19 / 90
お誘い
学校がある日は土曜日を入れて週五日、俺は本屋でバイトをしている。接客は得意ではないけど、ショッピングモールにあるような大きな書店じゃないから割とのんびり働かせて貰ってた。
さすがに前髪は上げるか分けるかしなきゃいけなくて、勤務中は軽く分けてヘアピンで留めてる。店長にはそっちの方がいいよなんて言われてるけど、顔がはっきり見えるのだけはどうしても嫌でなあなあで流してた。
俺が通う高校には兄さんを知る人はいなくても、それより上の人たちはもしかしたら兄弟って事も知ってるかもしれないし。
何がどう兄さんの耳に入るか分からないから、用心に越した事はないだろう。
「千晃くん、ちょっといいかい?」
「あ、はい」
カウンターで在庫確認をしていたら店長に呼ばれ、俺はバックヤードに移動する。お客さんが来てもここから見えるし、呼び出しインターホンも置いてるから大丈夫だろう。
今年四十二になるらしい店長は子供が二人いる優しいお父さんだ。俺にも親切にしてくれて、暇な時は好きな事してていいよって言ってくれる。
この人が父さんだったらなんて、淡い妄想を何度した事か。
「千晃くん、来週も平日入ってくれてありがとうね。でもね、ちょっと僕の方がお店を開けられそうになくて⋯申し訳ないんだけど、来週いっぱいはお休みになるんだけど大丈夫かな」
「あ、はい。大丈夫です。その間に課題終わらせます」
「ごめんね。いつもたくさん入ってくれるから助かってるよ、ありがとう」
「いえ、俺の方こそ良くして頂いてるので」
休みになるのは残念だけど、店長に用事があるなら仕方ない。
課題はもう半分も残ってないし、せっかくだから全部終わらせて夏休み明けの中間に向けて勉強しよう。そう決めた俺は店長に頭を下げてカウンターに戻り、途中だった仕事を再開した。
どのみち俺には、それくらいしか出来る事ないんだから。
「あ、おかえりー、千晃」
バイトを終え家に帰ると、ボストンバッグを下げた兄さんが玄関に立ってた。
大体予想はつくけど⋯そっか、今年は今日出発するんだ。
「千紘、忘れ物はない?」
「うん、大丈夫」
「足りなければ現地で買えばいい。ほら、飛行機の時間に間に合わなくなるから出るぞ」
「タクシーもちょうど大通りに着いたそうよ」
一体何泊するのか分からないけど、ガラガラとスーツケースを引いた父さんと母さんは俺には目もくれず玄関から出て大通りへと向かう。兄さんもあとに続こうとして、ふとこっちを振り返った。
「行ってくるね、千晃」
「行ってらっしゃい」
「お土産買ってくるから」
「⋯⋯いらない」
家族旅行のはずなのに取り残される俺がそんな物を貰ったって虚しいだけだ。
緩く首を振り拒否すると、兄さんは少し黙り込んだあと「分かった」って言って踵を返す。俺もそのまま部屋に行こうかと思ったんだけど、玄関のノブに手を掛けた兄さんを見た時思わず声をかけてた。
「⋯⋯⋯兄さん」
「なぁに?」
「みんな無事に帰って来てくれたら⋯⋯それだけでいい⋯」
「うん。じゃあ行ってきます」
「⋯⋯」
飛行機って言ってたし、たぶん海外に行くんだろうからそう言えば兄さんはにこっと笑って俺の頭を撫で、今度こそ扉を開けて出て行った。
どんなに冷たくされたって俺の両親だし兄さんだ。いなくなって欲しくはない。
息を吐き、俺は静まり返った家の中を眺めてから靴を脱いで部屋へと上がり、カバンを適当に落としてエアコンをつけた。
蒸し風呂のようだった室内が少しずつ冷えていく。
「今日のご飯、どうしようかな⋯」
どうせ冷蔵庫には何もない。食パンとかレトルトはあるかもしれないけど、自分の為に用意するのは本当に面倒臭いんだよな。
料理が出来ないってのもあるとは思う⋯でもたぶん、ここまで食べる気が湧かないのは食にそこまで頓着してないからだろうな。俺にとっての食事って、生きる為だけのものだし。
あ、でも戸崎のお母さんの料理は本当に美味しかった。あれなら毎日食べたいかも。
⋯⋯ヤバい、思い出したらお腹空いてきた。
「ん?」
口の中がお母さんの料理の味になってきてこりゃいかんと思ってたら、カバンの中からブブッて振動音が聞こえてきた。マナーモード中のスマホだと気付いて取り出すと、トークアプリの通知が来ていて何の気なしにタップする。
差出人は戸崎で、『今何してるの?』って当たり障りないメッセージだった。
何してるって聞かれても、バイト帰りでただ部屋で突っ立ってるだけだけど⋯とりあえず特に何もって返しとくか。
「うわ!」
送ってすぐトーク画面が着信画面に変わり、驚いた俺の手からスマホが滑り落ちる。
結構な音がして床と激突したスマホを溜め息を零しながら拾い、通話ボタンを押すと元気な声が聞こえてきた。
『千晃、元気?』
「元気元気。何か用事か?」
『え? 千晃何してるかなって思っただけ』
「⋯⋯切るぞ」
電話まで掛けてくるから急用かと思ってたのに、ただの暇潰しなら話す事はない。
耳からスマホを離し切ろうとしたら、スピーカーの向こうから慌てたような声が聞こえてきた。
『待って待って! ちゃんと用事ある!』
「⋯何?」
『来週の土曜日って空いてる? 花火大会行かない?』
「花火大会?」
『そう。こっちの河川敷でやるみたいなんだ』
そうか、そんな時期か。そういえばバイト先にもポスター貼ってあった気がする。
花火大会も行った事ないから行きたくはあるけど⋯絶対他の人からも誘われてるよな、こいつ。という事はそいつらも花火大会に行く訳で、目立つ戸崎といれば鉢合う可能性も上がるって訳だ⋯⋯どうしよう。
俺は何言われてもいいけど、そいつらの誘いを断って俺なんかと一緒に行くなんてって戸崎が責められないか心配だ。
『行きたくない?』
「⋯⋯行きたい気持ちはある」
『じゃあ行こうよ』
「⋯⋯⋯う、ん⋯」
ただ、戸崎と行けるなら俺だって行きたい。色んな意味で思い出にもなるし、もしかしたら来年には戸崎に彼女が出来てるかもしれないし。
いざという時は俺が誘ってたからだって言えばいいよな。
「よし、行こう」
『じゃあ駅で待ち合わせでいい? そっちまで迎えに行こうか?』
「駅でいいよ。時間はまた教えて」
『分かった。じゃあ来週の土曜日に』
「あいよ」
通話を終え、ずっと立ったままだった事に気付いてベッドに腰を下ろした俺は、窓の外を見上げて息を吐いた。
さっきまで沈んでたけど、戸崎のおかげでちょっと⋯いや、かなり浮上した気がする。
てっとり早く用事を済ませる為とはいえ、声が聞けて嬉しかったし。
「花火大会か⋯」
プールの時、戸崎は楽しそうにはしてくれたもののもしかしたら微妙だったかもしれないし、出来れば挽回出来るといいんだけど⋯。
意味はないかもしれないけど、花火大会の楽しみ方を調べてみるか。
さすがに前髪は上げるか分けるかしなきゃいけなくて、勤務中は軽く分けてヘアピンで留めてる。店長にはそっちの方がいいよなんて言われてるけど、顔がはっきり見えるのだけはどうしても嫌でなあなあで流してた。
俺が通う高校には兄さんを知る人はいなくても、それより上の人たちはもしかしたら兄弟って事も知ってるかもしれないし。
何がどう兄さんの耳に入るか分からないから、用心に越した事はないだろう。
「千晃くん、ちょっといいかい?」
「あ、はい」
カウンターで在庫確認をしていたら店長に呼ばれ、俺はバックヤードに移動する。お客さんが来てもここから見えるし、呼び出しインターホンも置いてるから大丈夫だろう。
今年四十二になるらしい店長は子供が二人いる優しいお父さんだ。俺にも親切にしてくれて、暇な時は好きな事してていいよって言ってくれる。
この人が父さんだったらなんて、淡い妄想を何度した事か。
「千晃くん、来週も平日入ってくれてありがとうね。でもね、ちょっと僕の方がお店を開けられそうになくて⋯申し訳ないんだけど、来週いっぱいはお休みになるんだけど大丈夫かな」
「あ、はい。大丈夫です。その間に課題終わらせます」
「ごめんね。いつもたくさん入ってくれるから助かってるよ、ありがとう」
「いえ、俺の方こそ良くして頂いてるので」
休みになるのは残念だけど、店長に用事があるなら仕方ない。
課題はもう半分も残ってないし、せっかくだから全部終わらせて夏休み明けの中間に向けて勉強しよう。そう決めた俺は店長に頭を下げてカウンターに戻り、途中だった仕事を再開した。
どのみち俺には、それくらいしか出来る事ないんだから。
「あ、おかえりー、千晃」
バイトを終え家に帰ると、ボストンバッグを下げた兄さんが玄関に立ってた。
大体予想はつくけど⋯そっか、今年は今日出発するんだ。
「千紘、忘れ物はない?」
「うん、大丈夫」
「足りなければ現地で買えばいい。ほら、飛行機の時間に間に合わなくなるから出るぞ」
「タクシーもちょうど大通りに着いたそうよ」
一体何泊するのか分からないけど、ガラガラとスーツケースを引いた父さんと母さんは俺には目もくれず玄関から出て大通りへと向かう。兄さんもあとに続こうとして、ふとこっちを振り返った。
「行ってくるね、千晃」
「行ってらっしゃい」
「お土産買ってくるから」
「⋯⋯いらない」
家族旅行のはずなのに取り残される俺がそんな物を貰ったって虚しいだけだ。
緩く首を振り拒否すると、兄さんは少し黙り込んだあと「分かった」って言って踵を返す。俺もそのまま部屋に行こうかと思ったんだけど、玄関のノブに手を掛けた兄さんを見た時思わず声をかけてた。
「⋯⋯⋯兄さん」
「なぁに?」
「みんな無事に帰って来てくれたら⋯⋯それだけでいい⋯」
「うん。じゃあ行ってきます」
「⋯⋯」
飛行機って言ってたし、たぶん海外に行くんだろうからそう言えば兄さんはにこっと笑って俺の頭を撫で、今度こそ扉を開けて出て行った。
どんなに冷たくされたって俺の両親だし兄さんだ。いなくなって欲しくはない。
息を吐き、俺は静まり返った家の中を眺めてから靴を脱いで部屋へと上がり、カバンを適当に落としてエアコンをつけた。
蒸し風呂のようだった室内が少しずつ冷えていく。
「今日のご飯、どうしようかな⋯」
どうせ冷蔵庫には何もない。食パンとかレトルトはあるかもしれないけど、自分の為に用意するのは本当に面倒臭いんだよな。
料理が出来ないってのもあるとは思う⋯でもたぶん、ここまで食べる気が湧かないのは食にそこまで頓着してないからだろうな。俺にとっての食事って、生きる為だけのものだし。
あ、でも戸崎のお母さんの料理は本当に美味しかった。あれなら毎日食べたいかも。
⋯⋯ヤバい、思い出したらお腹空いてきた。
「ん?」
口の中がお母さんの料理の味になってきてこりゃいかんと思ってたら、カバンの中からブブッて振動音が聞こえてきた。マナーモード中のスマホだと気付いて取り出すと、トークアプリの通知が来ていて何の気なしにタップする。
差出人は戸崎で、『今何してるの?』って当たり障りないメッセージだった。
何してるって聞かれても、バイト帰りでただ部屋で突っ立ってるだけだけど⋯とりあえず特に何もって返しとくか。
「うわ!」
送ってすぐトーク画面が着信画面に変わり、驚いた俺の手からスマホが滑り落ちる。
結構な音がして床と激突したスマホを溜め息を零しながら拾い、通話ボタンを押すと元気な声が聞こえてきた。
『千晃、元気?』
「元気元気。何か用事か?」
『え? 千晃何してるかなって思っただけ』
「⋯⋯切るぞ」
電話まで掛けてくるから急用かと思ってたのに、ただの暇潰しなら話す事はない。
耳からスマホを離し切ろうとしたら、スピーカーの向こうから慌てたような声が聞こえてきた。
『待って待って! ちゃんと用事ある!』
「⋯何?」
『来週の土曜日って空いてる? 花火大会行かない?』
「花火大会?」
『そう。こっちの河川敷でやるみたいなんだ』
そうか、そんな時期か。そういえばバイト先にもポスター貼ってあった気がする。
花火大会も行った事ないから行きたくはあるけど⋯絶対他の人からも誘われてるよな、こいつ。という事はそいつらも花火大会に行く訳で、目立つ戸崎といれば鉢合う可能性も上がるって訳だ⋯⋯どうしよう。
俺は何言われてもいいけど、そいつらの誘いを断って俺なんかと一緒に行くなんてって戸崎が責められないか心配だ。
『行きたくない?』
「⋯⋯行きたい気持ちはある」
『じゃあ行こうよ』
「⋯⋯⋯う、ん⋯」
ただ、戸崎と行けるなら俺だって行きたい。色んな意味で思い出にもなるし、もしかしたら来年には戸崎に彼女が出来てるかもしれないし。
いざという時は俺が誘ってたからだって言えばいいよな。
「よし、行こう」
『じゃあ駅で待ち合わせでいい? そっちまで迎えに行こうか?』
「駅でいいよ。時間はまた教えて」
『分かった。じゃあ来週の土曜日に』
「あいよ」
通話を終え、ずっと立ったままだった事に気付いてベッドに腰を下ろした俺は、窓の外を見上げて息を吐いた。
さっきまで沈んでたけど、戸崎のおかげでちょっと⋯いや、かなり浮上した気がする。
てっとり早く用事を済ませる為とはいえ、声が聞けて嬉しかったし。
「花火大会か⋯」
プールの時、戸崎は楽しそうにはしてくれたもののもしかしたら微妙だったかもしれないし、出来れば挽回出来るといいんだけど⋯。
意味はないかもしれないけど、花火大会の楽しみ方を調べてみるか。
あなたにおすすめの小説
人気アイドルの俺、なぜかメンバー全員に好かれてます
七瀬
BL
デビュー4年目の人気アイドルグループ「ECLIPSE(エクリプス)」に所属する芹沢 美澄(せりざわみすみ)は、昔からどこか抜けていてマイペースな性格。
歌もダンスも決して一番ではないはずなのに、なぜかファンからもメンバーからも目を離されない存在だった。
世話焼きな幼なじみ、明るく距離の近い同い年、しっかり者で面倒見のいい年上、掴みどころのない自由人、そして無言で隣にいるリーダー——。
気づけば、美澄の周りにはいつも誰かがいて、当たり前のように甘やかされていく。
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
運命の番は僕に振り向かない
ゆうに
BL
大好きだったアルファの恋人が旅先で運命の番と出会ってしまい、泣く泣く別れた経験があるオメガの千遥。
それ以来、ずっと自分の前にも運命の番があらわれることを切に願っていた。
オメガひとりの生活は苦しく、千遥は仕方なく身体を売って稼ぐことを決心する。
ネットで知り合った相手と待ち合わせ、雑踏の中を歩いている時、千遥は自分の運命の番を見つけた。
ところが視線が確かに合ったのに運命の番は千遥を避けるように去っていく。彼の隣には美しいオメガがいた。
ベータのような平凡な見た目のオメガが主人公です。
ふんわり現代、ふんわりオメガバース、設定がふんわりしてます。
完結しました!ありがとうございました。
運命よりも先に、愛してしまった
AzureHaru
BL
幼馴染で番同士の受けと攻め。2人は運命の番ではなかったが、相思相愛だった。そんな時、攻めに運命の番が現れる。それを知った受けは身籠もっていたが、運命の番同士の子供の方が優秀な者が生まれることも知っており、身を引く事を決め姿を消す。
しかし、攻めと運命の番の相手にはそれぞれに別の愛する人がいる事をしり、
2人は運命の番としてではなく、友人として付き合っていけたらと話し合ってわかれた。
その後、攻めは受けが勘違いしていなくなってしまったことを両親達から聞かされるのであった。
もう一度君に会えたなら、愛してると言わせてくれるだろうか
まんまる
BL
王太子であるテオバルトは、婚約者の公爵家三男のリアンを蔑ろにして、男爵令嬢のミランジュと常に行動を共にしている。
そんな時、ミランジュがリアンの差し金で酷い目にあったと泣きついて来た。
テオバルトはリアンの弁解も聞かず、一方的に責めてしまう。
そしてその日の夜、テオバルトの元に訃報が届く。
大人になりきれない王太子テオバルト×無口で一途な公爵家三男リアン
ハッピーエンドかどうかは読んでからのお楽しみという事で。
テオバルドとリアンの息子の第一王子のお話を《もう一度君に会えたなら~2》として上げました。
※画像は男の子メーカーpicrewさんよりお借りしました。
番解除した僕等の末路【完結済・短編】
藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。
番になって数日後、「番解除」された事を悟った。
「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。
けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。
様々な形での応援ありがとうございます!