大都市RPG 〜失われた輝きを取り戻せ〜

乾為天女

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第二章:旭川市 〜氷壁の門、流転の珠〜

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 石狩川のほとりに、静かに雪が降り積もっていた。白銀の世界が一面に広がり、街の喧騒は雪の毛布に包まれてかき消されている。その静けさを破ったのは、突然の轟音だった。河川敷の堤防を越えて水が噴き上がり、凍りついた地面に広がる。まるで何かがこの地を目覚めさせたかのように——氾濫。それは静寂の中の叫びだった。
「また……氾濫か。おかしい、今年は雪解けもまだなのに……」
 祐太は眉をひそめ、岸辺に立っていた。冷たい風にコートの裾が翻る中、彼の視線は氷の割れ目の先、川の中心に何かが佇んでいるのを捉えていた。水面に浮かぶ黒い影。それはまるで扉のように見えた。四角く、重く、異様な存在感を放っていた。
「春香……見えるか?あれだ、氷壁の門ってのは……」
「うん……まるで、水の中に異世界がぽっかりと開いてるみたい」
 春香は言葉を選ばず、率直にそう言った。彼女の瞳には不安と好奇心が同時に宿っていたが、その足取りは確かだった。周囲を漂う緊張感にも臆せず、まっすぐに影を見つめていた。
「また開いたってことは、今度は完全に……」祐太の声に、背後から別の声が重なった。
「“水鏡の秘薬”を使うしかないな」
 賢太はそう言いながら、手に古びた巻物を持っていた。男山酒造資料館で見つけたというその記録には、石狩川のカムイを鎮めるための方法が記されているという。
「材料は三つだ。りんごの精からもらえる“涙の果実”、層雲峡の断崖に眠る“流転の珠”、そして……“よつ葉バターの祝福”」
「バターって……お菓子作るわけじゃないよね?」春香が首をかしげると、賢太は真面目な顔でうなずいた。
「冗談抜きでな、霊力を持つバターがある。妖精しか作れないって話だけど……それがこの地に存在してる」
 早苗が、巻物を覗き込みながらぽつりと言った。
「で、私たちはどうするの?いきなりこんな雪の中、断崖まで行けって?」
「行けるさ。俺たちなら」祐太がきっぱりと言った。「この街を守るって決めたんだ。だから、どこへでも行く。……例え、あの氷壁の中だって」
 彼の言葉は、冷えた空気を震わせた。真剣で、曇りのない声。それが、春香や仲間たちの胸の奥で小さく灯をともすように響いた。
 遠く、旭山動物園のほうから、獣たちの声が上がった。まるで何かを警告するように。誰かが門を開いたのだ。それが人か、それとも異なる存在かは、まだわからない。
 祐太は懐から小さな御守りを取り出した。それは神居古潭神社で手に入れたもので、水のカムイ・カムイトゥアンペの象徴とされる。
「カムイが目覚めようとしている。……俺たちの行動が、試されてる」
「だったら、その試練、乗り越えてみせる」春香が息を吐き、足元の雪を踏みしめた。
「よっしゃ。んじゃまず、層雲峡へ向かうべ!」賢太が元気よく言うと、早苗もそれに続いた。
「水の精が怒ってるなら、こっちも怒って返すだけ……って言っても、本当はちょっとビビってるけどね」
 そう言って笑った彼女の声は、雪原に柔らかな輪を描いた。
 四人は歩き出した。石狩川を背に、断崖へ向けて。流れる川の音は次第に遠ざかり、やがて静寂の森の中に包まれていく。彼らの冒険は、今まさに始まったばかりだった。



 朝日が雪原を黄金に染めていく。旭川駅から北へ車で揺られること約一時間、車窓に映る風景は徐々に民家を減らし、白い樹氷と崖の影が入り混じる世界に変わっていた。前方に層雲峡が見えてくる。断崖が続くその谷は、冬のあいだ常に雪と氷に閉ざされ、訪れる人も少ない。だが、そこに“流転の珠”が眠ると伝えられていた。
 祐太は運転席に座り、冷静にハンドルを握っていた。外気温はマイナス十度を下回っている。フロントガラス越しに、白い息が広がるのが見えた。
「ほんとにこんなとこにあるのかな、珠なんて」春香が助手席でぼやく。
「あるよ。理由もなくこんな場所に来るわけないでしょ」賢太が後部座席から顔を出した。「石狩川舟唄の中に、断崖に眠る涙の石の詩句があるって、ちゃんと書かれてたじゃん。ほら、“流れの果てに珠ひとつ、岩の胸にて泣き眠る”ってさ」
「うまい詩だね、って思う前に寒くて頭が回らないんだけど……」早苗は毛布にくるまりながらも、スマホに保存した地図を眺めていた。「このへん。あたしら、もうすぐ『男山の胸』って呼ばれてる岩場に着く。多分そこ」
「まじで、詩が地図になってるって面白すぎるわ……」春香が息を吐いた。「けど、あたしこういうの好きだな。なんか“宝探し”って感じで」
「子供の頃、家の庭でりんごの木の下掘ってたの思い出すな。お宝あるって思ってさ」賢太が笑い、空気がわずかに和らぐ。
 車はやがて、細い山道の終点に差し掛かった。周囲は雪に覆われた森で、すでに道路の舗装は見えない。祐太は慎重に車を停め、エンジンを切った。あたりに広がる静寂。風の音すらない。ただ、雪の中に小さく沈む空気の音——それが、異世界とつながる“門”の存在を感じさせた。
「行こう」祐太の一言に、三人は頷き、ザックを背負って雪中へと足を踏み入れた。
 踏みしめるたび、雪がぎゅっ、ぎゅっと鳴いた。空気は透き通り、木の枝から落ちる雪の粒が、まるで時間を切り取ったかのように遅く舞っていた。斜面を登るにつれ、目指す岩場が見えてくる。巨大な岩壁が、層のように重なり合い、まるで胸元を押し当てられているかのように静かな圧を放っていた。
「……これが、“男山の胸”」春香が見上げてつぶやいた。「ほんとに誰かが泣いてるみたい……岩の中で」
「じゃ、探すよ。流転の珠」賢太がピッケルを抜き、慎重に氷の層を削り始める。
 時間が流れる。彼らは無言で崖の下や裂け目を探した。凍結した湧水の中、小さな洞窟の奥、氷の裏側。だが、珠らしきものは見つからなかった。
「……おかしいな。詩のとおりなら、このあたりのはずなんだけど……」賢太が額の汗を拭う。
「歌の中に隠されてるものって、言葉じゃなくて“気持ち”のこともあると思う」春香がふと立ち止まり、手袋を外した。「ねえ、この岩……冷たいけど、触ってみて」
 彼女の言葉に、祐太もゆっくり手を伸ばした。岩肌に直接触れた瞬間、奇妙な温度を感じた。冷たいのに、なぜかその奥に柔らかい“動き”がある。
「……流れてる」祐太が呟いた。「これ、動いてる。いや……泣いてる?」
 その瞬間、岩壁にあった亀裂がわずかに開いた。そこから、一筋の水が滴り落ちる。その雫は凍らず、淡い緑色を帯びていた。
「これが……!」春香が震える声で指を差す。
 祐太が慎重に、氷に守られたその水の塊をすくい上げた。それは丸く、透明で、中心に緩やかな渦が巻いていた。まるで、世界中の涙を集めて固めたような……流転の珠だった。
「……泣き眠る、ってそういうことだったんだな」賢太がぽつりと漏らした。
「でも、これって……悲しみの象徴?それとも……希望?」早苗の問いに、祐太は答えず、珠をそっと懐に入れた。
「たぶん、それを決めるのはこれからだ」
 山を下る途中、空が曇り始めた。遠くで雷鳴が響く。それは水のカムイ・カムイトゥアンペの目覚めを告げる合図だった。
 祐太たちは雪を蹴って駆け下りる。秘薬の完成に必要な残りの材料は、りんごの涙と、よつ葉バターの祝福。彼らの冒険は、なお深く、雪の奥へと続いていく。



 雪の中を駆け下りる四人の足音は、まるで雪原の静けさに楔を打ち込むように響いていた。層雲峡で“流転の珠”を手に入れた彼らは、次に必要な素材——“よつ葉バターの祝福”を求め、南西に広がるりんご畑を目指していた。その畑は、風が吹き抜ける丘の斜面に位置し、冬の間は一面真っ白な雪に覆われている。だがその奥深くには、かつて春の妖精が住んでいたという伝承が残されていた。
「……りんごの木って、冬もこんなに立ってるんだね。葉っぱも実もないのに、なんか生きてる気がする」
 春香が息を吐きながら、幹の一本を撫でた。指先が霜に触れ、ほんのわずかにしびれた。
「この木の根元に、精霊の通い道があるって聞いたことある。子どものころ、ばあちゃんが言ってた。“冬の間も、木は眠らん。妖精とお喋りしとる”って」
 早苗の言葉に、雪を踏みしめて進む賢太がうなずいた。「だからこの辺には、りんごじゃなくて“涙の果実”がなるって話、あるんだ。木が過去の記憶を吸って、果実にする。悲しいことも嬉しいことも、そのまま詰まった実になるってさ」
「りんごっていうより……記憶そのものか」祐太がつぶやいた。「その中に、精霊の涙が宿ってるってことかもな」
 四人は畑の奥へ進んだ。木々の並びが次第に変わっていく。等間隔に整備された果樹園の整然とした空気が、いつしか古い森のような静けさに変わっていた。風が止み、雪が降る音さえも聞こえなくなる。
「……このへん、空気が違う」春香がぽつりと言った。
 その瞬間、足元の雪が静かに揺れた。風でも振動でもない。まるで誰かが、地面の下から呼びかけているような柔らかな震え。
「こっちか……」祐太が小さく頷き、一本の古木に手を当てた。
 その幹はねじれ、樹皮には苔が薄く張り付き、どこか獣の骨格のような不思議な形状をしていた。だが、その根元にある雪だけが、わずかに温かい。
「火でも焚いた跡か?」賢太がしゃがみこみ、手で雪を払いのけた。
 そして——そこにあったのは、小さな赤い実だった。熟したりんごのようでありながら、表面は半透明で、中心に星のような模様が浮かんでいた。
「これが……“涙の果実”?」
 手に取った瞬間、冷たい光が祐太たちを包んだ。辺りの空間がゆらぎ、光の粒が空中に浮かび上がる。
 そして——現れた。
 それは身の丈三十センチほどの、小さな精霊だった。肌は雪のように白く、髪はりんごの花のように淡い紅を帯び、瞳は春の芽吹きを思わせる緑色。声は響くことなく、直接心に届いた。
『あなたたちは、珠を見つけた者たち……次に必要なのは、私たちの祝福……“よつ葉の息吹”』
「あなたが……妖精……?」
 春香が目を見開き、声にならない言葉を漏らした。祐太もそっと口を開く。「俺たちは旭川を守りたい。あの川の扉を閉じるために、“水鏡の秘薬”を作ってる。そのために……あなたの力が必要なんだ」
 しばし沈黙のあと、精霊はりんごの木に手をかざした。すると、枝の先に四葉のクローバーのような形をした乳白色の塊がぽんと生まれた。
『これは、“よつ葉バターの祝福”。雪の精が春に変わる時、その境界にしか生まれぬもの。あなたたちに託す』
 バターは不思議な香りを放っていた。濃厚なのに、すっと消えるような香気。祐太はそれを受け取ると、深く頭を下げた。
「ありがとう。必ず、街を守る」
『気をつけて……水のカムイは、まだ目覚めたばかり。怒りと涙の間で揺れている……』
 光が消える。雪が再び音もなく舞い落ちる。静寂が戻ったが、そこには確かなぬくもりが残っていた。
 春香が小さな声で呟いた。「……誰かが見ててくれるって思えると、ちょっとだけ、強くなれる気がするね」
「そうだな。でもそれって、自分の心に誰かを信じる場所があるってことかもな」祐太が答えると、三人は静かにうなずいた。
 四人は再び石狩川へと戻るべく、雪の丘を下り始めた。すべての素材は揃った——“流転の珠”、“涙の果実”、そして“よつ葉バターの祝福”。
 あとは、それを正しく調合し、“水鏡の秘薬”を完成させるのみ。
 だが、彼らの帰路を待ち受けていたのは、凍てついた河川敷と、“氷壁の門”の完全なる開眼だった。



 風が変わった。りんご畑を後にし、祐太たちは再び石狩川のほとりへと戻っていた。だが、そこに広がっていたのは、数時間前と同じ景色ではなかった。川面は完全に凍りつき、まるで鏡のような硬質な光を放っていた。その中心——動物園の奥に口を開けていた“氷壁の門”は、さらに膨張し、空間をゆがませるようにして音もなく渦巻いていた。
「これは……完全に開いてる……」
 春香の声は震えていた。彼女はしっかりと立っていたが、全身からじわじわと冷気が染み入ってくるような不安を感じていた。
「中の気圧が違う。空気が……吸い込まれてる」賢太が立ち止まり、ポケットから携帯式の圧センサーを取り出した。「人間が長くいられる場所じゃない。けど、やるしかないんだよな」
 祐太は手にした“よつ葉バターの祝福”と“流転の珠”、そして“涙の果実”を見つめた。それぞれがかすかに輝きを放っていた。暖かくもあり、儚くもある光。それはまるで、人の心のようだった。
「調合は、この場でやる。門の前じゃないと意味がない。カムイに直接届けなきゃ、効果がないんだ」
「……ほんとに効くと思う?」早苗がぽつりとつぶやいた。「あたしね、怖いよ。うまくいかなかったら、全部飲み込まれるかもしれないんでしょ、この町が」
「思ったこと言うのはお前のいいとこだ」祐太が微笑んだ。「でもな、俺はうまくいくって思ってる。それが、今の俺にできる唯一の選択だから」
 彼は雪の上に膝をつき、静かに息を吐く。手の中で珠を割り、“涙の果実”のエキスを混ぜる。よつ葉バターは最後に溶かし、すべてをひとつの小瓶に集めると、まるで川の流れのように透明な液体ができあがった。
「これが……“水鏡の秘薬”」春香が小さくつぶやくと、門の中から低く呻くような音が響いた。
 その瞬間だった。
 門の奥から、水の気配をまとった巨大な影が、川を伝って浮かび上がってきた。水のカムイ——カムイトゥアンペ。
 その姿は、巨大な蛇にも、龍にも、あるいは川そのものの意志にも見えた。だが祐太は怯まず、真っ直ぐにその目を見返した。凍てつく眼差し。氷壁のような無機質な冷たさ。しかし、その奥には……涙があった。
「あなたは、怒っているわけじゃない」春香が前へ出た。「悲しいだけなんだ。ずっと、ずっと、忘れられて……」
「だから、俺たちはそれを忘れないために来た」祐太が秘薬の瓶を掲げる。「これには、俺たちの街の声が入ってる。りんごの木も、断崖の涙も、雪の中の妖精の想いも、全部だ」
 カムイの身体がゆっくりと動く。門の前に立つ四人の周囲の空気が一層冷たくなり、雪が止まった。
「受け取ってくれ——」
 祐太が瓶を掲げ、門の中心へと注ぐ。液体はしずくとなって氷に触れ、瞬く間に光を放ちながら拡散した。門が軋むような音を立て、ゆっくりと閉じていく。
「……閉まっていく……!」賢太が叫んだ。
 その光景を見届けながら、春香の目に涙が浮かぶ。「やっと……やっと、戻ってきた。あの、穏やかな川の音が……」
 門が完全に閉じると、空にあったゆがみも消えた。静かに、雪がまた降り始める。まるで何事もなかったかのように。
 カムイは最後に、四人に視線を向けた。無言のまま、巨大な身体が水へと沈み、川底へと消えていく。やがて、完全に姿を消した。
 残されたのは、きらめく雪の中、小さな青い石だった。
「これ……」早苗が拾い上げる。「あったかい……」
「旭川市の輝、だ」祐太が静かに言った。「カムイが残してくれた、街への贈り物だ」
「持ってこう。これが、次に繋がる灯になるんだと思う」
 四人は青い石を囲んで、ゆっくりと手を重ねた。
 雪が降る音だけが、世界を包んでいた。その中に——希望だけが、確かに残っていた。
(終)
【アイテム:旭川市の輝】入手
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