50 / 67
弱者の日常
優しく抱きしめてもくれないし、頭を撫でて慰めてもくれない
しおりを挟む
「……どうして? どうしてなの……?」
それは意図せずして漏れ出した呟きだった。チェルの唇は無意識に、不条理への嘆きを紡いでいた。
カイナは黙って聞いていた。焚火の火で照らされるチェルの涙を、静かに見ていた。
「髪を切られて……トマトも食べられなくて……今度は虫……? どうして、こんな目に遭わないといけないの? 僕、王子様だったんじゃなかったの? 聖剣の勇者様じゃなかったの……? 知らない人に怯えて、お店で物を買うこともできなくて……どうして、こんなひもじい思いをしないといけないの?」
イクスガルドで民に追われ亡命して早一日。城とは比べ物にならない過酷な状況に、チェルの心は潰れかけていた。
質素な食料によって栄養が不足する身体。虫すら食べなければならない状況にすり減らされる精神。
好きだった自身の長髪は呆気なく兄の手によって奪われ、そんな優しくない兄に頼らないと今日を生きることもままならないジレンマ。
聖剣の加護を得た最強の王子様だったチェルは、今では盗人に身を落としかねない最弱の子供だ。そのギャップが、より一層チェルの心を苦しめていた。
「ツケを払っているだけだろう。好き勝手にしていた分の自由を拘束されているだけ……人の命を脅かしていたのだから、逆に脅かされる状況になっても文句は言うべきじゃないな」
カイナの言葉は冷たかった。チェルが弱音を吐いても、挫けそうになっていても、その態度は変わらない。
優しく抱きしめてもくれないし、頭を撫でて慰めてもくれない。カイナはただ正しい言葉をチェルにぶつけるだけであった。
カイナは良くも悪くも城に居た頃から変わっていないのかもしれない。チェルを年相応の子供として甘やかせてくれた人は、数年前に死んでしまってそれっきりだ。
「何それ……? それじゃあ、僕が悪者みたいじゃん……。皆のことを痛めつけて、脅して、怯えさせて……身勝手に殺していたって言うの……? ……カイナ兄は、僕のことをそう思ってるの?」
「イクスガルドから逃げ出した時の光景をもう忘れたのか? 浴びせられた声は? 聖剣という後ろ盾を失ったチェルに対し、どれだけの人が城が押し寄せていた? チェル自身はどう思っているんだ?」
「っ……それ、は……」
容赦の無いカイナの言葉は、チェルの本能が忘れようとしていた記憶を無理矢理に思い起こさせた。
ハリボテの聖剣を投げただけで恐怖に慄く人々の姿が、今も脳裏にこびりついている。民にとって、チェルはいたずらに人を傷つけるような存在だった。
憤怒に塗れた糾弾の声が、今も耳の中で反響して止まらない。彼らの腹の底に、チェルへの親しみは微塵も存在していなかった。
視界を埋め尽くすほどの人の声によって、チェルの背と心には殺人鬼という汚名が刻まれてしまった。もはや、チェルは国の仲間ですらなく魔物も同然だった。
答えなど、カイナが語るまでもなく定まっている。今のこのチェルの状況が、皆からどう思われていたかを如実に表しているのだから。
それは意図せずして漏れ出した呟きだった。チェルの唇は無意識に、不条理への嘆きを紡いでいた。
カイナは黙って聞いていた。焚火の火で照らされるチェルの涙を、静かに見ていた。
「髪を切られて……トマトも食べられなくて……今度は虫……? どうして、こんな目に遭わないといけないの? 僕、王子様だったんじゃなかったの? 聖剣の勇者様じゃなかったの……? 知らない人に怯えて、お店で物を買うこともできなくて……どうして、こんなひもじい思いをしないといけないの?」
イクスガルドで民に追われ亡命して早一日。城とは比べ物にならない過酷な状況に、チェルの心は潰れかけていた。
質素な食料によって栄養が不足する身体。虫すら食べなければならない状況にすり減らされる精神。
好きだった自身の長髪は呆気なく兄の手によって奪われ、そんな優しくない兄に頼らないと今日を生きることもままならないジレンマ。
聖剣の加護を得た最強の王子様だったチェルは、今では盗人に身を落としかねない最弱の子供だ。そのギャップが、より一層チェルの心を苦しめていた。
「ツケを払っているだけだろう。好き勝手にしていた分の自由を拘束されているだけ……人の命を脅かしていたのだから、逆に脅かされる状況になっても文句は言うべきじゃないな」
カイナの言葉は冷たかった。チェルが弱音を吐いても、挫けそうになっていても、その態度は変わらない。
優しく抱きしめてもくれないし、頭を撫でて慰めてもくれない。カイナはただ正しい言葉をチェルにぶつけるだけであった。
カイナは良くも悪くも城に居た頃から変わっていないのかもしれない。チェルを年相応の子供として甘やかせてくれた人は、数年前に死んでしまってそれっきりだ。
「何それ……? それじゃあ、僕が悪者みたいじゃん……。皆のことを痛めつけて、脅して、怯えさせて……身勝手に殺していたって言うの……? ……カイナ兄は、僕のことをそう思ってるの?」
「イクスガルドから逃げ出した時の光景をもう忘れたのか? 浴びせられた声は? 聖剣という後ろ盾を失ったチェルに対し、どれだけの人が城が押し寄せていた? チェル自身はどう思っているんだ?」
「っ……それ、は……」
容赦の無いカイナの言葉は、チェルの本能が忘れようとしていた記憶を無理矢理に思い起こさせた。
ハリボテの聖剣を投げただけで恐怖に慄く人々の姿が、今も脳裏にこびりついている。民にとって、チェルはいたずらに人を傷つけるような存在だった。
憤怒に塗れた糾弾の声が、今も耳の中で反響して止まらない。彼らの腹の底に、チェルへの親しみは微塵も存在していなかった。
視界を埋め尽くすほどの人の声によって、チェルの背と心には殺人鬼という汚名が刻まれてしまった。もはや、チェルは国の仲間ですらなく魔物も同然だった。
答えなど、カイナが語るまでもなく定まっている。今のこのチェルの状況が、皆からどう思われていたかを如実に表しているのだから。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜
かの
ファンタジー
世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。
スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。
偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。
スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!
冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!
チート魔力を持ったせいで世界を束ねる管理者に目を付けられたが、巻き込まれたくないので金稼ぎします
桜桃-サクランボ-
ファンタジー
金さえあれば人生はどうにでもなる――そう信じている二十八歳の守銭奴、鏡谷知里。
交通事故で意識が朦朧とする中、目を覚ますと見知らぬ異世界で、目の前には見たことがないドラゴン。
そして、なぜか“チート魔力持ち”になっていた。
その莫大な魔力は、もともと自分が持っていた付与魔力に、封印されていた冒険者の魔力が重なってしまった結果らしい。
だが、それが不幸の始まりだった。
世界を恐怖で支配する集団――「世界を束ねる管理者」。
彼らに目をつけられてしまった知里は、巻き込まれたくないのに狙われる羽目になってしまう。
さらに、人を疑うことを知らない純粋すぎる二人と行動を共にすることになり、望んでもいないのに“冒険者”として動くことになってしまった。
金を稼ごうとすれば邪魔が入り、巻き込まれたくないのに事件に引きずられる。
面倒ごとから逃げたい守銭奴と、世界の頂点に立つ管理者。
本来交わらないはずの二つが、過去の冒険者の残した魔力によってぶつかり合う、異世界ファンタジー。
※小説家になろう・カクヨムでも更新中
※表紙:あニキさん
※ ※がタイトルにある話に挿絵アリ
※月、水、金、更新予定!
クラス転移したら種族が変化してたけどとりあえず生きる
アルカス
ファンタジー
16歳になったばかりの高校2年の主人公。
でも、主人公は昔から体が弱くなかなか学校に通えなかった。
でも学校には、行っても俺に声をかけてくれる親友はいた。
その日も体の調子が良くなり、親友と久しぶりの学校に行きHRが終わり先生が出ていったとき、クラスが眩しい光に包まれた。
そして僕は一人、違う場所に飛ばされいた。
落ちこぼれの貴族、現地の人達を味方に付けて頑張ります!
ユーリ
ファンタジー
気がつくと、見知らぬ部屋のベッドの上で、状況が理解できず混乱していた僕は、鏡の前に立って、あることを思い出した。
ここはリュカとして生きてきた異世界で、僕は“落ちこぼれ貴族の息子”だった。しかも最悪なことに、さっき行われた絶対失敗出来ない召喚の儀で、僕だけが失敗した。
そのせいで、貴族としての評価は確実に地に落ちる。けれど、両親は超が付くほど過保護だから、家から追い出される心配は……たぶん無い。
問題は一つ。
兄様との関係が、どうしようもなく悪い。
僕は両親に甘やかされ、勉強もサボり放題。その積み重ねのせいで、兄様との距離は遠く、話しかけるだけで気まずい空気に。
このまま兄様が家督を継いだら、屋敷から追い出されるかもしれない!
追い出されないように兄様との関係を改善し、いざ追い出されても生きていけるように勉強して強くなる!……のはずが、勉強をサボっていたせいで、一般常識すら分からないところからのスタートだった。
それでも、兄様との距離を縮めようと努力しているのに、なかなか縮まらない! むしろ避けられてる気さえする!!
それでもめげずに、今日も兄様との関係修復、頑張ります!
5/9から小説になろうでも掲載中
運極のおっさんが挑む明るいダンジョン攻略のススメ~攻撃も防御も素早さも初期値だけど運だけで乗り切るぜ~
TB
ファンタジー
第三次世界大戦後、地球にダンジョンが現れた。
主人公『速水アキラ』は三十九歳のアラフォーリーマンだったが、勤務していたブラック企業に嫌気がさして、一念発起、【バラ色の人生】を目指してダンジョンシーカーとして生きる道を選択した。
チュートリアルダンジョンのゴール地点に到達したアキラが手に入れる一つのアイテム。
【ラッキーリング】実はこのアイテム名前は凄いが結構な地雷アイテムだった。
全てのステータスがLUCに変換され、他は全部初期値に固定されてしまう。
しかも外せない。
ダンジョンシーカーとしては致命的とも思えるスタートとなったが……アキラは果たして【バラ色の人生】を手に入れることは出来るのか?
【超速爆速レベルアップ】~俺だけ入れるダンジョンはゴールドメタルスライムの狩り場でした~
シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
ダンジョンが出現し20年。
木崎賢吾、22歳は子どもの頃からダンジョンに憧れていた。
しかし、ダンジョンは最初に足を踏み入れた者の所有物となるため、もうこの世界にはどこを探しても未発見のダンジョンなどないと思われていた。
そんな矢先、バイト帰りに彼が目にしたものは――。
【自分だけのダンジョンを夢見ていた青年のレベリング冒険譚が今幕を開ける!】
勝手にダンジョンを創られ魔法のある生活が始まりました
久遠 れんり
ファンタジー
別の世界からの侵略を機に地球にばらまかれた魔素、元々なかった魔素の影響を受け徐々に人間は進化をする。
魔法が使えるようになった人類。
侵略者の想像を超え人類は魔改造されていく。
カクヨム公開中。
レベルアップは異世界がおすすめ!
まったりー
ファンタジー
レベルの上がらない世界にダンジョンが出現し、誰もが装備や技術を鍛えて攻略していました。
そんな中、異世界ではレベルが上がることを記憶で知っていた主人公は、手芸スキルと言う生産スキルで異世界に行ける手段を作り、自分たちだけレベルを上げてダンジョンに挑むお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる