絆鍛冶師の縁鎚――孤高青年が仲間と紡ぐジョブリンク大戦記

乾為天女

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第25話_仮面の副官、剣を抜く

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 冷たい霧が、山の稜線を這うように沈み込んでくる。
  侯国間を隔てる峻険な連峰――リューガル山脈。その中腹に拓かれた夜営地では、湿気を孕んだ風が幕舎の布を叩いていた。
  夜の帳が落ちる直前、焚き火を囲む静かな食卓で、翔たちはそれぞれの夕食を済ませていた。
  咲耶は航海中にまとめた教団残党の動向資料に目を走らせ、洋平と琴音は、補給係の兵士と軽口を交わしている。志保は湯を沸かしつつ、負傷した斥候の包帯を巻き直していた。
  そして――クリスティーナは、焚き火の最奥、灯の届かぬ影に背を向けて立っていた。
 「……眠れそうにないのか」
  焚き火の炭を突いていた翔が、静かに声をかける。
  返答はなかったが、彼女の肩が一度だけ、小さく震えた。
  空気の密度が変わる。翔はすぐに気づいた。戦場でもなければ気づく者のいない、極限まで絞られた殺気の蠢きが――空気に、混じっている。
  直後、夜の帳に紛れて跳ねる影が一つ、幕舎の外から突き出た。
  シュバッ――!
  無音の一閃が、火を囲む輪の外を横切った。
  翔は即座に反応し、手元の鍛造具を跳ね上げて防御姿勢に入る。
 「敵だ!全員、警戒!」
  鋭く咲耶が叫んだと同時、敵の気配が幕舎のあちこちから現れた。総数、六――いや、七。全員、黒装束で顔を覆い、身のこなしは完全な暗殺者型。
 「まさか……この山中に、教団の追っ手が潜んでいたとは……!」
  洋平が剣を引き抜きながら呟く。
  その中央に、真っ直ぐ飛び込んで来た暗殺者一人の刃が――クリスティーナに向けて、振り下ろされた。
  その瞬間。
  “チィィィィィンッ!”
  空気を割くような音と共に、金属が鳴り、鈍い衝撃音が響いた。
  止まった。
  暗殺者の短剣を、一本の剣が受け止めていた。
  それを握っていたのは――他でもない、クリスティーナ本人だった。
  顔に浮かぶのは、仮面のような無表情。
  だがその両眼には、氷のように冷たい“決意”が宿っていた。
  翔が見たのは初めてだった。彼女が“自ら剣を抜いた”瞬間を。
  それはつまり、彼女が“戦う意志”を持って目の前に立った証でもある。
  風が吹いた。仮面の下に隠されていた素顔は相変わらず無表情だったが、その背には、夜闇すら裂くような気迫が灯っていた。
 「この任務、私が預かる」
  そう言った彼女の声は低く、鋼のように硬かった。
  翔は短く息を吸い、懐から鍛造具を取り出した。
 「……なら、俺も“盾”を作る。君が剣を抜いたなら、俺は縁で“護る”」
  火の粉が、はぜた。


 翔の足元に広がるのは、七人分の“縁”。
  クリスティーナ――命を賭して戦場に立った副官。
  咲耶――情報と戦略で全体を導く参謀。
  洋平――理想を胸に立ち上がる戦士。
  琴音――どんな場も明るく繋ぎ止める声。
  志保――前を向く者の背を支える癒し手。
  知也――静けさの中に力を宿す守り手。
  ブライセン――己を信じて進む豪胆な男。
  そして今、この夜営地で共に火を囲んだ“絆”が、翔の掌で脈打つ。
 「〈リンクフォージ〉――発動」
  そう呟いた翔の前に、八つの光の鎖が現れる。その中心に収束していくのは、夜風のように透明な“気配”の波。
 「……“静聴面《せいちょうめん》”。周囲の気配を、縁で拾って具現化する仮面……!」
  金床なし、炎なしでも可能な“緊急簡易鍛造”。
  形を成した仮面は漆黒で、耳元には微細な音波を拾う縁の文様が浮かび上がっていた。
 「クリスティーナ、これを――」
  翔が投げ渡すと、彼女は一瞬も迷わず左手で受け取る。仮面の上からさらにそれを装着し、周囲の気配を一瞬で感知。
 「――二、四、七時方向から接近。全員、魔力障壁持ち。中距離型も混じっている。照明は、切れ」
 「琴音、志保、知也は後方へ! 洋平、咲耶、前衛援護を頼む!」
  翔が指示を飛ばすと同時に、咲耶が魔導式ランタンをひとつ吹き消し、闇が深まった。
  だが、その闇はクリスティーナにとって“不利”ではなかった。むしろ、仮面によって“音の地図”が可視化された今、彼女は夜の中で“全てを見ていた”。
 「――接敵」
  彼女が静かに呟いた次の瞬間、影が斬り込んできた。だが、それを迎えたのは先手。
  クリスティーナの剣が、迷いなく刺突へと変化し、相手の肩口を貫く。
  同時に咲耶の魔力標識弾が空を走り、洋平の斬撃が光った。
 「お前たちの手口……もう通じない」
  闇を割って進む剣の軌跡。その先にいるのは――仮面の副官。
  だが今や、彼女の剣には“想い”が宿っていた。
  己の過去を振り切る剣。
  誰かを護るために抜く剣。
  そして、仲間と共にあるために振るう剣。
  翔はそれを見ていた。
  仮面の奥に宿った、静かな光を。


 剣戟の音が山肌に反響し、野営地に張られた魔法障壁が何度も波打つ。
  クリスティーナの動きは、いつもの副官然とした抑制されたそれではない。仮面の機能により、敵の一挙手一投足が可視化されている今、彼女は初めて“完全なる戦士”として覚醒していた。
 「……三番、消えた」
  クリスティーナの短い報告を皮切りに、翔たちもそれぞれの持ち場で的確に敵を排除していく。
  咲耶の結界支援、洋平の連撃、琴音の撹乱音波――すべてが、翔の“縁の繋ぎ”によって織り合わされていく。
 「ブライセン、崖上の射手は任せた!」
 「了解ッ! 空切る鍔、受け取れェッ!」
  縁で繋がった装備――“潮切り鍔”を手に、ブライセンは岩肌を駆け上がると、驚異的な跳躍で敵のスナイパーを両断した。
 「ふぅ……まったく、やってくれるぜ、異国の荒くれども」
  洋平が苦笑しながら次の敵に向き直る。クリスティーナが、それに応じるように一瞬だけ口元を緩めた。
  だがそのわずかな“微笑”は、次の影の襲撃でかき消された。
  翔は気付いていた。
  今の襲撃者たちは、これまでの教団配下の兵とは違う。
  殺気も、鍛え方も、そして何より“目的”が――。
  そのとき、クリスティーナが剣を交えていた敵の仮面が割れた。
  下から現れたのは、彼女と酷似した顔立ち。
 「――……まさか」
  彼女が一歩引いた刹那、その敵は静かに口を開いた。
 「“姉さん”……やっと、会えたわね」
  戦場に、一瞬の沈黙が訪れた。
  翔も他の仲間たちも、ただ見守ることしかできなかった。
  クリスティーナは剣を下ろすでもなく、振るうでもなく、固く仮面の奥の瞳を伏せる。
 「……どういうことだ」
  翔が口を開いたとき、その敵の少女――銀髪の同族らしき女が、言葉を継いだ。
 「私は、“仮面の副官”だったあなたが捨てた家族よ。教団に拾われ、そして……“あの人”の命を受けてここへ来た。あなたを、連れ戻すために」
  その声には、怒りも憎しみもなかった。ただ淡々と、そしてどこか切なさを含んでいた。
  クリスティーナは何も言わず、一歩だけ前に出る。
  翔は見逃さなかった。その背筋は、震えていた。彼女がずっと隠してきた“何か”が、今ここで顕になる。
  クリスティーナが仮面を外した。
  仮面の奥――そこには確かに、涙を堪える一人の“妹”の姿があった。


 夜風が吹き抜ける山の尾根で、二人の仮面が砕け散った。
  銀の髪を揺らす敵の少女は、まるで鏡像のようにクリスティーナに似ていた。その瞳は青白く、泣きたいのに泣けないまま固まったような表情を浮かべている。
 「名を……名を聞かせてほしい」
  クリスティーナが、かすれた声で言う。
 「……イレーネ。生まれたとき、母様がそう呼んでくれたの」
  翔の中で、確信が生まれる。これは偶然の対峙ではない。教団は“血”のつながりを知った上で、イレーネを差し向けてきたのだ。
 「なぜ今まで……」
  クリスティーナの声には、迷いと後悔が滲む。
  イレーネはただ、微笑した。
 「あなたがいなくなったあの日、屋敷は焼かれ、家族は散り散りになった。私は“空白の巫王”に拾われ、教えられたの。“大事なものを守りたいなら、感情を捨てなさい”って」
  その言葉に、翔は戦慄する。まさに、それはクリスティーナが貫いてきた生き方そのものだった。
 「……おまえを守るために、私は感情を捨てた。なのに、それが……教団の手の中だったとは……!」
  剣を握るクリスティーナの手が震える。
  だが、イレーネは首を振った。
 「違うわ。私は……姉さんがいたから、生き延びられた。仮面の奥に、あなたのぬくもりが残っていたから。だけど今、もう戻れない。私は“命令”でここに来た。あなたを“回収”するために」
  その瞬間、彼女の腕輪が光り、刻印盤が展開された。
  教団独自の“制御刻印”だ。拒否は許されず、命令に逆らえば“破棄”される。
 「やめろ、イレーネ!」
  翔が叫び、縁の光を練る。しかし――
 「――これでいいの」
  イレーネは目を閉じて、剣を構えた。
  クリスティーナも応じるように、再び仮面を手に取る。だが、彼女はそれを顔に装着することなく、ただ剣を振り上げ――
  翔の〈リンクフォージ〉が、叫びを上げた。
  クリスティーナとイレーネ、その縁が、まるで“血のように”溶け合っている。
  翔はその縁に、手を伸ばした。
 「……その剣じゃない。“想い”で戦え。仮面の副官じゃなく、姉として!」
  刹那、翔の槌が振るわれた。
  鍛えられたのは、透き通るような装飾剣――《静聴面》。感情の揺らぎを静かに受け止め、争いを沈める“縁の剣”。
  それをクリスティーナが受け取り、イレーネへと向ける。
 「ならば、私は……もう一度“姉”になる!」
  剣が交わる音は、悲しみではなく、再会の音色だった。


 剣戟は、まるで祈りだった。
  姉妹が交える一手一手に、怒りも憎しみもない。ただ、届いてほしいという願いと、過去を乗り越えたいという想いが重なっていた。
  翔は背後でその戦いを見守りながら、〈リンクフォージ〉の共鳴を感じ続けた。
  ふたつの魂が、ようやく触れ合おうとしている――その振動。
  クリスティーナの剣捌きは、軍人としての正確さよりも、人としての“ためらい”に満ちていた。だが、それが逆にイレーネの心を揺らす。
 「なぜ、決め手を――」
 「私は、“あなた”を斬りたくない。仮面をかぶった敵兵じゃない。妹を――家族を、傷つけたくないからよ」
  イレーネの動きが止まった。
  その隙に、クリスティーナが懐へと滑り込み、剣の刃でなく柄の部分を当てて押し倒した。雪の積もる地面に、二人の銀髪が交差する。
  イレーネは苦笑しながら、仰向けになったまま呟いた。
 「……やっぱり、姉さんだ。優しすぎて、不器用で……それでも」
  その声が、雪に吸い込まれるように消えた。
  直後、イレーネの体に刻印された魔印が淡く発光し始める。
 「まずい、強制転送だ!」
  翔が叫び、縁の糸を結ぼうとするが――すでに遅かった。魔印が輝きを放ち、イレーネの体は霧のように消え去った。
  残されたのは、淡い紫の羽飾り。
  クリスティーナはそれを拾い上げると、そっと胸に抱いた。
 「生きていた……それだけでも、私は……」
  雪が静かに降り続ける夜。
  仮面を捨てた副官は、ようやく“人”としての涙を流した。
  そして翔は、彼女の隣に立ち、共にその哀しみを見届ける。
 「ありがとう、葵翔……これが、あなたの鍛えた“縁”なのね」
 「ああ。まだ終わりじゃない。次は、イレーネを――“妹”を、必ず取り戻す」
  翔の言葉に、クリスティーナはしっかりと頷いた。
  空白の巫王の影が迫る中、またひとつ、絆は強く鍛えられていった。
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