新説 呂布奉先伝 異伝

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其れは連なる環の如く

龍は放たれた 3

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 悲劇を食い止める事は出来ず、犠牲となったのは齢九十を超えた董卓の母や呂布が助けると約束して投降させた董白、王允の養女であった貂蝉、さらには李儒とその妻の董氏と生まれて間もない赤子まで含まれていた。

 この事で呂布は王允に対して特に何かを言ってくる事は無かったが、いち早く軍をまとめ、都の治安回復の為にと言って王允の元を離れていった。

 元々王允は呂布にその役割を任せるつもりでいたので、それは好都合と言えるのだが、善良な呂布にはこの粛清の必要性が分からないのかもしれない。

 王允は帝の勅命と言う、これ以上はない切り札を切ってしまったのだから失敗は論外、成功しかあり得なかった。

 全てを賭けた今回の行動であったのだから、多少の犠牲が出るのはやむを得ない。

 貂蝉は、その為の尊い犠牲になったのだと王允は呂布に説明したのだが、呂布にはそれを聞き入れるつもりは無かった様に見えた。

「よろしいのですか、王允殿」

 呂布の態度を見て、士孫瑞が王允に尋ねる。

「呂布のあの態度、まさかとは思いますが我々を裏切る様な事はありませんか?」

「心配には及ばない。呂布は善良で家族思いの男だ。こちらから家族に危害を与えたりしない限り、呂布が我らを裏切る事は無い」

 王允は不安がる士孫瑞に、きっぱりと断言してみせる。

 あれほど善良で義理堅い呂布が、最初の養父である丁原を裏切った事は王允にとって大きな謎だったが、協力者となった李粛がその謎を全て明かしてくれた。

 丁原の事は、王允も少なからず知っている。

 無骨な男だったが、呂布を敵視していた節があったらしく、呂布の妻である厳氏や生まれたばかりの娘にも危害が及び、それによって呂布の離反を招いたと言う。

 そこには李儒の策もあったらしいが、李粛はあくまでも自分の手柄であり、李儒は横槍を入れて手柄を奪っていっただけだと主張していた。

 今回の董卓に対する呂布の離反劇も、董卓と言う脅威から家族を守る為の止むを得ない処置だった事を考えると、呂布の逆鱗はその無力な家族と言う事になる。

 呂布を操ろうとするのであれば家族を抑える事がもっとも手っ取り早く見えるが、その実、それは極めて危険な行動だったらしい。

 それが分かった王允なので、呂布がどれほどへそを曲げたとしても、それですぐに王允を見限って離反する事は無いと読み切っていた。

「それより、郿塢城だ。どうなっている?」

「はっ。すでに徐栄が郿塢城を抑えたと報告がありました。董卓の弟である董旻と甥の董璜とうおうを誅殺したとの事。また、逃亡を企てた蔡邕を捕らえたと申しております」

「よし。ならばもう郿塢城は必要無い。焼き払って帰還せよと伝えよ。その際、罪人も引き連れてくる様にな。董卓によって無罪の罪で投獄された者もいるだろう」

「御意。その様に伝えます」

 士孫瑞は速やかに伝令を走らせる。

 全て王允の手筈通りだった。

 郿塢城制圧の為、董卓を長安に呼び出した直後に各地で賊が現れた情報を流してやり、すぐに対応する様に言ってやった。

 それによって董卓四天王はそれぞれの賊討伐に向かう事になり、郿塢城の警備を手薄にしておいたのだ。

 そこへ、武勲を上げながらも四天王の風下に置かれ続けた不満から王允派についた徐栄に兵を与え、速やかに郿塢城制圧を命じた。

 反董卓連合との戦いの最初に袁家に連なる者を惨殺した徐栄の残虐性は、郿塢城制圧の際にも遺憾無く発揮された様で、郿塢城に残っていた董卓の親族縁者の死者数は最終的に長安と合わせて九百人にまで増える結果となった。

 後は郿塢城から賊討伐に出た董卓四天王を、軍才において上回る呂布や徐栄で各個に撃破していけば、漢の都から無法者は排除される。

 最終的に国舅となった董承や皇甫酈といった漢でも歴史のある家柄の者に兵権を集中させ、残虐を好む徐栄は処分して、呂布を前線、あるいは国境付近に配置する事で漢本来の姿を取り戻す事が出来る。

 王允の描く天下の姿だった。

 それにはまず、董卓がすき放題荒らしてくれた内政面から着手していくのが、王允の仕事である。

 もちろん郿塢城にいた董卓残党軍がやってくるだろうが、この長安は李儒や賈詡が外敵から守る事を考えて建設した堅城であり、呂布が守る限り城が落とされる事は無い。

 董卓を都へ呼び入れたのは何進だったが、その後に増長させてしまった事には王允にも責任の一端がある。

 そこで生じた失点によって漢王朝は大打撃を受けてしまったが、それでもまだ手遅れではないと王允は考えていた。

 漢には未だ人材は豊富であり、董卓の横暴であったとはいえ何進の息子で取り柄も無い劉弁ではなく、聡明な劉協が皇帝になった事も漢王朝復興には都合が良い。

 王允は著しく低下した治安維持の為、呂布に都の巡回を命じた。

 ひょっとすると呂布は難色を示すのではないかと言う不安もあったが、その場合には呂布を降格させて城門守護に配置すればそれで済む。

 王允はそう考えていたが、呂布は王允に言われるまでもなくそれに応じて都の治安回復に務める。

 それから数日は寝る間もないほど多忙だったが、ようやく一段落つけるようになってから、王允は罪人として捕縛され投獄されている蔡邕に面会した。

 本来であれば郿塢城から救出保護される立場であるばずの蔡邕だったのだが、何故か逃亡を企てようとしたとして捕縛されていた。

 蔡邕は文人として高名で、名声だけでなく実績も申し分ないので長安に到着次第釈放となったのだが、大罪人として晒されている董卓の死体の前で人目を憚る事無く号泣し、王允を罵る言葉を連ねていたので、改めて捕縛する事となった。

「先生、落ち着かれましたかな?」

 王允は、牢の向こうにいる蔡邕に声を掛ける。

 蔡邕にはすでに騒乱罪として頭髪を落とされる髡刑こんけいに処され、さらに額に罪人の証として墨を入れられる黥刑げいけいにも処されている。

 ただの騒乱罪にしては重過ぎる刑罰であるが、董卓を庇い立てしたのであれば死罪であってもおかしくないのだ。

「これはこれは。天下の佞臣、王允子師殿ではないか。この世の春を謳歌しておるか? せいぜい短い春を楽しむが良いぞ」

 蔡邕は高らかに笑いながら言う。

「先生、これから天下を安んじる事こそ我らの仕事。協力してはいただけませんか?」

「お安い御用だ。まず甘言を操り名将をおとしめ、大功ある太師をしいした罪人の処罰から始めんといかんのう」

 蔡邕の言葉に、王允は眉を寄せる。

「先生、お言葉が過ぎますぞ」

「なんの、まだまだ足りぬわ。かつて千里を見通し、王佐の才よ麒麟児よと持て囃された者の末路とは、実に嘆かわしい限り。今にして思えば、李儒軍師こそ三公に相応しい人物であったものを」

「否。悪逆の限りを尽くした董卓の行動には、より辛辣な策による裏付けあっての事。天下万民の安寧の為には、董卓だけではなく李儒の首も同様に必要であった」

「そうでなければいかんのは、貴様の功績を脅かすからであろう、王允よ。いや、功績ではないな。あの天才軍師であれば、貴様の用いた策の急所も見抜いた事であろう。李儒が生きていては、その急所を白日の元に晒され、貴様の行動には何ら大義正道は無く、ただ私利私欲であった事が皆に知られてしまうからのう」

 蔡邕は、基本的に長安ではなく郿塢城での董卓の側近だった。

 が、側近とは言うものの董卓との関係は良好とは言い難く、董卓と蔡邕の議論が白熱した際には、同じく郿塢城に配置されていた董卓四天王が間に入らなければならないほどであり、幾度となく自宅謹慎を申し付けられ、時には死罪を宣告されることもあったと言う。

 しかしすぐに董卓は冷静になって死罪を取り消したので蔡邕は生き残る事が出来たが、李儒以上に董卓に対する忠誠心は薄いものだと王允は考えていた。

「先生、何を根拠にその様な事をおっしゃられているか分かりませんが、董卓がこの長安を混乱に陥れたのは事実。それを庇い立てされたのでは、いかに先生の実績をもってしてもこれ以上の免罪は難しくなります」

「太師にも罪はあった。それは儂も知っておる。しかし、それ以上の功績があった。貴様は太師の罪を過大に喧伝し、その功績を自身の功とうそぶいて太師を大逆の徒に貶めた。それこそ天下の大逆である」

 蔡邕はそう言うと大きく息をつく。

「惜しむらくは、天下の名将でありながら泥を被った呂布将軍である。本来であればその名は輝かしく歴史に残り、英雄として語り継がれていくべき名であるものを。この様な小悪党の舌先で親殺しよ、裏切り者よとさげすまれる事になる。実に嘆かわしい限り」

「呂布将軍は、これから漢王朝復活の英雄として働いていただく。その名はご自身の異名となっている飛将軍李広りこうにも劣らず、国士無双の韓信、覇王項羽さえも上回る名として歴史に刻まれましょう」

 王允はそう反論するが、蔡邕は首を振る。

「そうあるべきだった。太師であれば、百歩譲って李儒軍師が健在であればそれも有り得たであろう。だが、その道は絶たれてしまった。王允よ、時代はもはや次の世代へと移っておるのだ」

「先生、能力の優劣に老若は関係ありません。若ければ将来性と言う言葉で能力を上乗せされているに過ぎず、人は死すその直前まで成長し続けるのです。次の世代へ移ったからといって、我らが不必要に席を譲る必要は無く、また不当に低く評価される謂われはありません」

「ほほう、これは一本取られたのう」

 蔡邕は楽しげに笑う。

「先生は死罪をお望みのようだ。残念です」

 王允はそう言うと、蔡邕に背を向ける。

「……昨年になるが、あの陽人の戦いの後、孫文台が死んだ事は知っておるか?」

 蔡邕は王允の背中に向かって話しかける。

 それに対し王允は、足を止めたものの振り返らなかった。

「……それが?」

「伝え聞くところによると、孫堅は焼け野原となった洛陽の宮殿跡から、伝国でんこく玉璽ぎょくじを得たそうだ。宮女が井戸に身を投げ、玉璽を守ったそうな。健気な娘よの」

「婦女子の鑑ですな」

「だが、何故女官が玉璽を持っていたのだ?」

 蔡邕の質問に、王允は答えない。

「仮にその娘が皇后であったなら分からぬ話ではない。また太后であれば、玉璽を持っていても不思議な事は無い。だが、一女官が敵に奪われまいと玉璽を手にする事など有り得るはずもなく、誰かがその者に手渡した事になる」

「……そうなりますな。それが何か?」

「伝国の玉璽を敵の手に渡すまいとする心意気は良し。だが、何故その女官は陛下に、さらに陛下をようたてまつる董相国に託さず井戸へ身投げしたのかのう?」

「都を焼いたのも董卓。伝国の玉璽を暴虐の主に持たせるわけにはいかぬと、国家を憂えたのであろう」

「それほど国家に忠誠厚い女子が、自らの独断で伝国の玉璽を手にして井戸に身を投げたと? それほど恐れ多い僭越せんえつを、自分だけの意思と判断で行ったと言うのか?」

「何が言いたいので?」

「誰かの手によって渡された玉璽であれば、一度はその誰かの手にあったと言う事。その空白の時間があれば、勅命を偽造する事も出来たのではないか? それにその女官も本当に自らの意思で井戸に身を投げたのか? 誰かに玉璽を持たされ、井戸に投げ入れられたとは考えられぬか?」

「……先生は素晴らしい想像力をお持ちのようだ。あの文才は、そこから来るのでしょうな」

「認められんだろうのう、王允。当事者であれば、尚の事」

「楽しかったですよ、先生。これが最期の会話であるのが、残念でなりません」

 その言葉を残し、王允は去って行く。

「儂も残念だよ、王允。王無き王佐がこれほど惨めだなどと、知りたくもなかったものを」

 王允の指示により、後漢時代屈指の文人蔡邕は死罪となり、彼の作品のほとんどは焚書によって失われる事となった。

 後に曹操や蔡邕の娘である蔡琰さいえんなどの手によって復元される事になるが、そこには王允が恐れた策謀の暴露などの記述、王允への誹謗中傷などは一切無かったと言う。
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