小鳥遊医局長の結婚

月胜 冬

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パワー・ゲーム

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「やりたくないなら、早く教授になりなさい。」

…ううう。ボランティアという名の強制労働。想像してたのと違う。

准教授は生徒の指導も含め、一般講師に配る要綱の作成にスケジュール調整、看護論文の作成。

臨床とは全く違う環境で、冬は戸惑いを感じていた。

「もう…准教授の仕事飽きた…病棟に戻りたい。」

冬は今泉に愚痴を零した。

…これぞまさしくお金の為に働いてるって感じ。

「トーコさん…病棟が好きだったものね。もし、帰りたければ先に日本に帰っても良いんだよ?」

華と夏にご飯を食べさせながら今泉は言った。

「それは嫌!静さんと一緒に居たいの。」

「ガクさんも向こうで待ってるし、春さんもいるし、喜ぶんじゃないかなぁ。」

今泉は週に一度のカウンセリングを受けており、以前に戻ったように見えたが、それでも一人にするのは心配だったし、離れたくなかった。

「僕のことを心配しているのなら、もう大丈夫だよ。」

今泉は夏がみそ汁の豆腐を手づかみで食べるのを眺めながら言った。

「判ってる…でも私が離れたくないの。」

夏と華、今泉と一緒に過ごす時間は増えたが、准教授の仕事にやりがいは感じなかった。

「また大学が休みになったら病院で働けば良いじゃない?」

今泉は優しく微笑んだ。

「うん…。」

まんままんまとご飯を欲しがる華にフォークでご飯を掬って食べさせながら冬は考えていた。


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小鳥遊は“冬を探す旅”から、日本へ帰って来た。

久しぶりに麻酔科医の藤田医局長といつもの小料理屋で食事をしていた。

小鳥遊は日本酒をちびちびと飲んでいた。考えてみれば、今泉以外に腹を割って話が出来るのは藤田ぐらいだった。

「藤田先生は3人で暮らしていらっしゃるそうですが、喧嘩や嫉妬は無いんでしょうか?」

自分と年齢も近く、シチュエーションが似ている藤田に興味を持った。

「そりゃぁしょっちゅうですよ。」

藤田もほろ酔い気分なのか、良くしゃべった。

「今は外科の藤田は、別居しているので僕が通い妻ならぬ通い夫をしているんです。妻と子供と藤田とで、僕の休みの取り合いです。」

…そうか…子供が大きくなったらそんなこともあるのか。

「あ…そうだ。医局長婦人会ってのがありましてね、今から言っておきますけれど、お付き合いが大変なのであれはやめておいた方が良いよと奥さんに伝えてください。タエが…僕の妻がご機嫌取りで苦労してます。」

冬は嫌がって参加しないような気がした。


「みんなでぞろぞろと、クラシックのコンサートや歌舞伎なんかに行きましてね、やれ着物の色が外科医局長の奥さんと被らないようにとか…もう大変ですよ。」

藤田は苦笑した。

「僕はその存在すら知りませんでした。」

「小鳥遊先生のところは、奥様と別居ですから、大丈夫でしょうけれど、日本に戻ってきたら大変ですよ。」

「僕の妻は、絶対行きたいって言わないと思いますが、伝えておきます。」

「ええ…関わらない方が身のためです。」

藤田がビールを飲みながら笑った。

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「小鳥遊先生。突然ですが、明日、女の子の居るお店へ行きませんか?」

医局で、小鳥遊がコーヒーを飲んでいると小峠が声を掛けてきた。

「いいえ…僕は結構です。皆さんでどうぞ楽しんで来てください。」

…もうこりごりだ。

小峠は、そのあとも高橋や山口などを誘っていた。小鳥遊はカウンセラーの勧めもあり出来るだけ、女性同席の飲食会とは、距離を置くようにしていた。小峠の誘いを断ったのもつかの間、偶然、外来の前で、外科医局長とばったりあった。患者のことや世間話をして外科医局長は声を潜めて言った。

「小鳥遊先生。久しぶりに飲みに行きませんか?」

外科医局長は派手に遊ぶのが好きで、女性を何人も囲っているという噂が以前からあった。

「いいえ…最近は体調がすぐれないので結構です。」

外科医局長は肩をポンポンと叩いて、小さな声で囁いた。

「小峠先生に聞きましたが、奥さんも今、居ないんでしょう?どうでしょうたまには羽目をはずしてみては?」

外科医局長はにやにや笑みを浮かべた。

「たまには気分転換も必要ですよ。」

…ああ また余計なことを。

「ねっ?明日はオペも無いんでしょう?小峠先生も連れて…あの人は若いころの僕の遊びっぷりに似てるんですよねぇ。」

大きな声で笑いながら去っていく背中を小鳥遊は見送った。

…一難去ってまた一難か。


――― 再診。

時任は、相変わらず人懐っこい笑顔を浮かべていた。

「ええ。妻のところに2週間行ってきまして、何とか復縁をして貰えました。」

「ほう。それは良かったですね。」

時任は小鳥遊に向かってにっこりと笑った。

「妻のところに行く前には、もうひとりの夫の実家へ度々行って子供達とも半年ぶりに会うことが出来ました。」

時任は話を聞きながら時々メモを取っていた。

「子供さんや奥さん、それにもうひとりの旦那さんにあってどのように感じましたか?」

「とても満ち足りた気分でした。それに色々な事を話し合うことが出来たので良かったと思っています。」

小鳥遊は、手紙を書くこと治療を継続することなど冬と約束をしたことを話した。

「どのような時に衝動やストレスを感じるのか…など、行動を振り返ることで、自分を知る事ができますし、手紙だと考えながらかけますし、良いですね。」

小鳥遊は1カ月に1度の診察と2週に一度の行動療法などのセラピーに通った。

「あなたの子供の頃の思い出についてお聞きしたいんですが…。」

何度目かの診察で時任が静かに小鳥遊に聞いた。

「僕が8歳の時に両親が相次いで亡くなりました。それ以降僕は施設で育ちました。」

「ええ。それは伺いました。ご両親との楽しかった思い出はありますか?」

小鳥遊は暫く考え、重い口をやっと開いた。

「ありません…。覚えていないんです。」

時任は書いていたメモから顔をあげた。

「何も?8歳というと、覚えていても良い様に思いますが?家族で遊園地へ行ったり、おもちゃを買って貰ったとか…。」

小鳥遊は時任を見ていたが、その目はもっと遠くをみているようだった。

「思い出せないんです。何も。」


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「ようこそいらっしゃいました。どうぞお入りください。」

藤田と、妻のタエが小鳥遊を出迎えた。藤田麻酔医局長のホームパーティーに呼ばれた。

数カ月に一度仲の良い友人達が集まって、パーティーを開いていると藤田は言った。

「安心してください。気の知れた仲間ばかりですから。殆どがドクターです。」

案内されたリビングには、10人ほどの男性に、数人の女性が楽しそうに話をしていた。

藤田が小鳥遊と紹介すると一斉に小鳥遊に視線が集まった。その中には、懐かしい顔、外科の藤田も居た。

「ご無沙汰しております。小鳥遊先生。」

ずんぐりむっくりの外科の藤田は、静かに微笑んで小鳥遊と握手をした。

「お久しぶりです。藤田先生。」

麻酔科医局長の藤田が振り向いた。あ…すみません外科の藤田先生ですと小鳥遊は謝った。

「僕は、ここでは下の名前の隆…と呼ばれています。」

近くのソファに二人で腰かけた。

「僕は驚きました、藤田先生とあなたが…。」

「ええ。もう20年以上になります。学生時代からですから。」

「全く気が付きませんでした。確かに今思えば、あなた達ふたりはよく飲みに行っていましたよね?」

「ええ…同棲してましたから。」

…そうだったのか。

「あなたも色々大変だとお聞きしました。」

…藤田は話したのか。

麻酔科医局長の藤田なら信用出来るような気がした。

「ええ。僕の妻にはもう一人夫が居ます。」

隆は大きく目を見開いた。

「彼女は異父二卵性双生児を昨年産みました。」

じっと小鳥遊を見つめて静かに隆は口を開いた。

「おふたりとも…とても愛されているんですね。」

隆は少し疲れているように見えた。

タエが遠慮がちにそっと近づいてきた。

「隆さんと小鳥遊先生は何かお飲みになりますか?」

隆が立ちあがり、僕が持ってきましょう。

ワインで良いですか?と小鳥遊に聞いて立ち上がり、ちょっと待っていてくださいと微笑んだ。

「藤…隆先生は嫉妬をしないんですか?奥さんや藤田先生に。」

隆は微笑んだ。

「勿論…しますよ。」

小鳥遊は不思議だった何故このような話をこの男に自分は自然に出来るのか。

「僕には彼の子供を産めません。結婚も出来ませんから養子に入ったわけです。」

…そうだったのか。

精神科医の時任が入ってくるのが見えた。ちらりとこちらを見たので小鳥遊は挨拶をした。

「時任先生をご存じなんですね。」

隆は小鳥遊の視線を追った。

「僕は、性嗜好障害で治療中なんです。」

隆は再び小鳥遊を見つめた。

「僕も…彼のところで鬱と性嗜好障害で治療を受けていました。今は時々セラピーに通うだけですが。」

小鳥遊は大きなため息をついた。

「僕は以前から指摘されていたんです。なのに、聞き入れず、色々問題になりました。」

隆は微笑んだ。

「いや…失礼。皆大切な人を失いそうになって初めて気が付く…んですよね。僕もれん …藤田を失いそうになって初めて気が付きました。」

「そうだったんですね。」

小鳥遊は、近くにあった生ハムをつまんだ。

「僕たちは良い戦友になれそうですね。」

隆は静かに笑って言った。

「僕は、もうすぐあなた達の病院へと戻ります。」

「そうなんですか?」

「また藤田と一緒に働けると思うと、嬉しいです。」

藤田は紙皿を取り、近くの寿司桶から寿司を四貫程つまんだ。

「小鳥遊先生は、相手の男性と奥さんの時間の奪い合いにはなりませんか?」

…そうだそのことも聞きたかった。

「相手が、余り気にしない…と言うか、家に居る時には、僕を優先してくれることが多かったですね。」

小鳥遊はハム・サンドウィッチをひとつ取り、食べた。

「三角関係というのは不思議なもので、お互いが無いものを求めあって、それが原因で嫉妬や喧嘩が起こるものです。」

小鳥遊の手が止まった。

「するとパワー・ゲームが始まります。愛しているからこそ…たちが悪い。そのうちどちらが沢山愛されているか試したくなる。」

自分が今泉に嫉妬をしているのと同じなのかも知れない。ただ奪い合いにならないのは、ひとえに今泉が自分に気を使っているからだ。

「これは僕たちの場合でしたが…。」

隆は神経質な笑いを浮かべた。

「その…パワー・ゲームの結果は…どうなったのでしょう。」

隆の顔が一瞬強張ったように見えた。

「3人がそれぞれ傷つきました…どうでしょうね。」

おい隆…ちょっとと藤田が呼んだ。

「ではちょっと失礼 小鳥遊先生また後で。」

隆はゆっくりソファから立ち上がり、優しい微笑みを湛えながら藤田の元へと向かった。

…隆から感じる負のイメージはなんだろう。

小鳥遊は藤田たちの関係と自分たちの関係は似ているようで、全く異なるような気がしてきた。

「ごめんなさいね。隆さんは最近、とても疲れているようで…。」

タエがコーヒーを持ってきた。藤田と隆はキッチンの隅で静かに話をしていた。もしかしたらこのタエが今泉の様な役割をしているような気がした。

「いえ…大丈夫です。」

タエが小鳥遊のソファの隣に座った。

「藤田からあなたのことは伺っております。同じ病院で働いている同僚だそうですね。」

タエは色白で切れ長の目が印象的な純和風の美人といった感じだった。

「ええ。僕は脳外ですが。いつも藤田医局長にはお世話になっています。」

「同じ病院で働いてる方を藤田が家に連れてきたことが無いので、お会いするのが楽しみでした。隆さんもまた同じ病院で働くそうで、宜しくお願い致しますね。」

タエが少し寂しそうな笑顔を浮かべた。

「余り嬉しそうではありませんね。」

小鳥遊は静かに言うと、
タエははっとしたような顔をした。

「済みません…僕はあなた達に干渉するつもりはありません。ただ僕も境遇があなた達と似ているものですから。」

小鳥遊は湯気が立つコーヒーを見つめながら言った。

「そうですか…。」

タエはどうやら藤田からも隆からも何も聞かされてないようだったが、小鳥遊の眼をじっと見た。

「また時々遊びに来てくださいね。今度は奥様もぜひ一緒に。」

タエは静かに微笑むと席を立った。


🐈‍⬛•*¨*•.¸¸♬

―――翌年の夏(華、夏2歳)

「えっ?無理です。出来ません。」

冬は教授の前で慌てていた。春学期がもうすぐ終わろうとしていた5月に突然教授に呼ばれた。

「適任者がいないのよ。代理でも良いんだけど、もう私も定年退職だから…ね?だから夏はゆっくり休んで、秋から頑張って♪」

トレーシー教授はプレジデント・チェアーに深々と座り眼鏡を外し、こめかみに手を当てながら言った。教授が病気療養で早めに退職することになった。

「あなたが、現場が好きな事は、ドクター・スミスから聞いていてよく分かりますし、見てても分かります。あなたの様に、研究と現場での仕事がバランスよく出来る人は珍しいのよ。」


「私…准教授になったばかりですよ?それなのに教授なんて勤まりません。私よりも適任者がいるじゃないですか。」

…ますます現場や生徒指導から離れていく。

「他の講師からの信頼も厚いし、あなたなら安心して任せられるから。お願いね。」

トレーシー教授は有無を言わさなかった。


「良いんじゃない?折角だから。」

今泉は夕食の準備をしている冬の背中を優しく撫でた。

「論文と、データー集積、スケジュール調整、それから卒業式や入学式…そんなのばっかりだよ!しかも、准教授不在になるから、暫くは教授と准教授兼任だって。もう嫌になっちゃう。」

華も夏も魔の2歳児になっていた。今泉も麻酔科医として働き始めたが、日本に居た時よりも時間の融通が利いた、育児を手伝うため今泉は仕事をセーブしていたし、長期の休みも取れた。

「トーコさんならきっと出来るよ。何でも体験してみるのがモットーなんでしょう?」

今泉は冬の後ろから抱き付き、うなじにキスをした。

「ダディ…抱っこ。」「…抱っこ。」

冬と今泉が話しているとふたりとも足にしがみついてきた。

「トーコさんはご飯作ってるから、ちょっと待ってね。お父さんと遊ぼうね。」

今泉は二人を一緒に抱き上げて、リビングへと連れて行った。

「ねぇ、トーコさんの夏休み約2カ月でしょう?そうしたら日本へ帰ろうか?ガクさんには連絡しておくよ。」


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