雪杜ナインプレイス 〜キミと雪見酒と、声にならない好き〜

乾為天女

文字の大きさ
3 / 40

第3話 居酒屋の夜と仲間集め

しおりを挟む
 その日の夜、杉ノ町商店街の端にある小さな居酒屋「杉の根っこ」の暖簾が、外の冷気を振り払うように揺れていた。ガラス戸越しに見える店内には、湯気とだしの匂いが立ち込めている。

 「いらっしゃい……って、お前か」

 暖簾をくぐると、カウンターの向こうから店主が顔を出した。大鍋のふたを半分だけずらし、中身を確かめながら笑う。

 「雪杜に帰ってきたって聞いたぞ。今日は貸し切りだ」

 「貸し切りって……そんな大げさな」

 「大げさじゃないよ」

 店の奥、小上がりの一角から、瑠奈が手を振った。座布団が六枚、丸く並んでいる。その一枚一枚に、色とりどりの付箋が貼られていた。

 「何その付箋」

 「席順。会話がつながるように、配置にこだわりました」

 彼女は胸を張りながら、付箋を一枚ずつ指で押さえていく。「数字組」「現場組」「外から目線」など、本人が聞いたら微妙に首をかしげそうな単語が、こっそり書き込まれていた。

 「勝手に分類するなよ」

 「全体のバランスを考えてるだけです。はい、颯馬はここ。隣が龍護さん、向かいが樹佳さん。琉央くんは、ここが落ち着くかなって」

 背中を軽く押され、颯馬は指定の座布団に腰を落ち着けた。ちゃぶ台の真ん中には、まだ火のついていない卓上コンロと、大きな鍋が鎮座している。

 暖簾が揺れ、冷たい空気と一緒に青年が一人、入ってきた。肩に布のトートバッグを提げた琉央だ。店内を一周見渡し、座布団の付箋に気づくと、ほんの少し眉を上げた。

 「……名前書いてある」

 「それだけじゃなくて、『黙ってたらもったいない人』ってメモもしてあるよ」

 「余計なこと書かないで」

 そう言いながらも、琉央は示された場所に座り、鍋の位置を少しだけ中央に寄せた。卓上コンロのガスの残量まで、何気なく確認している。

 続いて、小さな録音機材のポーチをぶら下げた女性が現れた。ヘッドホンを首にかけた亜矢菜だ。

 「お疲れさまです。座る前に、ちょっとだけいいですか?」

 彼女は挨拶もそこそこに、ボイスレコーダーを取り出した。

 「今日の打ち合わせ、録らせてもらってもいいですか? 『あやなとローカル旅』の裏側として。もちろん、オフレコ希望のところは切ります」

 「いきなり本番か」

 颯馬が苦笑すると、亜矢菜は「今のも録れてます」とにやりと笑い、レコーダーをちゃぶ台の端にそっと置いた。

 ほどなくして、半纏の上にコートを羽織った龍護が、紙袋を片手に現れた。

 「配達のついでに寄りました。持ち込み料は、うちの酒をもっと置いてもらうことで勘弁してください」

 紙袋から現れたのは、見慣れた龍泉酒造のラベルとは違う、試作品らしい二本の瓶だった。一つには淡い水色のラベルで「雪見酒」、もう一つには深い緑色の「杜の灯」と書かれている。

 「名前、もう決めてあるんだな」

 「形にしないと落ち着かなくて」

 龍護は照れくさそうに頭をかいた。

 最後に小上がりへ上がってきたのは、書類の束を抱えた樹佳だった。コートを脱ぐ前に、彼女は鍋とコンロと紙ナプキンの位置を素早く確認する。

 「火の近くに紙類は置かない。酒瓶は足元じゃなくて奥側に。はい、これでちょっとだけ安心しました」

 「数字だけじゃなくて、そういう危なさも見てるんだな」

 颯馬がつぶやくと、樹佳は「危ないと決算が増えるからね」と、冗談とも本気ともつかない声で返した。

 「よし、全員そろったね」

 瑠奈が手帳をぱん、と閉じた。店主が鍋に火をつけ、ぐつぐつと湯気が立ち始める。

 「今日は、これから一年間、雪杜でいろいろ巻き込まれてもらう人たちを、改めて紹介する会です」

 「巻き込まれる側の宣言、最初にするんだな」

 颯馬が突っ込むと、鍋の湯気の向こうで笑いが弾けた。

 「じゃあまず、まとめ役……いや、全体のハンドル担当から」

 「変な肩書きはやめろ。颯馬です。駅前の案内所をどうするかも含めて、九つの場所を線でつなぐ役を、しばらく任されました」

 彼はナプキンとペンを手に取り、その場で簡単な丸を九つ描いた。ひとつひとつに、「駅前」「商店街」「神社」「足湯」「酒蔵」「りんご」「岬」「旧小」「川」と書き込んでいく。

 「今日一日回った九つの場所を、こんなふうに歩いてもらおうと思ってます。ただの観光名所巡りじゃなくて、その場所にいる人の顔ごと案内する散歩にしたい」

 九つの丸を線でつなぎながら、颯馬は続けた。

 「全部一度に回る日もあれば、季節ごとに表情が違うのを見に来てもらう日もある。駅前の案内所では『今日の九つ』を出して、どこに行けば誰と出会えるか分かるようにする」

 「物語付きの地図、って感じかな」

 亜矢菜が、レコーダーのランプを一瞬見てから言った。

 「歩く人だけじゃなくて、住んでる人にも『自分の町の好きなところ』を言葉にしてもらえるといいですね。インタビュー、やりがいありそう」

 「売上の話も、ちゃんと入れてよ」

 龍護が、試作品の瓶のラベルを指で軽く弾いた。

 「散歩のあとに酒を買ってもらうのか、途中で飲んでもらうのかで、用意する量も変わるからな」

 「案内所の維持費をどうするか、という数字も忘れないでほしい」

 樹佳は、鍋をよそいながらも、しっかりと現実に引き戻してくる。

 「景色も食べ物も人も、お金が回らないと続かないからね」

 そんな話をしていると、隣のテーブルから、賑やかな声が聞こえてきた。振り向くと、浴衣姿の客たちに囲まれた二人の女性が、漬物の皿を前に笑っている。

 「うちの昆布漬けを食べないで帰られたら、雪杜の朝ごはんを半分損してるわよ」

 「何言ってるの、酒粕で漬けた大根こそ、ご飯三杯分の力があるんだから」

 老舗旅館「雪椿」の女将と、民宿「海灯」の女将だ。どちらも笑顔を崩さないまま、さりげなく自分の宿の漬物を客の皿に多めに乗せている。

 「あの二人、またやってる」

 店主が、ため息とも笑いともつかない声を漏らした。

 「どっちの宿の漬物がうまいかで、十年以上やり合ってるからな。最近は『マダム同士の戦い』って呼ばれてる」

 「戦いっていうより、看板メニューの言い合いですよね」

 瑠奈が苦笑する。

 「でも、ああやって遠慮なく張り合えるの、ちょっと羨ましいかも」

 彼女の視線は、二人の女将だけでなく、そのやりとりを楽しそうに見ている客たちにも向けられていた。

 「……あの空気も、九つのどこかに混ぜられるといいな」

 颯馬がぽつりと言うと、亜矢菜がすかさずレコーダーの位置を少し前にずらした。

 「今の一言、今日いちばん好きかも」

 鍋の湯気と酒の香りが混ざり合う中で、九つの場所をめぐる計画は、少しずつ「人の顔」をまとい始めていた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

二年間の花嫁

柴田はつみ
恋愛
名門公爵家との政略結婚――それは、彼にとっても、私にとっても期間限定の約束だった。 公爵アランにはすでに将来を誓い合った女性がいる。私はただ、その日までの“仮の妻”でしかない。 二年後、契約が終われば彼の元を去らなければならないと分かっていた。 それでも構わなかった。 たとえ短い時間でも、ずっと想い続けてきた彼のそばにいられるなら――。 けれど、私の知らないところで、アランは密かに策略を巡らせていた。 この結婚は、ただの義務でも慈悲でもない。 彼にとっても、私を手放すつもりなど初めからなかったのだ。 やがて二人の距離は少しずつ近づき、契約という鎖が、甘く熱い絆へと変わっていく。 期限が迫る中、真実の愛がすべてを覆す。 ――これは、嘘から始まった恋が、永遠へと変わる物語。

診察室の午後<菜の花の丘編>その1

スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。 そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。 「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。 時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。 多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。 この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。 ※医学描写はすべて架空です。

処理中です...