君が女の子

papporopueeee

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3日目

お母さんがくれたもの

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 久野絵が浴場に入ると、弥生が既に湯舟に浸かっていた。弥生は振り返ると、久野絵に向かってにこりと微笑んだ。

「今日は私が先でしたね」
「……オレは普段通りに来ただけだ。別に誰とも競ってしてねえし、誰かを待ったりもしねえ。先も後もねえよ」
「そうですか、残念です。私は織田君が驚くかもと思い、わくわくしながら待っていたのですがね」
「そういうことは説得力のある顔で言え。胡散臭い作り笑顔で言われても、誰も信じねえだろ」
「作り笑顔ですか……そんなつもりも無かったのですが、クセになっているのかもしれません。表情の中でも汎用性が高いですからね、笑顔は」
「ロボットかてめえは。表情を汎用性で評価してんじゃねえよ」

 洗い場で全身の汚れを落とした後、久野絵は弥生の隣に人一人分ほどの距離を空けて腰を下ろした。

「隣ですか……私は自分で思っていたよりも懐かれていたんですね」
「ペット扱いしてんじゃねえぞ。オレはいつもの場所と変わってねえ……隣を選んだのはてめえだろうが」
「そうですか……? まあ、そうかもしれませんね……」

 互いの表情も見えない隣同士で、互いの心情も読めない距離感で、静かに湯に浸かる弥生と久野絵。水圧で押し出されたかのような長い息を吐いた後、ぽつりと話し出したのは弥生だった。

「今日は私でしょうかね……」

 久野絵は横目でちらりと弥生を見て、その悟ったような顔をほんの少しだけ見つめた後、すぐに視線を戻した。

「毎日1人はヘルメット被らなきゃいけないってルールでもねえだろ。毎日2人被るルールもねえ筈だけどな……」
「それでも、いつかは誰か一人を残して被らないといけないですから。どうせ私は被る側です。早い方が皆にとっても良いでしょう」
「それは、てめえが優しい生徒会長様だからか? それとも……女だからか?」

 久野絵からのまっすぐな問いに、弥生は曖昧な笑みを返した。

「どちらも、私には断定できません。今はもう生徒会長では無いのは確かですが、他者と比較して著しく優しい人間だと言い切るのは難しいですね。自分を優しい人間だと形容するのは、なんだか烏滸がましく感じてしまいます」
「誤魔化してんじゃねえ。伝わってねえって言うんならはっきり言ってやる。てめえは誰かにヘルメットを被せるのが嫌だから自分から被るのか? てめえは自分を女だって認めてヘルメットを被んのか? そのどっちだってオレは訊いてんだよ」

 犬歯をはっきりと見せながら弥生に詰め寄る久野絵。
 長く息を吐いた後、弥生は諦めたようにその心の内の秘密を漏らし始めた。

「私の母は、女の子が欲しかったんです。昔から、それこそ今の私よりももっと幼い頃から……おままごとをする時だって、子供の性別は女の子じゃないと気が済まなかった。女の子を生むのは母の長年の夢で、幼少期からの尊く純粋な願いだったんです」
「母親の過去の話なのに、知ったような口で語るじゃねえか。てめえは母親の母親か?」
「だって、ずっと聞かされてきましたから……母自身の口から」

 そう言って、弥生は困ったように笑った。単純な好き嫌いでは無い、弥生自身でも解けないほどに絡まった複雑な感情が、その顔には表れていた。

「……毒親ってやつか? くだらねえな、母親が望んだからてめえは女の子だってか? 母親の望みを叶えるために女の子になっちまうのも悪くねえとか、アホなこと考えてんのか?」
「少し違いますね。そんなことをしなくとも、母の望みは叶っていましたから。少なくとも母と、それと幼い頃の私にとっては……母の女の子が欲しいという願いは成就していたんです」
「あぁ? 意味わからねえな……姉が居るとかそんなオチか?」
「いいえ、私は一人っ子です。ただ、母親にとっては私は女の子だった……それだけの話で済めば、話はもっとシンプルだったんですけれどね」

 胸を膨らませるほど深く息を吸ってから、弥生は優しく言葉を吐き出した。甘くて、ふわふわで、マシュマロのような、母から貰った大切な猛毒を、一つずつ大切に吐き出した。

「弥生は本当は女の子なんだよ……ずっと女の子が欲しいってお願いしてたお母さんを、弥生が見つけて叶えてくれたんだよ……ちょっとあわてんぼうだったから身体は男の子になっちゃったけど、弥生はちゃんと女の子だからね……だから、弥生も女の子の自分を好きになってあげてね……弥生が女の子として生まれてきてくれて、お母さんは本当に嬉しいよ……。これが、私にとっての子守唄でした。こんな言葉を何度も母親から聞かされたら、子供が信じてしまうのも仕方ないですよね?」

 そう言ってまた、弥生は困り眉で微笑んだ。母親のことを話す弥生の顔は、ずっと困ったままだった。今この瞬間もまだ、母親に困り続けているかのように。

「幼い私にとって、母の言葉はただの真実でしかありませんでした。大好きなお母さんの言葉を疑う子供なんて居ませんからね。自分は女の子なんだと信じて疑っていませんでしたし、女の子らしい振舞いをする度に母が喜んでくれるのが嬉しかった。でも……そんなまやかしが長く続くはずもありません。家族は、私と母親のふたりだけではありませんからね」
「父親か……」

 久野絵の言葉に一つ頷いてから、弥生は続きを話し出した。その声は母親について語る時よりも少しだけ小さかった。

「父は私を性同一性障害なのだと思っていました。母からの言い聞かせは秘密裏に行われていたんです。理解ある父は私を女の子として扱い、女の子としての振舞いを認めてくれていましたが……当時の私は所詮は子供ですから、ずっと隠し通せるはずもありません。母の所業が明るみに出ると、当然の如く私は母から引き離されました。母が私に行っていたのは性別の刷り込みであり、洗脳のようなものですからね。両親は私が8歳の時に離婚して、もう母とは長く会っていません」
「待てよ、それなら話はめでたしめでたしで終わりじゃねえのか? まさか、てめえの洗脳はまだ解けてねえってのか?」
「いいえ、私はもう自分を女の子だとは思っていません。歪んでいた性自認もとっくに戻っています。結局は身体が男の子ですからね。周囲からのサポートもあったおかげで、特に後遺症もありませんでした。母の行いは、到底許されて良いことではないと理解もしていますよ」

 にこりと、久野絵を安心させるかのように弥生は微笑んだ。しかしその顔は、やはり困ったままだった。

「ただ……どうしても、私には母を恨めないんです。父も、祖父母も、教師も、医者も、弁護士も……私の周りに居た大人たちは皆が母を非難していました。私も母の悪辣さは理解しているつもりです。でも、それでも……私がもう少し上手くやれたら、お母さんと離れなくて済んだのかな、なんて……今でも考えてしまうんですよ」
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