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第十七章「水戸市 〜常陸節の祈りと霜精の梅〜」
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春の偕楽園に、凍える気配が立ち込めていた。空は晴れていた。梅も咲いていた。だが、それらはどこか奇妙だった。蕾が開きかけては止まり、開いた花びらが冷気に震えていた。
「……梅が凍ってるっぺ」
晴哉が立ち止まり、地面に落ちた白梅を拾い上げた。花びらの縁に薄く霜が張っている。指先がじんわりと冷えた。
「“梅花の心”が凍らされてる……って、あんた信じるの?」
隣で珠莉が小さく鼻で笑った。けれど、笑顔はなかった。
「弘道館にある古文書を見た。“梅花の心”ってのは、ウメノ・カムイの宿りどころで、春の精の鼓動なんだと。もしそれが奪われたら、街全体が“春を忘れる”」
「それで今朝の千波湖か……氷が張ってたって聞いた」
「四月だぞ、珠莉。氷が張るわけねえんだ。でも張った。“霜精”が来てる。“梅花の心”を奪って、偕楽園を凍らせてる」
「誰がそれを信じるっての……ま、でも……」
彼女は手を差し出した。「信じる必要はない。やるしかないんでしょ?」
晴哉は頷いた。
水戸駅前の納豆屋を営む賢に会うため、ふたりは駅前通りへ向かった。通りはいつもより静かで、納豆の香りさえ弱々しかった。店の前では、細かく息を吐きながら、賢が箱を運んでいた。
「来たか。“梅花の心”の話、あれ本当らしいぞ。“霜精”が現れたって話が千波湖畔の茶店に伝わってる」
「常磐神社は?」
「カムイの結界はまだ持ってる。でも、弘道館の書院にある“常陸節”に封印がある。それを解かないと、カムイの声は届かねぇ」
「じゃ、行こう。まずは弘道館で、唄を読む」
珠莉が笑った。「また唄か。春の神様ってのは、なんでみんな詩人なんだろうね?」
晴哉は笑わずに答えた。
「それは、“心”が詩の中にしか残れないほど、繊細だからさ」
弘道館の庭に入ったとき、彼らは確かに感じた。空気の一部が、どこかで“止まっている”。時の流れが、少しだけ滞っている。
書院の奥。薄墨で書かれた“常陸節”の巻物が、静かに机の上に置かれていた。
「春の句、ある。“咲かぬ梅 嘆きて詠めば 心解け”……」
「つまり、咲かせるんじゃなく、詠むんだ。“心”に」
「その節で、霜を溶かすんだ。“守りの旋律”を探す。千波湖の茶店――まみが唄えるって」
「……皮肉で返す女が、唄うとどうなるか。見ものね」
珠莉の目が細く笑った。
晴哉は静かに書院を後にした。心のどこかで、すでに風が変わったことを感じていた。季節は、“言葉”で動く。ならば今、彼らが紡ぐのは“春を呼ぶ唄”だった。
千波湖畔の茶店は、どこか寂しげだった。いつもなら春の散策客でにぎわうはずの時期なのに、テーブルは空き、風が椅子の足元に砂を寄せていた。向かい側の湖面も、光を反射せず、まるで黒い墨を垂らしたような静けさを保っている。
「やっぱり……冷えてるな」
晴哉はポケットから手を出し、茶店の庇に触れた。冷たかった。木のぬくもりではない。“凍りついている”のだった。霜精の気配が、この場所にも満ちていた。
「よっ、おふたりさん。やっぱ来たね」
声をかけてきたのは、まみだった。着流しにエプロンを掛け、手には急須。見慣れた笑みを浮かべてはいたが、彼女の周囲の空気もまた、どこかひりついていた。
「唄を、頼みたい」
晴哉が言うと、まみは一瞬だけ笑みを引っ込めた。
「まったく……あたしが唄うなんて、何年ぶりだべか。けどまあ、しょうがないっぺ。凍ってるもんは、焚いてとかさねえと」
「“守りの旋律”は、“常陸節”に継がれてる。弘道館で詩句を見つけた。“咲かぬ梅 嘆きて詠めば 心解け”……あれに旋律を乗せて、“湖の結界”をゆるめる」
「ふーん……詩に節を返す、ってわけだ」
彼女は一歩、千波湖のほうへと歩を進めた。
「じゃ、やってみっか」
茶店の縁台に腰を掛けたまみは、ひと息ついてから、深く呼吸を整えた。
「……咲かぬ梅……」
その声は低く、ゆったりと流れ始めた。続く旋律はどこか懐かしく、それでいて芯にひんやりとした水を含んでいた。
「……嘆きて詠めば……」
湖面が震えた。音が、水面に触れた瞬間に“共鳴”した。まみの声に含まれた旋律が、“守り”を解きはじめていた。
「心解け……」
三節目が終わったとき、冷たく凍っていた空気にひびが入った。茶店の屋根に張りついていた霜が、音もなく剥がれ落ち、千波湖の表面に陽の光が差し込んだ。
「……効いてる」
珠莉が息をのんだ。
「旋律が、氷を溶かしてる。“霜精”の結界が薄まってるってことだ」
「でも、あいつは湖の中心だべ? “心”を盗んだんだ。そんじょそこらの唄じゃ、まだ届かねぇ」
まみは立ち上がった。
「湖の中央、氷の祠に行かなきゃ。ウメノ・カムイの祝詞を唄いながら、守りの旋律を合わせる。“心”を取り戻すには、“霜”と向き合わねばなんねぇ」
晴哉は頷いた。
「千波湖の舟……まだ動くか?」
「氷が溶けきってはいねぇ。でも、唄を重ねながら漕げば、“道”は開く」
彼らは茶店を出て、湖の舟小屋へ向かった。
水面にはまだ薄氷が残っていたが、その中に一本の“唄の道”が走っていた。まみの唄が作った、細くも確かな光の筋だった。
舟に乗り込んだ四人は、湖の中央を目指す。
氷の祠は、そこにあった。水面の上に浮かぶように凍りついた小島。その中央に、氷でできた拝殿のような建物があった。鳥居の形をした結晶が、春の陽を屈折させていた。
「行くぞ。“心”を取り戻す」
舟が岸についたとき、空気が凍った。
祠の前に立っていたのは、霜精だった。
それは人の形をしていた。白銀の肌、氷の髪、そして瞳には何の感情もなかった。ただ“春を否定するため”にそこに立っていた。
「……あたしたちの“唄”を……あんたに聞かせる」
まみの声が震える。
「“心”は、冷たいもんじゃねえ。あったけえもんだ。笑って、怒って、泣いて、そしてまた笑う――それが、春だべ!」
晴哉が深く息を吸い、常陸節の旋律を口ずさむ。
「咲かぬ梅 嘆きて詠めば 心解け……」
祠の空気が震えた。
霜精が一歩踏み出した。
祠の前に立ち塞がる霜精は、まるで風景の中から切り取られた彫像のようだった。氷の衣をまとい、足元には梅の花びらが凍りついて貼りついていた。人ならざる者が発する冷気は、空間そのものを鈍く沈めていた。
晴哉は唇を噛み締めた。まみの唄声に続けて、自分も常陸節の旋律をなぞる。声は、空に向かって放たれるのではなく、湖面に落ちて広がっていく。音が重なり、水がゆるむ。そこに込められたのは、“戻したい”という想いだった。
「咲かぬ梅 嘆きて詠めば 心解け……」
声が震えるたび、祠の氷壁にひびが入った。霜精はわずかに顔を傾けた。感情は読めないが、音に反応しているのは明らかだった。
「続けるんだっぺ、晴哉!」
珠莉が声を張った。氷の霧の中、彼女の言葉だけが妙に響いた。
「春は戻る! 唄えば、必ず!」
「そうだべ!」
まみが唄を重ねる。
「凍る梅も 息吹にゆるみ ほころぶ花と ぬくもり交わる……」
霜精の足元が崩れた。氷が砕け、祠の中から淡い光が漏れ出す。その奥にあったのは、透き通るような梅の結晶――“梅花の心”。
だが霜精は、最後の抵抗を試みるように、祠を守る冷気を一気に放った。氷の風が奔流のように押し寄せ、四人の体を包んだ。まるで、季節ごと凍らせようとするかのような冷たさだった。
晴哉は歯を食いしばった。足が氷に縫いとめられ、膝がきしむ。だが、それでも唄う。
「心は 凍らぬ……音がある限り……!」
その言葉に応えるように、霜精の胸元が淡く光った。一瞬、氷の瞳が揺れたように見えた。そして、霜精はふいに膝をついた。冷気が弱まり、空気が一気にあたたまる。
「……届いたんだべか……」
珠莉が呆然と呟く。
そのとき、祠の天井が裂け、上空から光が注がれた。柔らかな白光。それは凍てついた湖に、春をもたらす日差しだった。
その光の中から、一柱の神が降りてきた。
ウメノ・カムイ――梅花の神。白銀の髪に淡紅の羽織、手には一枝の満開の梅を携え、凛と立っていた。霜精の隣に膝をつき、掌を差し出した。
霜精はその手に、自らの胸から“梅花の心”を差し出した。まるで、“奪った”のではなく、“預かっていた”かのように。
カムイは頷き、花の結晶を空に掲げた。
すると、祠の氷が一気に解け、千波湖に春が戻った。
水が揺れ、空が晴れ、風が花びらを運んだ。
偕楽園の梅が、一斉に咲き誇る。
まみの目から涙がこぼれた。「戻った……あったけぇ……春、戻ってきたんだっぺ……」
ウメノ・カムイは微笑み、花の心から一片の光をちぎって差し出した。
それは、小さな水晶のような輝き。中に梅の花が閉じ込められたような、小さく、でも力強い光だった。
「これは……」
晴哉がそれを受け取る。
「“水戸市の輝”だっぺ」
珠莉が小さく言った。
春は、唄と共に戻ってきた。常陸節の詩に綴られた“心を解く”旋律が、神と霜精の隔たりを越えて、季節を救ったのだった。
納豆の香りが再び街に漂い、千波湖には子どもたちの声が戻った。まみがふと笑い、「あんたら、またうちの茶店で一服してけよ」と肩を叩いた。
「……やることは、まだまだあるっぺ。でも、まずは――春を迎えよう」
(終)
【アイテム:水戸市の輝】入手
「……梅が凍ってるっぺ」
晴哉が立ち止まり、地面に落ちた白梅を拾い上げた。花びらの縁に薄く霜が張っている。指先がじんわりと冷えた。
「“梅花の心”が凍らされてる……って、あんた信じるの?」
隣で珠莉が小さく鼻で笑った。けれど、笑顔はなかった。
「弘道館にある古文書を見た。“梅花の心”ってのは、ウメノ・カムイの宿りどころで、春の精の鼓動なんだと。もしそれが奪われたら、街全体が“春を忘れる”」
「それで今朝の千波湖か……氷が張ってたって聞いた」
「四月だぞ、珠莉。氷が張るわけねえんだ。でも張った。“霜精”が来てる。“梅花の心”を奪って、偕楽園を凍らせてる」
「誰がそれを信じるっての……ま、でも……」
彼女は手を差し出した。「信じる必要はない。やるしかないんでしょ?」
晴哉は頷いた。
水戸駅前の納豆屋を営む賢に会うため、ふたりは駅前通りへ向かった。通りはいつもより静かで、納豆の香りさえ弱々しかった。店の前では、細かく息を吐きながら、賢が箱を運んでいた。
「来たか。“梅花の心”の話、あれ本当らしいぞ。“霜精”が現れたって話が千波湖畔の茶店に伝わってる」
「常磐神社は?」
「カムイの結界はまだ持ってる。でも、弘道館の書院にある“常陸節”に封印がある。それを解かないと、カムイの声は届かねぇ」
「じゃ、行こう。まずは弘道館で、唄を読む」
珠莉が笑った。「また唄か。春の神様ってのは、なんでみんな詩人なんだろうね?」
晴哉は笑わずに答えた。
「それは、“心”が詩の中にしか残れないほど、繊細だからさ」
弘道館の庭に入ったとき、彼らは確かに感じた。空気の一部が、どこかで“止まっている”。時の流れが、少しだけ滞っている。
書院の奥。薄墨で書かれた“常陸節”の巻物が、静かに机の上に置かれていた。
「春の句、ある。“咲かぬ梅 嘆きて詠めば 心解け”……」
「つまり、咲かせるんじゃなく、詠むんだ。“心”に」
「その節で、霜を溶かすんだ。“守りの旋律”を探す。千波湖の茶店――まみが唄えるって」
「……皮肉で返す女が、唄うとどうなるか。見ものね」
珠莉の目が細く笑った。
晴哉は静かに書院を後にした。心のどこかで、すでに風が変わったことを感じていた。季節は、“言葉”で動く。ならば今、彼らが紡ぐのは“春を呼ぶ唄”だった。
千波湖畔の茶店は、どこか寂しげだった。いつもなら春の散策客でにぎわうはずの時期なのに、テーブルは空き、風が椅子の足元に砂を寄せていた。向かい側の湖面も、光を反射せず、まるで黒い墨を垂らしたような静けさを保っている。
「やっぱり……冷えてるな」
晴哉はポケットから手を出し、茶店の庇に触れた。冷たかった。木のぬくもりではない。“凍りついている”のだった。霜精の気配が、この場所にも満ちていた。
「よっ、おふたりさん。やっぱ来たね」
声をかけてきたのは、まみだった。着流しにエプロンを掛け、手には急須。見慣れた笑みを浮かべてはいたが、彼女の周囲の空気もまた、どこかひりついていた。
「唄を、頼みたい」
晴哉が言うと、まみは一瞬だけ笑みを引っ込めた。
「まったく……あたしが唄うなんて、何年ぶりだべか。けどまあ、しょうがないっぺ。凍ってるもんは、焚いてとかさねえと」
「“守りの旋律”は、“常陸節”に継がれてる。弘道館で詩句を見つけた。“咲かぬ梅 嘆きて詠めば 心解け”……あれに旋律を乗せて、“湖の結界”をゆるめる」
「ふーん……詩に節を返す、ってわけだ」
彼女は一歩、千波湖のほうへと歩を進めた。
「じゃ、やってみっか」
茶店の縁台に腰を掛けたまみは、ひと息ついてから、深く呼吸を整えた。
「……咲かぬ梅……」
その声は低く、ゆったりと流れ始めた。続く旋律はどこか懐かしく、それでいて芯にひんやりとした水を含んでいた。
「……嘆きて詠めば……」
湖面が震えた。音が、水面に触れた瞬間に“共鳴”した。まみの声に含まれた旋律が、“守り”を解きはじめていた。
「心解け……」
三節目が終わったとき、冷たく凍っていた空気にひびが入った。茶店の屋根に張りついていた霜が、音もなく剥がれ落ち、千波湖の表面に陽の光が差し込んだ。
「……効いてる」
珠莉が息をのんだ。
「旋律が、氷を溶かしてる。“霜精”の結界が薄まってるってことだ」
「でも、あいつは湖の中心だべ? “心”を盗んだんだ。そんじょそこらの唄じゃ、まだ届かねぇ」
まみは立ち上がった。
「湖の中央、氷の祠に行かなきゃ。ウメノ・カムイの祝詞を唄いながら、守りの旋律を合わせる。“心”を取り戻すには、“霜”と向き合わねばなんねぇ」
晴哉は頷いた。
「千波湖の舟……まだ動くか?」
「氷が溶けきってはいねぇ。でも、唄を重ねながら漕げば、“道”は開く」
彼らは茶店を出て、湖の舟小屋へ向かった。
水面にはまだ薄氷が残っていたが、その中に一本の“唄の道”が走っていた。まみの唄が作った、細くも確かな光の筋だった。
舟に乗り込んだ四人は、湖の中央を目指す。
氷の祠は、そこにあった。水面の上に浮かぶように凍りついた小島。その中央に、氷でできた拝殿のような建物があった。鳥居の形をした結晶が、春の陽を屈折させていた。
「行くぞ。“心”を取り戻す」
舟が岸についたとき、空気が凍った。
祠の前に立っていたのは、霜精だった。
それは人の形をしていた。白銀の肌、氷の髪、そして瞳には何の感情もなかった。ただ“春を否定するため”にそこに立っていた。
「……あたしたちの“唄”を……あんたに聞かせる」
まみの声が震える。
「“心”は、冷たいもんじゃねえ。あったけえもんだ。笑って、怒って、泣いて、そしてまた笑う――それが、春だべ!」
晴哉が深く息を吸い、常陸節の旋律を口ずさむ。
「咲かぬ梅 嘆きて詠めば 心解け……」
祠の空気が震えた。
霜精が一歩踏み出した。
祠の前に立ち塞がる霜精は、まるで風景の中から切り取られた彫像のようだった。氷の衣をまとい、足元には梅の花びらが凍りついて貼りついていた。人ならざる者が発する冷気は、空間そのものを鈍く沈めていた。
晴哉は唇を噛み締めた。まみの唄声に続けて、自分も常陸節の旋律をなぞる。声は、空に向かって放たれるのではなく、湖面に落ちて広がっていく。音が重なり、水がゆるむ。そこに込められたのは、“戻したい”という想いだった。
「咲かぬ梅 嘆きて詠めば 心解け……」
声が震えるたび、祠の氷壁にひびが入った。霜精はわずかに顔を傾けた。感情は読めないが、音に反応しているのは明らかだった。
「続けるんだっぺ、晴哉!」
珠莉が声を張った。氷の霧の中、彼女の言葉だけが妙に響いた。
「春は戻る! 唄えば、必ず!」
「そうだべ!」
まみが唄を重ねる。
「凍る梅も 息吹にゆるみ ほころぶ花と ぬくもり交わる……」
霜精の足元が崩れた。氷が砕け、祠の中から淡い光が漏れ出す。その奥にあったのは、透き通るような梅の結晶――“梅花の心”。
だが霜精は、最後の抵抗を試みるように、祠を守る冷気を一気に放った。氷の風が奔流のように押し寄せ、四人の体を包んだ。まるで、季節ごと凍らせようとするかのような冷たさだった。
晴哉は歯を食いしばった。足が氷に縫いとめられ、膝がきしむ。だが、それでも唄う。
「心は 凍らぬ……音がある限り……!」
その言葉に応えるように、霜精の胸元が淡く光った。一瞬、氷の瞳が揺れたように見えた。そして、霜精はふいに膝をついた。冷気が弱まり、空気が一気にあたたまる。
「……届いたんだべか……」
珠莉が呆然と呟く。
そのとき、祠の天井が裂け、上空から光が注がれた。柔らかな白光。それは凍てついた湖に、春をもたらす日差しだった。
その光の中から、一柱の神が降りてきた。
ウメノ・カムイ――梅花の神。白銀の髪に淡紅の羽織、手には一枝の満開の梅を携え、凛と立っていた。霜精の隣に膝をつき、掌を差し出した。
霜精はその手に、自らの胸から“梅花の心”を差し出した。まるで、“奪った”のではなく、“預かっていた”かのように。
カムイは頷き、花の結晶を空に掲げた。
すると、祠の氷が一気に解け、千波湖に春が戻った。
水が揺れ、空が晴れ、風が花びらを運んだ。
偕楽園の梅が、一斉に咲き誇る。
まみの目から涙がこぼれた。「戻った……あったけぇ……春、戻ってきたんだっぺ……」
ウメノ・カムイは微笑み、花の心から一片の光をちぎって差し出した。
それは、小さな水晶のような輝き。中に梅の花が閉じ込められたような、小さく、でも力強い光だった。
「これは……」
晴哉がそれを受け取る。
「“水戸市の輝”だっぺ」
珠莉が小さく言った。
春は、唄と共に戻ってきた。常陸節の詩に綴られた“心を解く”旋律が、神と霜精の隔たりを越えて、季節を救ったのだった。
納豆の香りが再び街に漂い、千波湖には子どもたちの声が戻った。まみがふと笑い、「あんたら、またうちの茶店で一服してけよ」と肩を叩いた。
「……やることは、まだまだあるっぺ。でも、まずは――春を迎えよう」
(終)
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