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洛陽動乱
陳宮公台伝 異伝 2
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曹操はさほど日を置かず、七星剣を携えて董卓の元へ行く。
剣を持って歩いているので警戒されるはずなのだが、曹操は董卓の信任厚い腹心なので持っている剣も献上品だと思われ、警護兵達からも呼び止められる事は無かった。
「やあ、どうも。董相国はどこにいらっしゃるか知っていますか?」
曹操は気軽に警備兵に向かって尋ねる。
位階が高くなるほど態度も大きくなり傲慢になる者も多い中、曹操は末端に対してさえも気さくに話しかけてくるので、西涼から流れてきた董卓の兵にも漢の正規軍の兵にも評判は良い。
「これは、曹操殿。董相国は奥の方にいらっしゃいますよ」
「ああ、ありがとう」
警備兵は、万が一にも曹操が刺客かもしれないと思う事も、考える事もしていない。
と言っても、警備兵の警戒心は董卓ほどではないのだから、ここで躓いていたのでは董卓暗殺など出来るはずもない。
「おや? 曹操殿?」
曹操が向かう方向から、呂布がやってきて曹操に声をかける。
「ああ、これは呂布将軍。おはようございます」
「まあ、おはようと言う時間でも無いんだが、おはようございます」
曹操の挨拶につられて、呂布も頭を下げる。
向こうから呂布が来たと言う事は、董卓の元を離れるのかと曹操は期待した。
「董相国が、今日は曹操が遅いなと気にしておられたよ。ちょうど今から様子を見に行くところだった。いやぁ、行き違いにならなくて良かった」
呂布は笑顔で言う。
そこには悪意や敵意の欠片もなく、本心からの言葉であるのが分かるのだが、それだけにタチが悪い。
むしろ行き違っていてくれた方が、曹操にとっては万倍は有難かったのだが、今の呂布を前にはそんな事も言えない。
董卓から送られたと言う黄金の鎧も、他の者が身につければ滑稽にすら映るところだが、呂布ほどの美男子であれば陽光と共に輝いて見える。
地味で没個性的な曹操とは正反対と言えるだろう。
「ところで曹操殿、噂を聞いたぞ」
「噂?」
何とも嫌な話の振り方ではあるが、呂布は探り合いを得意とするような人物ではない事を曹操は知っている。
もし王允邸での密談が漏れていたのであれば、曹操に対して笑顔で迎えると言う事は無いはずだ。
「何でもまた側室を迎えられたとか。大した色男振りじゃないか」
この口振りから、呂布は曹操の新しい側室は唐妃と言う事は知らないらしい。
今では尹夫人を名乗っているので、彼女の正体を知っているのはごく僅かであり、呂布ほどの側近でも知らないと言う事も分かった。
「英雄色を好む、と言いますから。まずは形から入ろうと思いまして」
「曹操殿なら、古今の英雄として名を残すだろうから奥さん達も大変そうだ」
「そう言う呂布将軍も、引く手あまたでしょう? 側室を持たないのですか?」
「カミさんと娘で、女手は足りてるよ。これ以上増えると持て余しそうだ」
呂布は笑いながら言う。
呂布とその妻である厳氏の仲睦まじさは評判で、この夫婦を見た者達は美男美女の組み合わせと、その見た目にそぐわない質素で朗らか雰囲気に驚く事になる。
そこに娘が加わると、いかにも幸せな家庭を見る事が出来た。
見た目で言えば、特に妻の厳氏などは氷の様な美貌なので周囲が緊張するのだが、その見た目からは想像もつかないくらいおっとりしている。
中でも李儒夫婦とは仲が良いらしい。
「でも、身の回りの世話をする者は必要では?」
「いやいや、ウチのカミさん、そう言う事に慣れてなくて緊張するらしくてな。どちらかといえば身の回りの世話をする方が安心出来るそうだ」
「それはまた、変わった方ですね」
「俺もそう思うよ」
呂布の態度から、王允邸での事はまったく漏れていない事は確信出来た。
「ところで、董相国は私に何か御用だったのでしょうか。来るのが遅いと言う事で、呂布将軍まで遣わそうとするとは」
「ははは、いや、大した事では無いよ。あ、いや、そうでもないかな?」
「どういう事ですか? 物凄く気になるのですが」
刺客である事を疑われてはいないみたいだが、呂布の言葉はまったく気にしなくてもいいと言う風には聞こえなかった。
「董相国が連日の職務でお疲れでね。ちょっとした気晴らしに、滑らない話が聞きたいと言われて。李傕殿と郭汜殿、相国の娘婿である牛輔殿が挑戦して見事に撃沈されたところだよ。で、期待されているのが曹操殿と言うわけだ」
「……それは色々厳しくありませんか?」
「董相国からいかに期待されているか、と言う事だよ」
呂布は笑いながら言うが、曹操としては笑い事では無い。
ただでさえ呂布が近くにいては暗殺に成功の見込みが無いと言うのに、董卓の気分次第で董卓軍の武将を集められたのでは暗殺どころか董卓に近付く事すら出来ない。
さて、どうしたものか。
曹操は表情には出さないものの、悩みながら董卓のところへ呂布と共に向かった。
だが、いざ董卓の元へ行くと状況は大きく変わっていた。
董卓は寝台の上にごろりと横になってくつろぎ、その他には誰もいない。
もしかしたら周りが余りにも滑りすぎて董卓が飽きたか、疲れたから解散になったのかもしれないが、とにかくこれは悪い事では無い。
後は呂布をどうにかして遠ざける必要がある。
「董相国、曹操殿が来られました」
呂布が言うと、董卓は大きな体を重そうに起こすと曹操の方を見る。
「何やら面白い話を所望とか。私でご期待に添えますやら」
「いやいや、それはもう良いのだ」
董卓は曹操の言葉を遮る。
「中々貴殿の様に話し上手がおらぬでな。今日はもう良い」
手を振りながら董卓は言うが、その口調や態度から機嫌はそう悪くないのはわかる。
「ところで、曹操。今日は随分と遅かったではないか。体調でも悪いのか?」
董卓が曹操に尋ねる。
「いえ、体調は万全です。ただ、私の馬はやせ細り、馬の方が調子を悪くて遅れてしまいました」
「馬の状態が?」
尋ねたのは董卓ではなく、呂布である。
「都一のキレ者がそんな事ではいかんぞ、曹操。奉先よ、診てやるが良い」
「はい。曹操殿、ちょっと見せてもらって良いか?」
「ええ、どうぞ」
曹操はひとまず董卓の元を離れ、呂布と共に自身の馬の元へ行く。
「……ちょっと意外だな。曹操殿は何もかも隙無くこなす印象だったが、こんな馬に乗っていたのか」
呂布は曹操の馬を見て言う。
今日曹操が乗ってきた馬はただ痩せていると言うだけでなく、かなりの老馬で、都の移動ならともかく戦場を駆けるような名馬では無い。
「道はよく知っているので、重宝していたのですが。さすがに朝議に遅れたりするとマズいですよね?」
「ああ、それはちょっと問題になりかねないな。俺が馬を見繕ってこようか?」
「それは有難いのですが、呂布将軍個人で馬の贈与は問題になりませんか?」
「と、言うと?」
「董相国の許可が必要ではないかと思いまして」
「ああ、なるほど。一言声を掛けておくべきだろう」
呂布は頷いて言う。
「私の方から相国には伝えておきましょう。相国の機嫌も良かったみたいですから、おそらく問題にはならないかと思います」
「じゃあ、それで頼む。俺は馬を引いてくるよ」
呂布はそう言うと、曹操と別れる。
完全に善意からの言葉だったので申し訳なくも感じるが、曹操にとって千載一遇の好機到来である。
呂布の乗っているのが赤兎馬と言う名馬の中の名馬であるが、彼の所有、管理する馬は赤兎馬にこそ及ばないものの名馬揃いである事は、曹操もよく知っている。
千載一遇の好機ではあるが、時間に余裕は無い。
呂布の生真面目でお人好しな性格からしても、急いで馬を持ってこようとするだろう。
曹操はそう考えながら董卓の元へ行く。
董卓は大あくびしながら、寝椅子の上で伸びをしているところだった。
「うむ? 曹操だけか?」
「ええ。私の馬があまりにも貧相と言う事で、呂布将軍が代わりの馬を持ってきてくれると言う事になりました」
「ああ、必要だろう。疾さは重要だからなぁ」
「相国、随分とお疲れのご様子。ゆっくり休まれては?」
曹操は眠たそうな董卓に向かって言う。
「そうだのう。まだまだお前達には負けんと言いたいところだが、最近は体の節々が痛んで、一晩に五人も抱けなくなったわい」
「いやいや、まだまだお盛んな事で」
董卓の自慢話に、曹操は笑いながら答える。
それに気を良くした董卓は、曹操に背を向けてごろりと横になる。
今だ。
いかに大男で人間離れした膂力を持つ董卓といえど、後ろからの攻撃に対処出来るはずもなく、首を後ろから狙えると言うこれ以上無い絶好の好機である。
曹操は董卓に斬りかかる為に、王允から受け取ってきた七星剣を抜き放つ。
ここで曹操にとってもまったくの計算外な事が起きた。
鞘から抜き放った七星剣が、眩い光を放ったのだ。
それは寝台の向こうにある鏡に反射して、董卓に気付かせる事になった。
「む? 何事だ!」
董卓は重いに違いない大きな体に似合わず、俊敏な動きで飛び起き、曹操の方を振り返る。
「これは申し訳ございません。起こしてしまいましたか」
曹操は平然と答えると、抜き放った七星剣を董卓に向けて掲げる。
「今日は体調を崩しておられる王允殿より、引き続き三公の地位に就けていただいた事を相国への感謝として、この秘宝、七星剣を預かってまいりました。ですが、相国はお疲れのご様子でしたので、この品と手紙を残して退散しようと思った限りです」
曹操の言葉に、董卓は眉を寄せる。
「ほう、王允がのう。しかし曹操、何故剣を鞘から抜く必要があったのだ?」
「この刃をご覧下さい」
疑念を持つ董卓に、曹操は答える。
「数百年の昔の剣であるにも関わらず、この見事な輝き。是非とも閣下には鞘に収めた状態ではなく、抜いた状態でご覧頂きたかったのです。ですが、私の配慮が足りず、閣下のお休みを邪魔する事になってしまいました」
「曹操、その剣をよく見せてみよ」
董卓に言われ、曹操はすぐに董卓に七星剣を献上する。
「ほう、これは素晴らしい。是非切れ味を試してみたいところだのう」
董卓は曹操に向かって言う。
「私で試しますか? 私も相国と七星剣と言う英雄と名剣の組み合わせであれば、斬られ甲斐もあります」
曹操は恭しく答えると、董卓に七星剣の鞘も渡す。
「そうだのう。この刃を血に汚す事は躊躇われるな。今日はやめておこう」
董卓はそう言うと、眠気も吹っ飛んだのか七星剣を眺めている。
その時、表から馬の嘶いななきが聞こえてきた。
呂布が戻ってきたのだ。
「お待たせしたな、曹操殿。名馬を引いてきた」
自信満々に呂布が曹操に向かって言う。
「おお、それでは早速拝見しましょう」
「いや、待て曹操」
馬の方へ行こうとする曹操を、董卓が呼び止める。
「呂布、これを見よ」
董卓は呂布も呼び止めて、七星剣を見せる。
「それは?」
「七星剣だ。聞いた事くらいあるだろう?」
「……はぁ」
呂布の表情や返事からすると、呂布は七星剣の存在を知らないようだ。
「見よ、この刀身の輝きを。これぞ名剣の中の名剣である」
董卓は見せびらかす様に、呂布に向かって言う。
「美しい剣ですね。曹操殿が持ってこられたのか?」
董卓がそんな剣を持っていなかった事を知っている呂布は、曹操に尋ねる。
「王允殿よりの預かり物です。是非とも董相国へとの事」
「ほう、さすが王允殿。珍しい物をお持ちだ」
呂布は感心しているが、呂布自身はあまり財宝などには興味が無いらしい。
「先日の丁管、伍孚の件もありますれば、王允殿も董相国への贈り物は単なる財宝などより武具の方が良いかと思われたのでしょう」
「なるほどなぁ」
感心しているのかどうか分からない返事で、呂布は頷いている。
「奉先よ。お前が持つか? 剣はやはり武器。当代一の名将が持つべき物である」
董卓は呂布に向かって言うが、呂布は少し考えて首を振る。
「それは王允殿が董相国へと贈られた物。俺が持っていては王允殿も気分を害されるでしょう。それに俺には相国より賜った方天画戟がありますので、それは相国がお持ち下さい」
「うむ。そうか、そうか。ではそうしようかのう」
董卓はホクホク顔で言う。
これは持ち物自慢をしたいだけの董卓の幼稚な行動だったのだろうが、呂布はそれを察した訳ではないのに最上の答えを返した。
「では呂布殿、馬を見せていただいてもよろしいでしょうか」
「ああ、良い名馬だぞ」
呂布は宝剣より名馬の方が自慢したいようで、喜んで曹操へ自分の持ってきた名馬を見せる。
董卓は七星剣を眺めていたので、曹操と呂布は馬の方へ行く。
それは見るからにわかる名馬だった。
「これは素晴らしい! ですが、私に乗りこなせるでしょうか」
「うーん、まあ、黄巾の乱を戦った曹操殿であれば乗れるとは思うけど、試乗してみるか?」
「それは是非とも」
曹操はそう言って、馬に乗る。
が、よろよろと危なっかしい感じで、今にも落馬しそうに見える。
「大丈夫か? 曹操殿」
「だ、大丈夫、です。ただ、粗相があってはいけないので、今日はこのまま退散して、馬に慣れる努力を、します」
「ああ、その必要もありそうだ」
呂布は曹操の方を心配しながら言う。
そこで曹操は董卓と呂布と別れ、名馬に乗って走り去っていく。
董卓暗殺に失敗した曹操だったが、機転に機転を重ねて絶体絶命の危機を逃げ切る事に成功した。
剣を持って歩いているので警戒されるはずなのだが、曹操は董卓の信任厚い腹心なので持っている剣も献上品だと思われ、警護兵達からも呼び止められる事は無かった。
「やあ、どうも。董相国はどこにいらっしゃるか知っていますか?」
曹操は気軽に警備兵に向かって尋ねる。
位階が高くなるほど態度も大きくなり傲慢になる者も多い中、曹操は末端に対してさえも気さくに話しかけてくるので、西涼から流れてきた董卓の兵にも漢の正規軍の兵にも評判は良い。
「これは、曹操殿。董相国は奥の方にいらっしゃいますよ」
「ああ、ありがとう」
警備兵は、万が一にも曹操が刺客かもしれないと思う事も、考える事もしていない。
と言っても、警備兵の警戒心は董卓ほどではないのだから、ここで躓いていたのでは董卓暗殺など出来るはずもない。
「おや? 曹操殿?」
曹操が向かう方向から、呂布がやってきて曹操に声をかける。
「ああ、これは呂布将軍。おはようございます」
「まあ、おはようと言う時間でも無いんだが、おはようございます」
曹操の挨拶につられて、呂布も頭を下げる。
向こうから呂布が来たと言う事は、董卓の元を離れるのかと曹操は期待した。
「董相国が、今日は曹操が遅いなと気にしておられたよ。ちょうど今から様子を見に行くところだった。いやぁ、行き違いにならなくて良かった」
呂布は笑顔で言う。
そこには悪意や敵意の欠片もなく、本心からの言葉であるのが分かるのだが、それだけにタチが悪い。
むしろ行き違っていてくれた方が、曹操にとっては万倍は有難かったのだが、今の呂布を前にはそんな事も言えない。
董卓から送られたと言う黄金の鎧も、他の者が身につければ滑稽にすら映るところだが、呂布ほどの美男子であれば陽光と共に輝いて見える。
地味で没個性的な曹操とは正反対と言えるだろう。
「ところで曹操殿、噂を聞いたぞ」
「噂?」
何とも嫌な話の振り方ではあるが、呂布は探り合いを得意とするような人物ではない事を曹操は知っている。
もし王允邸での密談が漏れていたのであれば、曹操に対して笑顔で迎えると言う事は無いはずだ。
「何でもまた側室を迎えられたとか。大した色男振りじゃないか」
この口振りから、呂布は曹操の新しい側室は唐妃と言う事は知らないらしい。
今では尹夫人を名乗っているので、彼女の正体を知っているのはごく僅かであり、呂布ほどの側近でも知らないと言う事も分かった。
「英雄色を好む、と言いますから。まずは形から入ろうと思いまして」
「曹操殿なら、古今の英雄として名を残すだろうから奥さん達も大変そうだ」
「そう言う呂布将軍も、引く手あまたでしょう? 側室を持たないのですか?」
「カミさんと娘で、女手は足りてるよ。これ以上増えると持て余しそうだ」
呂布は笑いながら言う。
呂布とその妻である厳氏の仲睦まじさは評判で、この夫婦を見た者達は美男美女の組み合わせと、その見た目にそぐわない質素で朗らか雰囲気に驚く事になる。
そこに娘が加わると、いかにも幸せな家庭を見る事が出来た。
見た目で言えば、特に妻の厳氏などは氷の様な美貌なので周囲が緊張するのだが、その見た目からは想像もつかないくらいおっとりしている。
中でも李儒夫婦とは仲が良いらしい。
「でも、身の回りの世話をする者は必要では?」
「いやいや、ウチのカミさん、そう言う事に慣れてなくて緊張するらしくてな。どちらかといえば身の回りの世話をする方が安心出来るそうだ」
「それはまた、変わった方ですね」
「俺もそう思うよ」
呂布の態度から、王允邸での事はまったく漏れていない事は確信出来た。
「ところで、董相国は私に何か御用だったのでしょうか。来るのが遅いと言う事で、呂布将軍まで遣わそうとするとは」
「ははは、いや、大した事では無いよ。あ、いや、そうでもないかな?」
「どういう事ですか? 物凄く気になるのですが」
刺客である事を疑われてはいないみたいだが、呂布の言葉はまったく気にしなくてもいいと言う風には聞こえなかった。
「董相国が連日の職務でお疲れでね。ちょっとした気晴らしに、滑らない話が聞きたいと言われて。李傕殿と郭汜殿、相国の娘婿である牛輔殿が挑戦して見事に撃沈されたところだよ。で、期待されているのが曹操殿と言うわけだ」
「……それは色々厳しくありませんか?」
「董相国からいかに期待されているか、と言う事だよ」
呂布は笑いながら言うが、曹操としては笑い事では無い。
ただでさえ呂布が近くにいては暗殺に成功の見込みが無いと言うのに、董卓の気分次第で董卓軍の武将を集められたのでは暗殺どころか董卓に近付く事すら出来ない。
さて、どうしたものか。
曹操は表情には出さないものの、悩みながら董卓のところへ呂布と共に向かった。
だが、いざ董卓の元へ行くと状況は大きく変わっていた。
董卓は寝台の上にごろりと横になってくつろぎ、その他には誰もいない。
もしかしたら周りが余りにも滑りすぎて董卓が飽きたか、疲れたから解散になったのかもしれないが、とにかくこれは悪い事では無い。
後は呂布をどうにかして遠ざける必要がある。
「董相国、曹操殿が来られました」
呂布が言うと、董卓は大きな体を重そうに起こすと曹操の方を見る。
「何やら面白い話を所望とか。私でご期待に添えますやら」
「いやいや、それはもう良いのだ」
董卓は曹操の言葉を遮る。
「中々貴殿の様に話し上手がおらぬでな。今日はもう良い」
手を振りながら董卓は言うが、その口調や態度から機嫌はそう悪くないのはわかる。
「ところで、曹操。今日は随分と遅かったではないか。体調でも悪いのか?」
董卓が曹操に尋ねる。
「いえ、体調は万全です。ただ、私の馬はやせ細り、馬の方が調子を悪くて遅れてしまいました」
「馬の状態が?」
尋ねたのは董卓ではなく、呂布である。
「都一のキレ者がそんな事ではいかんぞ、曹操。奉先よ、診てやるが良い」
「はい。曹操殿、ちょっと見せてもらって良いか?」
「ええ、どうぞ」
曹操はひとまず董卓の元を離れ、呂布と共に自身の馬の元へ行く。
「……ちょっと意外だな。曹操殿は何もかも隙無くこなす印象だったが、こんな馬に乗っていたのか」
呂布は曹操の馬を見て言う。
今日曹操が乗ってきた馬はただ痩せていると言うだけでなく、かなりの老馬で、都の移動ならともかく戦場を駆けるような名馬では無い。
「道はよく知っているので、重宝していたのですが。さすがに朝議に遅れたりするとマズいですよね?」
「ああ、それはちょっと問題になりかねないな。俺が馬を見繕ってこようか?」
「それは有難いのですが、呂布将軍個人で馬の贈与は問題になりませんか?」
「と、言うと?」
「董相国の許可が必要ではないかと思いまして」
「ああ、なるほど。一言声を掛けておくべきだろう」
呂布は頷いて言う。
「私の方から相国には伝えておきましょう。相国の機嫌も良かったみたいですから、おそらく問題にはならないかと思います」
「じゃあ、それで頼む。俺は馬を引いてくるよ」
呂布はそう言うと、曹操と別れる。
完全に善意からの言葉だったので申し訳なくも感じるが、曹操にとって千載一遇の好機到来である。
呂布の乗っているのが赤兎馬と言う名馬の中の名馬であるが、彼の所有、管理する馬は赤兎馬にこそ及ばないものの名馬揃いである事は、曹操もよく知っている。
千載一遇の好機ではあるが、時間に余裕は無い。
呂布の生真面目でお人好しな性格からしても、急いで馬を持ってこようとするだろう。
曹操はそう考えながら董卓の元へ行く。
董卓は大あくびしながら、寝椅子の上で伸びをしているところだった。
「うむ? 曹操だけか?」
「ええ。私の馬があまりにも貧相と言う事で、呂布将軍が代わりの馬を持ってきてくれると言う事になりました」
「ああ、必要だろう。疾さは重要だからなぁ」
「相国、随分とお疲れのご様子。ゆっくり休まれては?」
曹操は眠たそうな董卓に向かって言う。
「そうだのう。まだまだお前達には負けんと言いたいところだが、最近は体の節々が痛んで、一晩に五人も抱けなくなったわい」
「いやいや、まだまだお盛んな事で」
董卓の自慢話に、曹操は笑いながら答える。
それに気を良くした董卓は、曹操に背を向けてごろりと横になる。
今だ。
いかに大男で人間離れした膂力を持つ董卓といえど、後ろからの攻撃に対処出来るはずもなく、首を後ろから狙えると言うこれ以上無い絶好の好機である。
曹操は董卓に斬りかかる為に、王允から受け取ってきた七星剣を抜き放つ。
ここで曹操にとってもまったくの計算外な事が起きた。
鞘から抜き放った七星剣が、眩い光を放ったのだ。
それは寝台の向こうにある鏡に反射して、董卓に気付かせる事になった。
「む? 何事だ!」
董卓は重いに違いない大きな体に似合わず、俊敏な動きで飛び起き、曹操の方を振り返る。
「これは申し訳ございません。起こしてしまいましたか」
曹操は平然と答えると、抜き放った七星剣を董卓に向けて掲げる。
「今日は体調を崩しておられる王允殿より、引き続き三公の地位に就けていただいた事を相国への感謝として、この秘宝、七星剣を預かってまいりました。ですが、相国はお疲れのご様子でしたので、この品と手紙を残して退散しようと思った限りです」
曹操の言葉に、董卓は眉を寄せる。
「ほう、王允がのう。しかし曹操、何故剣を鞘から抜く必要があったのだ?」
「この刃をご覧下さい」
疑念を持つ董卓に、曹操は答える。
「数百年の昔の剣であるにも関わらず、この見事な輝き。是非とも閣下には鞘に収めた状態ではなく、抜いた状態でご覧頂きたかったのです。ですが、私の配慮が足りず、閣下のお休みを邪魔する事になってしまいました」
「曹操、その剣をよく見せてみよ」
董卓に言われ、曹操はすぐに董卓に七星剣を献上する。
「ほう、これは素晴らしい。是非切れ味を試してみたいところだのう」
董卓は曹操に向かって言う。
「私で試しますか? 私も相国と七星剣と言う英雄と名剣の組み合わせであれば、斬られ甲斐もあります」
曹操は恭しく答えると、董卓に七星剣の鞘も渡す。
「そうだのう。この刃を血に汚す事は躊躇われるな。今日はやめておこう」
董卓はそう言うと、眠気も吹っ飛んだのか七星剣を眺めている。
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呂布が戻ってきたのだ。
「お待たせしたな、曹操殿。名馬を引いてきた」
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「おお、それでは早速拝見しましょう」
「いや、待て曹操」
馬の方へ行こうとする曹操を、董卓が呼び止める。
「呂布、これを見よ」
董卓は呂布も呼び止めて、七星剣を見せる。
「それは?」
「七星剣だ。聞いた事くらいあるだろう?」
「……はぁ」
呂布の表情や返事からすると、呂布は七星剣の存在を知らないようだ。
「見よ、この刀身の輝きを。これぞ名剣の中の名剣である」
董卓は見せびらかす様に、呂布に向かって言う。
「美しい剣ですね。曹操殿が持ってこられたのか?」
董卓がそんな剣を持っていなかった事を知っている呂布は、曹操に尋ねる。
「王允殿よりの預かり物です。是非とも董相国へとの事」
「ほう、さすが王允殿。珍しい物をお持ちだ」
呂布は感心しているが、呂布自身はあまり財宝などには興味が無いらしい。
「先日の丁管、伍孚の件もありますれば、王允殿も董相国への贈り物は単なる財宝などより武具の方が良いかと思われたのでしょう」
「なるほどなぁ」
感心しているのかどうか分からない返事で、呂布は頷いている。
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董卓は呂布に向かって言うが、呂布は少し考えて首を振る。
「それは王允殿が董相国へと贈られた物。俺が持っていては王允殿も気分を害されるでしょう。それに俺には相国より賜った方天画戟がありますので、それは相国がお持ち下さい」
「うむ。そうか、そうか。ではそうしようかのう」
董卓はホクホク顔で言う。
これは持ち物自慢をしたいだけの董卓の幼稚な行動だったのだろうが、呂布はそれを察した訳ではないのに最上の答えを返した。
「では呂布殿、馬を見せていただいてもよろしいでしょうか」
「ああ、良い名馬だぞ」
呂布は宝剣より名馬の方が自慢したいようで、喜んで曹操へ自分の持ってきた名馬を見せる。
董卓は七星剣を眺めていたので、曹操と呂布は馬の方へ行く。
それは見るからにわかる名馬だった。
「これは素晴らしい! ですが、私に乗りこなせるでしょうか」
「うーん、まあ、黄巾の乱を戦った曹操殿であれば乗れるとは思うけど、試乗してみるか?」
「それは是非とも」
曹操はそう言って、馬に乗る。
が、よろよろと危なっかしい感じで、今にも落馬しそうに見える。
「大丈夫か? 曹操殿」
「だ、大丈夫、です。ただ、粗相があってはいけないので、今日はこのまま退散して、馬に慣れる努力を、します」
「ああ、その必要もありそうだ」
呂布は曹操の方を心配しながら言う。
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