鮮血の非常識

おしりこ

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「ここが、君を見つけた場所で駅っていう場所だ」
「ここが……」

 古里図書館を後にした鉄竜と愛、姫は鉄竜が姫を拾った隣町の駅のホームに到着した。
 昨日のような閑散とした空気は無く、春休みだからか、この辺りでは都会と呼べる喧騒を持つこの町に若者から老人、家族連れまで集まっている。
 その中で、鉄竜は二人を引き連れ、昨日、姫が倒れていた辺りの場所へと足を進める。

「確か……この辺りだったな」
「ここに、私は倒れていたのか?」
「ああ。ここでお前は血を流して倒れてたんだよ。それで俺が連れてきたんだ」
「…………」
「どう? 姫ちゃん」

 膝を折り、倒れていた周辺の場所をくまなく観察し、考え込むような様子を見せる姫。
 愛はそんな彼女を心配そうに見つめ、鉄竜は辺りを見渡す。
 辺りから感じる奇異の眼差し。その眼差しは何となく理解出来る。
 二人も見目麗しい巨乳美女を連れているのだから、下手に目立つに決まっている。中にはひそひそ話まで聞こえてくる始末だ。けれど、鉄竜は一切気にせず、辺りをキョロキョロと見渡す。
 そこにある違和感を覚えた。

「……おかしいな」
「テツくん?」
「昨日、俺はこのホームを軽くぶっ壊したんだが……完全に修復されてやがる」
「え? ぶっ壊したの?」

 ぎょっと目を丸くした愛に鉄竜は首肯した。

「ああ。姫を逃がすためにな。それに、その時にあの天井もぶち抜いたはずだ」

 そう言いながら、鉄竜は人差し指を上に立てると、倣って愛も視線を上へと向ける。

「……壊れてないね。むしろ、いつも見てるのと同じだよ?」
「おかしくないか? たった一日で修復するなんてさ」
「出来るはずが無いよ。何だったら、何事かって、警察の調査くらいは入りそうなものだし……」

 昨日、鉄竜が姫を逃がすため、ホームを砕き、天井を突き破った。
 その修繕が僅か数時間で完了している。この状況は常識的に考えて、あまりにもおかしい。
 ホームを砕けば、何事かと騒ぎたて、屋根が壊れているのなら、何事かと思うのは必然だ。
 けれど、今、この場には何気ない日常がごく当たり前のように流れている。
 誰一人気にする事なく、感じた様子を見せる事もなく、騒ぐ事なく、ただただいつも通りの日常が流れ続ける。

「だよな? それに……」

 鉄竜は今も尚、くまなく観察している姫の視線の先、姫が倒れていた場所を指差す。

「血痕が消えてるぞ」
「……それは私も思った。来たときからね。けど、これに関してはテツくんの肩と全く同じ現象だよね」
「ああ。明らかに状況がおかしすぎる。常識的に考えられる常識が何処にも無い」

 鉄竜が悪態を吐くと、愛は胸の前で腕を組み、目を閉じ、しばしの後、目を開けた。

「……常識が無い。……だと、考えられるのは一つだね。これがはっきりしたのは大きいけど、姫ちゃんが命を狙われてたのは何でなんだろう? それ絡み?」
「それはわからねぇな。けど、分かんねぇ事と分かる事がはっきりしてきたな。後は……」

 鉄竜は一縷の望みをかけて、膝を折っている姫を見る。
 姫はしばし自身が倒れていた場所を凝視してから、ゆっくりと立ち上がり、鉄竜へと視線を向け、少しだけ顔を伏せた。

「……私は本当にここに倒れていたのか?」
「ああ。血を流して、そこに倒れていた。連れて来た俺が言うんだから、間違いねぇよ。……何も思い出せなかったか?」
「……すまない」

 小動物のように小さくなり、申し訳なさそうな表情になる姫。
 鉄竜は小さく微笑み、姫の頭を軽く叩いた。

「なんで、謝るんだよ。別に思い出せないからって責めやしねぇよ」
「しかし……私でも分かる。ここは唯一の手がかりなんだろ? それでも分からないなら、どうする事も出来ない、そんな気がしてな」
「まぁ……そうだな」

 確かに、ここは鉄竜と姫が出会った場所であり、全ての始まりの地。だからこそ、姫がここに至るまでの何かを得る事が出来る場所だ。
 姫の記憶は無い。だからこそ、過去を遡れない。ならば、今、この場、その時の状況を伝え、聞かせる事か、彼女の朧げながらも覚えていることを推測で調べる事しか出来ない。
 つまり、ここが確固とした情報を得られる最後の場所。それに偽りは無い。
 姫は鉄竜の言葉を聞いてから、顔を伏せ、肩を落す。

「……すまない。色々してもらっているのに、何も思い出せなくて……私は迷惑ばかりを掛けているな」
「そんな事はねぇよ。それに、記憶は無いんだろ? それで思い出せないのはしょうがねぇよ」
「ああ。何も思い出せないんだ。私はどうしてここに居たのか? 何故、こんな所で血を流していたんだ? 私は一体……何者なんだ?」

 不安に紅玉色の瞳は揺れ、スカートの裾をギュッと握り締める。姫の被るつば広帽子で顔は隠れてしまっているけれど、握り締める手には一つ、また一つと水滴が落ちている。

「姫ちゃん……」

 愛は姫の隣へと移動し、あやすように優しく頭を撫でる。
 愛が撫でていても、姫の涙は止まること無く、手に一つ、また一つと零れ落ちていく。
 不安な気持ちが分からない訳ではない。世界が一気に変わってしまった瞬間は痛いほど理解出来てしまう。だって、鉄竜も同じだったから。姫と同じように、彼女に慰めてもらったんだ。
 どこまでも鉄竜と姫は境遇が似ている。だから、鉄竜は放っておけない。
 鉄竜はポケットから携帯電話を取り出し、田舎町ではつながりにくいインターネットを開く。

「何かないか……」

 そういえば、姫と出会った時の服装。それについてまだ調べていなかった。
 この町、古里町には恐らくあんな煌びやかなドレスを着て、行くような場所は無い。
 けれど、隣町ならば。都会に近しい場所ならば、そういう場所があるはずだ。
 鉄竜は隣町に調べるポイントを絞り、携帯電話を叩こうとしたとき、あるニュースが視線を捉える。
 しかし、そのニュースはあまりにもキナ臭い。けれど、これは何か手がかりがあるような気がしてならない。
 鉄竜は愛が撫でている姫の頭の上に手を置き、ワシワシと乱雑に撫でる。

「姫、まだ諦めるにははえぇぞ。それに、諦めるのは辞めようぜ」
「……なんでだ? 私は何も思い出せなかったんだぞ? そればっかりか私は君たちに迷惑や無駄な時間ばかりを使わせて……迷惑だろう?」
「迷惑だなんて微塵も思ってねぇよ。なんで、お前はそう思うんだ? 迷惑だって決め付けるんだ?」

 鉄竜が質問を投げかけると、姫は顔を上げ、揺れる瞳を鉄竜に向ける。

「だって、君たちと私は赤の他人だ! 私を助けて君たちが何か得をするのか? 記憶なんて本当に戻るかも分からない。私が何者かも分からないんだぞ。そんな得体の知れない人間なんて……」
「それはもう聞いた」
「でも……私は……。君たちは優しすぎるんだ。作ってくれたおにぎりも、君たちと一緒に居るのも……何だか分からないけれど、嬉しくて、楽しくて、でも……苦しくて、ここが凄く……痛いんだ」

 そう言いながら、姫は己の胸を覆う衣服を強く握る。
 鉄竜は姫の頭の上に手を置き、視線を姫と真っ直ぐ合わせるため、少しだけ膝を折る。

「けど、楽しいんだろ? 嬉しいんだろ? なら、別にそれを否定しなくてもいい。楽しいなら、楽しい。嬉しいなら嬉しいんでいいんだよ。それにな、俺達はもう赤の他人じゃない」
「……赤の他人じゃない?」
「そうだよ、姫ちゃん。水臭いよ、そんなの」

 姫の言葉が気に入らなかったのか、愛もぷくーっと頬を膨らませ、鉄竜の隣に立ち、姫と真っ直ぐ視線を合わせる。

「姫ちゃんと私たちは友達だよ! 友達を助けるのは当たり前でしょ?」
「トモダチ……」
「その通りだ。友達は何が何でも助けてやる。それが俺の信念だ。ま、これは受け売りだけどな」

 そう言いながら、鉄竜が愛の横顔をチラリと見ると、愛は満面の笑顔を見せる。
 呆気を取られているのか、目を丸くしている姫はようやく状況を理解したのか、ハッとなる。

「なんでだ? 私たちはまだ出会って全然経っていないんだ。それなのに……」
「時間なんか関係ねぇよ。俺とお前は同じ飯を食って、お前と愛は一緒に寝たんだろ? なら、もうそれは友達なんだよ。だから、お前はもう俺たちに気を遣うな。迷惑だってかければいい。ちゃんと俺達がお前の記憶は取り戻してやるから、だから、お前は絶対に諦めるんじゃねぇよ。俺達が諦めてないんだからよ」

 そして、鉄竜は笑顔を姫に見せる。
 鉄竜は最初から諦めるつもりなんて無かった。
 色々と不可解な点が気になる、というのはあるけれど、それ以上に彼女と関わった。
 記憶を取り戻すとそう約束した。そして、彼女をあの場から救ったのは鉄竜自身。
 ならば、鉄竜は彼女の力にならなければならない。彼女の記憶を取り戻さなければならない。彼女を最後まで救わなければならない。その責任は救った彼にある。
 しかし、そんな責任云々よりも、何よりも――鉄竜の持つ力は誰かを救う為にある。
 だから、鉄竜は右手を伸ばした。

「だから、約束しろよ。お前はもう諦めないってよ。記憶が戻らないなら、ずっと傍に居てやる。記憶が戻るまではずっと協力してやる。迷惑だって掛ければいい」

 鉄竜が右手を伸ばし、愛は左手を姫の眼前に差し出す。

「そうだよ。私たちは迷惑だなんて思ってない。テツくんが姫ちゃんを拾った時から、私たちは協力するって決めてるんだから。記憶がどうとかそういう事は考えないで、ね。姫ちゃんは私たちと友達にならない?」
「私は……」

 差し出された二つの手を見つめ、姫は少しだけ顔を伏せる。

「君たちは優しい……優しすぎるんだ。もし……私の記憶が戻って、私がろくでもない人間だったらどうするんだ? 君たちを傷つけるような相手だったら……」
「そんなもんなってから考えるよ。それに――お前は悪い奴じゃない。それは断言できる」
「何故だ」
「お前、おにぎり食ったとき、泣いてたろ? あのおにぎりを食って、泣いた奴は悪い奴じゃねぇって俺にはわかるんだよ」

 あまりにも突拍子も無い意見だったのか、姫は目を丸くした。
 けれど、すぐに破顔一笑。その笑い声は駅の中全体に響き渡り、通行人たちも思わず足を止めるほど。
 だが、姫は周りを気にせず、笑い続ける。

「フフフ、アハハハ! そんな理由なのか? それに、私は泣いてなんて……」
「やっぱり自覚なかったのかよ。お前、泣いてたぞ」
「な、泣いていない! 私は断じて泣いて……」
「姫ちゃん、泣いてたよ?」
「なっ!? …………」

 すぐに羞恥で顔を真っ赤に染め、恥ずかしそうに姫は俯く。
 けれど、手は確かに鉄竜と愛の差し出した手を握っていた。

「君たちはバカだ。得体の知れない人間の傍に居ようとするなんて……君たちは本当にお人よしで、優しい人たちだ。分かった、私ももう諦めない。ちゃんと記憶を取り戻せるように努力する。だから、これからも迷惑を掛けてしまうが……いいか?」
「別にいいよ! それに、姫ちゃんが居た方が楽しいしね!」

 飛びつくように愛が姫に抱きつき、姫は驚いた様子を見せるが、愛の肩越しに見えるその顔はどこか晴れやかに、そして、嬉しそうに笑っている。鉄竜は姫の顔を見て、安心する。
 何か憑き物が取れたのか、それとも、ようやく心を開いてくれたのか、これは上々。
 ならば、そろそろ向かうべきだろう。鉄竜は抱き合う二人を真っ直ぐ真剣に見つめる。

「なら、ついでに少し気になる場所に行くぞ」
「気になる場所?」
「ああ。姫。諦めるなって言った意味、ちゃんと見せてやる」
「どこかに向かうのか?」
「ああ。行く場所は――殺人現場だ」

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