大都市RPG 〜失われた輝きを取り戻せ〜

乾為天女

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第八章「苫小牧市 〜渡り鳥の哀歌と旅立ちの羽根〜」

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 苫小牧の港町に夜の帳が降り始める頃、優也はゆっくりとフェリーターミナルの前に立っていた。海の向こうから静かに波音が届き、かすかに揺れる灯りが岸壁を淡く照らしていた。どこか張り詰めた空気が街を覆っている。ウトナイ湖に春の渡り鳥が姿を見せぬという知らせが届いてから、この町では「何か」が確実に失われつつあった。
「……旅立ちの羽根が、消えた……か」
 呟きながら、優也は自分の指先にふと視線を落とした。かつて湖の中央に浮かんでいた神聖な羽根は、ただの装飾などではなかった。それはツルカムイ――再生と旅立ちの神――の存在を町に繋ぎ止める象徴だった。渡り鳥が来なくなっただけではない。港の灯りもまばらで、夜の漁に出る船はほとんどなく、ホッキ貝の網も空に近かった。
「優也!」
 背後から聞き慣れた声が響いた。振り返ると、雅大が駆けてきた。ノーザンホースパークから戻ったばかりの姿で、肩には汗のにじむリュックを担いでいる。
「こっちも同じだ。馬たちの様子も落ち着かねぇし、南薮林のあたりは、湿地が異常に膨れてた。まるで、なにか、沈んでるみたいだった」
 優也は黙って頷いた。雅大の言葉には、誇張も曖昧さもなかった。互いに言葉を選ばず、率直に伝え合う。それが二人の絆だった。
「じゃあ、湖畔に行こう。あの湿地の奥……旅立ちの羽根の欠片でも、何か見つかるかもしれない」
 そう言って歩き出すと、海から冷たい風が吹いた。港の屋台街からホッキの炉端焼きの匂いがかすかに流れてきた。いつもなら心をほぐす香りも、今はどこか頼りなげだ。
 ウトナイ湖への道中、車窓に映るリフレクションは暗く霞んでいた。雅大はぼそっと、「鳥の影、見えねぇな」と呟いた。車を降りて歩いた湿地の道には、かすかに渡り鳥の羽が残っていたが、羽音ひとつ響かない。春の湖とは思えない、静謐というより「空白」とも呼べる沈黙が広がっていた。
 二人は古びた木道を踏みしめながら、南へと進んだ。泥に足を取られつつ、ようやく森の切れ間が見えた時、低くうなるような風の音が森の奥から響いた。そこに、かおりと伊織の姿があった。
「遅かったね」
 かおりは相変わらず飽きたような口調で言ったが、目は鋭く湖の奥を見据えていた。その傍らで伊織は、スマートに野鳥図鑑を閉じた。
「樽前山噴火記念館で、ひとつ気になる話を聞いた。“ウトナイ哀歌”に、まだ語られてない節があるって」
「“翼を還す節”だ」
 伊織が答えた。
「精霊を呼び戻すために必要な歌詞なんだけど、誰も最後の一句を知らない。記念館の館長が言うには、八幡宮に代々伝わってる巫女だけが知っていたとか」
 優也は視線を湖に向けた。日が暮れ始め、空と水面が鈍い色に染まっていく。神聖な旅立ちの羽根が戻らなければ、町も、湖も、再生のときを迎えられない。それを感じ取った彼らの間に、沈黙が落ちた。
「行こう。樽前山を越えて、八幡宮へ」
 その言葉に、誰も異論を挟まなかった。車を走らせるうち、彼らの胸には一つの決意が芽生えていた。終わらせるのではなく、取り戻す。港町の鼓動を、光を、そして――空を翔ける鳥たちの未来を。

 車は厚真川沿いを進み、やがて南斜面へと入った。溶岩が長年をかけて削られた岩肌は黒く、そこに張りつくように伸びた木々は、風に揺れるたび葉の裏を見せていた。樽前山噴火記念館までは、もうすぐだった。
「しかし……あの歌、そんな秘密があったなんてね」
 伊織が助手席で資料をめくりながら口にした。
「“ウトナイ哀歌”はもともと渡り鳥を迎える祈りの歌でしょ? でも“翼を還す節”ってのは、逆に……帰す、ってことなのかな」
「それ、俺も気になってた。“還す”ってのは、“取り戻す”とは違う意味だよな」
 雅大が真顔で言った。
「つまり――精霊が一度去った後、もう一度こちらから“返してあげる”ことで、旅立ちが完了する、みたいな」
「なんでそんな複雑な構造になってんだよ……」
 呟くように笑う雅大の言葉に、優也は応えず、ただ前を見据えてハンドルを握っていた。
 記念館の入り口には、老いた館長が待っていた。彼の名は望月。戦後すぐから苫小牧の歴史に関わってきた人物で、かおりの祖父の代から家付き合いがあるという。
「……来ると思っていたよ」
 そう言って彼は彼らを迎え入れた。中は薄暗く、展示物の間を縫うようにして湿った冷気が漂っていた。火山灰の瓶、過去の噴火で焼け焦げた鳥の羽、そして壁には、巨大な渡り鳥の姿が描かれていた。
「この“哀歌”はな、本来“還す唄”だった。人間の土地に宿った鳥たちの記憶を、もう一度大空へ返すための旋律だったんだ」
 望月は古い蓄音機を手で撫でながら語った。
「最後の一句、“祠へ風を 連れ翔けよ”――それが正式な締めくくりだった。けれど、なぜかこの一句だけが世に出るたびに削られてきた。誰もそれに意味を持たせたくなかったのかもしれない。……精霊を、返したくなかったからな」
「でも、その“翔けよ”ってのが、ツルカムイに向けての“送り”ってことなら……今、必要なのは“止めること”じゃなくて、“見送ること”なんじゃない?」
 かおりの声は静かだった。
「渡り鳥が来ないのは、こっちが“帰れ”って言ってないからだ。いてほしいと思ってるだけで、“還して”あげられてない。……それじゃ、どこにも帰れない」
 館長は頷き、背後の資料棚から古い祈祷紙を差し出した。
「八幡宮に行きなさい。鳥居を抜けて、社殿の前で“翼を還す節”を唄うんだ。すると、湖面に風が立つ。……そう昔の巫女が記録していた」
「その時、ツルカムイは戻ってくるんですか?」
 伊織の問いに、望月は曖昧に首を振った。
「“戻る”のではない。“受け取る”のさ。君たちの想いを。唄に込めた願いを。……そうして、旅立つんだよ」
 優也は小さく深呼吸をし、古文書を受け取った。
「行こう。俺たちで、風を呼び戻そう」
 記念館を出た時、空はうっすらと晴れていた。だが風は、まだ吹かない。フェリーの汽笛も、鳥の羽音も、戻ってはいなかった。
 八幡宮への道の途中、ウトナイ湖が見えた。
 優也はハンドルを握りながら言った。
「もし、“帰す”ってのが、俺たちにとっての“旅立ち”だとしたら、俺はそれでも構わないと思ってる。“今ここにいてほしい”っていう気持ちを、飲み込んででも……それが、誰かの再生に繋がるなら」
「潔すぎるな。だけど……わかるよ。俺も似たようなこと、思った」
 雅大が助手席で頷いた。
「誰かが立ち止まって見送らなきゃ、風は“向かい風”にしかならないからな」
 鳥居が見えた。苫小牧八幡宮は、苔むした石段の先、静かに佇んでいた。
 木々の間を抜けると、確かにそこには、古く優しい“空の香り”があった。
 優也は拳を握った。
「……さあ、次は俺たちが唄う番だ」

 苫小牧八幡宮の参道は、薄く苔むした石段が静かに連なっていた。春とはいえ、陽の光はまだ低く、枝々の合間から地面に落ちる光は斑模様で、まるで鳥の羽ばたきを思わせた。優也たちは無言で石段を登っていく。彼らの呼吸と足音だけが森に響き、冷えた空気を少しずつ暖めていくようだった。
 境内に入ると、そこには確かに“気配”があった。誰もいないはずの社殿から、ほのかに漂う古い木の香りと、わずかに湿った風。鳥居をくぐった瞬間、時間の流れがゆっくりと後ろに戻り始めるような、そんな感覚が彼らを包んだ。
「……ここで、唄えばいいんだな」
 伊織が呟いた。彼女の手には記念館で受け取った祈祷紙が握られている。
「“翼を還す節”。ここで、ツルカムイに願いを届ける」
 かおりがそう言うと、石段の下から風がふっと吹き上げた。神社の鈴が揺れもせず、しかし空気だけが確実に震えていた。雅大は空を見上げ、口を引き結んだ。
「じゃあ……始めようぜ」
 社殿の前に、四人が半円を描くように立った。拝殿に向かって、心の奥底を込めるように、静かに深呼吸する。先に声を出したのは、伊織だった。
「……さよなら、ではなく」
 彼女の声はかすれていたが、風に乗った。
「いってらっしゃい……そう唄うの」
 かおりが続ける。「涙を残せば、帰って来られない。だから笑って、“翔けよ”と、唄う」
 彼女たちの唄に、雅大が低く支えるように旋律を加える。
「海を越え、空を渡る……羽根よ、舞い戻れ」
 優也は静かに目を閉じた。そして、祠に向かって一歩進み、小さな声で続けた。
「俺たちは、残る。だから――お前たちは、翔け」
 その瞬間、社殿の上空に風が走った。まるで何かが羽ばたいたかのように、空の一部が震え、木々が大きく揺れた。石段に影が差す。振り返ると、渡り鳥が一羽、低く滑空して湖の方角へ飛び去るところだった。
「……帰ってきた……!」
 かおりが目を見開いた。
 その声に応えるように、湖の方角から、次々と羽ばたきの音が届きはじめた。遠くに浮かぶリフレクションが震え、ウトナイ湖の水面に、まばゆい光が差し込んだ。
「戻ってきてる……!」
 伊織が走り出した。優也たちも彼女のあとに続き、石段を駆け下りる。森の出口に出た瞬間、強くてあたたかい海風が彼らの顔を包んだ。空は群青から金に染まり、湖面には無数の渡り鳥の影が映っていた。
「ホッキ貝も……」
 雅大が湖畔にしゃがみ込んだ。足元の浅瀬に、ぷくりと盛り上がる小さな影。地元で“宝の貝”と呼ばれるホッキ貝が、まるで合図を受けたかのように、一斉に殻を開いていた。
「豊漁、くるな。これは確実だ」
 港町の焚き火が、再び朱く灯った。海の漁火が水平線に連なり、屋台の炉端焼きには炭火が戻り、夜風にのせて「ホッキうまいが!」という方言混じりの声が聞こえてきた。
 そのとき――
 優也のポケットが、じわりと熱を持った。
 取り出すと、そこには淡く金色に光る羽根のかけら。それは「旅立ちの羽根」が還ってきた証だった。伊織がそれに気づき、ゆっくりと顔を上げた。
「……それ、“苫小牧市の輝”じゃない?」
 かおりがそっと微笑んだ。
「旅立った者が、帰る場所。それを守った証。……私たちが、それを作ったんだ」
「いや、俺たちじゃない。ツルカムイと、渡り鳥と、港と湖と、炭火と、風と……この町全体が、もう一度ひとつになったんだよ」
 優也の声に、誰もが頷いた。
 空を見上げれば、白く弧を描いて翔ぶ鳥たち。その群れの向こうに、苫小牧の光が滲んでいた。
 そして――夜が訪れ、星が降り始めた。
(終)
【アイテム:苫小牧市の輝】入手
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