大都市RPG 〜失われた輝きを取り戻せ〜

乾為天女

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【第十六章 いわき市 〜海鳴りの記憶と波還しの唄〜】

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 勿来(なこそ)の関に立ち尽くしていた嵩仁は、潮の香りよりも先に“音のない波”の異様さに気づいた。風は吹いているはずなのに、海が応えない。見渡せば太平洋の水平線はどこまでも続いているが、寄せる波が砂を掬わない。
「こごの海……死んでら」
 彼の背後で、明日香が言った。乾いた言葉だったが、その表情には明らかな怯えがあった。彼女は子どものころからこの海と生きてきた。漁師町に生まれ、波と潮とともに日々を刻んできた彼女にとって、“音のない海”は、喪失に等しかった。
「海鳴りがせん……“波還しの唄”が届いてねえんだ」
「波還しの唄……?」
「代々、久之浜の方で歌い継がれでっぺ。“波は帰る場所を忘れるな”“人は海に祈りを返せ”って……でも今、唄い手が誰もいねぇのよ」
 嵩仁は拳を握った。数日前、いわき市内で相次いで起こった“潮の逆流”と“魚の漂着”。それらの異変の始まりが、この勿来の関に近い沿岸部で確認されたという情報を受けて、彼はこの地に立っていた。異変の核は、ここにある。
「薄磯の“潮座”に、封じられてたって聞いた。“海の神”ナミサド・カムイを鎮める儀式の唄。だけど、誰ももう、覚えてねえ」
「……じゃ、探すしかねえっぺ。“唄”を、“記憶”から」
「波の記憶は、水石に宿るって言われてる。“波読みの石”、まだ残ってるかもな」
 二人は風に向かって歩き出した。平方面へ抜ける道は、乾いていた。水が近いはずの土地に、音も湿度もなかった。
「……ここが、“水を忘れた町”になっちまったら、もう戻れねぇ」
「戻すよ。戻すために、来たんだべ。……オレたちで、“唄”を探して、“波”を帰す」
 砂にまみれた風が二人の足を包んだ。だが、それはやがて“潮風”に変わる。そんな予感だけが、確かに、道の先にあった。

 市街地から常磐線に沿って北上し、二人は薄磯の海へ向かっていた。震災の記憶を深く刻んだこの地には、建て直された家々と、新しく作られた防潮堤が静かに並んでいた。その人工の輪郭の向こうに、かすかに潮の匂いが漂っていたが――海鳴りは、なかった。
「潮座って、どこにあるんだっけ?」
 明日香が訊くと、嵩仁は頷いた。
「“波読みの石”の傍にあんだ。かつて海の精霊と話すために、巫女が座ったっていう“儀座”だ。いまは誰も使ってねぇけど、封じ札がまだ残ってるはずだ」
 二人が訪れた場所は、防波堤の内側にひっそりと残されていた石の円座だった。波打ち際からやや高台に位置しており、風化が進んだ岩の中央に、ひとつの凹みがあった。
「ここだ……間違いねぇ」
 嵩仁は静かに石に触れた。その瞬間、石の表面がわずかに温かかった。いや、正確には“脈打っていた”。
「この石、生きてる……?」
 明日香の言葉に、嵩仁は低く息をついた。
「海の記憶は、石に刻まれる。ナミサド・カムイが去る時、“唄”だけが残った。でもその唄は、ただ口ずさむだけじゃ駄目だ。“節”を知ってなきゃならねぇ。“波返しの節”ってやつだ」
「どこに、あるの? その節は?」
 嵩仁は指で石の凹みに沿ってなぞった。そこに、細い溝のようなものが刻まれていた。水が流れた跡のようでもあり、文様のようでもあるそれは、音の波形にも見えた。
「これ、譜だ……波の譜だ。誰かが、“音”を波形として刻んだんだ」
「じゃ、音に戻さなきゃ。目で見るんじゃなくて、耳で、感じるべきだ」
 明日香はすっと腰を落とし、潮座に座った。
「やってみる。“海の精霊”が戻ってくるように、うたう」
 彼女は記憶の中の旋律を探るように、口を開いた。
「還れ、波よ 遠き島へと……」
 声は弱々しく始まったが、空気がそれを拾っていく。
「忘るなよ わたしの名を……」
 石が鳴った。ほんのかすかな、きしむような音。しかしそれは、確かに音だった。無音だったこの場所に、初めて“海の記憶”が響いた瞬間だった。
「……届いてる」
 嵩仁はつぶやいた。
「あと一節……そしたら、“ナミサド・カムイ”が目覚める」
 そのとき、海が鳴った。
 潮が戻る音だった。ごう、と遠くで波が跳ね、白波が岸へ寄せてきた。
 空気が変わった。波の音が再び始まると同時に、風が海から吹き始めた。波打ち際で飛び散った雫が陽光を受け、虹のように煌めいた。
「ナミサド・カムイが……応えた!」
 明日香が立ち上がった。
 だがその瞬間、海の向こうから黒い影が迫った。精霊ではなかった。海の怒りを象った“影の水”――波を奪ったものの残滓だ。
「“波を返せ”って言ってる……でも、俺らは“返せる音”を、まだ知らねぇ!」
「だったら、最後の節を探すしかねぇ!」
 嵩仁は叫んだ。
「“いわき市立草野心平記念文学館”だ。あそこに、“波返しの唄”の補完譜があるって話を聞いたことがある。海を詠んだ詩人が、最後の節を“音”に変えようとしたって」
「行こう!」
 海からの風が背を押した。
「音を返すってのは、“想い”を返すってことだ!」
 ふたりは駆け出した。波の音は戻ってきた。だが、まだ“全部”ではない。ナミサド・カムイの眠りを完全に解くために、最後の“唄”が必要だった。

 いわき市立草野心平記念文学館に到着したとき、陽はすでに傾きかけていた。建物の白壁が橙色に染まり、丘の上に広がる静けさの中、海風がかすかに歌のような響きを運んでいた。
「ここにある。“波返しの唄”の最終節……」
 明日香の声は震えていた。嵩仁も黙ってうなずく。二人とも、この場所の持つ空気の重さを感じていた。文学館の展示室には、草野心平が書き記した詩の原稿、手帳、音譜が静かに並べられていた。
「“海の音は死なない”……これ、詩の一節だべ」
 明日香がつぶやきながら、展示ケースに貼られた手書きの詩稿を見つめた。水彩で描かれたような淡い墨のにじみの中に、震えるように小さな文字が浮かんでいた。
「“帰れ波よ 還れ音よ 生まれよ風とともに”……」
「これが……最終節か」
 嵩仁は言葉を噛みしめながら、ノートにその旋律を記し取った。詩には譜面が添えられていなかったが、心に響いた言葉がそのまま音となって染みてきた。これは詩ではなく、“唄”だった。
「行くべ、もう一度、潮座に戻る。ナミサド・カムイに、この唄を届けるために」
 外に出ると、浜からの風が変わっていた。今朝までの淀んだ無音の風ではない。音が乗っていた。波が、潮が、息を吹き返した音だった。
 潮座へ戻ったふたりは、再び波読みの石の前に立った。
「唄うよ……最後まで。今度こそ」
 明日香は深く息を吸い込むと、空と海に向かって声を放った。
「還れ波よ 還れ音よ――生まれよ風とともに……!」
 その瞬間、潮座の足元が光に包まれた。海が吠えた。水平線の向こうから、巨大な水柱が立ち上がる。そしてその中心に――ナミサド・カムイが姿を現した。
 それは海そのものが姿を取ったかのような神だった。透明な躯、波と潮が流れる髪、瞳は深海のように光を拒まず、しかし底が見えない。
 カムイは言葉を持たず、ただ海全体を揺らした。だが、明らかに“答えた”のだった。
「戻ってきたんだ……」
 嵩仁が呟く。
 ナミサド・カムイは、波を伴いながら静かに海へと戻っていった。だがその帰り際、ひとつの光を残していった。
 海辺に転がるそれは、真珠のように小さく、しかし内側に潮の渦を抱えた結晶だった。
「……これは……」
「“いわき市の輝”だべ」
 明日香が微笑む。
 手の中で転がるそれは、“波”そのものだった。音を返し、命を運ぶ、祈りの結晶。潮座の石がかすかに震え、そこに新しい節が記された。
 “唄は祈り、波は還る。忘れぬ限り、音は死なず”
 ――そう、今夜のいわきの海は、確かに歌っていた。
(終)
【アイテム:いわき市の輝】入手
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