あの校庭の花は、全部知っている。

乾為天女

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第二章「それは、精霊の花かもしれない。」

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 昼休み。食堂は今日も戦場だった。
「焼きそばパン!焼きそばパンはどこ!?」
「オレのカレーパン!!あっ、指先だけ触れたのに!!」
「天ぷらうどんって、天ぷらが乗ってるんじゃなくて沈んでるって知ってた!?」
 人はパンを争い、うどんに沈む。学園生活において最も激戦が繰り広げられる時間帯、それが昼休み――特に「購買でまだ温かい焼きそばパンを買えるかどうか」が、その日のテンションを大きく左右する。
 その頃、哲哉は購買戦争に参戦するでもなく、教室の隅で「花ノート」と名付けたメモ帳を眺めていた。
「……わりと、本気になってきたかもしれない」
 前回の“花事件”以来、哲哉はなんとなく“この花には何かある”という考えを捨てきれずにいた。校庭の花は、日によって光の当たり方が変わるせいか、色が違って見えることもあった。何より、あの日、風が吹かなかったのは事実だ。
「なあ哲哉」
 突然、教室のドアがガラッと開き、麗真が現れた。
「なあ、聞いてほしい。俺、すごいことに気づいたかもしれない」
「えっ……また急に?」
 麗真は、哲哉の机に勢いよくプリントの束を置いた。その中には何やら手書きでぐちゃぐちゃに書かれた文字と、どう見てもファンタジー設定資料っぽい図解があった。
「なにこれ。ダンジョンマップ?」
「違う、図書室で見つけた辞書のメモだよ!」
「辞書でダンジョン作るのやめて」
「違うって、ちゃんと見てくれ!このケヤキの木、昔の言い伝えで『言葉を持つ木』って書かれてたんだよ!」
「……マジで?」
「しかも、精霊が宿ってて、その精霊は“記憶を写す花”を咲かせるんだって!」
 哲哉は、半信半疑ながらも、思わず背筋がピンと伸びた。
「……それ、どこの本に書いてあった?」
「図書室の古い和英辞典。Eの項目で“精霊(spirit)”って調べたら、なぜかそこだけ100倍くらい濃密に書き込まれてた!」
「辞典じゃなくて魔導書だろそれ」
 麗真は満面の笑みで語る。
「つまりだ。俺たちが見たあの花――記憶の花かもしれない!」
「精霊が見せてくれる、過去の記憶を写す花?」
「うん。そう!で、さらにいくと――異世界の扉!」
「絶対そっち行くと思った!!」
 麗真の妄想は止まらない。
「この学校、実はもう何十年も前に、同じ花を見た生徒が失踪したっていう記録が……」
「それも辞書に載ってたの?」
「それは“推測”!」
「そっち妄想!!」
 そこに菜緒がやってきた。
「……うわ、また話膨らんでるし」
「菜緒、聞いてくれよ。今ね、哲哉が“記憶の花と会話してた過去がある説”が浮上して――」
「してないしてない!!」
「でもね……」
 菜緒が真顔になった。
「私も、なんかその話、ちょっと信じたくなってるかも」
「え?」
「だって……思い出せば思い出すほど、不自然なんだよ、あの花。あんな場所にぽつんと咲いてて、誰にも踏まれず、風も吹かない。なんか、守られてるみたいな感じがしたんだ」
 哲哉は思わず口を閉じた。昨日からずっと自分の中でぐるぐるしていた疑問が、今、他人の口から出てきたことに、少しだけ安心した気がした。
「……なあ、お前ら、ちょっと寄り道しないか」
「どこに?」
「図書室」
「なんか今週、あそこ妙に人気だよね……」
「じゃあ放課後な!探索だ!」
 麗真のテンションだけがやたら高かった。

 図書室の午後は、異常に静かだった。
 窓から斜めに差し込む光。整然と並ぶ書架。そしてその奥、旧資料の棚の方に、三人は忍び足で向かった。
「このあたり……だと思うんだけど」
 麗真が手を伸ばすと、ガタンと音を立てて古い棚がわずかに揺れた。その中に、一冊だけ明らかに浮いて見える、分厚い革表紙の辞書があった。
「これが例の……」
 麗真が辞書を開く。中のページは黄ばんでいて、ところどころに誰かの手書きメモがびっしり書き込まれていた。精霊、記憶、花、扉、そして――「語る木」。
「うわ……この辞書、読んでるだけでRPG始まりそう」
「そのうち敵キャラの名前とか出てきそう」
「ほらここ!『記憶の花は、問いかけに応える。ただし、真に必要な者にのみ――』」
 その瞬間、教室の電気がパチンと消えた。
「わぁっ!?!?」
「え、ちょ、まさかこれ、精霊の仕業!?」
「違う違う、センサー!あの、動かないと消えるやつ!」
「一番びっくりしてたのオレだからな!!」
 大騒ぎしているうちに、司書の先生が近づいてきて、すごい無言の圧を放ちながら電気をつけた。
「……失礼しました……」
「こっちはもっと失礼しました……」
 その場を平謝りで去りながら、三人は確認しあった。
「……やっぱり、ただの辞書じゃないよな」
「でも、誰かがこの辞書に記録を残してたってことだよね?」
「過去にも、あの花を見た人がいたってことかもしれない」
 そして麗真が、すごい顔で言った。
「つまり俺たちは今、かつて精霊と接触した者たちの系譜を継ぐ“継承者”ってことだな……!」
「まだ始まってもないから!!」
 謎の花の正体に、少しずつ近づいているようで、まったくそうでもないような、そんな一日が過ぎていった。
 そしてその夜、――ある男子が、こっそり図書室に忍び込もうとしていた。
「花が……俺に……喋った気がする……」
 呟いたのは、沢村悠里だった。

 図書室の前には、慎重とは程遠い動きで忍び寄る男の姿があった。全身黒ずくめ。部活用のジャージ。懐中電灯。カバンにはなぜかパンパンに詰まった非常食(主にチョコパン)。
「よし……完璧な潜入装備だ……!」
 その人物――沢村悠里は、どこからどう見ても不審者だった。
「作戦名『夜の図書室に侵入し、花の謎を解く大作戦(第一章)』……開始ッ!」
 誰も見ていないのに、キメ顔で囁く。
「ていうか、なんで俺、こんなことしてんだっけ……」
 数分前に遡る。
 放課後、麗真が「記憶の花には“語る資格”が必要らしい」と言っていたのを聞いて、悠里は「ならば、俺に資格を与えてくれ!」と叫んだ(しかも教室のドアに向かって)。周囲は「え、だれに話しかけてんの……?」と若干引いていたが、本人は気づいていない。
 その後、ふと思ったのだ。
(語る資格って、もしかして「一番乗りしたやつ」が勝ちなんじゃね?)
 それを思い立ってからの行動が、今のこれである。
「よし……っと、鍵は……っと……ない!!」
 当然である。図書室は施錠済みだった。だが悠里は引き下がらない。
「俺が“鍵を持たずして開けた者”として、後世に名を残すチャンス!」
 意味のわからないテンションで、彼は近くの用具室へ走った。そして持ち出してきたのは――
「じゃーん。マイ・ヘアピン!」
「そんなもん使って開けられるの!?」
 と、どこかからツッコミが聞こえてきそうだが、彼は真剣だ。なにしろ、前日に動画で「鍵開け師養成講座【入門編】」を見てきたのだ。
「やってやる……俺は今、精霊との通信のために、時を超える……!」
 ぐりぐりぐりぐり。
 ガチャリ。
 開いた。
「……え、開いた」
 本人が一番驚いていた。
「え、ほんとに?マジで?今、時代きた……?」
 ガチャ、と再度鍵を回して閉じてみる。
 そしてまた、ぐりぐり……ガチャ。
「え、ちょ、何回でも開く。何回でも時代くる!!」
 図書室の前でしばらく意味のない開閉パフォーマンスを繰り返したあと、ようやく彼は中へ足を踏み入れた。

 夜の図書室は、昼とまったく違った顔をしていた。
 音がない。空気が止まっている。ページをめくる音すら、鼓膜に直接ぶつかってくるような静けさ。
「ふふ……誰もいない図書室……しかも夜……これはもう、伝説の探検の始まりだ……!」
 懐中電灯を口にくわえ、彼は例の古辞書の棚へ向かう。足音はギシギシ。だがそれすら演出に思えてくる。
(辞書……辞書……あった!これか!)
 手に取った瞬間、パサ、と中から何かが落ちた。
「……ん?」
 拾い上げると、それは一枚の古びた紙だった。表面には何かの図――いや、座標?数字のようなものと、意味不明な記号。そして、下にはこう書かれていた。
「失われた時は、花に聞け」
「うわっ、めちゃめちゃ謎解き始まった!!」
 悠里は興奮のあまり机を叩いた。めっちゃ音が鳴った。
「うぉっ、あぶねっ!司書来るとこだった!」
 いや、もう帰ってます。
 彼は紙をポケットにねじ込み、満足げに辞書を棚に戻した。すると――辞書の奥から、カタリと音がした。
「……今の、何?」
 棚の奥には、古い木の板。少しだけ隙間があり、指が入る。
「まさか……隠し扉?」
 ぐっ……と押すと、ギギ……と音を立てて開いた。
「マジであるんかい!」
 中には、埃をかぶった箱がひとつ。手で払ってみると、銀色の鍵がひとつだけ入っていた。
「鍵……体育倉庫のやつ……?なんでここに……?」
 何かがつながってきている気がした。
 花。辞書。座標。そして、鍵。
 悠里はそれらを抱えて、そっと図書室を後にした。

 翌朝。
「おっはよー!」
 栄徳がいつもより元気に教室に入ってきた。焼きそばパンを片手に、机にダイブ。
「今日、すっげぇ夢見たわ。花が光って、俺に“イケてるラップを頼む”って言ってきた」
「それ夢っていうかお前の願望でしょ」
「いやマジだって!花がビート刻んでたもん!」
「それは夢だな」
「それよりさ!」
 悠里がバッと立ち上がった。
「昨日、オレ、見つけたんだよ!謎の手紙と、座標と、鍵と、あとなんか……俺の運命的なやつ!」
「説明ヘタか!」
「手紙にこう書いてあったんだ!“失われた時は、花に聞け”って!」
 教室に、一瞬静寂が訪れた。
「……それ、ちょっと本物っぽいんじゃない?」
「な?な?そうだよな!?俺、とうとう来たよな!?主役来たよな!?」
「違う意味で主役になりそう」
「とりあえず、その鍵どこのやつなの?」
「たぶん、体育倉庫だと思う。見たことある形してた」
「ってことは……」
 菜緒がゆっくり言った。
「その中に、まだ何かあるかもしれないってことだよね」
 教室の空気が少し変わる。
 この学校で、何かが起きようとしている。
 その中心には、一本の木と、一輪の花があった。
「じゃあさ、探検隊、つくろっか」
 哲哉の一言で、全員の視線が合った。
「あー……すでにその流れだったけど、あえて口にすると、すげぇワクワクするな……!」
「え、それってつまり、チーム名とか作る?」
「やっぱそこ大事じゃない?」
「“フラワーフォース”とか?」
「戦隊モノかよ!」
 こうして、なんとなく設立された“本格調査チーム”は、後に学校史に残る活躍(主に混乱)をすることになるのだった。
【章終】
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