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第十八章「つくば市 〜絆の珠と道しるべの調べ〜」
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筑波山の麓に、春の霧が降りていた。淡い朝陽が蔵の屋根を照らし、遠くから微かに、まだ寝静まる研究学園都市の気配が感じられる。冷たい空気の中に、ほんのりと甘い香りが混じるのは、筑波茶の新芽が芽吹いた証拠だった。
「……夫婦杉の気が、消えとる」
唯愛は北条酒造の裏手に立ち、石畳に膝をついた。白壁の蔵の向こう、遠く筑波山頂にあるはずの夫婦杉――神気を帯びた御神木からの気配が、まるで霧のように消え去っていた。
「このままじゃ、都市の研究エネルギーも、崩れるっぺ」
彼女の声に、背後から駆けてきた寛人が応えた。
「さっき、酒樽を整理してたらさ、一本だけ不自然に古いのが見つかってな。木蓋に、変な詩が刻まれてた。“絆の珠、調べの中にて待つ”……とかなんとか」
「調べってことは、“音”か?」
「だとすれば、筑波山小唄かもしれない。道しるべの調べ――って言葉が、あの民謡の中にあるって、どっかで聞いたことあるべ」
「絆の珠……それが、夫婦杉に宿るカムイの力、“道の力”を束ねてるんだとしたら……盗まれたんだ。何者かに」
唯愛は立ち上がった。「恵理子と合流して、洞峰公園へ向かう。あの子、“筑波山小唄”の旋律を身体で覚えてる」
「じゃ、俺は科学万博記念公園へ行ってみる。昔のロボット棟、まだ一部残ってるって聞いた。知恵の結晶を集める試練の跡があるなら、そこで何か手がかりがあるかも」
二人は目を合わせ、頷いた。
「行ってくるっぺ」
唯愛は風の中を駆け出した。彼女の背中には、決意という名の炎が灯っていた。それは、苦手なことに挑む者だけが持てる強さだった。
筑波山の神気は、いまや不安定で、都市の研究エネルギーは乱れ始めている。“絆の珠”を失ったことによる都市の揺らぎは、つくば地ビールの発酵にすら影響を及ぼし、つくばエキスポセンターのシミュレーターも計測不能に陥っていた。
「絶対に取り戻す。ツクバ・カムイの力を、もう一度、夫婦杉へ――」
洞峰公園の池のほとりには、かすかに笛の音が漂っていた。新緑が風に揺れ、日差しが水面を反射してきらめいている。だがその眩しさの奥に、どこか“間違った旋律”のような違和感があった。
恵理子は池畔の芝に腰を下ろし、手にした古い音符の束をじっと見つめていた。筑波山小唄――だがそれは、彼女が子どもの頃から親しんできたものとは違っていた。
「“道しるべの調べ”って……どの節を指してるんだに?」
音符の記述は曖昧だった。一部の旋律が“途切れて”おり、その欠片だけが“調べ”として残されている。
「それって、“迷わせるため”にわざとだっぺ?」
声の主に振り向くと、そこには唯愛が立っていた。汗ばむ額をぬぐい、筑波茶のボトルを手渡してくる。
「ありがと。唯愛。来てくれて……」
「寛人が言ってた。“絆の珠”の手がかりは、筑波山小唄の中にあるって。あんたしかいねぇと思って」
恵理子は微笑んだが、その表情には不安が混じっていた。
「……わたし、踊りは好き。でも、昔から音を正確に覚えるのが苦手で。調べの途中で、“転調”するんだに。身体は覚えてるけど、譜にはできない」
「でも、その“転調”こそが鍵だと思ってる。“道しるべ”って、ただ真っすぐ導くんじゃない。“迷いながら導く”もんだっぺよ」
唯愛は言いながら、携帯から再生した筑波山小唄の音源に耳をすませた。だが、再生された旋律は不完全で、リズムがどこかズレていた。
「……本物の旋律は、あんたの身体の中にある。“調べ”は、“記譜”じゃなくて、“記憶”で継がれてるんだに」
恵理子はゆっくりと立ち上がった。
そして、池畔に立ち、そっと右足を出した。
左手が、風をなぞるように空を描く。
足運びが、調べの断片と共鳴する。
“たんたん つくばの さくら道…… よいしょの 掛け声 つづく道……”
旋律が、風に重なった。池に映る水面が揺れ、影が道を示すように草の中へ伸びていく。
「……道が、見えた!」
唯愛が叫んだ。
踊りの足取りが、そのまま“山への隠し参道”を指し示していた。
「“山神の裏道”……昔、山岳修験者たちが使ってたっていう古道だっぺ。これが開くってことは、“絆の珠”がここを通った証だに!」
「じゃあ、今から行こう。“珠”が通った道を、逆に辿る。“調べ”が案内する限り、必ずたどり着ける」
風が吹いた。筑波山の麓から吹き下ろす風が、彼女たちの背を押す。
その風には、ほんのりと“麦”の香りが混じっていた。近くのクラフトビール工房から立ち昇る、つくば地ビールのホップの香りだった。
「……街が、取り戻されつつある。“道”が繋がれば、“街”も繋がるっぺ」
「そうだに。次は、科学万博記念公園。“知恵の試練”が残ってる。寛人がそこへ行った」
「合流しよ。“道”の調べが示した先には、必ず“珠”の記憶が残ってるはずだっぺ」
二人は、つくばの風に包まれながら、山への隠し参道を踏み出した。
“絆の珠”は、まだ見つかっていない。
だが、すでにその“調べ”は、彼女たちの心と足元に響き始めていた。
科学万博記念公園に近づくにつれ、空気が変わった。洞峰公園の柔らかな新緑とは異なり、ここには打ち捨てられた未来の匂いがあった。錆びた金属、冷たいコンクリート、雑草の伸びすぎた軌道。だが、その奥に確かに、何か“鼓動のようなもの”が潜んでいた。
「ここが……ロボット実験棟の跡か」
寛人はフェンスをくぐり抜けながら、低く呟いた。建物は半ば崩れ、屋根の一部が落ちて天井の配線がむき出しになっていた。だが壁面には今もなお、“知恵の結晶”と呼ばれた模様が光を反射していた。
「こりゃ、知能判定パズルの一種だべ。“珠”を守るための仕掛け……今でも動くのか?」
寛人が足元のスイッチを踏むと、壁の一部が回転し、青いラインが浮かび上がった。
《選べ、叡智を示す道を》
無機質な音声が崩れたスピーカーから流れる。
「懐かしすぎるっぺ。これ、科学万博で出してたクイズ展示の応用だに。脳波で反応して答えを選ぶパズル……今は、音と記憶で動くらしいけどな」
彼は壁の前に立ち、懐から取り出した紙切れを握りしめた。それは北条酒造で見つけた、木樽に刻まれていた詩の断片。
「“絆の珠、調べの中にて待つ”……“調べ”が鍵なら、“道しるべの調べ”をここで奏でりゃ、パズルが開く」
寛人は一度深呼吸し、口を開いた。
「たんたん つくばの さくら道……よいしょの 掛け声 つづく道……」
歌うように、小唄の節をなぞった。
音に反応するように、壁のラインが一つずつ明るくなる。五つ、六つ、そして最後のラインが消えた。
「……外れたか……?」
その瞬間、壁面の中心部が光を放ち、ゆっくりとスライドした。
その奥にあったのは、無数のパネルが埋め込まれた、円形の台座。中央にだけ、ぽっかりと空白があった。
「ここが、“珠”の台座……!」
彼は後ろを振り返ると、唯愛と恵理子が入口に現れた。
「道、開いたんだな」
唯愛の声に、寛人は肩をすくめた。
「まぁな。だが、“珠”自体はここにない。“珠”を運んだ“調べ”だけが残ってる。“次の道”を教えてくれっぺ」
恵理子は円形のパネルに指を伸ばす。彼女の指先が触れた瞬間、再び小唄の旋律が流れ出した。
「……調べが続いてる。“珠”は最後、筑波山神社で、ツクバ・カムイの試練を受けるために持ち込まれた。“道しるべ”は、神の前で完結する」
「なら、山頂だな」
「夫婦杉の前……神の試練。ツクバ・カムイは、そこに答えを持って待ってるっぺ」
寛人は拳を握る。「じゃあ、行くぞ。“珠”を奪った何者かと、神の試練――両方に、正面から挑む。“筑波の絆”を取り戻す!」
「登るべさ、筑波山」
三人は、科学万博の未来の残響を背に、再び自然の中へ足を踏み入れた。
筑波山の中腹に差しかかる頃には、陽も傾き始めていた。空が淡い橙色に染まり、斜面に立つ木々の影が長く尾を引いていた。山道にはかすかに筑波茶の匂いが混じっており、どこか懐かしい郷愁を呼び起こす風が吹いていた。
「夫婦杉まで、あと少しだっぺ」
寛人は肩で息をしながらも、足取りを緩めなかった。
「“調べ”が導く道に、迷いはない。ここまで来たら、あとは“心”で聞くんだに」
恵理子の声も張りがあった。膝に疲労を感じながらも、表情には迷いがなかった。
山頂が近づくにつれ、空気が変わっていく。どこか清らかで、それでいて“重み”のある気配。山そのものが呼吸しているような、静かな緊張が肌に触れた。
そして、夫婦杉が姿を現した。
巨大な二本の杉が根元で寄り添い、空に向かって真っ直ぐ伸びていた。周囲の空気はぴたりと止まり、鳥の声も風の音も一瞬、遠のいた。
「……ここが、“絆の珠”の還る場所……」
唯愛が呟いた。
だが、その中心――神域の石畳の上には、黒い影が立っていた。
「……あんたが、“珠”を奪ったのか」
寛人の声が低く響いた。
男は、黒い装束に身を包み、顔を半分マスクで覆っていた。声を発することはなかったが、手に持った宝珠の光が、すべてを語っていた。
「“調べ”を知らぬ者が、その力を握っても意味がない。“絆”とは、“合わせる心”だっぺよ」
唯愛の言葉に応じるように、男が宝珠を掲げた。だが次の瞬間、夫婦杉の根元から光が奔り、三人の足元に広がった。
「これは……!」
「“道しるべの調べ”……最終節だに!」
恵理子が叫んだ。
光が旋律となり、空に浮かぶ五線譜のように舞い上がる。
「今だ、唄うっぺ!」
唯愛が両手を広げ、山に向かって声を放った。
「つくばの山よ 絆を返せ――調べよ届け 神のもとへ!」
恵理子が続ける。
「分かたれし道を 再び結べ――心を合わせ 珠を導け!」
寛人が一歩前に出て、拳を握った。
「すべての道は、この山に還る。“ツクバ・カムイ”よ――俺たちに試練を!」
その瞬間、夫婦杉の間から光が走り、天空が開かれた。
姿を現したのは、ツクバ・カムイだった。
それは風と土と光をまとう存在であり、目には筑波山の春秋すべてを宿していた。神は言葉を発しなかったが、確かに“三人の絆”に応えた。
闇の中にいた男は、その光に耐えられず、膝をついた。手から宝珠が転がり、神域の中心へと転がり落ちる。
ツクバ・カムイは宝珠を拾い上げ、それを三人へと差し出した。
「……“珠”は、“絆”に還った」
唯愛の目に、涙が滲んでいた。
ツクバ・カムイが再び夫婦杉の奥へと姿を消すと、空に春風が吹き抜けた。
「……戻った。“調べ”も、“山の気”も」
恵理子の言葉に、寛人がうなずいた。
「じゃあ、これが……」
唯愛の掌に残ったのは、宝珠から分かれた小さな結晶。
中には道の模様が刻まれ、五線譜と筑波山の稜線が交差していた。
「“つくば市の輝”だっぺよ」
山に戻った風は、研究学園都市を再び動かし始めた。科学万博記念公園に陽が差し、エキスポセンターの風車が再び回り始める。
筑波地ビールの工房から、麦の香りが町を満たす。
春のつくばは、また“調べ”とともに歩き出した。
(終)
【アイテム:つくば市の輝】入手
「……夫婦杉の気が、消えとる」
唯愛は北条酒造の裏手に立ち、石畳に膝をついた。白壁の蔵の向こう、遠く筑波山頂にあるはずの夫婦杉――神気を帯びた御神木からの気配が、まるで霧のように消え去っていた。
「このままじゃ、都市の研究エネルギーも、崩れるっぺ」
彼女の声に、背後から駆けてきた寛人が応えた。
「さっき、酒樽を整理してたらさ、一本だけ不自然に古いのが見つかってな。木蓋に、変な詩が刻まれてた。“絆の珠、調べの中にて待つ”……とかなんとか」
「調べってことは、“音”か?」
「だとすれば、筑波山小唄かもしれない。道しるべの調べ――って言葉が、あの民謡の中にあるって、どっかで聞いたことあるべ」
「絆の珠……それが、夫婦杉に宿るカムイの力、“道の力”を束ねてるんだとしたら……盗まれたんだ。何者かに」
唯愛は立ち上がった。「恵理子と合流して、洞峰公園へ向かう。あの子、“筑波山小唄”の旋律を身体で覚えてる」
「じゃ、俺は科学万博記念公園へ行ってみる。昔のロボット棟、まだ一部残ってるって聞いた。知恵の結晶を集める試練の跡があるなら、そこで何か手がかりがあるかも」
二人は目を合わせ、頷いた。
「行ってくるっぺ」
唯愛は風の中を駆け出した。彼女の背中には、決意という名の炎が灯っていた。それは、苦手なことに挑む者だけが持てる強さだった。
筑波山の神気は、いまや不安定で、都市の研究エネルギーは乱れ始めている。“絆の珠”を失ったことによる都市の揺らぎは、つくば地ビールの発酵にすら影響を及ぼし、つくばエキスポセンターのシミュレーターも計測不能に陥っていた。
「絶対に取り戻す。ツクバ・カムイの力を、もう一度、夫婦杉へ――」
洞峰公園の池のほとりには、かすかに笛の音が漂っていた。新緑が風に揺れ、日差しが水面を反射してきらめいている。だがその眩しさの奥に、どこか“間違った旋律”のような違和感があった。
恵理子は池畔の芝に腰を下ろし、手にした古い音符の束をじっと見つめていた。筑波山小唄――だがそれは、彼女が子どもの頃から親しんできたものとは違っていた。
「“道しるべの調べ”って……どの節を指してるんだに?」
音符の記述は曖昧だった。一部の旋律が“途切れて”おり、その欠片だけが“調べ”として残されている。
「それって、“迷わせるため”にわざとだっぺ?」
声の主に振り向くと、そこには唯愛が立っていた。汗ばむ額をぬぐい、筑波茶のボトルを手渡してくる。
「ありがと。唯愛。来てくれて……」
「寛人が言ってた。“絆の珠”の手がかりは、筑波山小唄の中にあるって。あんたしかいねぇと思って」
恵理子は微笑んだが、その表情には不安が混じっていた。
「……わたし、踊りは好き。でも、昔から音を正確に覚えるのが苦手で。調べの途中で、“転調”するんだに。身体は覚えてるけど、譜にはできない」
「でも、その“転調”こそが鍵だと思ってる。“道しるべ”って、ただ真っすぐ導くんじゃない。“迷いながら導く”もんだっぺよ」
唯愛は言いながら、携帯から再生した筑波山小唄の音源に耳をすませた。だが、再生された旋律は不完全で、リズムがどこかズレていた。
「……本物の旋律は、あんたの身体の中にある。“調べ”は、“記譜”じゃなくて、“記憶”で継がれてるんだに」
恵理子はゆっくりと立ち上がった。
そして、池畔に立ち、そっと右足を出した。
左手が、風をなぞるように空を描く。
足運びが、調べの断片と共鳴する。
“たんたん つくばの さくら道…… よいしょの 掛け声 つづく道……”
旋律が、風に重なった。池に映る水面が揺れ、影が道を示すように草の中へ伸びていく。
「……道が、見えた!」
唯愛が叫んだ。
踊りの足取りが、そのまま“山への隠し参道”を指し示していた。
「“山神の裏道”……昔、山岳修験者たちが使ってたっていう古道だっぺ。これが開くってことは、“絆の珠”がここを通った証だに!」
「じゃあ、今から行こう。“珠”が通った道を、逆に辿る。“調べ”が案内する限り、必ずたどり着ける」
風が吹いた。筑波山の麓から吹き下ろす風が、彼女たちの背を押す。
その風には、ほんのりと“麦”の香りが混じっていた。近くのクラフトビール工房から立ち昇る、つくば地ビールのホップの香りだった。
「……街が、取り戻されつつある。“道”が繋がれば、“街”も繋がるっぺ」
「そうだに。次は、科学万博記念公園。“知恵の試練”が残ってる。寛人がそこへ行った」
「合流しよ。“道”の調べが示した先には、必ず“珠”の記憶が残ってるはずだっぺ」
二人は、つくばの風に包まれながら、山への隠し参道を踏み出した。
“絆の珠”は、まだ見つかっていない。
だが、すでにその“調べ”は、彼女たちの心と足元に響き始めていた。
科学万博記念公園に近づくにつれ、空気が変わった。洞峰公園の柔らかな新緑とは異なり、ここには打ち捨てられた未来の匂いがあった。錆びた金属、冷たいコンクリート、雑草の伸びすぎた軌道。だが、その奥に確かに、何か“鼓動のようなもの”が潜んでいた。
「ここが……ロボット実験棟の跡か」
寛人はフェンスをくぐり抜けながら、低く呟いた。建物は半ば崩れ、屋根の一部が落ちて天井の配線がむき出しになっていた。だが壁面には今もなお、“知恵の結晶”と呼ばれた模様が光を反射していた。
「こりゃ、知能判定パズルの一種だべ。“珠”を守るための仕掛け……今でも動くのか?」
寛人が足元のスイッチを踏むと、壁の一部が回転し、青いラインが浮かび上がった。
《選べ、叡智を示す道を》
無機質な音声が崩れたスピーカーから流れる。
「懐かしすぎるっぺ。これ、科学万博で出してたクイズ展示の応用だに。脳波で反応して答えを選ぶパズル……今は、音と記憶で動くらしいけどな」
彼は壁の前に立ち、懐から取り出した紙切れを握りしめた。それは北条酒造で見つけた、木樽に刻まれていた詩の断片。
「“絆の珠、調べの中にて待つ”……“調べ”が鍵なら、“道しるべの調べ”をここで奏でりゃ、パズルが開く」
寛人は一度深呼吸し、口を開いた。
「たんたん つくばの さくら道……よいしょの 掛け声 つづく道……」
歌うように、小唄の節をなぞった。
音に反応するように、壁のラインが一つずつ明るくなる。五つ、六つ、そして最後のラインが消えた。
「……外れたか……?」
その瞬間、壁面の中心部が光を放ち、ゆっくりとスライドした。
その奥にあったのは、無数のパネルが埋め込まれた、円形の台座。中央にだけ、ぽっかりと空白があった。
「ここが、“珠”の台座……!」
彼は後ろを振り返ると、唯愛と恵理子が入口に現れた。
「道、開いたんだな」
唯愛の声に、寛人は肩をすくめた。
「まぁな。だが、“珠”自体はここにない。“珠”を運んだ“調べ”だけが残ってる。“次の道”を教えてくれっぺ」
恵理子は円形のパネルに指を伸ばす。彼女の指先が触れた瞬間、再び小唄の旋律が流れ出した。
「……調べが続いてる。“珠”は最後、筑波山神社で、ツクバ・カムイの試練を受けるために持ち込まれた。“道しるべ”は、神の前で完結する」
「なら、山頂だな」
「夫婦杉の前……神の試練。ツクバ・カムイは、そこに答えを持って待ってるっぺ」
寛人は拳を握る。「じゃあ、行くぞ。“珠”を奪った何者かと、神の試練――両方に、正面から挑む。“筑波の絆”を取り戻す!」
「登るべさ、筑波山」
三人は、科学万博の未来の残響を背に、再び自然の中へ足を踏み入れた。
筑波山の中腹に差しかかる頃には、陽も傾き始めていた。空が淡い橙色に染まり、斜面に立つ木々の影が長く尾を引いていた。山道にはかすかに筑波茶の匂いが混じっており、どこか懐かしい郷愁を呼び起こす風が吹いていた。
「夫婦杉まで、あと少しだっぺ」
寛人は肩で息をしながらも、足取りを緩めなかった。
「“調べ”が導く道に、迷いはない。ここまで来たら、あとは“心”で聞くんだに」
恵理子の声も張りがあった。膝に疲労を感じながらも、表情には迷いがなかった。
山頂が近づくにつれ、空気が変わっていく。どこか清らかで、それでいて“重み”のある気配。山そのものが呼吸しているような、静かな緊張が肌に触れた。
そして、夫婦杉が姿を現した。
巨大な二本の杉が根元で寄り添い、空に向かって真っ直ぐ伸びていた。周囲の空気はぴたりと止まり、鳥の声も風の音も一瞬、遠のいた。
「……ここが、“絆の珠”の還る場所……」
唯愛が呟いた。
だが、その中心――神域の石畳の上には、黒い影が立っていた。
「……あんたが、“珠”を奪ったのか」
寛人の声が低く響いた。
男は、黒い装束に身を包み、顔を半分マスクで覆っていた。声を発することはなかったが、手に持った宝珠の光が、すべてを語っていた。
「“調べ”を知らぬ者が、その力を握っても意味がない。“絆”とは、“合わせる心”だっぺよ」
唯愛の言葉に応じるように、男が宝珠を掲げた。だが次の瞬間、夫婦杉の根元から光が奔り、三人の足元に広がった。
「これは……!」
「“道しるべの調べ”……最終節だに!」
恵理子が叫んだ。
光が旋律となり、空に浮かぶ五線譜のように舞い上がる。
「今だ、唄うっぺ!」
唯愛が両手を広げ、山に向かって声を放った。
「つくばの山よ 絆を返せ――調べよ届け 神のもとへ!」
恵理子が続ける。
「分かたれし道を 再び結べ――心を合わせ 珠を導け!」
寛人が一歩前に出て、拳を握った。
「すべての道は、この山に還る。“ツクバ・カムイ”よ――俺たちに試練を!」
その瞬間、夫婦杉の間から光が走り、天空が開かれた。
姿を現したのは、ツクバ・カムイだった。
それは風と土と光をまとう存在であり、目には筑波山の春秋すべてを宿していた。神は言葉を発しなかったが、確かに“三人の絆”に応えた。
闇の中にいた男は、その光に耐えられず、膝をついた。手から宝珠が転がり、神域の中心へと転がり落ちる。
ツクバ・カムイは宝珠を拾い上げ、それを三人へと差し出した。
「……“珠”は、“絆”に還った」
唯愛の目に、涙が滲んでいた。
ツクバ・カムイが再び夫婦杉の奥へと姿を消すと、空に春風が吹き抜けた。
「……戻った。“調べ”も、“山の気”も」
恵理子の言葉に、寛人がうなずいた。
「じゃあ、これが……」
唯愛の掌に残ったのは、宝珠から分かれた小さな結晶。
中には道の模様が刻まれ、五線譜と筑波山の稜線が交差していた。
「“つくば市の輝”だっぺよ」
山に戻った風は、研究学園都市を再び動かし始めた。科学万博記念公園に陽が差し、エキスポセンターの風車が再び回り始める。
筑波地ビールの工房から、麦の香りが町を満たす。
春のつくばは、また“調べ”とともに歩き出した。
(終)
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