雪杜ナインプレイス 〜キミと雪見酒と、声にならない好き〜

乾為天女

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第33話 初雪と白く塗り替わる商店街

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 朝、カーテンを開けた颯馬は、一瞬言葉を失った。

 「……うわ」

 マンションの窓の向こうで、雪杜の町が一晩で別の色になっていた。屋根も、道も、電線も、ぜんぶ白い。駅前の時計台も、商店街の看板も、上から粉砂糖をふりかけられたみたいに静かに光っている。

 「初雪で、ここまで積もる?」

 思わず口に出してから、颯馬は苦笑した。雪国育ちの人から見たら「たいしたことない」量かもしれない。けれど、九つの場所の地図を頭に思い浮かべると、一つ一つの印が、今どんなふうに白く塗り替えられているのかが気になってしょうがなかった。

 (今日は、歩き方から変わる日だな)

 そう思いながら、厚手のコートを引っ張り出し、マフラーをきつめに巻いた。

    *

 駅に着くと、広場にはすでに何人かの観光客が集まっていた。スーツケースの車輪が、雪に少しだけ埋まっている。

 「おはようございます」

 颯馬は、足元を確かめながら広場の真ん中に立った。

 「今日は足元を確かめながら、ゆっくり行きましょう。急がなくても、雪は逃げませんから」

 観光客たちの間に小さな笑いが走る。

 「こちらが、本日の九つの場所ルートです」

 案内板の前に立つと、昨夜取り付けたばかりの透明カバーに、うっすらと雪の粒が付いていた。指でなぞると、線の上だけ細い道が開く。

 「うわあ……」

 誰かが小さく息を吐いた。

 「昨日と同じ地図なのに、今日見るとまるで違って見えますね」

 「そうですね」

 颯馬は頷いた。

 「昨日までは、『行ける場所』の印でした。今日からしばらくは、『ここまでたどり着きたい場所』の印になるかもしれません」

 足元の雪はまだ柔らかく、歩くたびにきゅっきゅっと音を立てた。その音に、昨日までとは違う季節の重さが混ざっている。

    *

 商店街の入口に立つと、いつものアーチ看板が、半分だけ白に塗り替えられていた。

 「おはようございます!」

 八百屋の主人が店先から顔を出す。頭には、見慣れないフェルトの帽子が乗っていた。

 「似合いますね、その帽子」

 「転んだら笑っていいから、その代わり手は貸してくれよ」

 冗談を言いながら、主人は店先のシャッター前を雪かきしていた。

 「九つの場所の看板、大丈夫そうかい?」

 「はい。カバー、ちゃんと役に立ってます」

 地図の上には、うっすらと雪が積もっているが、文字は問題なく読める。昨日琉央が打ち込んだ金具が、板をしっかり守っていた。

 「今年は、『砂ここにあります』の札があるから、気が楽だよ」

 主人は商店街の角に置かれた砂袋を親指で指した。

 「さっき、通りがかりのおばあちゃんが、そこから少し砂を持ってってくれてさ。『こういうの、使っていいって書いてあると助かるねえ』って言ってたよ」

 「使ってもらえて、うれしいですね」

 颯馬が答える横で、瑠奈が足早にやってきた。マフラーには、もう細かい雪の粒がいくつもくっついている。

 「すみません、足湯のほう、思ったより湯気がすごくて」

 「すごい?」

 「雪と一緒になって、もう絵みたいです」

 瑠奈は、手袋を外してスマホの画面を見せた。そこには、白い屋根から湯気が立ち上り、その向こうにうっすらと雪見社の輪郭が見える写真が映っていた。

 「これ、『九つの場所・冬の顔』特集で使えますよね」

 「ラジオじゃ写真見えないけどな」

 龍護の声が、商店街の奥から聞こえてきた。酒蔵の方から歩いてきた彼の肩にも、すでに雪が積もっている。

 「朝から雪かきですか」

 「当たり前だろ。これが、『キミと雪見酒』の舞台なんだから」

 龍護は、商店街の両側の店先を見回した。看板も、旗も、屋根も、全部が白い。

 「この白い道を通って雪見社まで行ってもらうんだ。中途半端な足跡じゃもったいない」

 そう言って、雪かき用のスコップを肩に担ぎ直す。

 「雪かきも演出ですか」

 「演出っていうか、下ごしらえだな」

 龍護は、頬に付いた雪を手の甲で払った。

 「刺身出す前に、ちゃんとまな板洗うみたいなもんだ」

    *

 足湯にたどり着くまでに、何度か立ち止まる人がいた。

 「ここ、昨日のベンチ?」

 川沿いの新しいベンチには、すでに薄く雪が積もっていた。その端だけ、誰かが手で払ったのか、座れるスペースがきれいに空いている。

 「座った人、いますね」

 瑠奈が、ベンチの周りの足跡を見ながら言った。

 「ここで、友だちと話したいんです、って言ってた男の子かな」

 颯馬が、昨日の高校生の顔を思い浮かべる。


 足湯に近づくと、湯気がほんのり白い幕のように漂っていた。

 「わあ……」

 観光客の一人が、思わず声を漏らす。

 雪囲いの板はまだ半分しか閉じていないが、その隙間から見える川の向こう岸にも、薄く雪が積もっていた。湯気と雪と、遠くに見える雪見社の鳥居。その全部が、ひとつの画面におさまっている。

 「足湯、雪が降っても入れるんですね」

 マフラーを口元まで上げた女性が尋ねる。

 「むしろ、雪の日のほうがおすすめかもしれません」

 瑠奈は、足湯の縁を指さした。

 「ここに座ると、湯気の向こうに雪見社が見えます。『足元だけ春、目の前は冬』みたいな感じです」

 「それ、ラジオで言ってましたよね」

 別の男性が笑う。

 「『湯気の向こうの雪見社』って」

 「聞いてくださってたんですね。ありがとうございます」

 頬を赤くしながら頭を下げる瑠奈の横で、龍護が小声でつぶやいた。

 「おい、あのフレーズ考えたの誰だ」

 「亜矢菜さんですよ」

 「……あいつ、やっぱり侮れねえな」

    *

 商店街に戻ると、店先で雪だるまが増殖していた。

 「増えてません?」

 颯馬が驚くと、パン屋の前に並んだ三体の雪だるまが、こちらを見ているように見えた。一体はパンを模した丸い帽子をかぶり、もう一体は小さなマフラーを巻いている。真ん中の雪だるまの胸には、九つの場所のロゴに似た丸が枝で描かれていた。

 「子どもたちが作ってくれたんだよ」

 パン屋の奥さんが顔を出した。

 「『九つの場所の雪だるま』って言いながらね。ひとつずつ、好きな場所を思い浮かべて作ったらしいよ」

 「好きな場所?」

 「左が雪見社、真ん中が足湯、右が川沿いだってさ。なんでって聞いたら、『全部あったかいから』だって」

 その言葉に、颯馬の胸のどこかが、じんわりと熱くなった。

 「そういえば」

 瑠奈が、ふと思い出したように顔を上げる。

 「駅前のポスターに『雪の九つの場所で楽しみにしていること』って書く紙、増えてました」

 「なんて書いてありました?」

 「『雪の足湯で、知らない人と話してみたい』って」

 瑠奈の声には、どこか嬉しそうな響きが混じっている。

 「『知らない人』って書きながら、『話してみたい』って思ってもらえるの、すごいですよね」

 「そうだな」

 颯馬は、商店街の白い道を見下ろした。

 「雪が積もると、足跡で誰がどこに向かったかわかる」

 ゆっくりと続ける。

 「でも、『何を思いながら歩いていたか』までは見えない。今まで見えなかったその部分が、少しずつ言葉になってきてるのかもしれない」

    *

 昼を過ぎると、雪は少しだけ小降りになった。

 「今日の『雪杜ぐるっとラジオ』、外からの中継にしていい?」

 案内所に戻る途中、亜矢菜からメッセージが入った。

 『商店街の足跡の音と、足湯の湯気の音、拾いたい』

 「音だけで、ここまで伝わるかな」

 颯馬がつぶやくと、瑠奈がすぐに言い返した。

 「伝わりますよ。だって、私たちだって、まだ見えない『好き』を拾おうとしてるんですから」

 「……そうだな」

 午後の放送で、亜矢菜はこんなふうに話した。

 『今日は、九つの場所が一晩で白く塗り替わった朝の音を、お届けしています。
  もし、あなたの心の中で、「あの坂道、歩いてみたいな」とか、「足湯の湯気を見てみたいな」とか、ちょっとでも思ったら……それはもう、雪杜の町に、ひとつ足跡がついたのと同じかもしれません』

 スタジオの外でその声を聞きながら、颯馬は商店街の真ん中に立った。

 白く塗り替わった看板たちの下で、人々がゆっくり歩いている。足跡はすぐに新しい雪に消される。それでも、ここまで来ることを選んだ気持ちは、きっとどこかに残るはずだ。

 「これが、『キミと雪見酒』の舞台か」

 ふと隣で、龍護がつぶやいた。

 「悪くないな」

 「まだ本番の夜じゃないですよ」

 「本番の夜までに、ここにどれだけ足跡が増えるかが大事なんだろ」

 龍護は、白くなった商店街のアーチを見上げた。

 「この道を通って雪見社まで行ったら、『今日ここを歩いたこと』ごと、思い出になってくれるかもしれねえ」

 その言葉に、颯馬は小さく頷いた。

 初雪で塗り替えられた商店街は、まだところどころ歩きにくい。でも、そのたびに誰かが雪をどけて、砂を撒いて、ベンチの雪を払っている。

 「……本番までに、もう一回くらい、ここで転びそうになる人を支えそうな気がします」

 瑠奈が苦笑いしながら言う。

 「そのときは、また『その頬に触れさせて』って言うのか?」

 龍護のからかいに、颯馬は「もう言いません」と即答した。

 「でも、転んだ人ごと受け止めるっていう意味では、同じかもしれませんね」

 白く塗り替わった商店街の真ん中で、三人の笑い声が小さく響いた。その上から、また新しい雪が、音もなく降り積もっていく。

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