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彷徨える龍
馬中の赤兎、人中の呂布 4
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趙雲子龍と言う男は、その理知的かつ中性的な人目を惹く見た目とは裏腹に、いささか以上に奇妙な男だった。
学問などが好きそうな雰囲気を持っていながら、本人が言うにはかろうじて読み書きが出来る程度らしい。
そんなヒマがあるなら槍の腕前を磨く事を優先して、若くして槍では名手と称される実力を身につけたと自負している。
「ね、小生意気っしょ?」
張郃が笑いながら言う。
「失礼な事を言わないで下さい。私は客観的事実に基づいた事を述べているだけで」
「……小生意気っしょ?」
私塾などで学問の経験が無いと言っていた趙雲だったが、その割には難しい言葉を知っているし、その口調も柔らかく流暢である。
張郃が持て余しているのも、分かりそうなところだった。
それでも張郃は趙雲の事は気に入っているようではあったが、張遼は嫌いそうだな、などと呂布は考えていた。
「え? でも、何故呂布将軍がこんなところに? 都の将軍では?」
「遅くないか?」
散々会話した後、趙雲が抱いた疑問に対して張郃がそういったが、それは張遼も同じ事を考えて口から出そうになっていた言葉でもある。
「色々あって、ここには袁術将軍の援軍としてやって来たのです」
呂布ではなく、張遼が趙雲に答える。
「援軍? 必要ですか?」
「俺に聞くなよ。公孫瓚戦じゃねえの?」
趙雲の質問に張郃が言うが、大勢力であり人材も豊富な袁紹軍にあっては天下無双の猛将も一万の援軍も、実は必ずしも必要なものではない。
この袁紹軍に呂布が派遣されたのは、単純に袁術が呂布を遠ざける為のある意味では嫌がらせに近い処遇だったのだが、趙雲にはその非効率な考え方が理解出来なかったようだ。
「公孫瓚ではありませんよ。呂布将軍には、黒山の張燕討伐に協力していただきます」
呂布達の会話に入ってくる者がいた。
「張郃、迎えに出したのに戻ってくるのが遅いと思っていたら、こんなところで立ち話ですか?」
「ああ、すいませんね。呂布将軍とは、黄巾の乱の時に共に戦った事がありまして。ついつい話し込んでしまいました」
「そうですか。ですが、呂布将軍も長旅でお疲れでしょう。お早めに案内を済ませて休ませてあげるべきなのでは?」
「おっしゃる通り。無作法者故、お許し下さい」
張郃は相手を立てる様な言葉で返しているが、それは相手を敬っていると言うよりまともに会話する事を避けている様にも聞こえる。
「この度は援軍に駆けつけていただき、ありがとうございます。なんでもご家族もご同行されたとか。将軍のご家族や家人などの同行者には何も不自由をさえるなと、主袁紹から仰せつかっております」
「お心遣いには、誠に感謝いたします。失礼ですが、そちらは?」
呂布は遠慮がちに尋ねる。
「これは大変失礼致しました。私、袁紹軍で一軍を率いらせていただいております、顔良と申します」
そう名乗る男を見て、呂布は驚く。
この男が顔良? 袁紹は、この男を華雄より上だと評価しているらしいが、それがコレか?
あまりに想像とかけ離れていたので、呂布は絶句していた。
身長は低くはない。肩幅も広めであり、おそらく腕力もあるだろうが、そういう事ではない。
顔良は厳つく男らしい顔立ちをしているのだが、うっすらと化粧を施し、その唇にも紅を塗っているほどである。
衣服も女物ではないかと思わせるほど煌びやかであり、周瑜や孫策、趙雲などが身にまとえば立派な女装として通用しそうなものの、顔良ではその男らしい外見が際立ってしまいこちらもどう反応して良いのか困ってしまう。
女の身でありながら戦場に出ていた劉備も、この様な戦場には似つかわしくない衣服であったが、それは筋力に劣るための暗器じみた武器を隠すと言う目的にもよるところだったのに対し、顔良は腰に大振りの刀を下げているのでそういった目的は無さそうだった。
長い髪も複雑に編み込み、呂布の妻である厳氏や娘の蓉など以上に手が込んでいる。
が、それで艶っぽくなるわけでもなく、ただただ厳つさだけが強調されてしまっていた。
華雄とはまた違った、一風変わった風貌である為に一度見ると名前と顔を一致させる事が簡単な人物でもある。
「……コレが袁紹軍の二枚看板?」
張遼が小声で張郃に尋ねる。
「コレが二枚看板の片割れ。心配するな、文遠。もう一方も十分変わり者だ」
「……大丈夫なのか?」
「戦が強い事は間違いないからなぁ」
「私は嫌いですけどね」
張遼と張郃の会話に、趙雲も参加している。
「あの趣味は特殊過ぎますよ」
「だよな。アレで侠客だったんだぜ?」
「無しでしょう」
趙雲、張郃、張遼の三人は小声でだが言いたい放題である。
「袁紹殿の元へは呂布将軍と、袁術軍の武将である郝萌将軍を案内します。それ以外の方は張郃が相手をしますので」
聞こえているのかは分からないが、顔良はそう言って呂布を案内する。
「……え? 顔良の旦那、文遠は呂布将軍の副将ですよ? 郝萌とか言う訳のわからないヤツじゃなくて、張遼を一緒に行かせるべきじゃないッスかね?」
「呂布将軍は袁術軍の援軍ですよ? それであれば、袁術軍の武将である郝萌将軍に同行してもらうのが自然ではないですか? それに、呂布将軍の副将であるとは言え、大した地位にも無い者を袁紹殿の御前に出す訳にはいかないですからね」
顔良は張遼の方も見ずに、そう答えた。
張郃の方も余計な口論をしようとは思わなかったのか、肩を竦めるくらいでそれ以上は口を挟む事はしなかった。
単純に面倒だと判断したのかもしれない。
張郃ほど気さくで物怖じしないのは極めて稀有だろうが、そんな彼でも顔良の相手は面倒なようだ。
まあ、誰の目にも顔良が一般的には見えないだろうから、これは張郃が面倒臭がっていると言うだけでは無い。
顔良は呂布と郝萌だけ、と言った事に対して徹底的であり、呂布軍はもちろん袁術軍の援軍も張遼達と同じく一人として同行を許さず、また武器も預ける様に言い出す。
「いくらなんでもやり過ぎでは? 方天戟はさすがに仕方が無いとはいえ、帯剣を許さないなど、袁紹殿はどれほどの人物になったつもりですか」
張遼は憤慨していたが、顔良は最初から聞く耳を持たずに無視している。
「いや、これはさすがに仕方が無いでしょう」
意外にもそう言ったのは趙雲である。
「何と言っても当代において最強の武将として真っ先に名前が上がるのが呂布将軍で、その武名に偽り無しの武勲も上げている訳です。そんな人と会うとなったら、やっぱり武器は没収とまでは言わないにしても、やっぱり預けられるのは当然でしょう」
「まあ、呂布将軍は熊を素手で叩き殺したとか、虎を頭からバリバリ囓ったとか言われてるしな」
「……何だか懐かしいですよ、そのむちゃくちゃな噂」
張遼は苦笑いしてはいるが、納得したようだ。
熊や虎の件はともかく、袁紹は以前、董卓と丁原の揉め事を呂布が仲裁したところを見ている。
あの時は剣を抜いて怒り狂う董卓を、呂布は素手で制してみせた。
いかに今現在は敵意が無いとはいえ、陽人の戦いでは敵同士であった事もある。
多少無礼に思われたとしても、呂布にはその部隊を率いる事はもちろん、丸腰である事が何よりも重要と思われたようだ。
呂布は率いてきた援軍や自分の武器を張遼に預けると、郝萌と共に顔良についていく。
案内役は張郃のはずだったのだが、その役割も正式に顔良に移る。
張郃が呂布軍、特に張遼と旧知であった事から呂布軍の動向を見る役割に変わったと言う事もある。
もっとも、本人のやる気には些かの不安を抱えるところでもあった。
それでも張郃と言う武将のクセは強いものの、怠惰でも不真面目でも無い人物でその視野も広く、いざ戦闘となったらそう簡単に敗れる様な事も無いので、これ以上ない適任とも言える。
顔良が案内したのは、客を迎える様なところではなく執務室だった。
呂布としてはその意図が読めなかったのだが、助けを求めようにも一緒にいるのは表情をまったく読めない郝萌である。
「袁紹様、呂布将軍をお連れしました」
「ああ、済まない」
執務をしていた袁紹がそう言うと、手を止めて肩の凝りをほぐす。
その仕草が何かの合図になっているのか、執務室で仕事をしていた文官達が部屋から出て行き、袁紹の他には顔良と呂布と郝萌、あと一人袁紹の後ろに控える大男だけになった。
その大男は、長身である呂布と比べても劣らないほど背が高いだけでなく、全身を覆う肥大化した筋肉は呂布と比べると倍はあるのではないかと思うほど巨大である。
顔立ちも厳つく人間離れして、その異形振りは華雄にも匹敵すると言えた。
が、華雄と比べてもこの大男の方が暴の雰囲気を纏っているので、より獣じみた印象を受ける。
「これは呂布将軍。こんなところにお呼び立てして、大変申し訳ない」
「いえ。お久しぶりです、と言うべきですか? この度は袁術殿より、援軍としてやってまいりました」
呂布はそう言うと、丁寧に頭を下げる。
「いや、確かに公路には援軍を頼みはしましたが、まさか将軍ほどの方が来て下されるとは。あるいは公路に何か含むところがあったのかもしれませんが、こちらとしては非常に有難い。と、言うのも、皆に伝える前に呂布将軍には知っておいていただきたい事があるのです」
袁紹は神妙な表情で言う。
「将軍はご存知無いかもしれないが、今我らは公孫瓚と事を構えているのですが、黒山に大規模な賊が出まして。しかもそれがかなりの戦上手で、不覚にも二正面作戦を強いられている状態なのです。ただ、我々首脳部がその事実で苦悩していると知れれば士気は下がり、公孫瓚に遅れを取る事にもなりかねません」
袁紹の言葉に、呂布は頷く。
袁紹軍の強大さは広く知れ渡っているところではあるが、何分その領土も広く、現状においては一点に兵力を集中する事が困難だと言える。
それに対する公孫瓚軍もまた精強な騎馬軍を知られ、『白馬義従』と呼ばれる精鋭の弓馬隊は特に有名であった。
しかも、公孫瓚の客将としてあの劉備達も在籍していると言うのだから、袁紹は公孫瓚に対する警戒を強めているところだったらしい。
そう言う理由で警備が手薄になったところを見計らって、黒山に大規模な賊が集まってきたので、袁紹軍はまったく想定外の苦戦を強いられる事になった為、苦肉の策として袁術に援軍を頼んだと言う事だった。
援軍の相手に袁術を選んだのも、不仲説が飛び交う従兄弟同士の結束を周囲に見せつける事によって、袁家が健在である事を知らしめる事が最大の目的であり、それによって無用な争いを避ける事が目的だったと言う事まで、袁紹は呂布に明かした。
しかし、黒山の賊軍は袁家の名を恐れる事無く、袁紹に対して敵対姿勢を崩さない。
「そこで、呂布将軍に内々にお願いしたい事があるのです」
「俺に、あ、いや、私に出来る事でしたら」
「公路からの援軍はあくまでも公孫瓚との戦いの為と言う事にしていただきたい。そこで私の方から黒山に賊が出たと話を振りますので、呂布将軍には自分の手勢だけで賊を討ってみせる、と言っていただきたいのです」
「しかし、こちらの軍は袁術殿の兵を加えても一万にも満たない数。しかもほとんどが新兵や、あるいは民兵であり、大規模な賊と戦うとなると戦力は心もとないと考えますが」
「心配は無用」
袁紹は呂布の懸念に対し、すでに答えを持っていた。
「実際に呂布将軍の手勢だけで戦ってもらうと言うわけではありません。言うなれば、体裁を整える為の手順と言うところです」
「……はぁ」
今ひとつ理解出来ていない呂布は、気の抜けた返事をする。
「つまり、我々は兵の士気の事を考えると苦戦している事を認める訳にはいかないのです。その一方、援軍としてやってきた外部勢力に全てを任せてしまうのも立場が無い。なので呂布将軍にそう言っていただくだけで、こちらから兵を出しやすくなると言う事なのです」
「……はぁ」
「いやはや、名門と持て囃されてはおりますが、それはそれで余計な気苦労もあると言う事ですよ」
袁紹は苦笑いしながら言う。
その辺りの苦労を呂布は知る事は出来ないが、しかしそう言う形式にこだわりがあると言うのは洛陽や長安で頻繁に目の当たりにしてきた事でもあった。
「とは言え、公孫瓚に当たっている軍から露骨に兵力を割く訳にもいかず、この顔良と文醜の侠客時代の同胞達、約三千を呂布将軍の旗下に加えさせます。将軍の軍から公路の援軍が抜けたとしても、それで埋める事は出来るでしょう」
袁紹の言葉のあとに、顔良と袁紹の後ろに控える大男が頭を下げる。
と言う事は、あの大男が文醜か。確かに華雄にも劣らない武将なのだろうな。
呂布の率直な感想だった。
「さらに張郃と宋憲も補佐につけさせますので、どうかこの袁紹を助けて下さい」
「わかりました。確実に、とはお約束出来ませんが、尽力させていただきます」
呂布は袁紹の申し出を受けた。
この時呂布は随分と回りくどい事をするな、と言う印象を持っていたのだが、それも袁紹の説明した通り、名門ならではの苦悩なのだと納得していた。
学問などが好きそうな雰囲気を持っていながら、本人が言うにはかろうじて読み書きが出来る程度らしい。
そんなヒマがあるなら槍の腕前を磨く事を優先して、若くして槍では名手と称される実力を身につけたと自負している。
「ね、小生意気っしょ?」
張郃が笑いながら言う。
「失礼な事を言わないで下さい。私は客観的事実に基づいた事を述べているだけで」
「……小生意気っしょ?」
私塾などで学問の経験が無いと言っていた趙雲だったが、その割には難しい言葉を知っているし、その口調も柔らかく流暢である。
張郃が持て余しているのも、分かりそうなところだった。
それでも張郃は趙雲の事は気に入っているようではあったが、張遼は嫌いそうだな、などと呂布は考えていた。
「え? でも、何故呂布将軍がこんなところに? 都の将軍では?」
「遅くないか?」
散々会話した後、趙雲が抱いた疑問に対して張郃がそういったが、それは張遼も同じ事を考えて口から出そうになっていた言葉でもある。
「色々あって、ここには袁術将軍の援軍としてやって来たのです」
呂布ではなく、張遼が趙雲に答える。
「援軍? 必要ですか?」
「俺に聞くなよ。公孫瓚戦じゃねえの?」
趙雲の質問に張郃が言うが、大勢力であり人材も豊富な袁紹軍にあっては天下無双の猛将も一万の援軍も、実は必ずしも必要なものではない。
この袁紹軍に呂布が派遣されたのは、単純に袁術が呂布を遠ざける為のある意味では嫌がらせに近い処遇だったのだが、趙雲にはその非効率な考え方が理解出来なかったようだ。
「公孫瓚ではありませんよ。呂布将軍には、黒山の張燕討伐に協力していただきます」
呂布達の会話に入ってくる者がいた。
「張郃、迎えに出したのに戻ってくるのが遅いと思っていたら、こんなところで立ち話ですか?」
「ああ、すいませんね。呂布将軍とは、黄巾の乱の時に共に戦った事がありまして。ついつい話し込んでしまいました」
「そうですか。ですが、呂布将軍も長旅でお疲れでしょう。お早めに案内を済ませて休ませてあげるべきなのでは?」
「おっしゃる通り。無作法者故、お許し下さい」
張郃は相手を立てる様な言葉で返しているが、それは相手を敬っていると言うよりまともに会話する事を避けている様にも聞こえる。
「この度は援軍に駆けつけていただき、ありがとうございます。なんでもご家族もご同行されたとか。将軍のご家族や家人などの同行者には何も不自由をさえるなと、主袁紹から仰せつかっております」
「お心遣いには、誠に感謝いたします。失礼ですが、そちらは?」
呂布は遠慮がちに尋ねる。
「これは大変失礼致しました。私、袁紹軍で一軍を率いらせていただいております、顔良と申します」
そう名乗る男を見て、呂布は驚く。
この男が顔良? 袁紹は、この男を華雄より上だと評価しているらしいが、それがコレか?
あまりに想像とかけ離れていたので、呂布は絶句していた。
身長は低くはない。肩幅も広めであり、おそらく腕力もあるだろうが、そういう事ではない。
顔良は厳つく男らしい顔立ちをしているのだが、うっすらと化粧を施し、その唇にも紅を塗っているほどである。
衣服も女物ではないかと思わせるほど煌びやかであり、周瑜や孫策、趙雲などが身にまとえば立派な女装として通用しそうなものの、顔良ではその男らしい外見が際立ってしまいこちらもどう反応して良いのか困ってしまう。
女の身でありながら戦場に出ていた劉備も、この様な戦場には似つかわしくない衣服であったが、それは筋力に劣るための暗器じみた武器を隠すと言う目的にもよるところだったのに対し、顔良は腰に大振りの刀を下げているのでそういった目的は無さそうだった。
長い髪も複雑に編み込み、呂布の妻である厳氏や娘の蓉など以上に手が込んでいる。
が、それで艶っぽくなるわけでもなく、ただただ厳つさだけが強調されてしまっていた。
華雄とはまた違った、一風変わった風貌である為に一度見ると名前と顔を一致させる事が簡単な人物でもある。
「……コレが袁紹軍の二枚看板?」
張遼が小声で張郃に尋ねる。
「コレが二枚看板の片割れ。心配するな、文遠。もう一方も十分変わり者だ」
「……大丈夫なのか?」
「戦が強い事は間違いないからなぁ」
「私は嫌いですけどね」
張遼と張郃の会話に、趙雲も参加している。
「あの趣味は特殊過ぎますよ」
「だよな。アレで侠客だったんだぜ?」
「無しでしょう」
趙雲、張郃、張遼の三人は小声でだが言いたい放題である。
「袁紹殿の元へは呂布将軍と、袁術軍の武将である郝萌将軍を案内します。それ以外の方は張郃が相手をしますので」
聞こえているのかは分からないが、顔良はそう言って呂布を案内する。
「……え? 顔良の旦那、文遠は呂布将軍の副将ですよ? 郝萌とか言う訳のわからないヤツじゃなくて、張遼を一緒に行かせるべきじゃないッスかね?」
「呂布将軍は袁術軍の援軍ですよ? それであれば、袁術軍の武将である郝萌将軍に同行してもらうのが自然ではないですか? それに、呂布将軍の副将であるとは言え、大した地位にも無い者を袁紹殿の御前に出す訳にはいかないですからね」
顔良は張遼の方も見ずに、そう答えた。
張郃の方も余計な口論をしようとは思わなかったのか、肩を竦めるくらいでそれ以上は口を挟む事はしなかった。
単純に面倒だと判断したのかもしれない。
張郃ほど気さくで物怖じしないのは極めて稀有だろうが、そんな彼でも顔良の相手は面倒なようだ。
まあ、誰の目にも顔良が一般的には見えないだろうから、これは張郃が面倒臭がっていると言うだけでは無い。
顔良は呂布と郝萌だけ、と言った事に対して徹底的であり、呂布軍はもちろん袁術軍の援軍も張遼達と同じく一人として同行を許さず、また武器も預ける様に言い出す。
「いくらなんでもやり過ぎでは? 方天戟はさすがに仕方が無いとはいえ、帯剣を許さないなど、袁紹殿はどれほどの人物になったつもりですか」
張遼は憤慨していたが、顔良は最初から聞く耳を持たずに無視している。
「いや、これはさすがに仕方が無いでしょう」
意外にもそう言ったのは趙雲である。
「何と言っても当代において最強の武将として真っ先に名前が上がるのが呂布将軍で、その武名に偽り無しの武勲も上げている訳です。そんな人と会うとなったら、やっぱり武器は没収とまでは言わないにしても、やっぱり預けられるのは当然でしょう」
「まあ、呂布将軍は熊を素手で叩き殺したとか、虎を頭からバリバリ囓ったとか言われてるしな」
「……何だか懐かしいですよ、そのむちゃくちゃな噂」
張遼は苦笑いしてはいるが、納得したようだ。
熊や虎の件はともかく、袁紹は以前、董卓と丁原の揉め事を呂布が仲裁したところを見ている。
あの時は剣を抜いて怒り狂う董卓を、呂布は素手で制してみせた。
いかに今現在は敵意が無いとはいえ、陽人の戦いでは敵同士であった事もある。
多少無礼に思われたとしても、呂布にはその部隊を率いる事はもちろん、丸腰である事が何よりも重要と思われたようだ。
呂布は率いてきた援軍や自分の武器を張遼に預けると、郝萌と共に顔良についていく。
案内役は張郃のはずだったのだが、その役割も正式に顔良に移る。
張郃が呂布軍、特に張遼と旧知であった事から呂布軍の動向を見る役割に変わったと言う事もある。
もっとも、本人のやる気には些かの不安を抱えるところでもあった。
それでも張郃と言う武将のクセは強いものの、怠惰でも不真面目でも無い人物でその視野も広く、いざ戦闘となったらそう簡単に敗れる様な事も無いので、これ以上ない適任とも言える。
顔良が案内したのは、客を迎える様なところではなく執務室だった。
呂布としてはその意図が読めなかったのだが、助けを求めようにも一緒にいるのは表情をまったく読めない郝萌である。
「袁紹様、呂布将軍をお連れしました」
「ああ、済まない」
執務をしていた袁紹がそう言うと、手を止めて肩の凝りをほぐす。
その仕草が何かの合図になっているのか、執務室で仕事をしていた文官達が部屋から出て行き、袁紹の他には顔良と呂布と郝萌、あと一人袁紹の後ろに控える大男だけになった。
その大男は、長身である呂布と比べても劣らないほど背が高いだけでなく、全身を覆う肥大化した筋肉は呂布と比べると倍はあるのではないかと思うほど巨大である。
顔立ちも厳つく人間離れして、その異形振りは華雄にも匹敵すると言えた。
が、華雄と比べてもこの大男の方が暴の雰囲気を纏っているので、より獣じみた印象を受ける。
「これは呂布将軍。こんなところにお呼び立てして、大変申し訳ない」
「いえ。お久しぶりです、と言うべきですか? この度は袁術殿より、援軍としてやってまいりました」
呂布はそう言うと、丁寧に頭を下げる。
「いや、確かに公路には援軍を頼みはしましたが、まさか将軍ほどの方が来て下されるとは。あるいは公路に何か含むところがあったのかもしれませんが、こちらとしては非常に有難い。と、言うのも、皆に伝える前に呂布将軍には知っておいていただきたい事があるのです」
袁紹は神妙な表情で言う。
「将軍はご存知無いかもしれないが、今我らは公孫瓚と事を構えているのですが、黒山に大規模な賊が出まして。しかもそれがかなりの戦上手で、不覚にも二正面作戦を強いられている状態なのです。ただ、我々首脳部がその事実で苦悩していると知れれば士気は下がり、公孫瓚に遅れを取る事にもなりかねません」
袁紹の言葉に、呂布は頷く。
袁紹軍の強大さは広く知れ渡っているところではあるが、何分その領土も広く、現状においては一点に兵力を集中する事が困難だと言える。
それに対する公孫瓚軍もまた精強な騎馬軍を知られ、『白馬義従』と呼ばれる精鋭の弓馬隊は特に有名であった。
しかも、公孫瓚の客将としてあの劉備達も在籍していると言うのだから、袁紹は公孫瓚に対する警戒を強めているところだったらしい。
そう言う理由で警備が手薄になったところを見計らって、黒山に大規模な賊が集まってきたので、袁紹軍はまったく想定外の苦戦を強いられる事になった為、苦肉の策として袁術に援軍を頼んだと言う事だった。
援軍の相手に袁術を選んだのも、不仲説が飛び交う従兄弟同士の結束を周囲に見せつける事によって、袁家が健在である事を知らしめる事が最大の目的であり、それによって無用な争いを避ける事が目的だったと言う事まで、袁紹は呂布に明かした。
しかし、黒山の賊軍は袁家の名を恐れる事無く、袁紹に対して敵対姿勢を崩さない。
「そこで、呂布将軍に内々にお願いしたい事があるのです」
「俺に、あ、いや、私に出来る事でしたら」
「公路からの援軍はあくまでも公孫瓚との戦いの為と言う事にしていただきたい。そこで私の方から黒山に賊が出たと話を振りますので、呂布将軍には自分の手勢だけで賊を討ってみせる、と言っていただきたいのです」
「しかし、こちらの軍は袁術殿の兵を加えても一万にも満たない数。しかもほとんどが新兵や、あるいは民兵であり、大規模な賊と戦うとなると戦力は心もとないと考えますが」
「心配は無用」
袁紹は呂布の懸念に対し、すでに答えを持っていた。
「実際に呂布将軍の手勢だけで戦ってもらうと言うわけではありません。言うなれば、体裁を整える為の手順と言うところです」
「……はぁ」
今ひとつ理解出来ていない呂布は、気の抜けた返事をする。
「つまり、我々は兵の士気の事を考えると苦戦している事を認める訳にはいかないのです。その一方、援軍としてやってきた外部勢力に全てを任せてしまうのも立場が無い。なので呂布将軍にそう言っていただくだけで、こちらから兵を出しやすくなると言う事なのです」
「……はぁ」
「いやはや、名門と持て囃されてはおりますが、それはそれで余計な気苦労もあると言う事ですよ」
袁紹は苦笑いしながら言う。
その辺りの苦労を呂布は知る事は出来ないが、しかしそう言う形式にこだわりがあると言うのは洛陽や長安で頻繁に目の当たりにしてきた事でもあった。
「とは言え、公孫瓚に当たっている軍から露骨に兵力を割く訳にもいかず、この顔良と文醜の侠客時代の同胞達、約三千を呂布将軍の旗下に加えさせます。将軍の軍から公路の援軍が抜けたとしても、それで埋める事は出来るでしょう」
袁紹の言葉のあとに、顔良と袁紹の後ろに控える大男が頭を下げる。
と言う事は、あの大男が文醜か。確かに華雄にも劣らない武将なのだろうな。
呂布の率直な感想だった。
「さらに張郃と宋憲も補佐につけさせますので、どうかこの袁紹を助けて下さい」
「わかりました。確実に、とはお約束出来ませんが、尽力させていただきます」
呂布は袁紹の申し出を受けた。
この時呂布は随分と回りくどい事をするな、と言う印象を持っていたのだが、それも袁紹の説明した通り、名門ならではの苦悩なのだと納得していた。
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