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第32話 冬支度の九つの場所
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初雪の予報が出た朝、雪杜の空はまだ曇りきれずに、どことなく迷っているように見えた。
「今日、やりますか」
駅前案内所のシャッターを開けながら、颯馬が言った。吐く息が、かすかに白い。
「はい。『九つの場所・冬支度ツアー』ですね」
すでに中で湯沸かしポットを動かしていた瑠奈が、手帳を片手に頷く。手帳の一ページ目には、太い字で「冬支度チェックリスト」と書かれていた。
「名前、だいぶ直球ですね」
「わかりやすさ重視です」
そんな会話をしていると、案内所のドアが開き、龍護たちが入ってきた。
「おーい、雪囲い担当、参上」
龍護は、軍手をポケットに突っ込みながら片手を上げる。後ろには、木材のサンプルを抱えた琉央と、ファイルを抱えた樹佳、レコーダーをぶら下げた亜矢菜が続いた。
「本日のルート確認しまーす」
瑠奈が、ホワイトボードに九つの場所の名前を書き出す。
「駅前広場と案内所、商店街入口、足湯、雪見社、酒蔵、川沿い、旧・雪杜小学校、白波岬、りんご園」
「りんご園、冬支度って何するんだ?」
龍護が首をかしげる。
「木崎さんいわく、『雪が積もっても道がわかるように看板立て直す』だそうです」
颯馬が答えると、瑠奈が付け加えた。
「それから、『雪灯ろう用に、雪が積もったらここに一つください』って印をつけるんですって」
それぞれの場所に、小さな赤丸が書き加えられる。
「じゃ、行くか。今日は一日、『九つの場所・冬支度パトロール』だ」
颯馬の言葉に、全員が「おー」と小さく声を上げた。
*
最初のチェックポイントは、駅前広場だった。
「滑り止めマット、去年のままだと端がめくれてきてますね」
案内所前の階段を見ながら、瑠奈がメモを取る。足元には、ゴム製のマットが敷かれているが、ところどころ角が浮き上がっている。
「新しいの、もう届いてる」
颯馬が倉庫から箱を運び出すと、龍護がひょいと肩に担いだ。
「こいつを広げて、端を木枠で押さえればいいな」
「木枠はこっち」
琉央が、加工した角材を差し出す。マットの端にぴたりとはまるように、角度まで計算されている。
「さすがですね」
瑠奈が感心すると、琉央は「……仕事だから」とだけ言って、黙々と取り付けを始めた。
その横で、樹佳が古いポスターを外して、新しい冬用の案内を貼り出している。雪灯ろうの日程と、冬季限定ルートの案内。端には、小さく「足元にご注意ください」の一文が添えられていた。
「去年より、字体がやさしくなりましたね」
颯馬が言うと、樹佳は少し照れくさそうに笑う。
「『注意書きは、怒って書かない』って、雪見社の宮司さんに言われましたから」
ポスターの下には、小さなメモ用紙とペンが置かれていた。
『今日、歩いてみたい九つの場所を書いてください』
と、手書きで書かれている。すでに何枚かの紙が重なっていた。
「駅前から、声になってきましたね」
瑠奈が、その紙束をそっと撫でた。そこには、「雪見社の階段をがんばりたい」「足湯であったまりたい」「川沿いの雪を見たい」といった言葉が並んでいた。
*
商店街入口では、九つの場所の看板に透明なカバーを取り付ける作業が進んでいた。
「風で飛ばされないように、ここにもう一本」
琉央が、看板の上部に金具を打ち込む。その手つきは、いつもと同じ静かさだが、打ち込む位置は一ミリも狂わない。
「これで、雪が横から吹きつけても地図が濡れないはずです」
「よし。じゃあ、こっちは俺が」
龍護は、商店街の角に砂袋を運んだ。雪が降ったときに階段やスロープに撒くためのものだ。
「去年、『砂どこにあるかわかりにくい』って言われたからな」
砂袋の上には、木の板に手書きの文字がぶら下げられた。
『滑りそうなときは、遠慮なく撒いてください。あとで片付けるので、そのままで大丈夫です』
「あの一文、いいですね」
瑠奈が、木の板を見上げる。
「『すみません、お世話になります』って言えない人、多いでしょうから」
「『撒いたら悪いかな』って迷って、転んだら本末転倒だしな」
龍護が肩をすくめると、商店街の八百屋の主人が店先から顔を出した。
「去年、ここの砂撒いてくれた人のおかげで、転ばずに済んだおばあちゃんがいたんだよ」
「そうなんですか」
「『ありがとうって言う先がわかんないから、ここで買い物していくわ』って言ってさ。あれ、嬉しかったなあ」
何気ない言葉の中に、ひとつ、声になった「好き」が混じっていた。
*
足湯では、雪囲いの板が用意されていた。
「今年は、風よけの窓を少し低くしてみようと思います」
颯馬の説明に、瑠奈が首をかしげる。
「低く?」
「去年、『雪景色も見たい』って声が多かったから。座ったときに、ちょうど向こう岸の雪が見えるくらいの高さに」
琉央が、柱に印をつけながら頷いた。
「だから、ここまで」
印の位置が、昨年より少し下にずれているのがわかる。
「ここで雪見足湯とか、最高ですね」
亜矢菜が、早くもラジオの台本を書き始めていた。
「『湯気の向こうの雪見社』とか、良くない?」
「それ、きょうのタイトルにするつもりですよね」
瑠奈が笑うと、足湯の常連らしいおばあさんが近づいてきた。
「今年も雪囲いしてくれるのかい」
「はい。去年より少しだけ、景色が見やすくなりますよ」
「そりゃあ楽しみだねえ」
おばあさんは、足湯の縁を撫でながら続けた。
「ここがあったかいから、冬も外に出ようって気持ちになるんだよ。家にいたら、ずっとこたつと友達になっちまうからね」
「こたつも大事なお友達ですけどね」
瑠奈が笑うと、おばあさんも顔をくしゃっとさせた。
「ここが好きだって、誰に言ったらいいのか分かんなかったけど……そうか、あんたたちに言えばいいんだね」
そう言って、「ここが好きだよ」とはっきり口にする。
それは、これまで「湯気の向こう」でだけ温まっていた気持ちが、ようやく言葉になった瞬間だった。
*
雪見社では、石段の端に新しい手すりが取り付けられていた。
「去年の冬、ここで滑りそうになった人、けっこういましたからね」
颯馬が言うと、宮司がうなずく。
「『この手すりがなかったら、参拝を諦めてました』って言ってたご夫婦もいたよ」
手すりの根元には、小さな木札が結びつけられていた。
『転ばずに上まで来られますように』
「お守りみたいですね」
瑠奈が言うと、宮司は「まあ、お守りの一種かな」と笑った。
境内では、雪灯ろうの土台となる木枠が並べられている。
「今年は、九つの場所ごとにひとつずつ、形を変えてみようかと思っている」
宮司の言葉に、亜矢菜が食いついた。
「それ、ラジオで特集しましょう。『あなたの好きな雪灯ろうの形』アンケートとか」
「また、変わったこと考えるな」
龍護が呆れたように言うと、宮司は楽しそうに笑った。
「変わったことを考える人がいる町は、悪くないよ」
その一言が、ひどくあたたかく聞こえた。
*
酒蔵では、入口の上に雪よけのひさしが取り付けられていた。
「去年、ここに小さなつららができてたでしょう」
龍護が説明しながら、雪の重みを分散させるための金具を調整している。
「『落ちてきたら怖い』って声が多かったからな。あれはさすがに俺も怖かった」
樹佳は、蔵の前に新しい立て札を置いた。
『雪の日は、足元と頭上にご注意ください。
それでも来てくださって、ありがとうございます。』
「最後の一文、いいですね」
颯馬が読み上げると、樹佳は少し頬を赤くした。
「『寒いのに来る人の気持ちも、ちゃんと数字に入れてください』って、うちの母に言われまして」
「お母さん、いいこと言うな」
龍護が笑いながら、立て札を見上げた。
*
川沿いの道には、滑り止めの砂と一緒に、新しいベンチが一つ増えていた。
「ここ、去年の冬に『途中で座りたくなる』って声が多かった場所です」
瑠奈が、ノートをめくりながら説明する。
「坂の上から下りてきたあたりで、一回深呼吸したくなるんですよね」
琉央が作ったベンチは、背もたれが少しだけ高く、座面の奥行きも広かった。雪が積もっても端だけは座れるように、ほんの少しだけ傾斜がつけられている。
「ここ、座っていいですか」
ベンチの脇を通りかかった高校生くらいの男の子が、遠慮がちに尋ねた。
「もちろん。あなたのために置いたと言っても過言ではありません」
瑠奈が笑うと、男の子は照れ臭そうにベンチに腰を下ろした。
「ここで、友だちと話したいんです」
ぽつりとこぼれた一言は、冬の川風に乗って小さく震えた。
「それ、すごくいい使い方ですね」
瑠奈は、そっとベンチの端を撫でた。
*
旧・雪杜小学校では、体育館が冬の避難場所として使えるように、ストーブの点検が行われていた。
「ここ、九つの場所の中でも、一番『裏方』っぽいですよね」
亜矢菜が、ストーブの煙突を見上げながら言う。
「でも、停電のときに、ここに灯りがついてるのを見て、安心した人多かったと思う」
颯馬は、花火の夜のことを思い出していた。真っ暗な町の中で、体育館の窓からこぼれる明かりが、やけに心強かった。
廊下の掲示板には、近所の子どもたちが描いた「冬の九つの場所」の絵が貼られている。足湯から湯気が立ち上る絵、雪見社の階段に雪が積もる絵、川沿いに小さな雪灯ろうが並ぶ絵。
その隅に、小さな文字でこう書かれていた。
『この町が好きです』
書き慣れないひらがなで、ところどころ文字がゆがんでいる。その不器用さが、かえって胸にぐっと迫った。
*
夕方、最後のチェックポイントのりんご園に着くころには、空の色がすっかり冬の手前の青に変わっていた。
「おつかれさん」
木崎が、湯気の立つりんごジュースを用意して待っていた。
「今日は、雪灯ろうの印をつけに来たんだったな」
園の入り口近くの木の根元に、小さな杭が打たれていた。そこには、赤い布が結びつけられている。
「ここに雪が積もったら、ひとつ雪灯ろうを置いてくれって印です」
木崎が説明する。
「九つの場所の輪っかから、ちょっと外れたところにも灯りがともるように」
それは、りんごの丘で交わした約束の、具体的な形だった。
「町全体が、少しずつ冬の姿に変わっていきますね」
瑠奈が、両手でカップを包み込む。
「雪が降ったら歩きにくくなるけど、そのぶん、立ち止まる場所が増える気がします」
「立ち止まった場所で、『好きだな』って思える何かが見つかったら、いい冬になるよ」
木崎の言葉に、誰もが静かに頷いた。
*
駅に戻るころ、空から細かい白いものがちらちらと落ちてきた。
「……来ましたね」
駅前広場の真ん中で、瑠奈が空を見上げる。
「九つの場所、冬支度完了のご褒美みたいです」
「ご褒美にしては、だいぶ冷たいけどな」
龍護が首をすくめる。
案内所の前のポスターには、昼の間に新しい紙が一枚増えていた。
『冬の九つの場所で、楽しみにしていること』
その下には、いくつもの字が並んでいる。
『雪見社の階段を、ゆっくり登る』
『足湯で湯気と雪をいっしょに見る』
『川沿いの雪灯ろうを、家族で歩く』
そして、一番下に、子どもの字でこう書かれていた。
『ゆきのひも まちを あるきたい』
「……ねえ」
瑠奈が、小さく笑った。
「『声にならない好き』って、ほんとに言葉になってきましたね」
颯馬は、ポスターの前で立ち止まり、ひとつひとつの言葉を読み返した。
「言葉になった好きは、ちゃんと守らないとな」
そう言って、空を見上げる。
白いものは、さっきより少しだけ大きくなっていた。九つの場所の冬は、もうすぐそこまで来ている。
「今日、やりますか」
駅前案内所のシャッターを開けながら、颯馬が言った。吐く息が、かすかに白い。
「はい。『九つの場所・冬支度ツアー』ですね」
すでに中で湯沸かしポットを動かしていた瑠奈が、手帳を片手に頷く。手帳の一ページ目には、太い字で「冬支度チェックリスト」と書かれていた。
「名前、だいぶ直球ですね」
「わかりやすさ重視です」
そんな会話をしていると、案内所のドアが開き、龍護たちが入ってきた。
「おーい、雪囲い担当、参上」
龍護は、軍手をポケットに突っ込みながら片手を上げる。後ろには、木材のサンプルを抱えた琉央と、ファイルを抱えた樹佳、レコーダーをぶら下げた亜矢菜が続いた。
「本日のルート確認しまーす」
瑠奈が、ホワイトボードに九つの場所の名前を書き出す。
「駅前広場と案内所、商店街入口、足湯、雪見社、酒蔵、川沿い、旧・雪杜小学校、白波岬、りんご園」
「りんご園、冬支度って何するんだ?」
龍護が首をかしげる。
「木崎さんいわく、『雪が積もっても道がわかるように看板立て直す』だそうです」
颯馬が答えると、瑠奈が付け加えた。
「それから、『雪灯ろう用に、雪が積もったらここに一つください』って印をつけるんですって」
それぞれの場所に、小さな赤丸が書き加えられる。
「じゃ、行くか。今日は一日、『九つの場所・冬支度パトロール』だ」
颯馬の言葉に、全員が「おー」と小さく声を上げた。
*
最初のチェックポイントは、駅前広場だった。
「滑り止めマット、去年のままだと端がめくれてきてますね」
案内所前の階段を見ながら、瑠奈がメモを取る。足元には、ゴム製のマットが敷かれているが、ところどころ角が浮き上がっている。
「新しいの、もう届いてる」
颯馬が倉庫から箱を運び出すと、龍護がひょいと肩に担いだ。
「こいつを広げて、端を木枠で押さえればいいな」
「木枠はこっち」
琉央が、加工した角材を差し出す。マットの端にぴたりとはまるように、角度まで計算されている。
「さすがですね」
瑠奈が感心すると、琉央は「……仕事だから」とだけ言って、黙々と取り付けを始めた。
その横で、樹佳が古いポスターを外して、新しい冬用の案内を貼り出している。雪灯ろうの日程と、冬季限定ルートの案内。端には、小さく「足元にご注意ください」の一文が添えられていた。
「去年より、字体がやさしくなりましたね」
颯馬が言うと、樹佳は少し照れくさそうに笑う。
「『注意書きは、怒って書かない』って、雪見社の宮司さんに言われましたから」
ポスターの下には、小さなメモ用紙とペンが置かれていた。
『今日、歩いてみたい九つの場所を書いてください』
と、手書きで書かれている。すでに何枚かの紙が重なっていた。
「駅前から、声になってきましたね」
瑠奈が、その紙束をそっと撫でた。そこには、「雪見社の階段をがんばりたい」「足湯であったまりたい」「川沿いの雪を見たい」といった言葉が並んでいた。
*
商店街入口では、九つの場所の看板に透明なカバーを取り付ける作業が進んでいた。
「風で飛ばされないように、ここにもう一本」
琉央が、看板の上部に金具を打ち込む。その手つきは、いつもと同じ静かさだが、打ち込む位置は一ミリも狂わない。
「これで、雪が横から吹きつけても地図が濡れないはずです」
「よし。じゃあ、こっちは俺が」
龍護は、商店街の角に砂袋を運んだ。雪が降ったときに階段やスロープに撒くためのものだ。
「去年、『砂どこにあるかわかりにくい』って言われたからな」
砂袋の上には、木の板に手書きの文字がぶら下げられた。
『滑りそうなときは、遠慮なく撒いてください。あとで片付けるので、そのままで大丈夫です』
「あの一文、いいですね」
瑠奈が、木の板を見上げる。
「『すみません、お世話になります』って言えない人、多いでしょうから」
「『撒いたら悪いかな』って迷って、転んだら本末転倒だしな」
龍護が肩をすくめると、商店街の八百屋の主人が店先から顔を出した。
「去年、ここの砂撒いてくれた人のおかげで、転ばずに済んだおばあちゃんがいたんだよ」
「そうなんですか」
「『ありがとうって言う先がわかんないから、ここで買い物していくわ』って言ってさ。あれ、嬉しかったなあ」
何気ない言葉の中に、ひとつ、声になった「好き」が混じっていた。
*
足湯では、雪囲いの板が用意されていた。
「今年は、風よけの窓を少し低くしてみようと思います」
颯馬の説明に、瑠奈が首をかしげる。
「低く?」
「去年、『雪景色も見たい』って声が多かったから。座ったときに、ちょうど向こう岸の雪が見えるくらいの高さに」
琉央が、柱に印をつけながら頷いた。
「だから、ここまで」
印の位置が、昨年より少し下にずれているのがわかる。
「ここで雪見足湯とか、最高ですね」
亜矢菜が、早くもラジオの台本を書き始めていた。
「『湯気の向こうの雪見社』とか、良くない?」
「それ、きょうのタイトルにするつもりですよね」
瑠奈が笑うと、足湯の常連らしいおばあさんが近づいてきた。
「今年も雪囲いしてくれるのかい」
「はい。去年より少しだけ、景色が見やすくなりますよ」
「そりゃあ楽しみだねえ」
おばあさんは、足湯の縁を撫でながら続けた。
「ここがあったかいから、冬も外に出ようって気持ちになるんだよ。家にいたら、ずっとこたつと友達になっちまうからね」
「こたつも大事なお友達ですけどね」
瑠奈が笑うと、おばあさんも顔をくしゃっとさせた。
「ここが好きだって、誰に言ったらいいのか分かんなかったけど……そうか、あんたたちに言えばいいんだね」
そう言って、「ここが好きだよ」とはっきり口にする。
それは、これまで「湯気の向こう」でだけ温まっていた気持ちが、ようやく言葉になった瞬間だった。
*
雪見社では、石段の端に新しい手すりが取り付けられていた。
「去年の冬、ここで滑りそうになった人、けっこういましたからね」
颯馬が言うと、宮司がうなずく。
「『この手すりがなかったら、参拝を諦めてました』って言ってたご夫婦もいたよ」
手すりの根元には、小さな木札が結びつけられていた。
『転ばずに上まで来られますように』
「お守りみたいですね」
瑠奈が言うと、宮司は「まあ、お守りの一種かな」と笑った。
境内では、雪灯ろうの土台となる木枠が並べられている。
「今年は、九つの場所ごとにひとつずつ、形を変えてみようかと思っている」
宮司の言葉に、亜矢菜が食いついた。
「それ、ラジオで特集しましょう。『あなたの好きな雪灯ろうの形』アンケートとか」
「また、変わったこと考えるな」
龍護が呆れたように言うと、宮司は楽しそうに笑った。
「変わったことを考える人がいる町は、悪くないよ」
その一言が、ひどくあたたかく聞こえた。
*
酒蔵では、入口の上に雪よけのひさしが取り付けられていた。
「去年、ここに小さなつららができてたでしょう」
龍護が説明しながら、雪の重みを分散させるための金具を調整している。
「『落ちてきたら怖い』って声が多かったからな。あれはさすがに俺も怖かった」
樹佳は、蔵の前に新しい立て札を置いた。
『雪の日は、足元と頭上にご注意ください。
それでも来てくださって、ありがとうございます。』
「最後の一文、いいですね」
颯馬が読み上げると、樹佳は少し頬を赤くした。
「『寒いのに来る人の気持ちも、ちゃんと数字に入れてください』って、うちの母に言われまして」
「お母さん、いいこと言うな」
龍護が笑いながら、立て札を見上げた。
*
川沿いの道には、滑り止めの砂と一緒に、新しいベンチが一つ増えていた。
「ここ、去年の冬に『途中で座りたくなる』って声が多かった場所です」
瑠奈が、ノートをめくりながら説明する。
「坂の上から下りてきたあたりで、一回深呼吸したくなるんですよね」
琉央が作ったベンチは、背もたれが少しだけ高く、座面の奥行きも広かった。雪が積もっても端だけは座れるように、ほんの少しだけ傾斜がつけられている。
「ここ、座っていいですか」
ベンチの脇を通りかかった高校生くらいの男の子が、遠慮がちに尋ねた。
「もちろん。あなたのために置いたと言っても過言ではありません」
瑠奈が笑うと、男の子は照れ臭そうにベンチに腰を下ろした。
「ここで、友だちと話したいんです」
ぽつりとこぼれた一言は、冬の川風に乗って小さく震えた。
「それ、すごくいい使い方ですね」
瑠奈は、そっとベンチの端を撫でた。
*
旧・雪杜小学校では、体育館が冬の避難場所として使えるように、ストーブの点検が行われていた。
「ここ、九つの場所の中でも、一番『裏方』っぽいですよね」
亜矢菜が、ストーブの煙突を見上げながら言う。
「でも、停電のときに、ここに灯りがついてるのを見て、安心した人多かったと思う」
颯馬は、花火の夜のことを思い出していた。真っ暗な町の中で、体育館の窓からこぼれる明かりが、やけに心強かった。
廊下の掲示板には、近所の子どもたちが描いた「冬の九つの場所」の絵が貼られている。足湯から湯気が立ち上る絵、雪見社の階段に雪が積もる絵、川沿いに小さな雪灯ろうが並ぶ絵。
その隅に、小さな文字でこう書かれていた。
『この町が好きです』
書き慣れないひらがなで、ところどころ文字がゆがんでいる。その不器用さが、かえって胸にぐっと迫った。
*
夕方、最後のチェックポイントのりんご園に着くころには、空の色がすっかり冬の手前の青に変わっていた。
「おつかれさん」
木崎が、湯気の立つりんごジュースを用意して待っていた。
「今日は、雪灯ろうの印をつけに来たんだったな」
園の入り口近くの木の根元に、小さな杭が打たれていた。そこには、赤い布が結びつけられている。
「ここに雪が積もったら、ひとつ雪灯ろうを置いてくれって印です」
木崎が説明する。
「九つの場所の輪っかから、ちょっと外れたところにも灯りがともるように」
それは、りんごの丘で交わした約束の、具体的な形だった。
「町全体が、少しずつ冬の姿に変わっていきますね」
瑠奈が、両手でカップを包み込む。
「雪が降ったら歩きにくくなるけど、そのぶん、立ち止まる場所が増える気がします」
「立ち止まった場所で、『好きだな』って思える何かが見つかったら、いい冬になるよ」
木崎の言葉に、誰もが静かに頷いた。
*
駅に戻るころ、空から細かい白いものがちらちらと落ちてきた。
「……来ましたね」
駅前広場の真ん中で、瑠奈が空を見上げる。
「九つの場所、冬支度完了のご褒美みたいです」
「ご褒美にしては、だいぶ冷たいけどな」
龍護が首をすくめる。
案内所の前のポスターには、昼の間に新しい紙が一枚増えていた。
『冬の九つの場所で、楽しみにしていること』
その下には、いくつもの字が並んでいる。
『雪見社の階段を、ゆっくり登る』
『足湯で湯気と雪をいっしょに見る』
『川沿いの雪灯ろうを、家族で歩く』
そして、一番下に、子どもの字でこう書かれていた。
『ゆきのひも まちを あるきたい』
「……ねえ」
瑠奈が、小さく笑った。
「『声にならない好き』って、ほんとに言葉になってきましたね」
颯馬は、ポスターの前で立ち止まり、ひとつひとつの言葉を読み返した。
「言葉になった好きは、ちゃんと守らないとな」
そう言って、空を見上げる。
白いものは、さっきより少しだけ大きくなっていた。九つの場所の冬は、もうすぐそこまで来ている。
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