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弱者の日常
や、止めようよカイナ兄
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蜂に限らず、チェルの常識には昆虫食は存在しなかった。城ではそんな料理を出されたことは無いし、城下町でも取り扱っている店は見たことが無い。チェルにとって虫を食べるのはありえないことであり、カイナが嫌がらせの冗談を言っているのだと思っていた。
「虫を食べるのはそこまでおかしいことじゃない。城下町では一般的では無いが、村ではむしろ分けてもらいたいと言われたくらいだ。追われている立場の人間が口にする物としては上等な部類だろう。本当は油で揚げるのが一番美味いが、焚火で炙るのも悪くはない」
カイナは頭を奪われた蜂を木の枝に刺すと、焚火の火で炙り始めた。いまだにカイナの言葉を信じることができていないチェルの目の前で、蜂の調理を始めてしまった。
「っ……ど、毒は? その虫って毒があるんじゃないの? 食べるのは、きっと良くないよ? 止めておこう?」
チェルが食べたくないだけではなく、カイナにも虫を食べて欲しくなかった。その一心で、チェルは蜂を食べない方が良い理由を何とか絞り出した。
「加熱すれば毒性は弱まるし、そもそもとして食べる分には問題無い種類の毒だ。針についても、熱を加えると脆くなって舌にすらほぼ刺さらん。よっぽど気になるようなら、針は抜いてから食えばいいしな」
チェルの願望も虚しく、カイナに調理の手を止める気配はない。一匹目を焚火にくべたまま、二匹目の蜂まで炙り始める始末だった。
自分が虫を食べるのは言うに及ばず、誰かが食べているのもチェルは見たくはなかった。肉親であり、兄であり、これから長い逃亡生活を共にするカイナのことを、虫を食べるような人間として認識したくなかった。そんな思いから、チェルは一縷の望みをかけてカイナに縋りついた。遠まわしではなく、直接お願いをすることにした。
「や、止めようよカイナ兄。虫なんて、食べ物じゃないよ……。僕のパン分けてあげるからさ? 虫なんて食べないでよ……気持ち悪いよ……」
誇張した気持ちをカイナにぶつけたことで、チェルの胸は少しだけ痛んだ。ここまで言わないと止めてくれないだろうという思いではあったが、意図的に人を傷つける発言に慣れていないチェルは後ろめたさで心を締め付けられるようだった。
そしてやはり、そんな苦しみながらも吐いたチェルの言葉も、カイナの胸には少しも響いてはいなかった。ただの好き嫌いの感情論では、経験と知識に裏打ちされた理論には敵わない。
「余計な価値観を信じ込むのは止めた方がいいな、チェル。気持ち悪いと思うのは経験が無く慣れていないせいだ。経験さえしてしまえば、昆虫食も無理なく受け入れられるだろう。それに、虫を食べられない人間と、虫を食べることのできる人間では後者の方が圧倒的に有利だ。今の俺たちのように追い詰められている状況では特にな」
カイナの論理には非の打ち所が無く、感情が付け込む隙間も無い。止めて欲しいというお願いでは、食べられた方が有利という理論を打ち崩せない。
縋りつき媚びるチェルを尻目に、カイナは十分に焚火で炙った蜂を口に放り込んでしまった。
「あっ……あぁっ……」
カイナの顎が上下する度にパキパキと蜂の体が砕かれる音が鳴り響く。咀嚼音を聴いているだけでも、今この瞬間に食べられている蜂の姿が鮮明に想像できてしまう。
奥歯に胴体と羽が磨り潰され、前歯が節を嚙みちぎり、肉団子に変わり果てた蜂が喉を通っていく。カイナの身体に、虫の肉とエキスが取り込まれていく。
そして兄が手本を見せた次には、弟の番がやってきてしまう。
「平気だろう? チェルも食べてみろ」
「っ……いっ、いらないっ……」
カイナは初めてさえ経験してしまえば平気になると言っていた。確かに、その言は正しいのだろう。何事においても、慣れというのは人間の持つ重要な能力ではある。
問題なのはその初めての壁の高さであり、チェルが昆虫を食べられるようになりたいなどとは思ってもいないことだった。いくら生き延びる上で有利であろうとも、実は美味しいのだとしても、チェルは虫を食べたくはなかった。虫を食べる側の人間になりたくなかったし、カイナにもチェルと同じ側で居て欲しいと思っていた。
「虫を食べるのはそこまでおかしいことじゃない。城下町では一般的では無いが、村ではむしろ分けてもらいたいと言われたくらいだ。追われている立場の人間が口にする物としては上等な部類だろう。本当は油で揚げるのが一番美味いが、焚火で炙るのも悪くはない」
カイナは頭を奪われた蜂を木の枝に刺すと、焚火の火で炙り始めた。いまだにカイナの言葉を信じることができていないチェルの目の前で、蜂の調理を始めてしまった。
「っ……ど、毒は? その虫って毒があるんじゃないの? 食べるのは、きっと良くないよ? 止めておこう?」
チェルが食べたくないだけではなく、カイナにも虫を食べて欲しくなかった。その一心で、チェルは蜂を食べない方が良い理由を何とか絞り出した。
「加熱すれば毒性は弱まるし、そもそもとして食べる分には問題無い種類の毒だ。針についても、熱を加えると脆くなって舌にすらほぼ刺さらん。よっぽど気になるようなら、針は抜いてから食えばいいしな」
チェルの願望も虚しく、カイナに調理の手を止める気配はない。一匹目を焚火にくべたまま、二匹目の蜂まで炙り始める始末だった。
自分が虫を食べるのは言うに及ばず、誰かが食べているのもチェルは見たくはなかった。肉親であり、兄であり、これから長い逃亡生活を共にするカイナのことを、虫を食べるような人間として認識したくなかった。そんな思いから、チェルは一縷の望みをかけてカイナに縋りついた。遠まわしではなく、直接お願いをすることにした。
「や、止めようよカイナ兄。虫なんて、食べ物じゃないよ……。僕のパン分けてあげるからさ? 虫なんて食べないでよ……気持ち悪いよ……」
誇張した気持ちをカイナにぶつけたことで、チェルの胸は少しだけ痛んだ。ここまで言わないと止めてくれないだろうという思いではあったが、意図的に人を傷つける発言に慣れていないチェルは後ろめたさで心を締め付けられるようだった。
そしてやはり、そんな苦しみながらも吐いたチェルの言葉も、カイナの胸には少しも響いてはいなかった。ただの好き嫌いの感情論では、経験と知識に裏打ちされた理論には敵わない。
「余計な価値観を信じ込むのは止めた方がいいな、チェル。気持ち悪いと思うのは経験が無く慣れていないせいだ。経験さえしてしまえば、昆虫食も無理なく受け入れられるだろう。それに、虫を食べられない人間と、虫を食べることのできる人間では後者の方が圧倒的に有利だ。今の俺たちのように追い詰められている状況では特にな」
カイナの論理には非の打ち所が無く、感情が付け込む隙間も無い。止めて欲しいというお願いでは、食べられた方が有利という理論を打ち崩せない。
縋りつき媚びるチェルを尻目に、カイナは十分に焚火で炙った蜂を口に放り込んでしまった。
「あっ……あぁっ……」
カイナの顎が上下する度にパキパキと蜂の体が砕かれる音が鳴り響く。咀嚼音を聴いているだけでも、今この瞬間に食べられている蜂の姿が鮮明に想像できてしまう。
奥歯に胴体と羽が磨り潰され、前歯が節を嚙みちぎり、肉団子に変わり果てた蜂が喉を通っていく。カイナの身体に、虫の肉とエキスが取り込まれていく。
そして兄が手本を見せた次には、弟の番がやってきてしまう。
「平気だろう? チェルも食べてみろ」
「っ……いっ、いらないっ……」
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