新説 呂布奉先伝 異伝

元精肉鮮魚店

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その大地、徐州

徐州入り 10

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「呂布様ぁー! 貴方の劉備が帰ってきましたぁー!」

「うぉわ」

 呂布のところに飛びかかってくる劉備に対し、呂布は戦場とは違う種類の身の危険を感じて一歩下がる。

「止めい、兄者」

 飛びかかる劉備の頭を、関羽が後ろから鷲掴みにする。

「ぎょわっ」

「失礼した、呂布将軍」

 劉備の頭を掴んだまま、関羽が呂布のところへ近付いていくる。

「呂布将軍、留守居役、大義であった」

「混乱を招きました事、この呂布の不徳の致すところ。太守劉備殿のお帰り、お待ちしておりました」

 不遜な態度の関羽に対し、呂布はあくまでも低姿勢で礼を尽くした対応をする。

 呂布には呂布の事情があったとはいえ、劉備の留守中に一時的な緊急処置だったとはいえ徐州の実権を奪ったと言う負い目があった。

「奥方様も、太守のお帰りをお待ちしておりました」

 陳宮も低姿勢で劉備に向かって言う。

 劉備が戻ってきたと言う知らせを受けて、劉備の二人の夫人である糜夫人と甘夫人、さらには劉備の母親も出迎えに来ていた。

 呂布の妻である厳氏もいるのだが、まるで夫人達の付き人の様な目立たない振る舞いを心がけている。

 もっとも、本人は目立たない様にしているつもりだが、厳氏が人並み外れた美女であるせいでこの上なく目立つ事を自覚していない。

 劉備を警戒する陳宮は、呂布の無条件降伏の様な行いに賛成では無かったのだが、だからと言って強く反対する事も無かった。

「いやー、相変わらずお美しい。どうです? この劉備と一晩……」

 関羽の手を逃れた劉備が家族のところへ来たと呂布は思ったが、劉備が最初に声をかけたのは二人の妻でも母親でも無く、厳氏だった。

「あなた様、妻の前で他人の妻を口説くとはどう言うおつもりですか?」

 ニコニコと笑いながら、甘夫人が劉備の耳をつまむ。

 実は呂布も甘夫人とはつい先程初対面だったのだが、厳氏が言うには甘夫人は気が弱く、徐州で噂になっていた呂布像に恐れをなして近づかなかったのだと言う。

「あまりでしたら、その耳、引きちぎりますよ?」

 笑顔のまま甘夫人は劉備にそんな事を言っているが、それを見る限りでは厳氏の情報の方が間違っているのではないかとも思う。

「母上、ご苦労をおかけしました」

 甘夫人に耳をつままれたまま、劉備は母親に頭を下げる。

「いえ、呂布将軍やその奥方様が良くしてくれましたので、私には苦労はありませんでした。ですが、翼徳」

 劉備の母が張飛を呼ぶ。

 実際の母親と言う訳でも無いはずなのだが、張飛は親に怒られる幼子の様に恐れている。

「お前の粗暴さは純粋さから来るもの。私はそこを責める様な事はしません。ですが、いつまで幼子の様なダダをこねているつもりなのですか。お前と雲長で玄徳を支えていけなければならないのですよ」

「……はい」

 張飛はしょぼくれて言う。

「雲長もですよ」

 まさか自分にまで飛び火してくると思っていなかったのか、関羽ははっきりと驚いている。

「何ですか、先程の振る舞いは。呂布将軍は雲長より年長で、実績のある武将なのですよ。雲長の媚びないところは非常に頼り甲斐があり心強い限りですが、立てるべきところは立てる。通すべき筋は通す。雲長がしっかりしなくてどうするのですか」

「はっ、申し訳ございません」

 関羽は素直に頭を下げる。

「雲長と翼徳がしっかりしてくれないと困りますよ。玄徳はもうどうしようもないのですから、頼みましたよ」

「はっ。心に刻みます」

「……え? ちょっと待って。私的にちょっと聞き逃せないところがあったんだけど」

「頼みましたよ、雲長」

「お任せ下さい、母上様」

 関羽と劉備の母は、劉備を無視して話している。

「母上様、太守様は将軍とお話があるみたいですので、その辺りで」

 不穏な空気を察したのか、厳氏が劉備の妻や母親を連れて徐州城へ戻っていく。

 万事において隙が無く常に完璧な印象の強い陳宮が、こう言う時にはまったく気が利かないので、逆にこんな時に空気を読む能力を発揮する厳氏は、素晴らしく頼りになる。

「呂布将軍、私の耳、ちゃんとあります?」

 劉備は心配そうに呂布に尋ねてくる。

「ありますよ。立派な耳です」

 呂布は笑って答えると、劉備も満面の笑顔を浮かべる。

 人並み外れた大きさの劉備の耳なので、自分で触れば簡単に分かりそうなモノじゃないのか、と呂布は後になって不思議に思ったのだが劉備の行動自体がよく分からないものが多い。

 陳宮と劉備を除く女性陣が戻ったところで呂布達も移動を始め、呂布は太守の席を劉備に譲る。

「ん? そこは呂布将軍の席でしょう?」

 劉備は不思議そうに首を傾げる。

「いやいや、太守は劉備殿です。俺は一時的に混乱を隠しただけの事。俺にこの席に座る資格はありませんよ」

 呂布と劉備は互いに太守の席を譲り合う。

「劉備殿、正式な太守の印を持たれているのは劉備殿です。その席に座るべきは劉備殿であり、将軍はそれを補佐する立場にあります」

 陳宮が劉備に言う。

「だからこそ、その席は呂布将軍にこそ相応しいと言っているのよ」

 劉備は笑いながら言うが、呂布はもちろん陳宮も不可解だと言わんばかりの表情をしている。

「私は正式な徐州太守に任じられたにも関わらず人事を誤り、一時的にとはいえ政治的空白地を作った事になります。正規の太守である私がその責任から逃れるわけにはいかず、それを大事に至る前に収めて下された呂布将軍こそ、徐州太守に相応しいでしょう」

 劉備は一切の淀みなく、陳宮に対して答えた。

「劉備殿。最初から徐州を将軍に譲るつもりだったのか?」

「あ、さすがにバレる? すっごい練習したもん、頭の中で」

 劉備は下手に論戦をしようとせず、あっけなく白状する。

「でも間違ってなかったでしょ? そりゃダメダメだったのは翼徳だけど、それを任命したのは私だし。翼徳が勝手に失敗しただけで、私関係無いしって訳にはいかないでしょう? ま、本当はそう思ってるけど」

 そこまでは言わなくてもいいと思う事まで劉備は言っているが、計算だったとしても天然だったとしても、こう言うところが劉備と言う人物の魅力となっているところでもあった。

 が、これは劉備の独断だったらしく、関羽や張飛も驚いている。

「それでは明日からどこに住まうつもりだ?」

「小沛で良いでしょ? 呂布将軍に徐州城に入ってもらって、私達が代わりに小沛に入れば問題ないじゃない」

 事も無げに劉備は言う。

 案外最初からそのつもりで、以前小沛にやって来たのも復興具合を確かめる為に密書を口実にして、自分たちが入れるか視察に来たのではなかったのかとさえ思える。

 劉備はいつもにこやかで明るく天真爛漫とさえ言えるのだが、以前長安で会った貂蝉と比べるとどこか深い闇を感じさせた。

 無色透明であの董卓さえも心を許した貂蝉と違い、そう言う深みが劉備と言う人物の恐ろしさでもあると呂布は思う。

「私達は元々曹操から徐州を守る為にここへ来た訳で、そう言う意味でも対曹操の最前線になる小沛に入るのは間違ってないと思うけど、雲長さんどうよ?」

「言っている事はわからなくはないが、言い方が気に入らん」

 かなり無茶で理不尽な理由で、関羽は劉備の頭を掴む。

「そう言う訳で呂布将軍、小沛に入らせてもらって良い? 将軍達は徐州城に入って徐州を収めてもらうと言う事で」

 あまりにも簡単に話を進める劉備だったが、呂布は即答出来ずに陳宮に助けを求める。

「……まあ、そう言う事でしたら。ですが、我々だけの密談で全てを決めてしまっても徐州の文武官は簡単に納得しないでしょう。後日改めて劉備殿の方から正式に徐州の太守の座を呂布将軍に渡す事を宣言し、皆の前で太守の印を渡していただけますか?」

「えー、めんどくさーい」

「兄者」

 関羽が劉備の頭を掴む手に力を込める。

「はい、もちろんやらせていただきます。万事つつがなく陳宮殿のお差配に従わせていただきます」

「では将軍、そのようになりましたので私達も小沛に置いている者達へ連絡しましょう」

 陳宮に促され、呂布も頷くしかない。

「じゃ、これでいったん解散?」

「その前に一つ」

 部屋を出ていこうとする劉備一行を、呂布が珍しく引き止める。

「張飛殿、我が舅である曹豹殿を討ち取ったと言う報告が入っているが、それは本当か?」

 呂布の質問に、劉備も関羽に頭を掴まれたままの不自由な体勢で張飛の方を見る。

 張飛が徐州城から逃げ出した後から曹豹の姿が見えなくなっていたのだが、曹豹は独断で少数の兵を連れて張飛を追撃に出ていた。

 そして、その深追いの結果、曹豹は張飛に討たれたと追撃に参加した兵士から報告を受けていたのである。

「それがどうしたってんだ?」

 張飛は呂布を睨みながら言う。

 その事自体を責めるつもりは、呂布には無かった。

 あの時、呂布には張飛を追撃する意志は無く、曹豹が独断で動いた結果張飛に返り討ちにされたのであり、それは曹豹が責を負う必要がある行動だった。

 もし曹豹が追撃の意志を伝えていれば、呂布はそれを止めていたはずだった。

 それを個人的な武勲にしたかったのか、それとも感情が先走ったのかは分からないが曹豹は誰にも言う事無く動いた為に招いた不幸である。

 その事で張飛を責めようとは、同じ武人である呂布は考えていなかった。

 が、それでも曹豹は妻である厳氏の養父である。

「その事について、正式に謝罪していただきたい」

「何ぃ?」

「手をつき、頭を下げ、亡き曹豹殿に謝罪してもらいたい。それで全て水に流す事を約束しましょう」

 睨みつけてくる張飛に、呂布は一歩も引こうとしない。

「ふざけるな! この俺に頭を下げろだと?」

「本来であれば死罪でもおかしくないところ。太守である劉備殿が責任を取ったからといって、問題を起こした当人を無罪放免と言う訳にはいかないだろう」

「女が口出すんじゃねえ!」

 陳宮が説明するのを、張飛が怒鳴りつける。

「それを謝罪するだけで許すと言っているのだから、将軍の器に感謝するが良い」

 だが、落雷の如き怒号も陳宮には通用せず、眉一つ動かさずに言い捨てる。

「張飛殿、貴殿は俺に親を殺した不忠者だと罵ったな。確かにそれは事実である以上、弁明のしようもない。だが、それを理由に罪のない娘まで殺せと言った事。本来であればそれだけでも許しがたい蛮行であり、その一事だけで切る事が出来るくらいだ。それを一言謝罪するだけで許すと言っているのだが、それは俺が間違っているのか?」

「切るだとぉ? やれるもんなら、やってみやがれ!」

「いや、そりゃ翼徳が悪い」

 剣に手をかけた張飛だったが、意外な事に劉備がそう言って口を挟んできた。

「兄者?」

「だって悪いのは翼徳だもん。何もかも呂布将軍と陳宮殿の言う通り。本当だったらその首で償えって脅されるところよ?」

「何だとぉ? 関羽の兄者よ、何とか言ってやってくれ!」

「これは頭を下げる他あるまい」

 頼みの綱だった関羽にまでそう言われ、張飛は愕然とする。

「兄者まで」

「曹豹を討った事だけで言えば、お前にも言い分はあっただろう。だが、それを招いたのはお前自身だ。百歩譲ってその事を不問にしたとしても、呂布将軍本人だけではなくその娘まで殺せと言うのは、どこに義があるのだ? 義において、仁において、忠に、情に、勇に、理に、どれにおいても呂布将軍と陳宮殿の言い分にこそ筋がある。謝罪すべきはお前だ、翼徳よ」

 関羽の表情も険しいが、それでも関羽は張飛に謝罪する様に言う。

 この場で誰も味方がいなくなった張飛は、唇を血が出るほどに噛み、目から血涙を流しそうなほどに怒りの表情を浮かべたが、その膝を折り、手と頭を床に付ける。

「大層な無礼を働きましたる事、お許し下さいませ」

「では、これにて失礼します」

 張飛が謝罪したところを見届け、呂布と陳宮は部屋を出て行く。

 だが、この事が呂布と劉備との間に決定的な溝を作る事となってしまったのである。
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