小指の先に恋願う

ミヅハ

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お友達から

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 出席日数稼ぎに登校し特に用もなく廊下を歩いていると、嗅いだ事のある匂いが漂って来た。どこから匂うのかと思えば資料室で、ここでは進が良く煙草を吸っていたなと思い出す。
 一声かけようと扉に近付いて目を見張った。中には案の定進と、青ざめた顔を強張らせている七瀬がいたからだ。
 何となく入室出来ずに見ていると、七瀬が勢いよく腕を振り払う。その姿に驚いた進は、しかし加虐スイッチが入ったのか愉悦に満ちた顔で手を伸ばした。
 それを見た凌河が入ろうとノブを掴む前に回され開く、飛び込んで来た七瀬の肩を抱き進を睨み付けた。
 どうしようもない怒りが沸き起こり、肩を抱く腕とは反対の手で拳を握る。
 売り言葉に買い言葉、このままなら進と殴り合いにでも発展するだろう。そう思っていたのに、自分の脇腹に感じた僅かな感覚に不思議とす……と熱が冷めた。
 見下ろした先で七瀬が服を掴んでいると知り心が凪ぐ。
 おかげで進とは血塗の争いをしなくて済んだが、今度は困った事に凌河は七瀬を手放す事が出来なくなってしまった。

(もう少しだけ一緒に)

 七瀬が抱えていた資料は次の授業で使うらしく、凌河は七瀬諸共抱え上げ教室へ向かった。
 抱き上げた時男にしては軽くて驚いたが、それを億尾にも出さずさっさと資料を渡し階段を駆け上がる。途中で首に腕が回され柄にもなく焦った事は内緒だ。
 屋上へと出て七瀬を降ろすと、真っ赤な顔でペシンと腕を叩かれた。

「真っ赤」
「だ、誰のせいですか!」

 七瀬は意外にハッキリと物を言うタイプで凌河はそれが楽しかった。自分の立場上怖がられる事はあっても、遠慮のないタイプは仲間以外にはおらず、新鮮味を感じたのもあるだろう。
 もちろん七瀬だから、という理由も加味できるが。

「先輩のせいで授業サボっちゃったじゃないですか…」
「分かんなかったら教えてあげるって」
「……本当ですか?」
「本当」
「……絶対? 約束?」
「絶対。約束」
「……じゃあ、許します」

 まるで子供のようなやりとりにどこか懐かしさを感じながら七瀬の頭を撫でる。
 この屋上は凌河たちがたむろする場所であり、一般の生徒はめったに入って来ない。たまに命知らずが喧嘩を売りに来たりするが、そういう輩はもれなく棗が片付けているため、凌河は見ているだけだ。
 屋上が珍しいのだろう、落下防止用の柵まで近付いた七瀬は下を覗き込んで小さく悲鳴を上げた。五歩ほど離れて自分の腕を摩る。

「何だ、七瀬は高所恐怖症?」
「や、分かんないですけど、ゾワッてしました」
「危ないからこっちにおいで」

 階段へと続く扉はコンクリートで四角く建てられた階段室に設置されており、壁上部には梯子と、上には貯水槽がある。その階段室の日陰になる場所を選んで座れば七瀬もそれに倣った。ただ少し空いてる距離が気に入らない。

「七瀬、もうちょいこっちおいでよ」
「え、じゅ、充分じゃないですか?」
「寒くない?」
「寒くないです」

 空いたスペースをトントンと示すもあっさり拒否され凌河は肩を竦めた。まったく、思い通りにならない子だ。

「あの…何で俺をここに?」
「ん? んー………何となく?」
「何となく……授業サボりましたけど?」
「あはは、それはごめんね」

 悪びれた素振りのない凌河に溜め息をついた七瀬は伸ばしていた膝を曲げ両手で抱える。傍から見れば随分とコンパクトになった体勢に妙な感覚が湧き出て来た。
 この子を膝に乗せたい。

(……いやいや、おかしいだろ)

 膝の上に誰かを乗せるなんて凌河には考えられない。第一、必要以上の触れ合いなどしたくもない。加えて顔の距離が近くなるなど考えられなかった。

「先輩?」

 押し黙った凌河を不思議に思ったのか、七瀬が顔を覗き込んで来る。意図せずして近付いた顔に驚いて慌てて押し返すと「いた」と声が上がった。

「く、首が…」
「あー……ごめんね。俺、人の顔が近付くのダメなんだよね」
「え、あ、そうだったんですね。すみません…」
「いや、俺こそごめん。首大丈夫?」
「だ、大丈夫です」

 痛めただろう首を撫でようと伸ばした手を制される。結局七瀬は頭を前後左右に振って痛みを散らしたようだ。
 不意に静かになる。
 横目で見た七瀬はじっと空を見上げているが、目線が動いているところを見ると、流れる雲を目で追いかけているようだ。
 綺麗な横顔が途端に幼く感じ凌河はほっこりする。そうしてふと、先程の事を思い出した。
 あの時、資料室で進が七瀬と何を話したかは知らないが、最後に見た進の目は本気だった。本気で七瀬に手を出そうとしていた。
 七瀬をアイツの玩具には出来ない。
 三年も探し続けて来たんだ。誰かに渡す気なんて毛頭ない。

「ねぇ、七瀬」
「はい?」

 瞬きを一つしてこちらを見る七瀬は、不思議そうな顔をしながらもちゃんと凌河の目を見て待っている。無垢な黒い瞳がキラキラと輝いて見え眩しさを感じた。
 凌河は七瀬の頬を指の背で撫でながら微笑む。

「俺のものにならない?」
「……………はい?」
「俺割と優良物件だよ? お金持ってるし喧嘩強いしカッコイイし。七瀬が欲しい物全部買うよ? 守ってあげられる、連れて歩けばみーんな振り返る。お買い得だと思うけどなぁ」
「いや、あの、待って下さい。何でそんな話になるんですか?」

 確かに七瀬にしてみれば寝耳に水状態だろう。何の脈絡もない話に困惑するのも分かる。
 だが進に目を付けられた以上悠長にしている時間はなくなった。
 正直この行動の原理は分からない。七瀬を渡したくない気持ちはもちろんあるが、だからと言って自分のものにしてしまう理由になるのか。もしかしたら可哀想な目に遭うかもしれない可愛い後輩を慮っているだけなのかもしれない。
 長い時間をかけてやっと見付けた相手だ、それなりの好意はちゃんとある。そんな凌河の複雑な心の中でハッキリしているのは、七瀬を傍に置きたいという気持ちだけだった。

「だからさ、俺のものになってよ」
「だからの意味が……」

 顔の前で振られている手を掴み指先に口付けると、七瀬は湯気が出るんじゃないかと思うほど一気に顔を赤らめる。
 凌河の手よりも小さくて柔らかな指。ぎゅっと握り込めばすっぽりと包めてしまった。
 引っ張っても指を一本一本剥がしても離れない手と格闘すること数十秒、七瀬は諦めたのか少し考えてから溜め息をつく。

「じゃあ、お友達からで」

 一瞬の静寂。それを破ったのは、凌河の笑い声だった。

「……っぷ、はは、あはは! ここまで口説いて、まさか友達からとか言われるとは思わなかった…!」

 外見も、金も、腕っ節も、何一つ七瀬の心を動かす材料にはならなかった。むしろ驚くほど興味がないらしい。
 凌河に抱かれたい奴はそこしか見ていないし、自分もそれでいいと思っていただけにこの答えには俄然興味が湧いた。
 声を上げて笑う凌河に驚いていた七瀬だったが、涙まで流しながら腹を抱える姿につられて笑ってしまう。

「…っふ…笑いすぎです、先輩…はは」
「そういう七瀬だって笑ってるじゃん!」
「あはは…っ」

 花が綻ぶような笑顔が惜しげもなく凌河に向けられ声を上げて笑っている。
 凌河は何年ぶりかの大笑いに脇腹が引き攣るのを感じながら、七瀬の屈託のない笑顔をずっと見ていた。
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