鮮血の非常識

おしりこ

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「てめぇ……何、物騒なもんを誰に向けてんだ?」
「……ほぅ。妖魔の分際で、人を守るか?」

 一発の銃声が鳴り響く瞬間、その刹那の中で。
 愛を庇うように立つ鉄竜の姿があった。鉄竜の背に怒りを纏わせ、怒りと呼応するように掴んだ銃口を握り潰す。
 グシャリとひしゃげた銃口は煙を上げ、愛は安堵した。
 銃を突きつけられたとき、愛は確かに信じていた。必ず鉄竜が庇ってくれる、と。
 約束を必ず彼は守る男だと。その怒りを孕んだ背中が言っている。
 愛が安堵の息をもらすと、鉄竜は口を開いた。

「俺が妖魔だってのは間違いねぇよ。けど、こいつは一切関係ねぇはずだろ? その命を奪う事自体が大きな間違いなんじゃねぇのかよ」
「……無関係? 何を言っている? この子は妖魔と関わりを持っている。それだけでも重罪だ。妖魔が人間に与える影響は甚大だ」

 正義はロングコートの懐から一本のサバイバルナイフを取り出し、鉄竜の眉間目掛けて刺す。
 ナイフによる一閃。鉄竜は左手の平の中心辺りでサバイバルナイフを受け止め、杭を打ったかのように左手の甲を貫き、ナイフの勢いは留まる。

「どこがだよ。こいつは何一つ人の道を外れてなんていねぇだろ。こいつは俺とは違う、全うな人間だ。それを殺そうとするお前の方が妖魔のように思えてならねぇよ!」
「ならば、今、目の前で引き起こされたこと、それについてはどう説明する?」

 正義は鉄竜の左手の平に突き刺したナイフを押しながら、眼前に居る鉄竜に向け、口を開いた。

「妖魔とは、この世の闇だ。この世界には常識が存在する。だが、彼らは違う。闇を持つ非常識な連中だ。奴らは人の理から外れた存在。この世界の法や秩序では決して裁くことは出来やしない。それは妖魔に関わる人間も同じだ。もし、妖魔に感化され、人の道を外れる事もある。私はそうした人間を淘汰しなければならない。それに――吸血鬼は尚の事厄介だよ。知らない訳ではないだろう? 吸血鬼は眷属を作る事が出来る妖魔だ」
「…………」

 正義の言葉に鉄竜は押し黙り、愛は心配するように鉄竜を見る。
 鉄竜は吸血鬼の力を持つ妖魔である。大地を割る腕力、海を切り裂く速力、死の概念すらも持たない高い不死性。朝と昼を嫌い、太陽を憎み、月を好み、夜を愛する。別名――妖魔の王。
 妖魔の中の王と呼ばれる圧倒的なまでに上位な存在。そして、上位の存在にのみ許された王の威光。それこそが、眷属化である。
 人間であろうとも、妖魔であろうとも、己の傀儡とし、絶対的な勢力、権力下におく絶対服従の力。
 愛は己の左胸を少しだけ触れ、鉄竜を見る。鉄竜は正義を見つめてから、大きな溜息を吐いた。

「だから、こいつが俺の眷属だって? だったら、俺はこいつを今、盾にしてるはずだぜ? あんたが言う悪魔の所業を平然とする妖魔ならな」

 鉄竜は正義から距離を取る為に左手のナイフを後方に下がった勢いで抜き、軽く左手を払う。
 瞬間、一瞬だけ血が舞うがすぐに蒸発し、消えうせる。

「こいつは何一つ妖魔に関する関係は持ってねぇよ。ただの学友でお隣さんで、こいつは俺の大恩人だ。もしも、てめぇが俺の恩人に手を出すってんなら、俺は容赦しねぇぞ」
「随分と君は人間らしい事を言うんだね。悪魔の分際で、人間になろうとでもしているのかな?」
「……そんなつもりは毛頭ねぇよ。人間になんて俺はなれない。俺はどう足掻いても悪魔さ」

 鉄竜は愛を背で守るように立ちながら、更に口を開いた。

「自分の存在は変えられねぇが、生き方は選べる。俺は人間らしく生きるつもりだ。例え、悪魔であったとしても、人間である事だけはゆずらねぇよ。だから、俺から見れば、お前の方がよっぽど妖魔に見えてならねぇ。妖魔を殺すって考えは良く理解出来る。今、目の前で起きた現実から目を背けるつもりもねぇよ。けど、お前が、もし妖魔を狩る側の存在なんだとするんだったら、何故、守るべき人間を殺す事になる?」

 鉄竜は正義の核心を付くようなことを尋ねた。愛は鉄竜のぶつけた疑問に同調した。
 獅子堂正義。妖魔を狩る魔術師。愛も妖魔の事について知ってはいても、魔術師について知らない。けれど、妖魔を狩る側の存在。妖魔は人間に仇なす存在。つまりは、人間を守る側の存在だ。
 けれど、妖魔を狩る為に守るべき人間を殺す。それは大きな筋違いではないのだろうか。
 正義は破壊された銃を下げ、口元にタバコを咥えたまま、口を開いた。

「……なるほど、面白い事を聞くね。けど、それを知って君たちがどうなるって言うんだい?」
「別にどうもしねぇよ。ただ、気になっただけだ。俺は妖魔であんたは妖魔を殺す魔術師。その段階であんたと俺は争うべき立場なのかもしれねぇ。けど、俺とあんた、心は逆な気がするんだよ」
「つまり、僕が人を殺す妖魔で、君が人間を守る魔術師だとでも?」
「現にそうだろ? あんたは俺の、それもただの人間を妖魔と絡んでいるという理由だけで殺そうとした。俺はその人間を守ろうとしてる。状況はその通りだろ?」

 鉄竜の眼差しを見つめ、正義は一つ息を吐いてから、口を開いた。

「妖魔を殺しつつ人も助けるか……。それこそがそもそも、大きな間違いなんだ」
「……なんだと?」
「君はカルネアデスの板という話を知っているかな?」
「ああ、聞いたことはある」

 それは愛も同じだ。
 カルネアデスの板。別名カルネアデスの舟板。
 ギリシアの哲学者、カルネアデスが出したといわれる問いとして有名な話。
 一隻の船が難破し、乗組員は全員が海の中へと投げ出される。一人の男性は命からがら壊れた船の板を見つけ、それに縋りついた。
 すると、そこへもう一人同じ板につかまろうとする者が現れる。けれど、壊れた船の板は二人が掴まれば沈んでしまう。その問題に対して、どうするのか、という問いだ。
 正義はロングコートのポケットに手を入れ、吸い終えたタバコを吸殻に入れてから、更に新たなタバコを口に咥える。

「カルネアデスの板。かなり難解な問いだと僕は思う。因みに、君たちならばどういう答えを出す?」
「……俺は全員が助かる道を模索する。その場は無理かもしれないが、諦めたら終わりだからな」
「私もテツくんと同じ。誰かを蹴落としてまで、私は生きたいとは思えないよ」

 誰かを蹴落として、生き永らえたとしても、その人間の十字架を一生背負う事になる。
 愛はそれを一生続ける事の方が辛く、そんな事をしてまで生きる事に意味はないと思うからだ。誰かの為に生きたい、そう常に願い続けている愛にとって、この問いは考えるまでも無い答えだ。
 誰かを蹴落として生き永らえて、幸せとは思えない。ならば、共に最後まで足掻き続ける。
 けれど、正義は二人の答えを嘲笑うかのように笑った。

「誰かを救うのを諦めない……か。昔の愚かな自分を見ているようだよ」
「なに?」
「僕も昔はそのように考えていたよ。僕が魔術師になったのだってそれが理由だ。妖魔という存在から多くの人を守ろうと願い、多くの人が幸せになればと願った。けれどね、それだけでは人を救えない。万人の幸せを願い、万人を救おうだなんて事は非常識であり、人間には持ちすぎた願いなんだよ」

 正義は壁にもたれ掛かり、タバコの煙を吐いてから、口を開いた。

「妖魔という存在はあまりにも強大だ。人間がどれだけの力を持ったとしても妖魔には絶対に敵わない。妖魔という存在が蔓延るこの世界で人間は極めて弱い。もはや、生物の頂点とはとても呼べないだろう。例え、知恵を持とうが、力を持とうが、絶対に妖魔には敵わない。私はそれに気づかされた。人を救うという願い、幸せにしたいという願いそのものが行き過ぎている、非常識極まりないと」
「…………」
「だからこそ、大を殺す為に、小を殺さなければならない。妖魔を倒す。そして、全てを救う、全てを助けたいという願いは人間が持つにはあまりにも大きすぎる願いなんだ。それこそが、非常識なんだよ。だからこそ、必要な犠牲というのは常に世の中には存在する」

 あまりにも難しい問いだと愛は思ってしまう。そして、いかに人間が弱い存在なのかを知った。
 鉄竜という妖魔が愛の近くには居る。今、彼は人間たちの味方で居てくれる。
 けれど、彼が敵対したんだとしたら、愛は想像するだけで身震いがした。
 確かに鉄竜は弱点はある。太陽の光が現に彼にとって最大の毒だ。けれど、それでも彼は太陽の光の中でも、力は衰える程度で人間程度ならば、戦う事は出来るだろう。
 そうなれば、人間なんてひとたまりも無い。絶対的な力関係がそこにはある。覆しようもない絶対的な力関係が。
 魔術師となっても尚、妖魔を殺す事は難しいと。殺す事は出来ても、きっと犠牲は生まれる。強者を弱者が殺すには、それ相応のリスクがあるという事なのだろう。

「……だから、妖魔を倒すために、妖魔に関わる人も一緒に殺す。妖魔がこれ以上強い力を身に付けない為に……これから先、生きる人たちのために、人間たちには糧になってもらう……未来を生きる為の……」
「なかなか理解が早くて助かるよ。強者を倒すには、弱者は群れるしかない。人間はそうして社会的に、ありとあらゆる面で頂点に位置してきた。けれど、妖魔にそれは通用しない。群れたところで、圧倒的な力で一蹴されるだけ。常識では計れない。だからこそ、人間もまた非常識でなければならない。だからこそ――大を生かし、小を殺す。悪魔でなければならない」

 ――すべてを救うなんて幻想はこの世ではありえない。

 正義はその言葉で全てを締めくくった。その言葉はとても重みのある一言だった。
 全てを救いたいと願うのは傲慢。そう言われているような気がした。
 確かに正義の言葉を素直に受け取るのなら、それに間違いはないだろう。
 人間という弱者が妖魔という強者に勝つ為、より強い存在は残し、弱い人々には強者を倒す為の糧となる。あながち、間違っているという話でもないと、愛は思う。
 現に目の前で見たあれだけの凄惨な光景。弱者である人間が為す術もなく、貪られる瞬間。あんなものを見せられたら、誰だって妖魔に恐怖し、戦慄し、考えは変わっていく。
 全てを救うという事がいかに無意味で、幻想なんだと気づかされるだろう。それをきっと、正義は愛が想像するよりも遥かに見てきたのだろう。それはきっと、正義にしか分からない事だ。
 だからこそ、だからこそ、目の前に居る鉄輪鉄竜は非常識なのだ。
 愛がじっと鉄竜へと視線を向けると、鉄竜の背は大きく上下し、大きな溜息を吐いた。

「はぁ~、なるほど。つまり、人を守る事を諦めたお前は負け犬って事か?」
「……何?」
「だって、そうだろ? あんたは人間を守る立場でありながら、人間を切り捨ててんだろ? 本来であれば、あんたは人間たちの正義の味方でなくちゃいけなかった。あんたはそれを放棄した人間だ――負け犬でしかない」

 鉄竜の言葉に正義はタバコを強く噛み締め、ひしゃげる。
 けれど、鉄竜は一切気にする様子もなく、口を開いた。

「人を守るってのが簡単な事じゃねぇ事は俺だって理解出来る。現に今、愛を守る為に俺は少なくとも、二回以上は死んでる。それだけ人を守る事ってのは難儀するんだろうな。けど、最初から守る事を諦めた人間に人を守る権利なんて俺はあるとは思えない。そして、それを悪魔だと理解しながら、人を殺すってのも俺には理解できない」
「…………」
「大を生かす為に小を殺す? ふざけんな。そっちの方が俺からしたら理不尽だよ。大を生かすなら、小も生かす。それが幻想なんだとしても、それを追い求めてる人間が本当の人間だ。理性あるまともで、常識的な人間だと俺は思う」

 鉄竜の言葉を聞いたのか、正義は一つ大きな息を吐き、口を開いた。

「……子どもの分際で随分な物言いだな。ならば、君の手で証明してみるか?」
「何だと?」
「君と僕で賭けをするんだ。先ほどここに現れた妖魔。それを僕と君、どちらが早く自分なりのやり方で殺せるか、だ。あの存在は恐らく、またも多くの人間を襲うだろう。君は君のやり方で、僕は僕のやり方でやらせてもらう。それで殺せた方が、正しい言い分としよう。そして、君たちは見逃してあげるよ。しかし、負けた場合は魔術師総動員でも、君たちを殺す」
「……どうせ答えの出ない問答だ。それに、俺達の命だって掛かってるってんなら、受けない理由はねぇよ」
「テツくん……」
「何、問題はねぇ。それに――気になる事もあるんだ」

 鉄竜が納得した様子で言うと、愛は一歩下がった。
 このまま何もしなければきっと、鉄竜も愛も殺されてしまう。だからこそ、その前に命を繋ぎとめるためには、あの妖魔を殺さなければならなくなる。
 しかし、それは本当に正しい結果を生むのだろうか。あの妖魔を殺すという選択は果たして正しい事なのだろうか。否、良いはずが無い。けれど、彼は問題はない、と言った。
 ならば、それを愛は信じるだけだ。
 正義は腕時計を見つめてから口を開いた。

「期限は今日中。もし、今日中に殺す事が出来なければ君たちの負けだ。明日から君たちを殺す為の魔術師たちを手配するとしよう。僕が殺す事が出来なければ、金輪際、君たちの命は狙わない。それで良いだろう?」
「ああ。その条件で充分だ。ただ、殺すかどうかは俺達で見定めさせてもらうぞ」
「好きにすると良い」

 その言葉を最後に正義はその場を去っていく。
 そこで、愛はようやく本来の目的に気が付く。

「あ、ねぇ、テツくん! 姫ちゃんは……」
「……いや、少し、お前の知恵を借りたい。……お前の意見が聞きたいんだ」

 

   □



――フフフ、フフフアーーハハハハハッ!!
――やっぱり、やっぱり、やっぱりそうね! あれは純血。――私が追い求めていた血。ほらほら、私が私がようやく現れる。私がこの世に復活できる!!
――ウフフフフ、すぐに、すぐに会いに行ってあげるわ、そして、ぜぇ~んぶ、たべちゃうんだから。
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