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其れは連なる環の如く
流血の都へ 3
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それでも連合軍は未だ解散した訳ではなく、洛陽の都からは大きく離れてはいるものの新たに拠点を築き、軍の再編を行っている。
呂布は汜水関に留まって連合軍に備えるべきだと主張したが、董卓から考えがあると言われ、一度董卓軍は最低限の守備兵だけを残して撤収となった。
「奉先、この度は見事だった。儂も鼻が高いぞ」
董卓は上機嫌に言う。
呂布の本来の役職は董卓の身辺警護である。
また、董卓も戦場から離れると言う事もあって、あの大きな猛牛ではなく馬車に乗って移動していた。
「ですが、相国。連合軍に勢いが無くなったとは言え、袁紹、袁術の軍は健在であり、物資も潤沢と聞きます。立て直しの時間を与えては、再び脅威にさらされる事になりませんか?」
「ふっはっは! その時には儂の頼れる息子になんとかしてもらおうかのぅ」
董卓は呂布に向かって豪快に笑う。
「相国、俺には手に余りますよ」
「ほう、英雄呂布は謙虚な事だ」
董卓は笑いながら言うと、軽く手を打つ。
「冗談はさておき、それに関しては十分に李儒と協議を済ましておる。心配いらん。奴らは指を咥えて見ているしか出来ぬほどの妙案があるのだ。儂には武の息子呂布と、智の息子李儒がおるからのぅ。儂の天下は安泰と言うものだ」
がっはっは、と最後には笑って締める董卓である。
李儒の策と言うのであれば、それはとても効果的なのだろうと呂布も安心出来た。
連合軍は多くの兵を失ったが、董卓軍も胡軫、趙岑、そして猛将華雄を失っている。
兵の補充は比較的簡単に出来たとしても、将の補充はそれほど簡単とは言えない事を考えると、董卓軍の被害も無視出来るほど小さなものではない。
こう言う事には神経質なはずの董卓が余裕の表情なので、李儒の策に全幅の信頼を寄せているのだろう。
宮殿に到着する前に呂布は軍を解散させようとしたが、それは董卓に止められた。
「全軍に休息を与えるが、またすぐに仕事をしてもらう事になる。まだ解散させなくても良い」
「ですが、ここまでの戦闘で疲労が溜まっています」
「それは分かっておるが、ここが正念場なのだ。全軍に食事と休息を与えよう」
董卓はそう言うと呂布や牛輔などの身内は伴うが、李傕や郭汜などの武将は待機させる。
確かにすぐに行動に移ると言う事が分かった。
「相国、お待ちしていました」
宮殿の前には李儒が待っていた。
「皆、相国をお待ちしています」
「うむ、着替えは必要ない。このまま行く事にしよう」
董卓は血にまみれた甲冑姿で、腰には七星剣を下げたまま宮殿の中に入る。
本来であれば絶対に許されない暴挙なのだが、董卓はそれを正式に許されている身分である。
董卓が着替える時を惜しんだ事もあり、呂布達も戦場からそのまま宮殿に入る。
戦場からそのまま戻って来た一団が宮殿の中を闊歩しているので、そこに集められた武将、大臣達は愕然としていた。
「多忙な中、待たせて申し訳ない」
董卓がまったくらしくない事を言いながら、壇上に上がる。
「いや、歳は取りたくないものだ。先程まで小童共と遊んでやったのだが、弓で三十足らず、剣で百余の首しか取る事が出来なかった。昔は一騎当千と謳われたものだが、こんな事では恥ずかしくて、表を歩く事も出来んのぅ」
董卓は笑いながら言う。
いかにも董卓らしいと思わされる自慢の仕方ではあるのだが、これは多少の誇張はあっても完全な虚構では無い。
董卓の弓や剣による攻撃力の高さは脅威の一言であり、王匡軍壊滅の引き金となったのは董卓が一矢で豪傑方悦を討ち取った事から始まり、機動力に難があるはずの巨牛に乗りながら反董卓連合に参加した諸将の一人、孔伷をその手で討ち取った。
単純に首級で武勲を語るのであれば、わずか一戦にて董卓は破格の武勲を挙げた事になるのだ。
「我が息子、呂布奉先などは一人で三軍を追い払うほどの、古の覇王項羽をも凌ぐかと言うほどの武勇を示したのに、情けない限りだ」
それは余りにも大袈裟な誇張であり、ほとんど虚構なのだが、周囲から見るとそう言う風に見えるらしい。
首級を武勲と考えるのであれば董卓は破格だが、呂布はほとんど武勲を上げていないと言う事になる。
本人も今回の戦いでは、大きな仕事であったにも関わらず武勲を上げていないと思っていた。
「今回の事で痛感した事がある。この都は帝が住まうには、あまりにも無防備に過ぎる。今回の如き小競り合いならばともかく、これ以降必ずしも逆賊に対し陛下をお守りする事は叶わぬかも知れぬ。故に、長安への遷都を命ず」
董卓はさらりと、しかし有無を言わさぬ口調で宣言する。
これまでも無法を通してきた董卓だったが、余りにも想定から掛け離れた事態に重臣達はその言葉を理解する事に時間を要していた。
今回の戦の事もあり、軍備を強化する為に税率を上げるのではないかと予想していたらしいのだが、これほど大それた事を考えていたとは思っていなかったらしい。
もちろん、呂布も初耳である。
だが、李儒が冷静であるところを見ると董卓が突然思いついた事ではなく、前もって相談して決めていた事だと言うのも分かる。
だとすると、虎牢関での急戦の不可解さも説明がつく。
どう考えても、あそこで董卓軍の全軍を投入してまで戦の帰趨を決するような無理は必要無く、その前段階で止められるはずだった。
李儒の策が見事に嵌った事もあって、連合に大打撃を与える事には成功しているが、董卓まで戦場に出てくるのは異常だと呂布は感じていた。
普段腰の重い董卓がわざわざ戦場にまで出向いて来たのはこの場の空気を作る為であり、あの策で連合に大打撃を与える必要があったのは、この遷都案を提案する為だったのだ。
「な、何を申されますか、董相国。そのような畏れ多いことを」
最初に口を開いたのは重臣の楊彪だった。
「その様な国家の一大事、突然一言で決められるはずがありません。よく協議しない事には」
「協議? これは奇妙な事を言う。儂は遷都の理由は明かしたではないか。その上で協議と言うのであれば、まずは儂の意見に対する代案を出してからであろう」
董卓は軽く手を振って、楊彪の提案を退ける。
「都には多くの民も住んでおります。突然の遷都となっては、民は混乱いたします。何卒お時間のほどを」
食い下がったのは荀爽だったが、それも董卓に鼻で笑われる。
「では、連合との戦に巻き込まれて民が殺されるのは良しとするのか? 事は一刻を争う事態であれば、民を安全な長安に移す事こそ急務であろう」
「長安は何もない荒野であり、それこそ守るに適さず。この洛陽が都であり、都に天子様がいてこそ人心も乱れずに済むのではないか」
黄琬が語気も荒く言う。
「ふむ。学の無い儂の勘違いかもしれんが、帝のおわすところが都であって、都と呼ばれるところに帝がいるのでは無いと思っておったが、違うのかな? この洛陽が天下の都であるのは皇帝である献帝陛下がいてこそではないか? 帝ではなく都が天下を定めるなど、聞いた事も無い」
「相国のご見識はごもっとも。ですが、長安は何もない荒野である事は、黄琬のおっしゃられた通り。しかれば、例え守りに適さぬとあっても、まずはこの洛陽の守りを固め、そこから遷都の話し合いをされては?」
荀爽が折衷案として提案するが、董卓は首を振る。
「そもそも漢の都は長安に有り。儂はそう思い、献帝陛下を高祖劉邦に見立てて都を長安に移すと言っているのだ。すでに都は完成しておる」
董卓が言うと、李儒も頷く。
「長安は荒野にあらず。今はこの洛陽の民全てを受け入れても十分に余りある都となっています。陛下の住まう都として考えればこの洛陽にも劣らず、陛下をお守りすると言う観点から言えば、この洛陽より遥かに優れた都です」
「な、何をたわけた事を……」
黄琬が力なく呟く。
この遷都計画は、董卓の基本構想でもあった。
董卓は何進の呼びかけに応じた時から既に天下の乗っ取りを画策し、その後都を洛陽から長安に移す事を李儒には伝えていた。
さすがに李儒も最初に聞いた時には正気を疑った話ではあったが、何もこれは董卓が単純にわがままで言い出した事ではなく、しっかりとした考えあっての事だった。
王允と言う中央でも非常に強力な後ろ盾を得た董卓であったが、それでも大手柄を立てたところで中央ではただの新参者にすぎず、政治を牛耳る為にはとにかく相手の思考を麻痺させる強烈な印象を植え付けなければならない。
その初手として十常侍の殲滅から始まり、恩賞を出し渋る中央の重臣達に対して略奪と言う形で部下に与えながら、かつ恐怖によって中央の重臣達の発言力を奪っていった。
もちろん代償として都の治安悪化などはあったが、最初から捨てるつもりの都と董卓は考えていたので意に介さなかったところもある。
また、長安への遷都計画は上洛前からあったので李儒の行動も早かった。
董卓四天王の内、樊稠と張済は洛陽へ来る事なく長安の都建設に取り掛かり、参謀の賈詡もそこに同行している。
かかる資金についても、李儒と賈詡は洛陽では三番手以降の商家に声をかけた。
もはや洛陽では歴史ある一番手に登る事は困難である事実を説きながら、長安と言う新天地での商いであれば一から始められると言う事。
さらに洛陽での暴政によって富豪は煽りを受ける恐れなどを上げ、出世を目指す資産のある若き野心家達を取り入れる事にも成功していた。
あとはその者達が人を雇入れ、自分たちの影響力を高める為の努力もあって、長安は何も無い荒野から一転して洛陽にも劣らぬ大都市へと変貌していたのである。
もし本気で調べていたら、いかに李儒の情報統制能力があったとしても余りにも大規模な事なので、完全に隠し通す事は難しかったかもしれない。
しかし、中央では董卓と言う分かりやすい脅威に対する対策に追われ、郊外にまで目を向けられなかったのだ。
それはあの曹操でさえ、例外では無い。
もっとも曹操の場合、董卓を暗殺する事こそが最重要と狙いを定めていたので、多少条件が異なる部分もあると言える。
「さて、では早速遷都令を下す。各々、長安に向けて出発されよ。漢正規軍には道中の護衛、民の家財運搬の補助を命じる。その責任者を皇甫嵩とする。大切な漢の民を守る事こそ、漢の名将の責務と言えよう」
董卓にそう言われ、皇甫嵩はどんなに思うところがあったとしても無言で引き受ける他無かった。
横柄かつ横暴な董卓の暴論ではあったが、では董卓の言を退けて無辜の民を反董卓連合との戦いに巻き込むのかと言われると、それに対する反論が出来ない。
董卓は見た目の通り粗野で粗暴なのだが、だからといって無教養では無いと言う事を中央の重臣達は理解していないのだ。
「今すぐに取り掛かるが良い。必要とあらば、外に待機させている我が董卓軍も出動させても良いのだぞ?」
董卓軍の狼藉は、今更説明するまでもない。
女と見るや襲い掛かり、その時の気分次第では集落の一つ二つが殲滅される事さえもあった。
そんな軍が民の避難誘導を行った場合、どれほどの血が流れるか分かったものではない。
それであれば皇甫嵩自身が指揮を取った方が、遥かにマシと言える。
皇甫嵩は朱儁や張温と言った主だった武将を伴って、退出していく。
「ほれ、文官の方々も急いで退去の準備にかかれぃ」
董卓は追い払う様に手を振る。
「義父上、この牛輔に提案があります」
各武将が立ち去り文官達も出ていこうとした時、董卓の娘婿である牛輔が董卓に向かって言う。
「ほう、何だ牛輔よ」
「此度の大移動や長安の都の建設など、出費も大きなものと思われます。この牛輔めに、それらの出費を賄う財源に心当たりがございます」
「ほう、それは是非とも聞かせて欲しいものよのぅ。なんせこやつらと来たら、民から税は搾り取っても己が懐を潤す以外の使い道を知らぬ者が多くて困る」
董卓は居残る文官達に向かって、堂々と皮肉を言う。
それに腹を立てる者は少なくなかったが、ただでさえ董卓や呂布、牛輔など戦場から帰ってきた者達は武器を持っているのに対し文官達は丸腰であり、しかも皇甫嵩達のような武将も退出した後である。
反抗の意思さえ表に出せない状況だった。
「この近くには先帝の陵墓もありますれば、そこに宝を眠らせておく手はありますまい。その品を……」
「何をぬかすか、この鬼畜下郎めが!」
ついに黄琬が董卓を怒鳴りつける。
「言うに事欠いて、なんと不届きな事を! これを鬼畜の所業と言わずしてなんとするか!」
「あぁ? 何だ、ジジイ、ゴルァ!」
牛輔は凄みを効かせて、黄琬に向かって怒鳴る。
「お、お待ち下さい。それは余りにも無体ではありませんか?」
これにはさすがの李儒も難色を示した。
「軍師殿まで何を言い出すか」
「いや、牛輔殿。董相国は十常侍を一掃する事で智と清廉さを、此度の戦いで武勇と覇を示された天下人。そんな覇業の大道を行かれる相国に、墓泥棒などという不名誉な肩書きなど今更必要とは思えませんが」
今回の事は牛輔の独断での提案だったので、李儒も驚いていた。
董卓の知恵袋である李儒の策謀かと思っていた重臣達だったが、李儒は董卓軍内にあって常識と良識を備えた数少ない人物の一人でもある。
政策や軍略は苛烈極まるところも多いが、それでもここまで筋の通らない事をする様な人物では無い。
「牛輔殿、俺もさすがにどうかと思いますよ」
呂布も牛輔の意見に対して反対する。
「天下の猛将、呂布奉先が何を日和った事を」
「いや、これは日和るとかそう言う事ではなく、例えば俺達からすると董相国が亡くなられた後、その墓を暴いて埋蔵された品を持ち出すと言う事でしょう? さすがにそれは恐れ多い事だと思うのですよ」
呂布の言葉に、重臣達もしきりに頷く。
この場で董卓を武力で圧倒出来そうな人物は呂布しかいないのだが、その呂布もこれには反対だった事で、重臣達はにわかに活気づいた。
董卓の癇癪に触れたとしても、その董卓を上回る呂布がいれば抑えられると思ったのだ。
が、董卓の反応は皆が予想し、恐れたものではなかった。
「なるほどなるほど、李儒、呂布、そなたらの言い分も分かった。儂は良き息子達を得たものだ」
董卓は笑いながら手を叩く。
「だが李儒よ、此度の事で金がかかる事は事実。民を困窮から救うのであればこの董卓、墓泥棒程度の汚名はいくらでも飲み込んで見せようぞ。そして奉先。お前の孝の道の考え、天下に勇名と轟かせる武将でありながら素晴らしいものだ。だが、もし息子達が困っているのであれば、この董卓、墓に宝など眠らせておく必要も無く息子達の役に立つのであれば、喜んで埋蔵された品々を提供しようぞ。漢の先代達も自らの子孫の為であれば、そう申すであろう。漢王朝四百年の歴史の中で、自らの子孫より自らの宝を優先させるような俗物がいようはずもない」
董卓はそう言うと、立ち上がって言う。
「牛輔よ、お前は外の李傕、郭汜を連れてかき集めてくるが良い。李儒、都までは長旅となる。これからの行動計画を全軍に伝えておけ。奉先、連戦続きなのは分かっているがお前は殿軍だ。英雄たる呂布奉先の勇姿があればこそ、民も安心出来ると言うもの。時に猶予は無いぞ。さっそく行動にかかれ」
董卓の言葉にこれ以上反論する事も出来ず、この場で解散となってそれぞれの任につく事となった。
呂布は汜水関に留まって連合軍に備えるべきだと主張したが、董卓から考えがあると言われ、一度董卓軍は最低限の守備兵だけを残して撤収となった。
「奉先、この度は見事だった。儂も鼻が高いぞ」
董卓は上機嫌に言う。
呂布の本来の役職は董卓の身辺警護である。
また、董卓も戦場から離れると言う事もあって、あの大きな猛牛ではなく馬車に乗って移動していた。
「ですが、相国。連合軍に勢いが無くなったとは言え、袁紹、袁術の軍は健在であり、物資も潤沢と聞きます。立て直しの時間を与えては、再び脅威にさらされる事になりませんか?」
「ふっはっは! その時には儂の頼れる息子になんとかしてもらおうかのぅ」
董卓は呂布に向かって豪快に笑う。
「相国、俺には手に余りますよ」
「ほう、英雄呂布は謙虚な事だ」
董卓は笑いながら言うと、軽く手を打つ。
「冗談はさておき、それに関しては十分に李儒と協議を済ましておる。心配いらん。奴らは指を咥えて見ているしか出来ぬほどの妙案があるのだ。儂には武の息子呂布と、智の息子李儒がおるからのぅ。儂の天下は安泰と言うものだ」
がっはっは、と最後には笑って締める董卓である。
李儒の策と言うのであれば、それはとても効果的なのだろうと呂布も安心出来た。
連合軍は多くの兵を失ったが、董卓軍も胡軫、趙岑、そして猛将華雄を失っている。
兵の補充は比較的簡単に出来たとしても、将の補充はそれほど簡単とは言えない事を考えると、董卓軍の被害も無視出来るほど小さなものではない。
こう言う事には神経質なはずの董卓が余裕の表情なので、李儒の策に全幅の信頼を寄せているのだろう。
宮殿に到着する前に呂布は軍を解散させようとしたが、それは董卓に止められた。
「全軍に休息を与えるが、またすぐに仕事をしてもらう事になる。まだ解散させなくても良い」
「ですが、ここまでの戦闘で疲労が溜まっています」
「それは分かっておるが、ここが正念場なのだ。全軍に食事と休息を与えよう」
董卓はそう言うと呂布や牛輔などの身内は伴うが、李傕や郭汜などの武将は待機させる。
確かにすぐに行動に移ると言う事が分かった。
「相国、お待ちしていました」
宮殿の前には李儒が待っていた。
「皆、相国をお待ちしています」
「うむ、着替えは必要ない。このまま行く事にしよう」
董卓は血にまみれた甲冑姿で、腰には七星剣を下げたまま宮殿の中に入る。
本来であれば絶対に許されない暴挙なのだが、董卓はそれを正式に許されている身分である。
董卓が着替える時を惜しんだ事もあり、呂布達も戦場からそのまま宮殿に入る。
戦場からそのまま戻って来た一団が宮殿の中を闊歩しているので、そこに集められた武将、大臣達は愕然としていた。
「多忙な中、待たせて申し訳ない」
董卓がまったくらしくない事を言いながら、壇上に上がる。
「いや、歳は取りたくないものだ。先程まで小童共と遊んでやったのだが、弓で三十足らず、剣で百余の首しか取る事が出来なかった。昔は一騎当千と謳われたものだが、こんな事では恥ずかしくて、表を歩く事も出来んのぅ」
董卓は笑いながら言う。
いかにも董卓らしいと思わされる自慢の仕方ではあるのだが、これは多少の誇張はあっても完全な虚構では無い。
董卓の弓や剣による攻撃力の高さは脅威の一言であり、王匡軍壊滅の引き金となったのは董卓が一矢で豪傑方悦を討ち取った事から始まり、機動力に難があるはずの巨牛に乗りながら反董卓連合に参加した諸将の一人、孔伷をその手で討ち取った。
単純に首級で武勲を語るのであれば、わずか一戦にて董卓は破格の武勲を挙げた事になるのだ。
「我が息子、呂布奉先などは一人で三軍を追い払うほどの、古の覇王項羽をも凌ぐかと言うほどの武勇を示したのに、情けない限りだ」
それは余りにも大袈裟な誇張であり、ほとんど虚構なのだが、周囲から見るとそう言う風に見えるらしい。
首級を武勲と考えるのであれば董卓は破格だが、呂布はほとんど武勲を上げていないと言う事になる。
本人も今回の戦いでは、大きな仕事であったにも関わらず武勲を上げていないと思っていた。
「今回の事で痛感した事がある。この都は帝が住まうには、あまりにも無防備に過ぎる。今回の如き小競り合いならばともかく、これ以降必ずしも逆賊に対し陛下をお守りする事は叶わぬかも知れぬ。故に、長安への遷都を命ず」
董卓はさらりと、しかし有無を言わさぬ口調で宣言する。
これまでも無法を通してきた董卓だったが、余りにも想定から掛け離れた事態に重臣達はその言葉を理解する事に時間を要していた。
今回の戦の事もあり、軍備を強化する為に税率を上げるのではないかと予想していたらしいのだが、これほど大それた事を考えていたとは思っていなかったらしい。
もちろん、呂布も初耳である。
だが、李儒が冷静であるところを見ると董卓が突然思いついた事ではなく、前もって相談して決めていた事だと言うのも分かる。
だとすると、虎牢関での急戦の不可解さも説明がつく。
どう考えても、あそこで董卓軍の全軍を投入してまで戦の帰趨を決するような無理は必要無く、その前段階で止められるはずだった。
李儒の策が見事に嵌った事もあって、連合に大打撃を与える事には成功しているが、董卓まで戦場に出てくるのは異常だと呂布は感じていた。
普段腰の重い董卓がわざわざ戦場にまで出向いて来たのはこの場の空気を作る為であり、あの策で連合に大打撃を与える必要があったのは、この遷都案を提案する為だったのだ。
「な、何を申されますか、董相国。そのような畏れ多いことを」
最初に口を開いたのは重臣の楊彪だった。
「その様な国家の一大事、突然一言で決められるはずがありません。よく協議しない事には」
「協議? これは奇妙な事を言う。儂は遷都の理由は明かしたではないか。その上で協議と言うのであれば、まずは儂の意見に対する代案を出してからであろう」
董卓は軽く手を振って、楊彪の提案を退ける。
「都には多くの民も住んでおります。突然の遷都となっては、民は混乱いたします。何卒お時間のほどを」
食い下がったのは荀爽だったが、それも董卓に鼻で笑われる。
「では、連合との戦に巻き込まれて民が殺されるのは良しとするのか? 事は一刻を争う事態であれば、民を安全な長安に移す事こそ急務であろう」
「長安は何もない荒野であり、それこそ守るに適さず。この洛陽が都であり、都に天子様がいてこそ人心も乱れずに済むのではないか」
黄琬が語気も荒く言う。
「ふむ。学の無い儂の勘違いかもしれんが、帝のおわすところが都であって、都と呼ばれるところに帝がいるのでは無いと思っておったが、違うのかな? この洛陽が天下の都であるのは皇帝である献帝陛下がいてこそではないか? 帝ではなく都が天下を定めるなど、聞いた事も無い」
「相国のご見識はごもっとも。ですが、長安は何もない荒野である事は、黄琬のおっしゃられた通り。しかれば、例え守りに適さぬとあっても、まずはこの洛陽の守りを固め、そこから遷都の話し合いをされては?」
荀爽が折衷案として提案するが、董卓は首を振る。
「そもそも漢の都は長安に有り。儂はそう思い、献帝陛下を高祖劉邦に見立てて都を長安に移すと言っているのだ。すでに都は完成しておる」
董卓が言うと、李儒も頷く。
「長安は荒野にあらず。今はこの洛陽の民全てを受け入れても十分に余りある都となっています。陛下の住まう都として考えればこの洛陽にも劣らず、陛下をお守りすると言う観点から言えば、この洛陽より遥かに優れた都です」
「な、何をたわけた事を……」
黄琬が力なく呟く。
この遷都計画は、董卓の基本構想でもあった。
董卓は何進の呼びかけに応じた時から既に天下の乗っ取りを画策し、その後都を洛陽から長安に移す事を李儒には伝えていた。
さすがに李儒も最初に聞いた時には正気を疑った話ではあったが、何もこれは董卓が単純にわがままで言い出した事ではなく、しっかりとした考えあっての事だった。
王允と言う中央でも非常に強力な後ろ盾を得た董卓であったが、それでも大手柄を立てたところで中央ではただの新参者にすぎず、政治を牛耳る為にはとにかく相手の思考を麻痺させる強烈な印象を植え付けなければならない。
その初手として十常侍の殲滅から始まり、恩賞を出し渋る中央の重臣達に対して略奪と言う形で部下に与えながら、かつ恐怖によって中央の重臣達の発言力を奪っていった。
もちろん代償として都の治安悪化などはあったが、最初から捨てるつもりの都と董卓は考えていたので意に介さなかったところもある。
また、長安への遷都計画は上洛前からあったので李儒の行動も早かった。
董卓四天王の内、樊稠と張済は洛陽へ来る事なく長安の都建設に取り掛かり、参謀の賈詡もそこに同行している。
かかる資金についても、李儒と賈詡は洛陽では三番手以降の商家に声をかけた。
もはや洛陽では歴史ある一番手に登る事は困難である事実を説きながら、長安と言う新天地での商いであれば一から始められると言う事。
さらに洛陽での暴政によって富豪は煽りを受ける恐れなどを上げ、出世を目指す資産のある若き野心家達を取り入れる事にも成功していた。
あとはその者達が人を雇入れ、自分たちの影響力を高める為の努力もあって、長安は何も無い荒野から一転して洛陽にも劣らぬ大都市へと変貌していたのである。
もし本気で調べていたら、いかに李儒の情報統制能力があったとしても余りにも大規模な事なので、完全に隠し通す事は難しかったかもしれない。
しかし、中央では董卓と言う分かりやすい脅威に対する対策に追われ、郊外にまで目を向けられなかったのだ。
それはあの曹操でさえ、例外では無い。
もっとも曹操の場合、董卓を暗殺する事こそが最重要と狙いを定めていたので、多少条件が異なる部分もあると言える。
「さて、では早速遷都令を下す。各々、長安に向けて出発されよ。漢正規軍には道中の護衛、民の家財運搬の補助を命じる。その責任者を皇甫嵩とする。大切な漢の民を守る事こそ、漢の名将の責務と言えよう」
董卓にそう言われ、皇甫嵩はどんなに思うところがあったとしても無言で引き受ける他無かった。
横柄かつ横暴な董卓の暴論ではあったが、では董卓の言を退けて無辜の民を反董卓連合との戦いに巻き込むのかと言われると、それに対する反論が出来ない。
董卓は見た目の通り粗野で粗暴なのだが、だからといって無教養では無いと言う事を中央の重臣達は理解していないのだ。
「今すぐに取り掛かるが良い。必要とあらば、外に待機させている我が董卓軍も出動させても良いのだぞ?」
董卓軍の狼藉は、今更説明するまでもない。
女と見るや襲い掛かり、その時の気分次第では集落の一つ二つが殲滅される事さえもあった。
そんな軍が民の避難誘導を行った場合、どれほどの血が流れるか分かったものではない。
それであれば皇甫嵩自身が指揮を取った方が、遥かにマシと言える。
皇甫嵩は朱儁や張温と言った主だった武将を伴って、退出していく。
「ほれ、文官の方々も急いで退去の準備にかかれぃ」
董卓は追い払う様に手を振る。
「義父上、この牛輔に提案があります」
各武将が立ち去り文官達も出ていこうとした時、董卓の娘婿である牛輔が董卓に向かって言う。
「ほう、何だ牛輔よ」
「此度の大移動や長安の都の建設など、出費も大きなものと思われます。この牛輔めに、それらの出費を賄う財源に心当たりがございます」
「ほう、それは是非とも聞かせて欲しいものよのぅ。なんせこやつらと来たら、民から税は搾り取っても己が懐を潤す以外の使い道を知らぬ者が多くて困る」
董卓は居残る文官達に向かって、堂々と皮肉を言う。
それに腹を立てる者は少なくなかったが、ただでさえ董卓や呂布、牛輔など戦場から帰ってきた者達は武器を持っているのに対し文官達は丸腰であり、しかも皇甫嵩達のような武将も退出した後である。
反抗の意思さえ表に出せない状況だった。
「この近くには先帝の陵墓もありますれば、そこに宝を眠らせておく手はありますまい。その品を……」
「何をぬかすか、この鬼畜下郎めが!」
ついに黄琬が董卓を怒鳴りつける。
「言うに事欠いて、なんと不届きな事を! これを鬼畜の所業と言わずしてなんとするか!」
「あぁ? 何だ、ジジイ、ゴルァ!」
牛輔は凄みを効かせて、黄琬に向かって怒鳴る。
「お、お待ち下さい。それは余りにも無体ではありませんか?」
これにはさすがの李儒も難色を示した。
「軍師殿まで何を言い出すか」
「いや、牛輔殿。董相国は十常侍を一掃する事で智と清廉さを、此度の戦いで武勇と覇を示された天下人。そんな覇業の大道を行かれる相国に、墓泥棒などという不名誉な肩書きなど今更必要とは思えませんが」
今回の事は牛輔の独断での提案だったので、李儒も驚いていた。
董卓の知恵袋である李儒の策謀かと思っていた重臣達だったが、李儒は董卓軍内にあって常識と良識を備えた数少ない人物の一人でもある。
政策や軍略は苛烈極まるところも多いが、それでもここまで筋の通らない事をする様な人物では無い。
「牛輔殿、俺もさすがにどうかと思いますよ」
呂布も牛輔の意見に対して反対する。
「天下の猛将、呂布奉先が何を日和った事を」
「いや、これは日和るとかそう言う事ではなく、例えば俺達からすると董相国が亡くなられた後、その墓を暴いて埋蔵された品を持ち出すと言う事でしょう? さすがにそれは恐れ多い事だと思うのですよ」
呂布の言葉に、重臣達もしきりに頷く。
この場で董卓を武力で圧倒出来そうな人物は呂布しかいないのだが、その呂布もこれには反対だった事で、重臣達はにわかに活気づいた。
董卓の癇癪に触れたとしても、その董卓を上回る呂布がいれば抑えられると思ったのだ。
が、董卓の反応は皆が予想し、恐れたものではなかった。
「なるほどなるほど、李儒、呂布、そなたらの言い分も分かった。儂は良き息子達を得たものだ」
董卓は笑いながら手を叩く。
「だが李儒よ、此度の事で金がかかる事は事実。民を困窮から救うのであればこの董卓、墓泥棒程度の汚名はいくらでも飲み込んで見せようぞ。そして奉先。お前の孝の道の考え、天下に勇名と轟かせる武将でありながら素晴らしいものだ。だが、もし息子達が困っているのであれば、この董卓、墓に宝など眠らせておく必要も無く息子達の役に立つのであれば、喜んで埋蔵された品々を提供しようぞ。漢の先代達も自らの子孫の為であれば、そう申すであろう。漢王朝四百年の歴史の中で、自らの子孫より自らの宝を優先させるような俗物がいようはずもない」
董卓はそう言うと、立ち上がって言う。
「牛輔よ、お前は外の李傕、郭汜を連れてかき集めてくるが良い。李儒、都までは長旅となる。これからの行動計画を全軍に伝えておけ。奉先、連戦続きなのは分かっているがお前は殿軍だ。英雄たる呂布奉先の勇姿があればこそ、民も安心出来ると言うもの。時に猶予は無いぞ。さっそく行動にかかれ」
董卓の言葉にこれ以上反論する事も出来ず、この場で解散となってそれぞれの任につく事となった。
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