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第39話 春への準備と市の判断
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年が明けて、雪杜の町にも少しだけ日が長くなった気配が漂い始めた頃。市役所の会議室では、九つの場所めぐりの一年を振り返る会議が開かれていた。
「では、資料三ページをご覧ください」
前方のスクリーンに、グラフが映し出される。棒グラフの色は、雪杜にしては珍しく鮮やかだ。樹佳が、レーザーポインターを握りしめながら説明を続ける。
「年間の参加者数は、目標としていた三千人に対して、三千百二十八人でした」
「おお」
会議室のあちこちから、小さな感嘆の声が漏れた。
「ギリギリ、ですね」
部長がそう言いながらも、口元にはかすかな笑みが浮かんでいる。
「はい。数字だけ見ると、『ぎりぎり』です」
樹佳は、深呼吸を一つしてから、ページをめくった。
「ただし、数字以外のものも、今日は一緒に見ていただきたいと思っています」
スクリーンに映ったのは、グラフではなく、一枚の写真だった。
足湯のベンチで、雪の降る中、湯気の向こうに雪見社を眺めている人たちの後ろ姿。
「これは?」
「十二月の初雪の日に撮影された写真です。『九つの場所の冬支度』が終わった直後の様子です」
樹佳は、テーブルの上に置かれた封筒の束に手を伸ばした。
「そして、こちらが……」
封筒から取り出されたのは、色とりどりの封書だった。差出人の欄には、県内外のさまざまな町の名前が並んでいる。
「九つの場所を歩いた方々から届いた手紙です」
「こんなに来てたのか」
部長が、思わず声を上げた。
「はい。本当はすべてをコピーしてお配りしたかったのですが、枚数が多すぎて……今日はその一部だけを」
樹佳は、何通かの手紙を選んで読み上げ始めた。
「『雪見社の階段を、休みながらでも登りきれたことが、今年いちばんの思い出になりました』」
「『足湯で隣に座った方と、何気ない会話をしただけなのに、その帰り道がとてもあたたかく感じました』」
「『九つの場所という名前を見て、なんとなく立ち寄っただけの旅でしたが、気付いたら「今度は誰かを連れて歩きたい」と思っていました』」
会議室の空気が、少しずつ変わっていくのがわかった。
*
「数字も大事です」
樹佳は、あえてそう口にした。
「予算を付ける以上、目標は必要ですし、達成できたかどうかも確認しなくてはいけません」
スクリーンには、再びグラフが映る。
「でも、九つの場所めぐりを続けるかどうかを考えるときに、数字だけを見て判断するのは、この町らしくないと思うんです」
そう言って、彼女は机の上に、あるものをそっと置いた。
それは、旧・雪杜小学校の掲示板に貼られていた子どもたちの絵のコピーだった。足湯から湯気が立つ絵、雪見社の階段に雪が積もる絵、川沿いの雪灯ろうが並ぶ絵。
「この絵は、近所の小学生たちが、『九つの場所の好きなところ』を描いてくれたものです」
コピーの隅には、ぎこちない字でこう書かれている。
『このまちがすきです』
「この一文を見たときに、私は、『数字に表れない達成』もあるのではないかと思いました」
樹佳は、部長のほうをまっすぐ見た。
「来年度も、九つの場所めぐりを続けるかどうか。その判断をするときに、数字と一緒に、この『好き』も見てほしいんです」
会議室に、短い沈黙が落ちた。
*
「……ずるいな」
沈黙を破ったのは、部長のため息混じりの一言だった。
「ずるい?」
「数字だけ出されてたら、『ぎりぎりだな、様子を見よう』って言えたかもしれない」
部長は、封筒の束の一番上にあった手紙を手に取った。
「でも、こんなもの見せられたらな」
手紙の差出人は、「東京の会社員より」となっている。
『雪杜の町は、派手な観光名所があるわけではないかもしれません。
でも、「誰かが好きと言ってくれた場所」を、きちんと案内してくれる町でした。
来年、仕事で疲れた同僚を一人連れていこうと思っています。
そのときも、九つの場所がそこにありますように。』
読み終えた部長は、苦笑いを浮かべながら手紙をテーブルに置いた。
「これを見てしまったら、やめる理由を探すほうが難しいな」
会議室に、安堵混じりの笑いが広がる。
「来年度も、九つの場所めぐりの支援を続けましょう」
部長はそう言って、資料の最後のページをめくった。
「ただし」
その言葉に、少しだけ緊張が戻る。
「今年と同じことを繰り返すだけではなくて、もう一歩だけ、町の中の『好き』を拾いにいく仕組みを考えてほしい」
「もう一歩、ですか」
「そうだ。数字にも、手紙にも、絵にもまだ載っていない『好き』が、この町にはたくさん眠っているはずだ」
部長は、窓の外の雪景色に目を向けた。
「それをどうやってすくい上げるか。そこに、来年の工夫があると思う」
*
会議が終わり、会議室から人が出ていく。
「……やりましたね」
廊下に出たところで、瑠奈が小さくガッツポーズをした。
「はい」
樹佳は、ようやく肩の力を抜いた。
「手紙、全部持ってきてよかったです」
「グラフより効き目ありましたね」
颯馬が笑う。
「怒られませんかね、『ずるい』って」
「怒られてもいいです」
樹佳は、コピーの束を抱きしめるように持ち直した。
「数字だけじゃなくて、『好きです』って書いてくれた人がいることを、ちゃんと会議の場にも連れて行きたかったので」
その言葉に、瑠奈が「かっこいい」と小さな声でつぶやく。
「ところで、部長の『もう一歩』ってやつ、どうします?」
龍護が、エレベーターの前で腕を組んだ。
「今年は、九つの場所の内側を歩いてきたけど……」
「来年は、輪っかの外側にも、もう少し足を伸ばしてみるのもいいかもしれませんね」
颯馬が言うと、みんなが顔を見合わせた。
「りんご園も、カフェ・ノアールも、すでに『外側の好き』として育ってきてますし」
「九つの場所の地図、丸の外に点を増やしていく感じですか」
瑠奈の言葉に、樹佳が頷く。
「来年度の資料に、そのイメージも入れておきます」
「また部長に『ずるい』って言われますよ」
亜矢菜が笑う。
「それならそれで」
颯馬は、窓の外に目を向けた。
「『ずるいくらい、この町を好きになってもらう』ってことで、いいんじゃないですか」
*
その夜、案内所の片隅では、手紙と子どもたちの絵が一枚ずつファイルに綴じられていた。
「何ファイルにしましょうか」
瑠奈が尋ねると、樹佳は少し考えてから答えた。
「『九つの場所の好きファイル』……は、長いですね」
「『声になった好き』とかどうですか」
「いいですね」
表紙には、手書きで『声になった好き』と書かれた。
「ここに綴じきれなかった分は、また別の形で残していきましょう」
樹佳は、そっとファイルの背表紙を撫でた。
「来年の春、このファイルがどれだけ分厚くなっているか、楽しみですね」
「では、資料三ページをご覧ください」
前方のスクリーンに、グラフが映し出される。棒グラフの色は、雪杜にしては珍しく鮮やかだ。樹佳が、レーザーポインターを握りしめながら説明を続ける。
「年間の参加者数は、目標としていた三千人に対して、三千百二十八人でした」
「おお」
会議室のあちこちから、小さな感嘆の声が漏れた。
「ギリギリ、ですね」
部長がそう言いながらも、口元にはかすかな笑みが浮かんでいる。
「はい。数字だけ見ると、『ぎりぎり』です」
樹佳は、深呼吸を一つしてから、ページをめくった。
「ただし、数字以外のものも、今日は一緒に見ていただきたいと思っています」
スクリーンに映ったのは、グラフではなく、一枚の写真だった。
足湯のベンチで、雪の降る中、湯気の向こうに雪見社を眺めている人たちの後ろ姿。
「これは?」
「十二月の初雪の日に撮影された写真です。『九つの場所の冬支度』が終わった直後の様子です」
樹佳は、テーブルの上に置かれた封筒の束に手を伸ばした。
「そして、こちらが……」
封筒から取り出されたのは、色とりどりの封書だった。差出人の欄には、県内外のさまざまな町の名前が並んでいる。
「九つの場所を歩いた方々から届いた手紙です」
「こんなに来てたのか」
部長が、思わず声を上げた。
「はい。本当はすべてをコピーしてお配りしたかったのですが、枚数が多すぎて……今日はその一部だけを」
樹佳は、何通かの手紙を選んで読み上げ始めた。
「『雪見社の階段を、休みながらでも登りきれたことが、今年いちばんの思い出になりました』」
「『足湯で隣に座った方と、何気ない会話をしただけなのに、その帰り道がとてもあたたかく感じました』」
「『九つの場所という名前を見て、なんとなく立ち寄っただけの旅でしたが、気付いたら「今度は誰かを連れて歩きたい」と思っていました』」
会議室の空気が、少しずつ変わっていくのがわかった。
*
「数字も大事です」
樹佳は、あえてそう口にした。
「予算を付ける以上、目標は必要ですし、達成できたかどうかも確認しなくてはいけません」
スクリーンには、再びグラフが映る。
「でも、九つの場所めぐりを続けるかどうかを考えるときに、数字だけを見て判断するのは、この町らしくないと思うんです」
そう言って、彼女は机の上に、あるものをそっと置いた。
それは、旧・雪杜小学校の掲示板に貼られていた子どもたちの絵のコピーだった。足湯から湯気が立つ絵、雪見社の階段に雪が積もる絵、川沿いの雪灯ろうが並ぶ絵。
「この絵は、近所の小学生たちが、『九つの場所の好きなところ』を描いてくれたものです」
コピーの隅には、ぎこちない字でこう書かれている。
『このまちがすきです』
「この一文を見たときに、私は、『数字に表れない達成』もあるのではないかと思いました」
樹佳は、部長のほうをまっすぐ見た。
「来年度も、九つの場所めぐりを続けるかどうか。その判断をするときに、数字と一緒に、この『好き』も見てほしいんです」
会議室に、短い沈黙が落ちた。
*
「……ずるいな」
沈黙を破ったのは、部長のため息混じりの一言だった。
「ずるい?」
「数字だけ出されてたら、『ぎりぎりだな、様子を見よう』って言えたかもしれない」
部長は、封筒の束の一番上にあった手紙を手に取った。
「でも、こんなもの見せられたらな」
手紙の差出人は、「東京の会社員より」となっている。
『雪杜の町は、派手な観光名所があるわけではないかもしれません。
でも、「誰かが好きと言ってくれた場所」を、きちんと案内してくれる町でした。
来年、仕事で疲れた同僚を一人連れていこうと思っています。
そのときも、九つの場所がそこにありますように。』
読み終えた部長は、苦笑いを浮かべながら手紙をテーブルに置いた。
「これを見てしまったら、やめる理由を探すほうが難しいな」
会議室に、安堵混じりの笑いが広がる。
「来年度も、九つの場所めぐりの支援を続けましょう」
部長はそう言って、資料の最後のページをめくった。
「ただし」
その言葉に、少しだけ緊張が戻る。
「今年と同じことを繰り返すだけではなくて、もう一歩だけ、町の中の『好き』を拾いにいく仕組みを考えてほしい」
「もう一歩、ですか」
「そうだ。数字にも、手紙にも、絵にもまだ載っていない『好き』が、この町にはたくさん眠っているはずだ」
部長は、窓の外の雪景色に目を向けた。
「それをどうやってすくい上げるか。そこに、来年の工夫があると思う」
*
会議が終わり、会議室から人が出ていく。
「……やりましたね」
廊下に出たところで、瑠奈が小さくガッツポーズをした。
「はい」
樹佳は、ようやく肩の力を抜いた。
「手紙、全部持ってきてよかったです」
「グラフより効き目ありましたね」
颯馬が笑う。
「怒られませんかね、『ずるい』って」
「怒られてもいいです」
樹佳は、コピーの束を抱きしめるように持ち直した。
「数字だけじゃなくて、『好きです』って書いてくれた人がいることを、ちゃんと会議の場にも連れて行きたかったので」
その言葉に、瑠奈が「かっこいい」と小さな声でつぶやく。
「ところで、部長の『もう一歩』ってやつ、どうします?」
龍護が、エレベーターの前で腕を組んだ。
「今年は、九つの場所の内側を歩いてきたけど……」
「来年は、輪っかの外側にも、もう少し足を伸ばしてみるのもいいかもしれませんね」
颯馬が言うと、みんなが顔を見合わせた。
「りんご園も、カフェ・ノアールも、すでに『外側の好き』として育ってきてますし」
「九つの場所の地図、丸の外に点を増やしていく感じですか」
瑠奈の言葉に、樹佳が頷く。
「来年度の資料に、そのイメージも入れておきます」
「また部長に『ずるい』って言われますよ」
亜矢菜が笑う。
「それならそれで」
颯馬は、窓の外に目を向けた。
「『ずるいくらい、この町を好きになってもらう』ってことで、いいんじゃないですか」
*
その夜、案内所の片隅では、手紙と子どもたちの絵が一枚ずつファイルに綴じられていた。
「何ファイルにしましょうか」
瑠奈が尋ねると、樹佳は少し考えてから答えた。
「『九つの場所の好きファイル』……は、長いですね」
「『声になった好き』とかどうですか」
「いいですね」
表紙には、手書きで『声になった好き』と書かれた。
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