5 / 40
第5話 ご当地らしさを探す迷走ルート
しおりを挟む
数日後の朝、観光案内所のシャッターが半分だけ上がった時間に、颯馬たちは駅前広場に集まっていた。まだ正式なツアーではない、内部向けの試験ルート。それでも、瑠奈は例によって手帳を両手で抱え、ページの端をぱたぱたと落ち着きなくめくっている。
「本日の参加者は、案内役候補です」
彼女は、広場の真ん中で小さく円を描くように立ち位置を決めると、一人ずつ指をさした。
「時間管理担当の瑠奈。動線と数字担当の颯馬。現場の匠枠・琉央。ご当地グルメ兼お酒枠・龍護さん。記録と広報担当の亜矢菜さん。予算と安全管理担当の樹佳さん」
「役職、多くないか」
颯馬が苦笑すると、龍護が「俺、酒枠って公認なんだ」とおかしそうに笑った。琉央は、少し離れたところでベンチの背もたれを指先でつつきながら、「俺は枠いらない」と小声でこぼす。
「大丈夫、枠じゃなくて役割だから」
瑠奈は、彼の隣に立って、ベンチの背中を一度ぽんと叩いた。
「じゃあ、一周してみよう。九つの場所を、私たち自身が歩いて確かめる日です。まずは駅前広場から商店街へ、そこから雪見社、足湯、酒蔵、りんご園、白波岬、旧小、川沿いの順で回ります」
「その順番、途中で変わりそうだな」
樹佳が、薄いファイルを抱えながら呟いた。
「どうしてですか」
「このメンバーだと、きっと寄り道が多いから」
その予言は、三十分後にあっさり的中することになる。
最初の駅前広場から商店街までは、比較的予定通りだった。アーケードの下を歩きながら、八百屋やパン屋の店先を覗き、「ここで何分なら寄り道しても大丈夫か」という会話を交わす。亜矢菜は、パン屋の前で焼き上がったばかりのバターロールを見つけ、迷わず購入した。
「試験ルートだからね。検証のために食べるの」
「検証のために二個買う必要は?」
「別の味も確認しないと」
そんなやりとりをしているうちに、雪見社への石段に着く頃には、予定より十分押していた。
階段の下で腕時計を見ながら、瑠奈が「ここで一旦時間をリセット」と宣言する。
「リセットって、時間が増える魔法じゃないぞ」
「気持ちの問題です」
颯馬は、石段の段数を数えながら登り、鳥居の横に立つ古い案内板を見上げた。錆びた枠の中で、色あせた文字がかろうじて読める。
「ここに新しい看板を立てるなら、どんなのがいい?」
背後から声がして振り向くと、亜矢菜が携帯用のカメラを構えていた。
「字が大きくて写真映えするやつより、近づいた人だけ読める話がいい」
颯馬は、案内板の下に「昔ここで迷子になった子どもを町中で探した」話や、「初詣のときだけ顔を出す近所のおじいさん」の話など、子どもの頃の記憶を重ね合わせた。
「『ここは、町の人が静かに心の中で頼ってきた場所です』みたいな文句はどう?」
「それ、ご当地らしさ高い」
亜矢菜が、うんうんと頷きながらメモを取る。
雪見社を降りて足湯へ向かう途中、足元の雪道で小さなハプニングが起きた。坂を下る途中で、颯馬の足がつるりと滑りかけたのだ。
「おっと」
横から伸びた手が、腕をがしっとつかんだ。振り向くと、龍護が半歩だけ前に出ている。
「雪道、慣れてないだろ。客にも同じこと起きるから、ここ注意ポイントな」
「はい、『ご当地・転びやすい坂』として記録しておきます」
「その名前はやめろ」
笑いながらも、颯馬は心の中で「ここに砂をまく係が必要だな」とメモした。
足湯では、誰もが誘惑に抗えなかった。試験ルートだからと言いながら、全員が靴を脱ぎ、足を湯に沈める。湯気の向こうで、「今日は内輪だけかい?」と常連のおばあさんが声をかけてくる。
「試しに歩いてるところです。九つ全部回れるか、実験中」
「全部? あんたら、若いねぇ。ここでもう一時間しゃべっていきなよ」
「一時間は……予算オーバーです」
樹佳が、真顔で腕時計を見る。その顔に、おばあさんが「数字に弱い年寄りは黙って足あっためてるから」と笑った。
「ご当地らしさってさ」
湯に足を浸しながら、龍護がぽつりと言う。
「こういう会話のことだろ。パンフレットに載らないやつ」
「でも、パンフレットに載らないものばっかり集めてたら、誰も来てくれないよ」
樹佳が、湯気越しに首を傾げる。
「景色とかグルメとか、分かりやすい『ご当地』もちゃんと押し出さないと。財布開いてもらわなきゃ続かないんだから」
「財布って言い方」
「事実だから」
会話はそのまま、湯上がりの足で向かった龍泉酒造でも続いた。蔵の中のひんやりとした空気の中、龍護は樽の温度を確認しながら話に口を挟む。
「ご当地ってさ、結局は『ここでしかできないケチのつけ方』かもな」
「急に乱暴な定義きたね」
「いい意味でだよ。酒の味にしたって、『もうちょい辛くてもいい』『いや、これくらいの甘さが雪に合う』って、地元の人が好き勝手言えることが、ここでしかできない時間だろ」
その言葉に、おとなしく聞いていた琉央が、珍しく口を開いた。
「ベンチもそうかも」
「ベンチ?」
「川沿いのやつ。雪で脚腐りかけてる。ここでしかできないケチっていうか、『このまま座ったら尻が冷える』って文句。……あとで見ておく」
彼はそれだけ言うと、樽の香りが漂う空間から、さっさと外に出て行った。
「今の、ちゃんと録れました?」
颯馬が小声で尋ねると、亜矢菜は胸元のレコーダーを軽く叩いた。
「ばっちり。『ご当地=尻が冷える』はさすがに番組ではそのまま読めないけど」
「編集方針、頼んだ」
午後、白波岬の展望台に着く頃には、予定よりすでに三十分の遅れが出ていた。空は薄い青に晴れ、冬の海がきらきらと光っている。
「本来なら、ここで地元食材の弁当を広げて……と言いたいところですが」
瑠奈は、申し訳なさそうにコンビニの袋を掲げた。
「今日は予算と準備の都合で、検証用弁当です」
「検証って便利な言葉だな」
颯馬は三角おにぎりの包装をはがし、展望台のベンチに腰を下ろして遠くの水平線を眺める。
「でもさ」
おにぎりの海苔をかじりながら、亜矢菜が言った。
「こうやって、コンビニ弁当広げてる観光客、実際いるよね。これ、禁止にはしたくないんだよなあ」
「わざわざ地元に来てもらってるのに、コンビニで済ませるなって言いたくなる気持ちは、正直ある」
龍護が、ペットボトルのほうじ茶をぐいっと飲む。
「地元の店で弁当頼んでくれたら、その分、来年もこの景色を維持する力になるんだからさ」
「でも、コンビニ弁当を食べながら見る海の景色にも、ちょっとした『ご当地の自由さ』があると思う」
颯馬は、ベンチの背もたれに軽くもたれかかりながら言った。
「ここまで来て何を食べるか、自分で決められるっていう自由さ。その代わり、案内所のほうで『もしよかったら、こういう地元弁当もありますよ』って、選択肢を出すのはどうかな」
「押しつけないけど、ちゃんと提案もする、か」
樹佳が、小さなノートにメモを取りながら頷く。
「『コンビニの袋を持ってても怒られないけど、地元のお弁当を選んだらちょっと嬉しくなる町』くらいが、現実ラインかもしれないね」
昼食を終えた一行は、白波岬から旧・雪杜小学校へと向かった。校舎の裏手を通って川沿いへ下りる階段を降りると、冬の川面から冷たい風が上がってくる。
川沿いの道には、例のベンチがぽつんと置かれていた。夏場は釣り人や散歩の人が腰を下ろす場所だが、今は雪をかぶり、座面の端が少し沈んでいる。
「これか」
颯馬が近づいて座面に手を置くと、わずかに揺れた。脚のひとつがぐらついているらしい。
「危ないね。ツアー始まるまでに撤去しないと」
「撤去しなくていい」
いつの間にか後ろに来ていた琉央が、ベンチの脚に膝をついた。手袋を外し、木の表面を指先でなぞる。
「まだ、間に合う。土台替えて、座面磨いて……」
そこで言葉を切り、「あとで見ておく」とだけ付け足した。
「それ、さっきも聞いた」
「二回言ったら、本当にやるってことだから」
そっけない返事に聞こえるのに、その背中からは妙な責任感が伝わってくる。颯馬は、「ベンチ修繕計画」という言葉を飲み込んで、別の表現を探した。
「このベンチ、九つの場所のど真ん中に置こうか」
「ど真ん中?」
「どこから歩き始めても、最後はここで一日を振り返れるみたいな位置に。……まあ、地図上の話だけど」
川沿いの道を歩きながら、彼らは再び「ご当地らしさ」について話し始めた。
「景色だけなら、写真で伝わる。食べ物も、通販で何とかなる」
亜矢菜が、川面を映すようにスマホを構える。
「でも、『ここで誰かとどんな会話をしたか』は、その場にいないと分からない。私のブログもラジオも、その空気までは全部は運べないんだよね」
「空気を売り物にするのは難しいけど、空気を味わう入口は用意できる」
颯馬は、ポケットからメモ帳を取り出し、「九つの場所に置く『誰かのひとこと』ボード」という案を書き込んだ。
「たとえば、八百屋のおばちゃんの『今日のひとこと』とか、足湯の常連さんの『ひとりごと』とか。そういうのを少しずつ集めて、案内所に貼っていく」
「それ、すてき」
瑠奈の顔が明るくなった。
「観光パンフレットに載っていないものを見せたいって、ずっと思ってたんだよね。ただ、『パンフレットに載らないものばっかり』だと、やっぱり来てもらえない気もしてて」
「そこは俺たちの役目だな」
龍護が、両手をポケットに突っ込んだまま言う。
「分かりやすい酒や飯で、『ここまで来たら、ついでに面倒な話も聞いてみようかな』って気にさせる。うまい酒で釣るってやつ」
「釣りって言い切った」
「こっちは真剣だよ?」
その声には、蔵を守る人間の覚悟がにじんでいた。
夕方近く、九つの場所を回り終えた一行は、再び駅前広場に戻ってきた。空は薄い群青に変わり、駅舎の明かりがぽつりと灯っている。
「で、今日の結論は?」
ベンチに腰を下ろした樹佳が、ファイルを膝の上に乗せたまま皆を見渡す。
「『ご当地らしさ』は、景色と食べ物と人、どれ?」
「全部、って言ったら怒られる?」
瑠奈が、おそるおそる手を挙げる。
「怒らない」
樹佳は、少し笑った。
「ただ、『全部』をそのまま書類にすると、何もしていないのと同じになるから。どこに予算と時間をかけるか、ちゃんと優先順位をつけないとね」
「じゃあ、一番は?」
皆の視線が集まる。少しの沈黙のあと、颯馬はベンチから立ち上がり、駅舎と商店街と足湯の方向をぐるりと見渡した。
「町の普通の暮らし、かな」
自分でも少し照れくさい言葉だったが、口から出てしまったものは仕方がない。
「観光用に飾った特別な景色じゃなくて、誰かが雪かきしてる姿とか、洗濯物を取り込む時間とか、子どもが帰ってくる道とか。そういう『当たり前』を邪魔しないように、一緒に見せてもらうルートにしたい」
「それ、案内所のキャッチコピーにしてもいい?」
亜矢菜が、すぐにメモを取り始める。
「『雪杜ナインプレイス 町の普通の暮らしを、ちょっとだけ覗きに行く散歩』」
「長い」
「じゃあ、削りながら考える」
笑い声が、駅前の冷たい空気にふわりと溶けていく。九つの場所を一日で回った足は、それなりに重い。けれど、その重さの中に、何かを少しだけ掴みかけた感触があった。
「迷走ルート、って自分で名前つけたけどさ」
帰り際、瑠奈がぽつりと言った。
「今日の迷走、けっこう好きかも」
「迷わないで作った道より、迷ったあとに残った道のほうが、きっと強い」
颯馬はそう返し、駅舎の時計を見上げた。針は、次の一歩を待つように、静かに進んでいる。
「本日の参加者は、案内役候補です」
彼女は、広場の真ん中で小さく円を描くように立ち位置を決めると、一人ずつ指をさした。
「時間管理担当の瑠奈。動線と数字担当の颯馬。現場の匠枠・琉央。ご当地グルメ兼お酒枠・龍護さん。記録と広報担当の亜矢菜さん。予算と安全管理担当の樹佳さん」
「役職、多くないか」
颯馬が苦笑すると、龍護が「俺、酒枠って公認なんだ」とおかしそうに笑った。琉央は、少し離れたところでベンチの背もたれを指先でつつきながら、「俺は枠いらない」と小声でこぼす。
「大丈夫、枠じゃなくて役割だから」
瑠奈は、彼の隣に立って、ベンチの背中を一度ぽんと叩いた。
「じゃあ、一周してみよう。九つの場所を、私たち自身が歩いて確かめる日です。まずは駅前広場から商店街へ、そこから雪見社、足湯、酒蔵、りんご園、白波岬、旧小、川沿いの順で回ります」
「その順番、途中で変わりそうだな」
樹佳が、薄いファイルを抱えながら呟いた。
「どうしてですか」
「このメンバーだと、きっと寄り道が多いから」
その予言は、三十分後にあっさり的中することになる。
最初の駅前広場から商店街までは、比較的予定通りだった。アーケードの下を歩きながら、八百屋やパン屋の店先を覗き、「ここで何分なら寄り道しても大丈夫か」という会話を交わす。亜矢菜は、パン屋の前で焼き上がったばかりのバターロールを見つけ、迷わず購入した。
「試験ルートだからね。検証のために食べるの」
「検証のために二個買う必要は?」
「別の味も確認しないと」
そんなやりとりをしているうちに、雪見社への石段に着く頃には、予定より十分押していた。
階段の下で腕時計を見ながら、瑠奈が「ここで一旦時間をリセット」と宣言する。
「リセットって、時間が増える魔法じゃないぞ」
「気持ちの問題です」
颯馬は、石段の段数を数えながら登り、鳥居の横に立つ古い案内板を見上げた。錆びた枠の中で、色あせた文字がかろうじて読める。
「ここに新しい看板を立てるなら、どんなのがいい?」
背後から声がして振り向くと、亜矢菜が携帯用のカメラを構えていた。
「字が大きくて写真映えするやつより、近づいた人だけ読める話がいい」
颯馬は、案内板の下に「昔ここで迷子になった子どもを町中で探した」話や、「初詣のときだけ顔を出す近所のおじいさん」の話など、子どもの頃の記憶を重ね合わせた。
「『ここは、町の人が静かに心の中で頼ってきた場所です』みたいな文句はどう?」
「それ、ご当地らしさ高い」
亜矢菜が、うんうんと頷きながらメモを取る。
雪見社を降りて足湯へ向かう途中、足元の雪道で小さなハプニングが起きた。坂を下る途中で、颯馬の足がつるりと滑りかけたのだ。
「おっと」
横から伸びた手が、腕をがしっとつかんだ。振り向くと、龍護が半歩だけ前に出ている。
「雪道、慣れてないだろ。客にも同じこと起きるから、ここ注意ポイントな」
「はい、『ご当地・転びやすい坂』として記録しておきます」
「その名前はやめろ」
笑いながらも、颯馬は心の中で「ここに砂をまく係が必要だな」とメモした。
足湯では、誰もが誘惑に抗えなかった。試験ルートだからと言いながら、全員が靴を脱ぎ、足を湯に沈める。湯気の向こうで、「今日は内輪だけかい?」と常連のおばあさんが声をかけてくる。
「試しに歩いてるところです。九つ全部回れるか、実験中」
「全部? あんたら、若いねぇ。ここでもう一時間しゃべっていきなよ」
「一時間は……予算オーバーです」
樹佳が、真顔で腕時計を見る。その顔に、おばあさんが「数字に弱い年寄りは黙って足あっためてるから」と笑った。
「ご当地らしさってさ」
湯に足を浸しながら、龍護がぽつりと言う。
「こういう会話のことだろ。パンフレットに載らないやつ」
「でも、パンフレットに載らないものばっかり集めてたら、誰も来てくれないよ」
樹佳が、湯気越しに首を傾げる。
「景色とかグルメとか、分かりやすい『ご当地』もちゃんと押し出さないと。財布開いてもらわなきゃ続かないんだから」
「財布って言い方」
「事実だから」
会話はそのまま、湯上がりの足で向かった龍泉酒造でも続いた。蔵の中のひんやりとした空気の中、龍護は樽の温度を確認しながら話に口を挟む。
「ご当地ってさ、結局は『ここでしかできないケチのつけ方』かもな」
「急に乱暴な定義きたね」
「いい意味でだよ。酒の味にしたって、『もうちょい辛くてもいい』『いや、これくらいの甘さが雪に合う』って、地元の人が好き勝手言えることが、ここでしかできない時間だろ」
その言葉に、おとなしく聞いていた琉央が、珍しく口を開いた。
「ベンチもそうかも」
「ベンチ?」
「川沿いのやつ。雪で脚腐りかけてる。ここでしかできないケチっていうか、『このまま座ったら尻が冷える』って文句。……あとで見ておく」
彼はそれだけ言うと、樽の香りが漂う空間から、さっさと外に出て行った。
「今の、ちゃんと録れました?」
颯馬が小声で尋ねると、亜矢菜は胸元のレコーダーを軽く叩いた。
「ばっちり。『ご当地=尻が冷える』はさすがに番組ではそのまま読めないけど」
「編集方針、頼んだ」
午後、白波岬の展望台に着く頃には、予定よりすでに三十分の遅れが出ていた。空は薄い青に晴れ、冬の海がきらきらと光っている。
「本来なら、ここで地元食材の弁当を広げて……と言いたいところですが」
瑠奈は、申し訳なさそうにコンビニの袋を掲げた。
「今日は予算と準備の都合で、検証用弁当です」
「検証って便利な言葉だな」
颯馬は三角おにぎりの包装をはがし、展望台のベンチに腰を下ろして遠くの水平線を眺める。
「でもさ」
おにぎりの海苔をかじりながら、亜矢菜が言った。
「こうやって、コンビニ弁当広げてる観光客、実際いるよね。これ、禁止にはしたくないんだよなあ」
「わざわざ地元に来てもらってるのに、コンビニで済ませるなって言いたくなる気持ちは、正直ある」
龍護が、ペットボトルのほうじ茶をぐいっと飲む。
「地元の店で弁当頼んでくれたら、その分、来年もこの景色を維持する力になるんだからさ」
「でも、コンビニ弁当を食べながら見る海の景色にも、ちょっとした『ご当地の自由さ』があると思う」
颯馬は、ベンチの背もたれに軽くもたれかかりながら言った。
「ここまで来て何を食べるか、自分で決められるっていう自由さ。その代わり、案内所のほうで『もしよかったら、こういう地元弁当もありますよ』って、選択肢を出すのはどうかな」
「押しつけないけど、ちゃんと提案もする、か」
樹佳が、小さなノートにメモを取りながら頷く。
「『コンビニの袋を持ってても怒られないけど、地元のお弁当を選んだらちょっと嬉しくなる町』くらいが、現実ラインかもしれないね」
昼食を終えた一行は、白波岬から旧・雪杜小学校へと向かった。校舎の裏手を通って川沿いへ下りる階段を降りると、冬の川面から冷たい風が上がってくる。
川沿いの道には、例のベンチがぽつんと置かれていた。夏場は釣り人や散歩の人が腰を下ろす場所だが、今は雪をかぶり、座面の端が少し沈んでいる。
「これか」
颯馬が近づいて座面に手を置くと、わずかに揺れた。脚のひとつがぐらついているらしい。
「危ないね。ツアー始まるまでに撤去しないと」
「撤去しなくていい」
いつの間にか後ろに来ていた琉央が、ベンチの脚に膝をついた。手袋を外し、木の表面を指先でなぞる。
「まだ、間に合う。土台替えて、座面磨いて……」
そこで言葉を切り、「あとで見ておく」とだけ付け足した。
「それ、さっきも聞いた」
「二回言ったら、本当にやるってことだから」
そっけない返事に聞こえるのに、その背中からは妙な責任感が伝わってくる。颯馬は、「ベンチ修繕計画」という言葉を飲み込んで、別の表現を探した。
「このベンチ、九つの場所のど真ん中に置こうか」
「ど真ん中?」
「どこから歩き始めても、最後はここで一日を振り返れるみたいな位置に。……まあ、地図上の話だけど」
川沿いの道を歩きながら、彼らは再び「ご当地らしさ」について話し始めた。
「景色だけなら、写真で伝わる。食べ物も、通販で何とかなる」
亜矢菜が、川面を映すようにスマホを構える。
「でも、『ここで誰かとどんな会話をしたか』は、その場にいないと分からない。私のブログもラジオも、その空気までは全部は運べないんだよね」
「空気を売り物にするのは難しいけど、空気を味わう入口は用意できる」
颯馬は、ポケットからメモ帳を取り出し、「九つの場所に置く『誰かのひとこと』ボード」という案を書き込んだ。
「たとえば、八百屋のおばちゃんの『今日のひとこと』とか、足湯の常連さんの『ひとりごと』とか。そういうのを少しずつ集めて、案内所に貼っていく」
「それ、すてき」
瑠奈の顔が明るくなった。
「観光パンフレットに載っていないものを見せたいって、ずっと思ってたんだよね。ただ、『パンフレットに載らないものばっかり』だと、やっぱり来てもらえない気もしてて」
「そこは俺たちの役目だな」
龍護が、両手をポケットに突っ込んだまま言う。
「分かりやすい酒や飯で、『ここまで来たら、ついでに面倒な話も聞いてみようかな』って気にさせる。うまい酒で釣るってやつ」
「釣りって言い切った」
「こっちは真剣だよ?」
その声には、蔵を守る人間の覚悟がにじんでいた。
夕方近く、九つの場所を回り終えた一行は、再び駅前広場に戻ってきた。空は薄い群青に変わり、駅舎の明かりがぽつりと灯っている。
「で、今日の結論は?」
ベンチに腰を下ろした樹佳が、ファイルを膝の上に乗せたまま皆を見渡す。
「『ご当地らしさ』は、景色と食べ物と人、どれ?」
「全部、って言ったら怒られる?」
瑠奈が、おそるおそる手を挙げる。
「怒らない」
樹佳は、少し笑った。
「ただ、『全部』をそのまま書類にすると、何もしていないのと同じになるから。どこに予算と時間をかけるか、ちゃんと優先順位をつけないとね」
「じゃあ、一番は?」
皆の視線が集まる。少しの沈黙のあと、颯馬はベンチから立ち上がり、駅舎と商店街と足湯の方向をぐるりと見渡した。
「町の普通の暮らし、かな」
自分でも少し照れくさい言葉だったが、口から出てしまったものは仕方がない。
「観光用に飾った特別な景色じゃなくて、誰かが雪かきしてる姿とか、洗濯物を取り込む時間とか、子どもが帰ってくる道とか。そういう『当たり前』を邪魔しないように、一緒に見せてもらうルートにしたい」
「それ、案内所のキャッチコピーにしてもいい?」
亜矢菜が、すぐにメモを取り始める。
「『雪杜ナインプレイス 町の普通の暮らしを、ちょっとだけ覗きに行く散歩』」
「長い」
「じゃあ、削りながら考える」
笑い声が、駅前の冷たい空気にふわりと溶けていく。九つの場所を一日で回った足は、それなりに重い。けれど、その重さの中に、何かを少しだけ掴みかけた感触があった。
「迷走ルート、って自分で名前つけたけどさ」
帰り際、瑠奈がぽつりと言った。
「今日の迷走、けっこう好きかも」
「迷わないで作った道より、迷ったあとに残った道のほうが、きっと強い」
颯馬はそう返し、駅舎の時計を見上げた。針は、次の一歩を待つように、静かに進んでいる。
0
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
二年間の花嫁
柴田はつみ
恋愛
名門公爵家との政略結婚――それは、彼にとっても、私にとっても期間限定の約束だった。
公爵アランにはすでに将来を誓い合った女性がいる。私はただ、その日までの“仮の妻”でしかない。
二年後、契約が終われば彼の元を去らなければならないと分かっていた。
それでも構わなかった。
たとえ短い時間でも、ずっと想い続けてきた彼のそばにいられるなら――。
けれど、私の知らないところで、アランは密かに策略を巡らせていた。
この結婚は、ただの義務でも慈悲でもない。
彼にとっても、私を手放すつもりなど初めからなかったのだ。
やがて二人の距離は少しずつ近づき、契約という鎖が、甘く熱い絆へと変わっていく。
期限が迫る中、真実の愛がすべてを覆す。
――これは、嘘から始まった恋が、永遠へと変わる物語。
診察室の午後<菜の花の丘編>その1
スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。
そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。
「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。
時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。
多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。
この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。
※医学描写はすべて架空です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる