれにはまるで気が付いていないのか、一心不乱におにぎりにかじりついている。
 その食べている姿はとても彼女の見た目どおりの気品高さを感じさせず、どこか野生的。けれど、その姿がとても――。

 昔の自分に良く似ていた。

 だから、鉄竜は何も言わず、おにぎりを手に取り、一口頬張る。

「塩でも利きすぎてんのかな? このおにぎりは。あの時と同じでさ」
「ハグッ……んくっ……その……もういっこ、食べても良いのか?」
「別に全然大丈夫だよ。どんどん食べてね」

 愛の言葉に促され、女性は両手におにぎりを持ち、交互に食べ進めていく。
 本当にお腹が空いていたのか、吸い込まれるかのようにおにぎりが女性の胃袋の中へと消えていく。
 その一口、一口を食べている中、女性は一つ、また一つと涙を流し続けている。
 けれど、鉄竜も愛もそれを一切気にせず、尋ねる事もしなかった。
 何故ならば、単純に。その気持ちが痛いほどに、鉄竜は理解出来るから。
 鉄竜は女性を見るのをやめ、机の上のおにぎりに視線を向けたとき、危機感を覚える。
 おにぎりが、もう後一つしかない。思わぬ伏兵である。彼女はかなりの量を食べていた。
 まずい、このままではおにぎりが無くなってしまう。鉄竜は持っていたおにぎりを頬張り、すぐに机の上に置かれたおにぎりに手を伸ばすが、その手がちょうどおにぎりを取った女性の手と重なる。

「んっ!?」
「……ご、ごめんなさい」

 瞬間、女性の雰囲気が一変した。まるで、何かに怯える小動物のように。
 その瞳が僅かに揺れ、先ほどまでのどこか凛々しいようなそんな雰囲気が雲散霧消している。
 申し訳なさを感じているからなのか、分からないが、あまりにも怯えすぎだ。
 鉄竜はすぐに女性の手から手を離し、笑顔を見せた。

「いや、俺は別に良いよ。君が食べるといい」
「だ、だが、これは君のものだ。彼女が君の為に、わ、私は少し調子に乗っていただけで……」
「調子に乗ってって、変な事言うなよ。そのおにぎり、美味かったんだろ? なら、食べればいい。食べたいものは食べればいいんだよ。変に遠慮するな。俺はいつでも食えるからな」
「そうそう。それに先にとったのは、君なんだから。君のもの」
「……し、しかし……こ、これは君のもので……」

 あくまでも女性が鉄竜におにぎりを渡そうとしてくる。
 未だに瞳は潤い、揺れ、動揺と焦り、恐怖が垣間見える。何かに支配されているかのような。
 ますます意味が分からない。
 何故、そのような表情をおにぎり一つでするのかが。
 鉄竜は差し出してくる女性の手首を握り、女性へと無理矢理戻させる。

「だから、それは君のだって。遠慮するな! 食べたいなら、食べろ!」
「でも……」
「次、でもっつったら、おにぎりは俺の口から、お前の口に口移しな」
「た、食べます!」

 慌しくおにぎりを頬張る姿に若干の痛みを心に感じながらも、鉄竜は安堵する。
 女性がおにぎりを口に入れ、咀嚼しているとき、愛が口を開いた。

「けど、テツくん。どうするの?」
「どうするって?」
「これからの事だよ? この子。記憶もなくて、何も分からないんだよ? そんな子を拾ってきた。って事は、ある程度分かった上でやってるんだよね?」

 愛の指摘を受け、鉄竜は腕を組んだ。
 別に考えていなかった訳ではない。彼女をこれからどうするのか。
 命を狙われていた彼女。記憶喪失の彼女。ここまで連れて来たのは他でもない鉄竜だ。
 つまり、ここに連れて来たという責任は常に付き纏う。ならば、答えは決まっている。
 鉄竜はおにぎりを飲み込み、お腹をさすっていた女性を見る。

「なぁ、一つ聞いてもいいか?」
「え? あ、ああ……なんだ?」

 先ほどまであった恐怖も、潤んだ瞳も無くなっている女性はその凛々しい眼差しで鉄竜を見る。
 何なのだろうか、この変わり身の早さは。
 少しばかり胸に引っかかりを覚えたが、鉄竜は女性の眼差しを真っ直ぐ見る。

「お前はどうしたい?」
「ど、どうしたい……というのは?」
「だから、お前は記憶とかそういうのは取り戻したくないのかって事!」
「……記憶。……それよりも、私はその……赤い城が知りたい」
「記憶で唯一思い出せる奴か……」

 鉄竜が確認の為に問うと、女性は確かに頷いた。

「私は何も覚えていないんだ。けれど、その赤い城だけは覚えている。……それには何か、意味があるんじゃないのかって、私は思うんだ……」
「まぁ、そう思うのが妥当だよな……うっし、なら、それに俺が協力してやるよ」
「なっ! そ、そんな……お前は別に関係ないだろ。私は別に一人でも……」

 女性は言うが、鉄竜は一つ大きな溜息を吐いた。

「はぁ~、一人で何とかできるのかよ。記憶喪失でここがどこかも分かってないんだろ?」
「そ、それは……しかし、こうしてケガまで治してもらって、それにご飯まで頂いてそれ以上は……高望みだ。そんなに迷惑をかけられない……」
「迷惑なんて思わなくてもいいっての。お前を俺がここに連れて来た時点でもう後には引けないんだよ。それに、お前がここに居るのは俺の責任だ。だから、お前は俺を巻き込めばいい」
「しかし……」

 それでも女性が躊躇っていると、鉄竜は身を乗り出し、女性の両頬を両手で挟んだ。

「悩んでんじゃねぇよ。お前一人じゃどうする事も出来ないんだ。なら、周りを頼れって。お前は、今から赤い城を調べる方法はあるのか?」
「そ、それは……」
「もし、赤い城を知って、その場所に行く事が出来るのか? お前は、一人でこの町を歩けるのか? お前は、一人で生きていけるのか?」
「それは……違う」
「だろ? それは皆同じだ。俺だってそうだ。俺は愛が居たから生きてるんだ」
「そうそう。テツくんは私のおかげで生きてるんだから。迷惑なんてテツくんに全部掛けてしまえばいいんだよ」

 愛の言ったあまりの暴論に鉄竜は苦笑いを浮かべる。
 すると、女性は真っ直ぐ、真剣に鉄竜の顔を見つめ、口を開いた。

「何故、何故、お前はそこまで記憶喪失で、見ず知らずの他人を助けようとするんだ? お前に良い事なんて何一つないだろう? こんな得体の知れない人間が関わったって……もしかしたら、おかしな事に巻き込まれるのかもしれないんだぞ?」
「んなもん、関係ないって。俺が関わるって決めたんだ。だったら、お前は何も考えずに巻き込めばいいんだよ。それで文句はいわねぇ。だって、俺が言い出したことなんだからよ。お前が悩む事は何も無い」
「……なんだ、その理論は……」

 と、悪態を吐きつつも、女性は笑顔を浮かべ、そのまま自身の手を、鉄竜の掴んでいた両頬を触れる。
 その手はかすかに、震えていて、とても暖かかった。

「ならば、お願いしてもいいか? 赤い城を探してほしい。協力を……お願いしてもいいだろうか?」
「おう、頼まれた。ついでに記憶探しもしてやるよ。それまではこの家に居るといい。勿論、愛も協力するよな?」
「当然だよ。困ってる人をほっとけないしね」
「よし。なら、明日から、頑張ろうな。記憶探しをさ」
「ああ。よろしくお願いします。えっと……」

 何やら躊躇った様子を見せる女性に鉄竜と愛は笑みを浮かべた。

「俺は鉄輪鉄竜。鉄竜って呼んでくれよ」
「私は恋久保愛。愛でいいよ?」
「わ、私は……えっと……」
「そっか、名前が無いんだっけ? じゃあ……姫ちゃんっていうのはどう?」

 記憶が無ければ名前が無い。けれど、それでは呼ぶときには面倒だ。
 それを察したであろう愛が名前の提案をする。
 その名前に鉄竜は小さく頷いた。

「姫か……別にいいんじゃないか? 見た目ぴったりだしよ」
「ひ、姫!? そ、そんな大層な名前は……その……も、もう少し……柔らかめな……」
「けど、ぴったりだし。姫ちゃんで。よろしくね、姫ちゃん」
「そうだぞ、姫。姫って見た目してんだからさ」
「こ、これは私にも身に覚えが無いんだ……だ、だから、別の名前を……」

 女性が何やら慌てた様子だが、鉄竜と愛は一切見向きもせず、無視を決め込む。
 すると、諦めたのか女性は脱力し、肩を落とした。

「わ、分かった……姫で我慢する……せ、せっかく付けてもらった名だしな……うん」
「うん! 姫ちゃん、これからよろしくね!」
「だな! 姫。ちゃんと責任持って、俺が見つけてやるからよ、大船に乗ったつもりで居てくれよ」
「……ああ。ありがとう。しばしの間、よろしく頼む」

 こうして、明日から記憶探しの旅が始まる――。 
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