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33 清心

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 上空から見ると、戦況が手に取るようにわかった。
 一流の軍配者というのは、地面に立っていても、頭の中でこういう光景を作り出せるのだろう。

 恵五郎は龍の大凧を操り、味方と滝川勢、両軍の上空にありつづけた。
 30本近く積み込んでいた矢は、とうに使い切ったので、恵五郎はもう攻撃の手段を持たない。だが、味方の旗印となる大凧を下ろすのはためらわれた。この大凧が味方を奮い立たせ、敵方の士気を萎えさせている。

「あれほどとはな……」

 恵五郎は石積みの墓地をみやった。

 風神の怒りは凄まじいものがあった。
 さえぎるもののない空にあったから、吹き込む風も、吹き上げる風も、肌で感じた。
 石積みという舞台上で、風と火が踊る。滝川勢は墓地の中に陣地を築いたため、簡単な営舎があり、まわりを木柵で囲ってあった。
 そういったものをすべて燃やし尽くし、さらに風神山の木々をも呑み込んでいる。山肌を這うようにして、炎が上がっていく。山も燃えると思ったが、そうはならなかった。
 炎の辻風は、一刻で鎮火へ向かっている。
 
 その間、芹は早々に撤収したようだが、逃げ遅れた敵兵の中には、衣服に火が移って、地面をのたうちながら死んでいった者もいる。

 三雲外記が里に火を放ったとき、炎が風を呼び込んでいるように感じた。
 あの感覚は正しかった。石積みは周囲の風を集め、辻風を作り出し、炎を巻き上げる。石積みの墓地に足を踏み入れたときに感じる、身体が浮き上がるような感覚も、常に天へ向かう風が吹き上がっているからだ。
 わかってしまえば、どうということはない。

「怖れ、か」

 恵五郎は上空でつぶやいた。
 人々は、得体の知れないものを怖れた。
 凧に乗れることも、異能である。凧揚げ祭りを通して、連綿と受け継いできた技は、他の忍ノ里にはない。風を読む力も同様である。

 何のための技だったのか――。

 それを考え続けた。

「あの夜討ちの前に、城の土塁や堀切は役に立たないだろうな。物見にも使えるし、空からなら戦況が手に取るようにわかる」

 図らずも、自分たちが実践したことである。
 ただ、規模が小さい。たとえば、あの夜討ちを100の凧で行ったらどうなったか。それを想像したとき、恵五郎は身震いした。

「100人で、2、3000の敵に勝てる」

 恵五郎は自問を続ける。
 この凧部隊によって、風使いは忍ノ里に君臨したのだろう。真似のできるものではない。風使いの技が一族の外へもれないように気をつければ、一頭抜きん出た存在であり続けられる。
 だが、気になるのは石積みである。

 何に使っていたのか――。

 災厄を起こすためでも、敵を迎え撃つために考え出したことでもないはずだ。
 眼下に広がる石積み群は、一朝一夕で作れるものではないし、一基ごとに赤子を亡くした親や兄弟の思いが込められている。

 大凧が下がりはじめると、恵五郎は墓地の上へ戻る。上昇する風を受けて、大凧はまた高く上がった。
 そのとき、恵五郎ははっと気づいた。簡単なことである。

「凧を揚げるためだ」

 よそでは、小さな灯籠を川や海へ流し、死者を悼む。風ノ里では、死者の魂を凧に乗せて揚げる。六爺が子供のころはまだ、凧の糸を手放し、空へ流していたらしい。

「俺を浮かせるほどの風があるのだから、小さな凧なら天に返してくれる。……風を読むだけでなく、みずから生み出すための石積みか」

 それが災厄につながったのは、風使いの不幸である。
 出撃前、黒井から聞かされた推測。どのような仕掛けで災厄が起こったのかは判明した。しかし、なぜ起こったのかはわからないと、黒井は締めくくった。
 その答えを、恵五郎はもう知っている。

 150年前、熊野や南紀、志摩の沿岸を、黒い大津波が襲った。
 伊勢湾を臨む湊や村は、海に呑み込まれ、熊野の本宮や那智大社は倒壊し、多くの無辜むこの民が命を奪われた。大地震による天災である。

 田畑は潮をかぶり、釣り舟は流され、食べ物が尽きると、次に大飢饉が襲った。朝廷や将軍家、奈良や京の寺社から届く援助の食べ物は、賊に奪われた。生きるために、民の多くが賊となった。

 やがて、食べ物を求める人々の群れは、山間の風使いの里へ押し寄せた。
 当時、栄耀栄華を誇った風使いは、風神山の砦に大量の食べ物を備蓄しており、賊となった人々は里の結界を破って侵入。風使いは、これを迎撃した。
 そして、何かの拍子に、石積みに火が入ったとき、災厄は起こった。
 風使いでさえ予期せぬ、風と火の作り出した地獄に、人々の群れは焼き尽くされた。

 あの古文書にあった絵図は、このときの戦いを描いたものだ。恵五郎が首をかしげた、人々が手にしていた茶碗は、食べ物を求める様子である。

 大惨事と食べ物の恨みは、やがて風使いを孤立へと追い込む。

 一方で、風使いは危険すぎる技をみずから封じ、他に頼らない里作りを目指した。結果として、この断交が風使いの衰退を招き、差別へ繋がった。

 災厄は、語り継がれるうちに大地震、大飢饉の記憶と重なり合い、百の里を滅ぼし、十万の人々の命を奪ったという伝承へと変遷していく。

「よくも調べ上げたものだ。哲仁、おまえには頭が下がるよ」

 恵五郎は独語した。
 古文書に挟まれていた哲仁の遺言状。その小さくたたまれた手紙を、哲仁は亀山城へ向かう前に書いたに違いない。恵五郎はそれを受け取らなかった。
 あの晩に受け取り、哲仁の想いを知ったなら、亀山へ救いに行くこともできた。悔やんでも悔やみきれない。

 哲仁はすべてを書き綴っていた。
 唐の書物を読み漁り、里に身体の弱い赤子が多く生まれる理由も推測している。交わりが少なく、血縁同士の近親婚を繰り返すと、血が濃くなり、身体が弱くなる。
 哲仁も、恵五郎の長兄も、生まれつきの病を持っていた。図らずも、風使いは断交によって人を減らし、衰退したのである。それは、風ノ里がこのまま断交を続ければ、いずれ滅び行くということでもあった。

 だからこそ、融和を急いだのだ。

 哲仁は、己の寿命と里の寿命を重ね合わせたに違いない。生きているうちに融和を成し遂げたかったのだ。

 断交から融和へ舵を切った心情が、淡々とつづられた手紙には、恵五郎にどうせよという文面はまったくない。ただ、己の心の在り方だけを、素直に吐露していた。
 その行間に、恵五郎は哲仁のもどかしいまでの激情を見た。決して誰にも打ち明けず、風ノ里の運命を変えようとした哲仁。

「おまえは馬鹿だ!」

 上空で、手紙の文面を思い出し、恵五郎は叫んだ。

 災厄の真実も、風使いの秘術も、滅びゆく一族の運命も、すべてを知った上で、哲仁は沈黙した。封印されたものをそのまま闇へ葬り去れば、本当になかったことになる。
 隠匿いんとく
 そういうやり方を、哲仁は選んだ。

 歴史という重荷を、たったひとりで背負い、抱え、気が狂ったように融和を説き続けた。

 真心と誠意。そして、揺るぎなき意志。

 それら忘我の気概でもって、一五〇年の間に積み重なった澱をひたむきに取り除く。そうして成し遂げた融和の先に、哲仁の夢見た国があった。

 風狂の裏にあった清心。

 おなじことは、恵五郎にはできない。だが、別のやり方で哲仁の遺志を引き継ぐ。
 哲仁がすべてを隠匿したのとは反対に、恵五郎はすべてを明らかにすることにした。同情でも、何でも良い。明らかにすることで、誤解を解く。
 その手始めが、もう一度、災厄を引き起こすことだった。

 恵五郎がそんな思いをはせながら、空を漂っているころ、滝川勢の反撃がはじまっていた。
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