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洛陽動乱
陳宮公台伝 異伝 1
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董卓独裁政権の恐怖は、瞬く間に洛陽の都を覆った。
丁管に対する残虐極まりない刑罰、先帝劉弁を含む何一族の惨殺、そして何の罪も無い村民の虐殺、伍孚の董卓暗殺未遂に対する董卓の苛烈極まる処遇。
それらの事はすぐに都の民に伝わり、いつ自分の番になるかと恐れている。
しかし、それは力を持たない一般市民だけではなく、本来特権階級である高官達も例外ではなかった。
何しろ弘農王に降格になったとはいえ、先帝を殺した男である。
皇帝に並ぶような階位が無い以上、どれほどの高官であっても弘農王と同じ運命になりかねない。
三公である司徒、王允も同様だった。
王允は董卓政権を築く上で最大の功労者と言える人物であり、西涼から洛陽へ来る時から多大な貢献をしてきた事で、董卓からの信任も厚い。
王允には王允の考えがあった。
辺境の一太守であり、武勇は聞き及ぶところであったが黄巾の乱では連戦連敗。腹に一物あったとしても、大言壮語のみで実行出来ない男。
王允が耳にした董卓の評価は、そういったモノだった。
それ故に扱いやすい人物だと思っていた。
人は自分から離れたところにいる者を見下し、過小に評価する事が圧倒的に多い。
董卓と言う人物の評価も、その多い例の中の一例でしかないと言う事を王允は董卓に会って思い知らされた。
黄巾の乱の時、董卓の連敗は能力によるモノでは無かったのだ。
あの外見から董卓とは血を好む猛将であり、ただ暴力を振るうだけの無法者だと王允も思っていたのだが、その実は深慮を備えた無法者だった。
今では董卓を人の皮を被った獣と言う者も多くなったが、それさえも董卓に対しては過小評価であると王允は思い知らされた。
あれは人の皮を被った獣のフリをしている、魔物である。
董卓だけでも手に余ると言うのに、側近には知恵袋の李儒と身辺を警護する剛勇の武将呂布までいるのだから、手に余るどころの話ではない。
とても操れるような者ではなかった。
王允としては自身の失策に頭を抱えていたのだが、そこへ追い打ちをかける様に渤海に逃げ延び、今では董卓の温情によって太守に任じられた袁紹から王允をなじる書状が届いた。
曰く、『国家の重席にあってその責任をまっとうせず、佞臣をのさばらせている事、忠臣と呼ぶに能わず』との事だった。
袁紹のような者に言われるまでもなく、王允も分かっている。
書状の中には袁紹は董卓の専横を許さず、いずれ排除して世を正すとあったが、渤海にいて何が出来るのかは不明である。
また、袁紹が都から離れた直後に袁術も洛陽から南陽へと移っている。
名門袁家の武の要とも言える袁家の二児が揃って都を離れてしまっているので、都に残った袁家の戦力は事実上皆無と言う事で、いよいよ袁紹が言うような董卓を排除する事など出来ない。
皇甫嵩、朱儁と言った武将は現職で健在であるが、武の中枢を董卓が把握している以上、彼らも自由には動けずにいた。
王允としても董卓の専横を許すつもりなどないのだが、それを抑える事に失敗した場合には丁管、伍孚の例を上げるまでもない。
結局妙手が浮かばないまま、王允は悶々とした日々を過ごしていた。
その日の夜、王允の誕生日を祝う宴が王允の私邸で行われた。
漢の重臣である王允主催の宴と言う事で、董卓軍を含む漢の臣が続々と集まってくる。
王允は董卓を都に引き入れた人物であり、董卓からも重用されているにも関わらず、裏では反董卓勢力の中心人物でもある。
それはごく一部の人間にしか知られていない事ではあるが、今日の誕生日の宴にはその主要人物が揃っていた。
宴の当初はそれこそ参加者の中に親董卓派の人物もいれば、日和見主義の者もいる。
なので当たり障りのない宴となっていた。
夜も更けた頃、参加者の数も大幅に減り、残った者は反董卓派ばかりになった頃に王允は突然袖で顔を覆って泣き始めた。
あまりにも突然の事に、参加者達の大半は驚き戸惑った。
「王允殿、今日は貴方の誕生日と言うめでたい日。なのに何故そのように泣き出すのですか?」
参加者の一人が王允に尋ねる。
王允との親交厚い士孫瑞である。
「董卓は国の行く末を誤り、民に災いをなしている。その先にあるのが漢王朝の滅亡にならないかと憂いているのですが、それを憂慮したところで私には力が無いと思い知らされ、それが悲しくて悲しくて」
そう言って泣く王允を見て、周囲の参加者達はもらい泣きしたかのように袖で顔をおおう。
が、その中にあって深々と溜息をつく者がいた。
曹操である。
彼も董卓から重用されている人物の一人で、王允共々表面的には親董卓派の人物と見られているが、実際には親董卓なのか反董卓なのか誰も知らない。
この王允の誕生日の宴にも最初から参加していたのだが、本人の卓越した能力の割にあまりにも没個性的な外見であるため、喋らなければ誰も彼を気にかけなかった為にここまで残っている事に気づかれていなかった。
普段素晴らしく目を惹く袁紹と一緒にいた事もあり、その目印が無くなった途端に目立たなくなったと言う事である。
「随分と芝居がかった事がお好みなようですね。ここで泣き落としたところで、董相国にどれほどの事がありましょうか」
呆れた口調で、曹操は言う。
その失礼極まる言葉に、王允に同情的だった空気が一気に凍りつき、一同は一斉に曹操を睨みつけてくる。
それに対して曹操は、まったく表情を変えずに涼しげですらあった。
「重臣一同がこのように集まって、国を憂いて知恵を出し合うのかと思えば、だたの愚痴集会だったとは。これほど高官の皆さんが董相国に対して裏で愚痴って、自分達を憐れむ事しか出来ないのですか? なんとも嘆かわしい事です」
言いたい放題の曹操に、参加者は敵意を向ける。
「貴殿も若いとはいえ、漢の重臣。その様な言い様は、亡きお祖父様も嘆かれますぞ」
間を取りなす様に、王允は曹操に言う。
「いえいえ、祖父であれば私の言い様を嘆くより、皆様の不甲斐なさの方をこそ嘆くでしょう」
「貴様! 国の大事を何と考えている! 今こそ力を合わせて漢の為に命をかけるべき時ではないか!」
曹操の失礼な物言いに激高して、指をさしてなじる者がいた。
王子服と言う、名門の将軍である。
「そうなのですが、それであれば帯剣を許された宴の際に力を合わせて命をかけるべきではありませんでしたか? あの時、正に自らの命と武をかけて董相国に歯向かったのは袁紹ただ一人。今になって事の重要さが分かったのか、恥ずかしくなったのかは知りませんが、時を見誤りましたな」
曹操は激高する王子服に対し、鼻で笑う様に言う。
「この若造め! 董卓の肩を持つか!」
「そうではありませんが、皆さんは余りに自分達に都合よく考え、相手の事を知らなすぎると思いまして。そんな事で国の大事に当たれましょうか」
曹操は目上である王子服を歯牙にもかけず、悠々と酒を飲みながら言う。
「そもそも董相国が国を誤っているとは、どの様にですか?」
「国を私物化し、民を苦しめる。これを国の誤りとせずになんと言う。曹操殿は何を考えて董卓を味方する」
今度は大臣である呉碩が曹操に向かって言う。
「国を私物化と言いますが、董相国は自らが相国には就きましたが自分の身内を要職に就けたりせず、重臣においてはほぼ据え置きです。自らの兄を大将軍に据えた何太后、同じく兄を元帥に据えた董大皇太后のような行いこそが、国の私物化ではありませんか? 相国は幽閉された、または閑職に追いやられた清流派の諸官を取り上げてもいますし、功績のあった者であれば無名であっても太守に任命されています。むしろ正常化と言えませんか?」
「だが、民を苦しめている。それは事実であろう?」
呉碩はなおも食い下がる。
「税率は十常侍の頃と何ら変わりはありませんよ? その税の支払いが滞っているのを責めたまでの事。それは本来であれば相国ではなく、ここにおられる方々の仕事だったのでは?」
曹操の言い分に、さらに周囲は熱くなっていく。
「いや、曹操殿は何が言いたいのか。董相国は素晴らしいお方だと主張されたいのか?」
王允が尋ねると、曹操は首を振る。
「とんでもない。ですが、皆さんも伍孚将軍が処刑されたところにはおられたのでしょう? この私を論破出来ないようでは、とても董相国には敵わないでしょうから、董相国の罪を上げて免責させるような事は出来ないと考えるべきです」
あの見た目からは中々想像出来ないのだが、董卓と言うのはそれなりに弁舌の才があり、政治能力も備えている。
西涼において、異民族を束ね一目置かれていたと言うのもそう言う能力の高さである。
「ならば、戦って倒すのみ!」
王子服が拳を振り上げる。
「董相国自身の武勇も並外れている事はご存知のはず。しかも率いる兵は西涼の猛者揃い。その上、古今の名将である飛将軍とまで例えられる呂布奉先もいるのですよ? 都の官軍だけでは歯が立ちません。各地の州軍をまとめた大連合でもない限り、とても太刀打ち出来ないでしょう」
曹操は溜息をつく。
「戦って倒すと言うのであれば、丁原将軍が反抗された時にするべきでしたね」
今にして思えばだが、曹操の言う通りだったと王允も思う。
あの時、丁原には勝算があったのだ。
若き武神、呂布奉先と言う勝算が。
「それなら話は早い。呂布をこちらに寝返らせましょう。そうすれば董卓を討つ事も容易い」
そう提案したのは、王允とは長い付き合いのある、もっとも親交の厚い人物である士孫瑞だった。
「おう、さすが士孫瑞殿だ! 呂布と言えば、馬と財宝で養父丁原を裏切った男。欲と財貨によって簡単に寝返らせる事もできよう」
王子服が勇ましく言うが、曹操は呆れた様子で首を振る。
「そんな訳が無いのは分かりませんか? あの猜疑心の強い董相国が、自身の寝所まで警護させているのが呂布将軍ですよ? 欲で動くくらい底の浅い人物を、あの董相国がそこまで重用するはずが無いではありませんか。そんなモノでは絶対に裏切らないと言う事を、董相国も、腹心の李儒殿も知っているんですよ。呂布奉先には絶対の信頼を置く事が出来ると」
曹操はそう言って、周りを見る。
洛陽では先程士孫瑞が言っていた様に、呂布は名馬一頭で養父を董卓に売ったと言われているが、その一方で古の名将李広になぞらえて飛将軍と評されるほど高い評価を得ている。
それに曹操も言っていた通り、董卓と言う人物は極めて猜疑心が強く用心深い。そんな人物が欲に目がくらんで養父を殺して取り入ろうとした人物を自身の警護につけるかと考えると、それは有り得ないと考えるべきだと王允も思う。
そんな人物を近付けたら、結局のところ自分も同じ目に遭う事は分かりきっている。
そこでようやく王允は気付いた。
曹操は董卓に取り入ろうとしている。
訳ではないと。
この若き英才は、失われた兵法書である『孫子』の復元を行った天才である。
その『孫子』の中に、極めて有名な一節がある。
『敵を知り、己を知れば百戦危うからず』
曹操は自分の事はよく知っているようだが、それと同じ様に董卓を知っている訳ではないだろう。
だからこそ調べ上げた。
自分を売り込むためではなく、敵を排除する為に。
さすがは『治世の能臣、乱世の姦雄』との評を得た人物である。
皆が曹操の失礼さに腹を立てる中、王允は曹操の真意に気付いた。
「曹操殿は、この国がどうなっても構わないと思っておいでか。実に嘆かわしい」
王允はあえて曹操に向かって言う。
自分は気付いていないと言う演技である。
「王允殿であれば、この状況において最善である策は思いついておられるでしょう。問題があるとすれば、それを何時、誰がやるべきかと言う事でしょう」
王允が曹操の事を知っていた様に、曹操も王允の事を知っている。
漢王朝創立の重臣、張良や陳平にも称される『王佐の才』こそ王允の評である。
曹操であればその程度、すぐに調べられる事だ。
「ソレに関しては、曹操殿に一任したいと思うのですが、いかがかな?」
王允は曹操に向かって言う。
王允も考えていた事だ。
曹操が言っていた様に、法によって董卓を裁く事は難しい。軍事力によって排除する事は更に困難と言える。
残された手段で効果的と思えるのは、暗殺である。
だが、董卓自身の武勇もさる事ながら、常に傍らに控える呂布の存在が問題となっている。
それでも他の手段と比べると成功する可能性は、この方法が数段高く、やってみる価値は十分ある。
だからこそ、王允も曹操もあえて言葉を濁しているのだ。
暗殺は情報が漏れれば確実に失敗する。
この場に親董卓派はいないと思われるが、情報は知らなければ漏れる心配は無い。
事実、王子服や呉碩は話に参加出来ず不服そうである。
「それに際し、王允殿の秘蔵の宝剣、七星剣を見せて頂けないでしょうか」
曹操は王允に頭を下げて言う。
「あれは家宝の中でも秘中の秘の物。まことに申し訳ないが、今日はここで解散として、曹操殿だけにお見せしたい」
そう言って王允は残った者達を強引に帰らせると、曹操だけを残す。
参加者達が帰り、王允と曹操の二人だけになった事を確認すると、王允は秘蔵の名剣、七星剣を曹操の前に持ってくる。
「曹操殿、七星剣を所望したと言う事は、こちらが考えている通りで良いと言う事かな?」
「と、言いますと?」
「ずばり、董卓暗殺」
王允の言葉に、曹操は頷く。
「亡くなられた方を悪く言うのは気が引けるのですが、丁管、伍孚の両名は正直に言うと余計な事をしてくれました。あの方々の感情任せの行動によって、董卓の警戒心を高める結果になりました。特に伍孚将軍に関しては、呂布将軍に見破られた時点で失敗だったのだから、自棄を起こさずに行動を後日に伸ばすべきだったのです」
曹操は、正直なところを王允に話す。
暗殺の成功率は、その機密性の高さと直結している。
伍孚が失敗したのは、実行前に気付かれたと言う事もあるのだが、その前に丁管が手持ちの笏を董卓に投げつけ、董卓の警戒を煽った事もある。
そう言う意味では今回も当然警戒されているのだが、実行者の曹操は董卓から高く評価されていて、丁管、伍孚と比べても董卓に近付く事は出来る。
「問題になる呂布への対策は?」
王允の質問はもっともだ。
呂布が近くにいる限り、まず成功は見込めない。
「呂布将軍を欲で動かす事は出来ませんが、義に厚く情に脆い。裏切らせる事は困難でも、董卓の傍から離れさせる事は出来ます」
宮廷で言われている呂布評とは正反対とも言えるような、曹操の呂布評である。
呂布は欲に目がくらみ、義や忠を解さない欲望に忠実な裏切り者と言われているのだが、曹操の目にはそうではない呂布が映っているらしい。
王允も数回呂布には会っているが、とても勇猛な武将には見えない涼しげな美男子で、自身の欲と出世の為に養父を殺したとは思えない様な穏やかな性格だった。
王允が考え込んでいる時、曹操は七星剣を鞘から抜く。
遥か昔、漢建国以前の物であるにも関わらず、その刀身はうっすらと輝いてさえいるように見える。
当時、値百金とまで言われた名剣は時代を感じさせないモノだった。
「曹操殿、期待していますぞ」
「近日中には必ず」
曹操は七星剣を手に、王允にそう約束した。
丁管に対する残虐極まりない刑罰、先帝劉弁を含む何一族の惨殺、そして何の罪も無い村民の虐殺、伍孚の董卓暗殺未遂に対する董卓の苛烈極まる処遇。
それらの事はすぐに都の民に伝わり、いつ自分の番になるかと恐れている。
しかし、それは力を持たない一般市民だけではなく、本来特権階級である高官達も例外ではなかった。
何しろ弘農王に降格になったとはいえ、先帝を殺した男である。
皇帝に並ぶような階位が無い以上、どれほどの高官であっても弘農王と同じ運命になりかねない。
三公である司徒、王允も同様だった。
王允は董卓政権を築く上で最大の功労者と言える人物であり、西涼から洛陽へ来る時から多大な貢献をしてきた事で、董卓からの信任も厚い。
王允には王允の考えがあった。
辺境の一太守であり、武勇は聞き及ぶところであったが黄巾の乱では連戦連敗。腹に一物あったとしても、大言壮語のみで実行出来ない男。
王允が耳にした董卓の評価は、そういったモノだった。
それ故に扱いやすい人物だと思っていた。
人は自分から離れたところにいる者を見下し、過小に評価する事が圧倒的に多い。
董卓と言う人物の評価も、その多い例の中の一例でしかないと言う事を王允は董卓に会って思い知らされた。
黄巾の乱の時、董卓の連敗は能力によるモノでは無かったのだ。
あの外見から董卓とは血を好む猛将であり、ただ暴力を振るうだけの無法者だと王允も思っていたのだが、その実は深慮を備えた無法者だった。
今では董卓を人の皮を被った獣と言う者も多くなったが、それさえも董卓に対しては過小評価であると王允は思い知らされた。
あれは人の皮を被った獣のフリをしている、魔物である。
董卓だけでも手に余ると言うのに、側近には知恵袋の李儒と身辺を警護する剛勇の武将呂布までいるのだから、手に余るどころの話ではない。
とても操れるような者ではなかった。
王允としては自身の失策に頭を抱えていたのだが、そこへ追い打ちをかける様に渤海に逃げ延び、今では董卓の温情によって太守に任じられた袁紹から王允をなじる書状が届いた。
曰く、『国家の重席にあってその責任をまっとうせず、佞臣をのさばらせている事、忠臣と呼ぶに能わず』との事だった。
袁紹のような者に言われるまでもなく、王允も分かっている。
書状の中には袁紹は董卓の専横を許さず、いずれ排除して世を正すとあったが、渤海にいて何が出来るのかは不明である。
また、袁紹が都から離れた直後に袁術も洛陽から南陽へと移っている。
名門袁家の武の要とも言える袁家の二児が揃って都を離れてしまっているので、都に残った袁家の戦力は事実上皆無と言う事で、いよいよ袁紹が言うような董卓を排除する事など出来ない。
皇甫嵩、朱儁と言った武将は現職で健在であるが、武の中枢を董卓が把握している以上、彼らも自由には動けずにいた。
王允としても董卓の専横を許すつもりなどないのだが、それを抑える事に失敗した場合には丁管、伍孚の例を上げるまでもない。
結局妙手が浮かばないまま、王允は悶々とした日々を過ごしていた。
その日の夜、王允の誕生日を祝う宴が王允の私邸で行われた。
漢の重臣である王允主催の宴と言う事で、董卓軍を含む漢の臣が続々と集まってくる。
王允は董卓を都に引き入れた人物であり、董卓からも重用されているにも関わらず、裏では反董卓勢力の中心人物でもある。
それはごく一部の人間にしか知られていない事ではあるが、今日の誕生日の宴にはその主要人物が揃っていた。
宴の当初はそれこそ参加者の中に親董卓派の人物もいれば、日和見主義の者もいる。
なので当たり障りのない宴となっていた。
夜も更けた頃、参加者の数も大幅に減り、残った者は反董卓派ばかりになった頃に王允は突然袖で顔を覆って泣き始めた。
あまりにも突然の事に、参加者達の大半は驚き戸惑った。
「王允殿、今日は貴方の誕生日と言うめでたい日。なのに何故そのように泣き出すのですか?」
参加者の一人が王允に尋ねる。
王允との親交厚い士孫瑞である。
「董卓は国の行く末を誤り、民に災いをなしている。その先にあるのが漢王朝の滅亡にならないかと憂いているのですが、それを憂慮したところで私には力が無いと思い知らされ、それが悲しくて悲しくて」
そう言って泣く王允を見て、周囲の参加者達はもらい泣きしたかのように袖で顔をおおう。
が、その中にあって深々と溜息をつく者がいた。
曹操である。
彼も董卓から重用されている人物の一人で、王允共々表面的には親董卓派の人物と見られているが、実際には親董卓なのか反董卓なのか誰も知らない。
この王允の誕生日の宴にも最初から参加していたのだが、本人の卓越した能力の割にあまりにも没個性的な外見であるため、喋らなければ誰も彼を気にかけなかった為にここまで残っている事に気づかれていなかった。
普段素晴らしく目を惹く袁紹と一緒にいた事もあり、その目印が無くなった途端に目立たなくなったと言う事である。
「随分と芝居がかった事がお好みなようですね。ここで泣き落としたところで、董相国にどれほどの事がありましょうか」
呆れた口調で、曹操は言う。
その失礼極まる言葉に、王允に同情的だった空気が一気に凍りつき、一同は一斉に曹操を睨みつけてくる。
それに対して曹操は、まったく表情を変えずに涼しげですらあった。
「重臣一同がこのように集まって、国を憂いて知恵を出し合うのかと思えば、だたの愚痴集会だったとは。これほど高官の皆さんが董相国に対して裏で愚痴って、自分達を憐れむ事しか出来ないのですか? なんとも嘆かわしい事です」
言いたい放題の曹操に、参加者は敵意を向ける。
「貴殿も若いとはいえ、漢の重臣。その様な言い様は、亡きお祖父様も嘆かれますぞ」
間を取りなす様に、王允は曹操に言う。
「いえいえ、祖父であれば私の言い様を嘆くより、皆様の不甲斐なさの方をこそ嘆くでしょう」
「貴様! 国の大事を何と考えている! 今こそ力を合わせて漢の為に命をかけるべき時ではないか!」
曹操の失礼な物言いに激高して、指をさしてなじる者がいた。
王子服と言う、名門の将軍である。
「そうなのですが、それであれば帯剣を許された宴の際に力を合わせて命をかけるべきではありませんでしたか? あの時、正に自らの命と武をかけて董相国に歯向かったのは袁紹ただ一人。今になって事の重要さが分かったのか、恥ずかしくなったのかは知りませんが、時を見誤りましたな」
曹操は激高する王子服に対し、鼻で笑う様に言う。
「この若造め! 董卓の肩を持つか!」
「そうではありませんが、皆さんは余りに自分達に都合よく考え、相手の事を知らなすぎると思いまして。そんな事で国の大事に当たれましょうか」
曹操は目上である王子服を歯牙にもかけず、悠々と酒を飲みながら言う。
「そもそも董相国が国を誤っているとは、どの様にですか?」
「国を私物化し、民を苦しめる。これを国の誤りとせずになんと言う。曹操殿は何を考えて董卓を味方する」
今度は大臣である呉碩が曹操に向かって言う。
「国を私物化と言いますが、董相国は自らが相国には就きましたが自分の身内を要職に就けたりせず、重臣においてはほぼ据え置きです。自らの兄を大将軍に据えた何太后、同じく兄を元帥に据えた董大皇太后のような行いこそが、国の私物化ではありませんか? 相国は幽閉された、または閑職に追いやられた清流派の諸官を取り上げてもいますし、功績のあった者であれば無名であっても太守に任命されています。むしろ正常化と言えませんか?」
「だが、民を苦しめている。それは事実であろう?」
呉碩はなおも食い下がる。
「税率は十常侍の頃と何ら変わりはありませんよ? その税の支払いが滞っているのを責めたまでの事。それは本来であれば相国ではなく、ここにおられる方々の仕事だったのでは?」
曹操の言い分に、さらに周囲は熱くなっていく。
「いや、曹操殿は何が言いたいのか。董相国は素晴らしいお方だと主張されたいのか?」
王允が尋ねると、曹操は首を振る。
「とんでもない。ですが、皆さんも伍孚将軍が処刑されたところにはおられたのでしょう? この私を論破出来ないようでは、とても董相国には敵わないでしょうから、董相国の罪を上げて免責させるような事は出来ないと考えるべきです」
あの見た目からは中々想像出来ないのだが、董卓と言うのはそれなりに弁舌の才があり、政治能力も備えている。
西涼において、異民族を束ね一目置かれていたと言うのもそう言う能力の高さである。
「ならば、戦って倒すのみ!」
王子服が拳を振り上げる。
「董相国自身の武勇も並外れている事はご存知のはず。しかも率いる兵は西涼の猛者揃い。その上、古今の名将である飛将軍とまで例えられる呂布奉先もいるのですよ? 都の官軍だけでは歯が立ちません。各地の州軍をまとめた大連合でもない限り、とても太刀打ち出来ないでしょう」
曹操は溜息をつく。
「戦って倒すと言うのであれば、丁原将軍が反抗された時にするべきでしたね」
今にして思えばだが、曹操の言う通りだったと王允も思う。
あの時、丁原には勝算があったのだ。
若き武神、呂布奉先と言う勝算が。
「それなら話は早い。呂布をこちらに寝返らせましょう。そうすれば董卓を討つ事も容易い」
そう提案したのは、王允とは長い付き合いのある、もっとも親交の厚い人物である士孫瑞だった。
「おう、さすが士孫瑞殿だ! 呂布と言えば、馬と財宝で養父丁原を裏切った男。欲と財貨によって簡単に寝返らせる事もできよう」
王子服が勇ましく言うが、曹操は呆れた様子で首を振る。
「そんな訳が無いのは分かりませんか? あの猜疑心の強い董相国が、自身の寝所まで警護させているのが呂布将軍ですよ? 欲で動くくらい底の浅い人物を、あの董相国がそこまで重用するはずが無いではありませんか。そんなモノでは絶対に裏切らないと言う事を、董相国も、腹心の李儒殿も知っているんですよ。呂布奉先には絶対の信頼を置く事が出来ると」
曹操はそう言って、周りを見る。
洛陽では先程士孫瑞が言っていた様に、呂布は名馬一頭で養父を董卓に売ったと言われているが、その一方で古の名将李広になぞらえて飛将軍と評されるほど高い評価を得ている。
それに曹操も言っていた通り、董卓と言う人物は極めて猜疑心が強く用心深い。そんな人物が欲に目がくらんで養父を殺して取り入ろうとした人物を自身の警護につけるかと考えると、それは有り得ないと考えるべきだと王允も思う。
そんな人物を近付けたら、結局のところ自分も同じ目に遭う事は分かりきっている。
そこでようやく王允は気付いた。
曹操は董卓に取り入ろうとしている。
訳ではないと。
この若き英才は、失われた兵法書である『孫子』の復元を行った天才である。
その『孫子』の中に、極めて有名な一節がある。
『敵を知り、己を知れば百戦危うからず』
曹操は自分の事はよく知っているようだが、それと同じ様に董卓を知っている訳ではないだろう。
だからこそ調べ上げた。
自分を売り込むためではなく、敵を排除する為に。
さすがは『治世の能臣、乱世の姦雄』との評を得た人物である。
皆が曹操の失礼さに腹を立てる中、王允は曹操の真意に気付いた。
「曹操殿は、この国がどうなっても構わないと思っておいでか。実に嘆かわしい」
王允はあえて曹操に向かって言う。
自分は気付いていないと言う演技である。
「王允殿であれば、この状況において最善である策は思いついておられるでしょう。問題があるとすれば、それを何時、誰がやるべきかと言う事でしょう」
王允が曹操の事を知っていた様に、曹操も王允の事を知っている。
漢王朝創立の重臣、張良や陳平にも称される『王佐の才』こそ王允の評である。
曹操であればその程度、すぐに調べられる事だ。
「ソレに関しては、曹操殿に一任したいと思うのですが、いかがかな?」
王允は曹操に向かって言う。
王允も考えていた事だ。
曹操が言っていた様に、法によって董卓を裁く事は難しい。軍事力によって排除する事は更に困難と言える。
残された手段で効果的と思えるのは、暗殺である。
だが、董卓自身の武勇もさる事ながら、常に傍らに控える呂布の存在が問題となっている。
それでも他の手段と比べると成功する可能性は、この方法が数段高く、やってみる価値は十分ある。
だからこそ、王允も曹操もあえて言葉を濁しているのだ。
暗殺は情報が漏れれば確実に失敗する。
この場に親董卓派はいないと思われるが、情報は知らなければ漏れる心配は無い。
事実、王子服や呉碩は話に参加出来ず不服そうである。
「それに際し、王允殿の秘蔵の宝剣、七星剣を見せて頂けないでしょうか」
曹操は王允に頭を下げて言う。
「あれは家宝の中でも秘中の秘の物。まことに申し訳ないが、今日はここで解散として、曹操殿だけにお見せしたい」
そう言って王允は残った者達を強引に帰らせると、曹操だけを残す。
参加者達が帰り、王允と曹操の二人だけになった事を確認すると、王允は秘蔵の名剣、七星剣を曹操の前に持ってくる。
「曹操殿、七星剣を所望したと言う事は、こちらが考えている通りで良いと言う事かな?」
「と、言いますと?」
「ずばり、董卓暗殺」
王允の言葉に、曹操は頷く。
「亡くなられた方を悪く言うのは気が引けるのですが、丁管、伍孚の両名は正直に言うと余計な事をしてくれました。あの方々の感情任せの行動によって、董卓の警戒心を高める結果になりました。特に伍孚将軍に関しては、呂布将軍に見破られた時点で失敗だったのだから、自棄を起こさずに行動を後日に伸ばすべきだったのです」
曹操は、正直なところを王允に話す。
暗殺の成功率は、その機密性の高さと直結している。
伍孚が失敗したのは、実行前に気付かれたと言う事もあるのだが、その前に丁管が手持ちの笏を董卓に投げつけ、董卓の警戒を煽った事もある。
そう言う意味では今回も当然警戒されているのだが、実行者の曹操は董卓から高く評価されていて、丁管、伍孚と比べても董卓に近付く事は出来る。
「問題になる呂布への対策は?」
王允の質問はもっともだ。
呂布が近くにいる限り、まず成功は見込めない。
「呂布将軍を欲で動かす事は出来ませんが、義に厚く情に脆い。裏切らせる事は困難でも、董卓の傍から離れさせる事は出来ます」
宮廷で言われている呂布評とは正反対とも言えるような、曹操の呂布評である。
呂布は欲に目がくらみ、義や忠を解さない欲望に忠実な裏切り者と言われているのだが、曹操の目にはそうではない呂布が映っているらしい。
王允も数回呂布には会っているが、とても勇猛な武将には見えない涼しげな美男子で、自身の欲と出世の為に養父を殺したとは思えない様な穏やかな性格だった。
王允が考え込んでいる時、曹操は七星剣を鞘から抜く。
遥か昔、漢建国以前の物であるにも関わらず、その刀身はうっすらと輝いてさえいるように見える。
当時、値百金とまで言われた名剣は時代を感じさせないモノだった。
「曹操殿、期待していますぞ」
「近日中には必ず」
曹操は七星剣を手に、王允にそう約束した。
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