雪杜ナインプレイス 〜キミと雪見酒と、声にならない好き〜

乾為天女

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第35話 東京からの視察団

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 雪杜駅の改札口に、黒いコートを着た男性たちがまとまって現れた。肩から同じ形のビジネスバッグを提げ、首には会社名入りのマフラー。颯馬が東京で働いていたころ、毎日のように見ていた光景だ。

 「久しぶりだな、颯馬」

 一歩前に出てきたのは、元の職場の上司・笠原だった。ネクタイの結び目はきっちりと締められているのに、耳の先は雪杜の冷気でうっすら赤くなっている。

 「本日は、遠いところありがとうございます」

 颯馬が頭を下げると、笠原はふっと口元を緩めた。

 「いや、うちの部署で『地方で何やってるのか、一度ちゃんと見に行こう』って話になってな。観光パンフレットだけじゃ、いまいち実感が湧かないから」

 その後ろで、同僚だった三人が小さく頷いた。資料作成が得意な日野、数字に厳しい佐伯、そして会議のたびに「時間が押してます」と腕時計を見る渡部。それぞれに懐かしい顔だが、今はみんな揃って視察の来訪者だ。

 「じゃあ、今日は『九つの場所めぐり』をフルコースで体験していただきます」

 颯馬が笑顔でそう告げると、渡部が反射的に腕時計を見た。

 「フルコースって、どれくらい歩くんだ?」

 「九つ全部回ると、休憩込みでおよそ四時間くらいです」

 「四時間!」

 三人の声がぴたりと揃った。

 「車で要点だけ回るっていうのは……」

 佐伯が恐る恐る口を開く。

 「歩きます。『九つの場所めぐり』ですから」

 颯馬がきっぱりと言うと、笠原が苦笑した。

 「まぁ、せっかく来たんだ。運動不足解消だと思って歩こう」

 「部長、ここに来てまで歩数を稼がなくても……」

 そんなやりとりに、瑠奈がくすっと笑った。

 「では、まずは駅前広場から。今日のルートは、駅前広場、商店街入口、足湯、雪見社、酒蔵、川沿い、旧・雪杜小学校、白波岬、それからりんご園です」

 手帳を片手に説明する瑠奈の横で、颯馬は参加者用の名札を一枚ずつ配っていく。東京組の胸元にも、「雪杜ナインプレイス・体験者」と印刷された名札がぶら下がった。

 「ネーミング、ずいぶんと柔らかくなったな」

 日野が名札を眺めながら言う。

 「前は『地域周遊型観光資源活用モデル』とか、そんな感じのタイトル付けてたのに」

 「それ、相当昔の企画書ですよ」

 颯馬が苦笑すると、笠原も「あったな、そんな資料」と肩を揺らした。

 駅前広場を出発し、一行は雪が残る商店街の通りへと歩き出す。

 「ここが、商店街入口のポイントです。平日の午前中は地元の人が多くて、夕方は観光客と仕事帰りの人が半々くらいになります」

 瑠奈の説明にあわせて、颯馬が足元の印を指さした。雪の上に小さな青い丸印が描かれている。

 「この丸印、全部で九か所にあります。ここを通るたびにカウントして、どの時間帯にどれだけ人が動いているかを記録しているんです」

 「なるほど、動線の可視化か」

 佐伯がメモ帳を取り出し、さっそく何かを書きつける。

 「でも、カウンター持って立ってるだけじゃなくて、ここで起きたことも一緒にメモするようにしています」

 そう付け加えると、渡部が首をかしげた。

 「起きたこと?」

 「たとえば、『犬だけが看板を二度見した』とか、『中学生が雪玉を一個だけ九つの場所の看板にそっと乗せていった』とか」

 「それ、データにするのか?」

 「はい。『犬の通行量』はさすがに会議資料には載せませんけど」

 颯馬が冗談めかして言うと、東京組から小さな笑いが漏れた。

 足湯に着くころには、笠原の肩にもうっすらと雪が積もっていた。

 「こちらが足湯です。今日は特別に、タオルも用意してあります」

 瑠奈が、観光協会のロゴ入りタオルを差し出す。笠原たちは少し戸惑いながらも靴と靴下を脱ぎ、足湯に足を入れた。

 「……これは」

 笠原の顔から、思わず力が抜ける。

 「ずるいくらい気持ちいいですね」

 「ですよね」

 隣に座った颯馬も、足先から上ってくる温かさに目を細めた。

 そこへ、地元の老夫婦がやってきて、その隣に腰を下ろす。

 「今日のパンフレット、あんたたちが作ったのかい」

 老婦人が、手に持っていた九つの場所パンフレットを広げた。

 「はい。あ、ここが今日のルートです」

 瑠奈がパンフレットの地図にペンで小さく印を付ける。

 「この足湯ができてからね、膝が悪くても外に出る楽しみができたんだよ。雪の日でも、ここまでなら頑張って歩こうって思えるのさ」

 老婦人の言葉に、笠原が軽く目を見開いた。

 「そういう声、他にも聞く?」

 「はい。アンケートの欄にも、似たようなことがよく書かれています」

 颯馬が答えると、日野が小さく頷いた。

 「資料には、『利用者数』って項目しか書いてなかったからな……」

 「数字だけじゃなくて、言葉も一緒に記録しているんです」

 雪見社に着くころには、東京組の顔つきが少し柔らかくなっていた。雪灯ろうの残り跡が参道の両側に並び、昨夜の「キミと雪見酒」の名残りとして、カウンターの跡がまだ雪の上にうっすら残っている。

 「ここが、昨夜お酒を並べた場所です」

 颯馬が指さすと、渡部が興味深そうに周囲を見回した。

 「ここで飲むのか……。会議室の打ち上げよりよっぽど贅沢ですね」

 「打ち上げじゃなくて、『雪の夜に一杯だけ立ち止まる場所』って感じです」

 瑠奈の言葉に、笠原がふっと笑った。

 「キャッチコピー、うちの部署にも一本分けてほしいくらいだ」

 昼過ぎ、酒蔵に到着すると、龍護がいつもの法被姿で迎えてくれた。

 「東京からの偉い人たち、ようこそ」

 「いやいや、うちはただの資料を作る側でして」

 笠原が慌てて手を振ると、龍護は「じゃあ今日は資料より先に味を知ってもらわないと」と笑った。

 酒蔵の中では、冷たい空気と、麹の甘い香りが混ざり合っている。龍護の説明を聞きながら、笠原たちは真剣な顔でメモを取った。

 「うちがやってるのは、『九つの場所めぐり』の中で一本だけ飲んでもらうお酒です。全部飲まれたら困りますから」

 「それは、歩けなくなるから?」

 「それもありますけど……。一番の理由は、『またあの一杯を飲みに来たい』って思ってもらうためです」

 その言葉を聞いたとき、日野がペンを止めた。

 「『また』、か」

 川沿いの道では、雪を踏みしめる音だけが続いた。空は薄く曇り、遠くの山の稜線がぼんやりと見える。

 「ここ、夏は花火が上がる場所ですよね」

 渡部が、パンフレットの写真を思い出したように川面を覗き込む。

 「はい。花火の日のルートもあります。その日のアンケート、『ここで真っ暗の中で花火待ってた時間が一番好きだった』って書いた人が多くて」

 「花火そのものじゃなくて、待ってる時間?」

 笠原の問いに、颯馬は頷いた。

 「『真っ暗で、知らない人と一緒に空を見上げてた時間』がよかったって。数字にはならないけど、大事な部分だと思っています」

 旧・雪杜小学校では、体育館の薄暗い匂いと、黒板に残るチョークの粉の匂いが混ざっていた。かつてここに通っていたという男性が、「ここで初めて雪かき競争をしたんだ」と笑いながら話してくれる。

 白波岬では、風が容赦なくコートの裾を持ち上げた。東京組は一斉にマフラーを押さえ、鼻の頭を赤くしている。

 「ここまで来る必要、あるか?」

 佐伯が半分本気でぼやくと、龍護が肩をすくめた。

 「ここまで来たからこそ、帰りに足湯がありがたく感じるんだよ」

 最後のりんご園で、温かいりんごジュースを飲みながら、一行は丘の上から町を見下ろした。九つの場所のいくつかが、遠くに小さな光の点として見える。

 「……正直に言うとだな」

 りんごの木の下で、笠原がぽつりと口を開いた。

 「最初は、『歩く距離に対して、見せるものが少ないんじゃないか』って思ってた。効率だけ見れば、車で主要な三か所だけ回るプランも組めたはずだって」

 「はい」

 颯馬は、静かに聞いていた。

 「でも、こうして歩いてみると、途中の足湯で話した一言とか、商店街の角で見た犬とか、そういうもののほうが印象に残ってる」

 「犬……」

 「『犬の通行量』、資料には載せなくていいけどな」

 笠原の冗談に、一同から笑いが漏れた。

 「数字に出ない成果って、こういうことかもしれないな」

 少し間を置いて、笠原が続けた。

 「観光客の数も大事だけど、『ここを歩いて良かった』って誰かが思った瞬間は、グラフにはならない。でも、それが積み重なったら、きっと町の太さになる」

 「……はい」

 颯馬は、ポケットの中でそっと手を握った。

 「だから、ここを続けたいんです」

 自分でも不思議なくらい、静かな声が出た。りんごの枝に積もった雪が、風に揺れて小さく落ちる。その音だけが、しばらくのあいだ会話の代わりになった。

 「東京に戻ったら、報告書を書く。タイトル、どうしようかな」

 日野が、ため息混じりに笑う。

 「『地域周遊型観光資源活用モデル』は、もう古いですよ」

 「だろうなあ。……『九つの場所で拾った好きな瞬間たち』とか?」

 「長いです」

 渡部が即座にツッコミを入れ、周りに笑いが広がる。

 「でも、そのニュアンスは伝えたいですね」

 瑠奈が、手帳を閉じながら言った。

 「『一見非効率だけど、歩かなきゃ拾えないものがここにはある』って」

 「よし、それ書く」

 笠原がそう宣言したとき、りんご園の空は少しだけ明るくなった。雲の切れ間から差し込んだ光が、遠くの雪原に細い線を描く。

 「また来るよ。次は、うちの部署だけじゃなくて、家族も連れて」

 その言葉に、颯馬は深く頭を下げた。

 「お待ちしています。次は、今日とはまた違う九つの場所を歩いてもらえるようにしておきます」

 返事をしながら、颯馬は雪の上に残る足跡を見下ろした。東京から来た四人分の足跡が、九つの場所をゆっくりとつないでいる。その線は、これまでとは少し違う太さで、雪杜の地図の上に刻まれていた。

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