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【第十五章 郡山市 ~楽の碑と音無き風~】
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磐梯熱海の温泉街には、いつもなら微かに聞こえるはずの“水音”がなかった。谷を流れる五百川も、まるで何かに蓋をされたように音を失っていた。春の光に包まれているはずの山間に、違和感が濃く残っていた。
「……おかしい。水の流れが見えるのに、音がせん」
優真はしゃがみ込み、川の表面に指を伸ばした。流れてはいる。だがそこに“響き”がない。耳を近づけても、水のささやきは届かなかった。
「聞こえねえのは、川じゃなくて、郡山の“音”そのものかもしんねえな」
朱莉が背後からそう言った。彼女は普段、饒舌というわけではないが、楽器に触れると人が変わる。今は、肩に抱えた琵琶のケースに、そっと手を当てていた。
「“楽の碑”に異変があるって聞いたよ。音楽都市・郡山の中心にあるあの碑が、ここ数日、“音を返さなくなった”って」
「つまり、“音”が封じられてる」
「そう。正確には“共鳴しない”。市民会館のスタッフも、練習室で声が反響しないって言ってた。音楽堂で響かない音なんて、郡山じゃありえねえべ」
二人は立ち上がった。水が流れても、響かなければ意味がない。言葉も音も、反応があって初めて“伝わる”。今の郡山には、“返ってくるもの”がなかった。
「響きの源、“オトノカムイ”が姿を消したって、ほんとなのかな」
「カムイは、“記憶された音”に宿るって言うからな。誰かが音の記憶を消したなら、あの神も……」
朱莉が視線を下げる。
「俺たちがやることは決まってる。まず、“楽の碑”に行こう。あそこにすべての始まりがある」
バスを乗り継ぎ、市内中心部へ向かう。車窓に流れる市街地は、いつもより静かだった。文化通りのライブハウスからも音は漏れていない。かつて「東北のウィーン」とまで呼ばれたこの街が、いまや“無音の箱”のように沈んでいた。
駅前広場の中央に立つ“楽の碑”は、確かに異変を纏っていた。
「……白く、濁ってる」
朱莉の声が震える。石碑の表面に彫られた五線譜は、霧がかかったように霞み、音符がまるで“削られた”ように一部欠けていた。
「だれが、こんなことを……」
「犯人探しは後でいい。今は、音を取り戻す手がかりを探す」
優真は石碑の台座に目をやった。そこに、ひとつの文字が刻まれていた。
《オトヲワスレタマチニ ワタシハコエヲカサネナイ》
「これは……」
「“オトノカムイ”の言葉……?」
朱莉が呟くように言ったとき、碑の裏側から誰かが現れた。サブカル系のTシャツを着た青年――智則だった。
「お前ら、探してるのは“カムイの残響”だろ?」
「残響……?」
「本来、郡山の音は“重ねられる”ことで強くなる。合奏、共鳴、反響……でもそれが今は全部、止まってる。断絶されてんだ」
「どうすれば、取り戻せる?」
「旧・開成館に眠ってる“初演譜”を使うんだ。“最初の音”を鳴らせば、カムイがそれを“覚えている”可能性がある」
「初演譜……」
朱莉が目を見開いた。
「じゃあ、行こう。音を、鳴らす。響かせる。届かなくても、まず“鳴らす”」
彼らの足音が、石畳に吸い込まれていく。
“響き”を取り戻す旅が、ここから始まった。
旧・開成館は、郡山市の音楽文化の黎明期を象徴する建物だった。明治期に建てられた白壁の洋館は、周囲の近代的な市街地と比べてまるで時間が止まっているかのように見えた。だが、その静けさは“古びた”のではなく、“沈黙を守っている”という種類のものだった。
「ここで……“最初の音”が奏でられた」
朱莉の声は小さく、けれど確信に満ちていた。彼女の祖父は開成館の元楽団員で、かつてこの場所で少年たちに“音の力”を教えていたという。
「その“初演譜”、まだ残ってんのかな」
優真が館内を見回しながら尋ねると、智則が案内役を買って出た。彼は開成館のボランティアでもあり、裏口の鍵を持っていた。
「地下に資料室がある。そこになら、“音の記憶”も眠ってるはずだ」
三人が向かった地下資料室には、数えきれない譜面ファイルと録音媒体が並んでいた。埃をかぶったリールテープ、黄ばんだ五線譜、そしてその中に――あった。
「これだ。“郡山楽団 創団記念曲・第一譜”」
朱莉がそっと手を伸ばした。楽譜には見慣れない記号が散りばめられており、その一つひとつが“音を響かせるための印”のように思えた。
「この音……試してみっぺな」
優真は床に置かれた木製の譜面台に楽譜を広げ、朱莉がケースから琵琶を取り出した。静かな地下室に、わずかに弦を弾く音が鳴る。
ぽん……
たった一音。その音が、まるで封じられていた空気を揺さぶったかのように、床の木材がミシミシと鳴った。
「……響いたっぺな」
「響いた……!」
朱莉が目を見開く。
「でも、これじゃ足りねえ。もっと“重ねなきゃ”」
「重ねる……“アンサンブル”だべ」
智則が言った。「この曲はひとりで弾くもんじゃねえ。郡山の音楽ってのは、皆で合わせることで“意味”が生まれんだ」
「なら、仲間を集めよう。市民会館にいぐ。まだあそこには、残ってる。音を信じてる連中が」
三人は開成館を後にし、郡山駅前へと走り出した。
駅前にあるビッグアイの下、かつて賑わっていたストリートミュージシャンの定位置は、今は空っぽだった。
だがその空白に、確かに“誰かの音”が宿っている気がした。
市民会館では、練習室に数人の若者が集まっていた。中にはトランペットを抱えた青年、ヴァイオリンの少女、そして背中にスネアドラムを背負った中学生もいた。
「響きのない街で、音を出すって、勇気がいるべな……」
朱莉が小さく呟いた。
「でも、今こそ鳴らす時だ。“オトノカムイ”が、それを待ってる」
優真の言葉に、みなが頷く。初演譜がセンターに置かれ、朱莉の琵琶が第一音を鳴らした。
ぽん――
それに続いて、トランペットが吹き出す。
ヴァイオリンが共鳴し、ドラムがリズムを刻む。
そして――音が、響いた。
市民会館の壁が、天井が、床が、音を返した。反響音が押し寄せ、鳴らされた旋律が“重なり”始める。
「響いてる……! 戻ってきた……!」
その瞬間、ビルの外壁に飾られた“楽の碑”が共鳴を始めた。
白く濁っていた表面が透き通り、削られた音符がひとつ、またひとつと復元されていく。
駅前のライブハウスからも、チューニングの音が聞こえ始めた。音が、戻ってきていた。
そのとき、空から静かに降りてきたものがあった。
それは、透明な“音の結晶”だった。中には郡山の五線譜と同じ模様が浮かび、旋律の一小節が刻まれている。
朱莉がそれを手に取った。
「……これ、“郡山市の輝”だべ」
「オトノカムイが、響きを返してくれたんだ」
音楽の街が、再び歌い始めた。
街はまだ完全には取り戻していない。けれど、第一音は響いた。
(終)
【アイテム:郡山市の輝】入手
「……おかしい。水の流れが見えるのに、音がせん」
優真はしゃがみ込み、川の表面に指を伸ばした。流れてはいる。だがそこに“響き”がない。耳を近づけても、水のささやきは届かなかった。
「聞こえねえのは、川じゃなくて、郡山の“音”そのものかもしんねえな」
朱莉が背後からそう言った。彼女は普段、饒舌というわけではないが、楽器に触れると人が変わる。今は、肩に抱えた琵琶のケースに、そっと手を当てていた。
「“楽の碑”に異変があるって聞いたよ。音楽都市・郡山の中心にあるあの碑が、ここ数日、“音を返さなくなった”って」
「つまり、“音”が封じられてる」
「そう。正確には“共鳴しない”。市民会館のスタッフも、練習室で声が反響しないって言ってた。音楽堂で響かない音なんて、郡山じゃありえねえべ」
二人は立ち上がった。水が流れても、響かなければ意味がない。言葉も音も、反応があって初めて“伝わる”。今の郡山には、“返ってくるもの”がなかった。
「響きの源、“オトノカムイ”が姿を消したって、ほんとなのかな」
「カムイは、“記憶された音”に宿るって言うからな。誰かが音の記憶を消したなら、あの神も……」
朱莉が視線を下げる。
「俺たちがやることは決まってる。まず、“楽の碑”に行こう。あそこにすべての始まりがある」
バスを乗り継ぎ、市内中心部へ向かう。車窓に流れる市街地は、いつもより静かだった。文化通りのライブハウスからも音は漏れていない。かつて「東北のウィーン」とまで呼ばれたこの街が、いまや“無音の箱”のように沈んでいた。
駅前広場の中央に立つ“楽の碑”は、確かに異変を纏っていた。
「……白く、濁ってる」
朱莉の声が震える。石碑の表面に彫られた五線譜は、霧がかかったように霞み、音符がまるで“削られた”ように一部欠けていた。
「だれが、こんなことを……」
「犯人探しは後でいい。今は、音を取り戻す手がかりを探す」
優真は石碑の台座に目をやった。そこに、ひとつの文字が刻まれていた。
《オトヲワスレタマチニ ワタシハコエヲカサネナイ》
「これは……」
「“オトノカムイ”の言葉……?」
朱莉が呟くように言ったとき、碑の裏側から誰かが現れた。サブカル系のTシャツを着た青年――智則だった。
「お前ら、探してるのは“カムイの残響”だろ?」
「残響……?」
「本来、郡山の音は“重ねられる”ことで強くなる。合奏、共鳴、反響……でもそれが今は全部、止まってる。断絶されてんだ」
「どうすれば、取り戻せる?」
「旧・開成館に眠ってる“初演譜”を使うんだ。“最初の音”を鳴らせば、カムイがそれを“覚えている”可能性がある」
「初演譜……」
朱莉が目を見開いた。
「じゃあ、行こう。音を、鳴らす。響かせる。届かなくても、まず“鳴らす”」
彼らの足音が、石畳に吸い込まれていく。
“響き”を取り戻す旅が、ここから始まった。
旧・開成館は、郡山市の音楽文化の黎明期を象徴する建物だった。明治期に建てられた白壁の洋館は、周囲の近代的な市街地と比べてまるで時間が止まっているかのように見えた。だが、その静けさは“古びた”のではなく、“沈黙を守っている”という種類のものだった。
「ここで……“最初の音”が奏でられた」
朱莉の声は小さく、けれど確信に満ちていた。彼女の祖父は開成館の元楽団員で、かつてこの場所で少年たちに“音の力”を教えていたという。
「その“初演譜”、まだ残ってんのかな」
優真が館内を見回しながら尋ねると、智則が案内役を買って出た。彼は開成館のボランティアでもあり、裏口の鍵を持っていた。
「地下に資料室がある。そこになら、“音の記憶”も眠ってるはずだ」
三人が向かった地下資料室には、数えきれない譜面ファイルと録音媒体が並んでいた。埃をかぶったリールテープ、黄ばんだ五線譜、そしてその中に――あった。
「これだ。“郡山楽団 創団記念曲・第一譜”」
朱莉がそっと手を伸ばした。楽譜には見慣れない記号が散りばめられており、その一つひとつが“音を響かせるための印”のように思えた。
「この音……試してみっぺな」
優真は床に置かれた木製の譜面台に楽譜を広げ、朱莉がケースから琵琶を取り出した。静かな地下室に、わずかに弦を弾く音が鳴る。
ぽん……
たった一音。その音が、まるで封じられていた空気を揺さぶったかのように、床の木材がミシミシと鳴った。
「……響いたっぺな」
「響いた……!」
朱莉が目を見開く。
「でも、これじゃ足りねえ。もっと“重ねなきゃ”」
「重ねる……“アンサンブル”だべ」
智則が言った。「この曲はひとりで弾くもんじゃねえ。郡山の音楽ってのは、皆で合わせることで“意味”が生まれんだ」
「なら、仲間を集めよう。市民会館にいぐ。まだあそこには、残ってる。音を信じてる連中が」
三人は開成館を後にし、郡山駅前へと走り出した。
駅前にあるビッグアイの下、かつて賑わっていたストリートミュージシャンの定位置は、今は空っぽだった。
だがその空白に、確かに“誰かの音”が宿っている気がした。
市民会館では、練習室に数人の若者が集まっていた。中にはトランペットを抱えた青年、ヴァイオリンの少女、そして背中にスネアドラムを背負った中学生もいた。
「響きのない街で、音を出すって、勇気がいるべな……」
朱莉が小さく呟いた。
「でも、今こそ鳴らす時だ。“オトノカムイ”が、それを待ってる」
優真の言葉に、みなが頷く。初演譜がセンターに置かれ、朱莉の琵琶が第一音を鳴らした。
ぽん――
それに続いて、トランペットが吹き出す。
ヴァイオリンが共鳴し、ドラムがリズムを刻む。
そして――音が、響いた。
市民会館の壁が、天井が、床が、音を返した。反響音が押し寄せ、鳴らされた旋律が“重なり”始める。
「響いてる……! 戻ってきた……!」
その瞬間、ビルの外壁に飾られた“楽の碑”が共鳴を始めた。
白く濁っていた表面が透き通り、削られた音符がひとつ、またひとつと復元されていく。
駅前のライブハウスからも、チューニングの音が聞こえ始めた。音が、戻ってきていた。
そのとき、空から静かに降りてきたものがあった。
それは、透明な“音の結晶”だった。中には郡山の五線譜と同じ模様が浮かび、旋律の一小節が刻まれている。
朱莉がそれを手に取った。
「……これ、“郡山市の輝”だべ」
「オトノカムイが、響きを返してくれたんだ」
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