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第四十九章「木更津市」
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夏の潮風が吹きぬける三番瀬の浜辺で、裕也は立ち尽くしていた。遠くに見える干潟は、例年なら潮干狩りの客でにぎわい、アサリの貝殻がキラキラと輝いているはずだった。しかしその海は、今は潮が引かず、鈍く濁ったまま凪いでいた。
「……“魂の芯”が、消えたらしい」
後ろから聞こえたのは、由佳の声だった。彼女の足元には、貝殻の欠片が無数に転がっていた。だがどれも乾ききっており、まるで海が命を手放したように見えた。
「八剱八幡神社の大神輿、今年は動かせないって。祭囃子が……音を失ってしまった。街中から、太鼓も笛も消えたのよ」
「“魂の芯”が奪われたから……」
裕也はゆっくりと目を閉じた。太田山公園から望む「君不去塔」の姿が、彼の心に浮かぶ。高台に立つその塔は、かつて何度も祭りの起点となり、町を見守ってきた存在だった。
「蒼空が言ってた。“魂の芯は、神社の古殿に伝わる舞で守られていた”って。それを奪ったのは……また霧の精だ」
「彩織も舞えるって言ってたわ。子どもの頃から、八剱八幡の囃子を覚えていたって。太田山公園で、もう一度彼女の舞を見てみたい」
「じゃあ、行くしかないな」裕也は目を開けた。「このままじゃ、木更津の心が、夏の命が、止まったままだ」
二人は小さな決意を胸に、干潟を後にした。潮風は吹かず、町の屋台は軒を閉じ、あさり飯の香りすらどこにも漂っていなかった。
八剱八幡神社の境内にたどり着いたとき、蒼空はすでに鳥居の下に立っていた。その目はどこか、かつてのにぎわいを探しているようだった。
「来たか。……もうすぐ太田山に霧が立つ。奴らが“芯”を持ち去った場所だ」
「彩織も来てくれるって?」裕也が問うと、境内の奥から白い装束を纏った少女が姿を現した。
「もちろん。だって、魂を取り戻すには……音と舞しかないんだもの」
太田山公園の丘へと続く階段を登りながら、裕也の耳にはかつての祭囃子の残響が聴こえてくるような気がしていた。記憶の中の音。けれど現実には、街から音が消えて久しい。空は晴れているのに、光はどこか弱々しく、木々の葉も音を立てない。
君不去塔の足元にたどり着いたとき、彩織はゆっくりとその場に膝をつき、足袋を直した。
「舞うには、“芯”がいるの。自分の中にある、嘘のない想い……」
彼女の言葉に、蒼空が静かに答えた。
「誰かに“舞え”と言われたからじゃなくて、自分の中から“舞いたい”が出てくる。それが、“芯”なんだよな」
裕也は太鼓を持っていた。少し古びたそれは、子どもの頃から使ってきたものだった。昔は重かったが、いまは違う。手にしっくり馴染み、何を打つべきかがわかる気がしていた。
由佳が笛を取り出した。「始めよう。音を戻すのは、私たちなんだから」
四人が位置についた瞬間、君不去塔の上空に霧が立ちはじめた。うねるように空を覆うそれは、記憶と感情の残滓が形を変えたものだった。
「……来るぞ。“音を奪った霧”だ」
彩織がゆっくりと立ち上がり、袖を大きく振った。風が舞い、白い衣が宙を切る。彼女の舞には、懐かしさと誇りがあった。足運びは軽やかで、しかし大地を揺らす力を秘めていた。
蒼空が笛に合わせて拍を入れ、由佳の音がそれに重なる。
裕也の太鼓が、その拍に命を吹き込むように鳴り響いた。
「これが……俺たちの、木更津ばやし!」
霧が反応する。音を恐れるように身を捩らせ、しかしなおもその芯を奪おうとする。だが、その中心にあるのは揺るがぬ旋律と、舞の流れだった。
「もっと強く!」彩織が叫ぶ。「“芯”は、心の奥底からしか生まれない!」
裕也は最後の一打を振り下ろした。その瞬間、霧が音を立てて割れ、君不去塔の頂から一筋の光が溢れた。
霧が裂けた空間のなかに、それは浮かんでいた。淡く青白く光る球体。大人の拳ほどの大きさで、その中心には赤く脈打つ小さな核が見えた。
「……“魂の芯”」蒼空が呟く。「あれが……木更津の夏を、命を、支えてたものなんだ」
その声に応えるように、霧の残滓がうねる。しかし今のそれは、脅威ではなかった。敗北の名残ではなく、祈りを託そうとする存在のように見えた。
彩織は舞の最後の所作を終えると、ゆっくりと両手を差し伸べた。「お願い。もう一度、町の鼓動になって……」
“魂の芯”がゆっくりと降りてきた。音もなく、風もなく、ただまっすぐに彼女の手の中に落ちる。
触れた瞬間、空気がふっと変わった。木々がざわめき、遠く海から風が吹いてくる。
裕也が目を見開いた。「……戻ってきた。音が……風が、戻ってきたんだ」
君不去塔のまわりを包んでいた重たい沈黙が、ひとつの音で破られた。それは鳥のさえずりでも、祭囃子でもない。もっと小さな、けれど確かに“命”が生まれたときの音だった。
道の駅うまくたの里には、潮風とともに人の声が戻ってきた。干潟の看板に「潮干狩り開催中」の札が掲げられ、浜辺の屋台ではあさり飯が炊き上がる湯気が立つ。
八剱八幡神社の大神輿は、再び担がれるときが来た。音を取り戻した木更津ばやしが響き、神社の鳥居の下には、太鼓と笛に合わせて舞い踊る子どもたちの姿があった。
彩織が“芯”をそっと神輿の中へと納めると、太鼓の音がそれを包み込むように鳴り響く。
裕也はその様子を見つめながら、小さく息を吐いた。
「これが……“木更津市の輝”」
彼の掌の中には、確かに音と魂が残っていた。
【アイテム:木更津市の輝】入手
「……“魂の芯”が、消えたらしい」
後ろから聞こえたのは、由佳の声だった。彼女の足元には、貝殻の欠片が無数に転がっていた。だがどれも乾ききっており、まるで海が命を手放したように見えた。
「八剱八幡神社の大神輿、今年は動かせないって。祭囃子が……音を失ってしまった。街中から、太鼓も笛も消えたのよ」
「“魂の芯”が奪われたから……」
裕也はゆっくりと目を閉じた。太田山公園から望む「君不去塔」の姿が、彼の心に浮かぶ。高台に立つその塔は、かつて何度も祭りの起点となり、町を見守ってきた存在だった。
「蒼空が言ってた。“魂の芯は、神社の古殿に伝わる舞で守られていた”って。それを奪ったのは……また霧の精だ」
「彩織も舞えるって言ってたわ。子どもの頃から、八剱八幡の囃子を覚えていたって。太田山公園で、もう一度彼女の舞を見てみたい」
「じゃあ、行くしかないな」裕也は目を開けた。「このままじゃ、木更津の心が、夏の命が、止まったままだ」
二人は小さな決意を胸に、干潟を後にした。潮風は吹かず、町の屋台は軒を閉じ、あさり飯の香りすらどこにも漂っていなかった。
八剱八幡神社の境内にたどり着いたとき、蒼空はすでに鳥居の下に立っていた。その目はどこか、かつてのにぎわいを探しているようだった。
「来たか。……もうすぐ太田山に霧が立つ。奴らが“芯”を持ち去った場所だ」
「彩織も来てくれるって?」裕也が問うと、境内の奥から白い装束を纏った少女が姿を現した。
「もちろん。だって、魂を取り戻すには……音と舞しかないんだもの」
太田山公園の丘へと続く階段を登りながら、裕也の耳にはかつての祭囃子の残響が聴こえてくるような気がしていた。記憶の中の音。けれど現実には、街から音が消えて久しい。空は晴れているのに、光はどこか弱々しく、木々の葉も音を立てない。
君不去塔の足元にたどり着いたとき、彩織はゆっくりとその場に膝をつき、足袋を直した。
「舞うには、“芯”がいるの。自分の中にある、嘘のない想い……」
彼女の言葉に、蒼空が静かに答えた。
「誰かに“舞え”と言われたからじゃなくて、自分の中から“舞いたい”が出てくる。それが、“芯”なんだよな」
裕也は太鼓を持っていた。少し古びたそれは、子どもの頃から使ってきたものだった。昔は重かったが、いまは違う。手にしっくり馴染み、何を打つべきかがわかる気がしていた。
由佳が笛を取り出した。「始めよう。音を戻すのは、私たちなんだから」
四人が位置についた瞬間、君不去塔の上空に霧が立ちはじめた。うねるように空を覆うそれは、記憶と感情の残滓が形を変えたものだった。
「……来るぞ。“音を奪った霧”だ」
彩織がゆっくりと立ち上がり、袖を大きく振った。風が舞い、白い衣が宙を切る。彼女の舞には、懐かしさと誇りがあった。足運びは軽やかで、しかし大地を揺らす力を秘めていた。
蒼空が笛に合わせて拍を入れ、由佳の音がそれに重なる。
裕也の太鼓が、その拍に命を吹き込むように鳴り響いた。
「これが……俺たちの、木更津ばやし!」
霧が反応する。音を恐れるように身を捩らせ、しかしなおもその芯を奪おうとする。だが、その中心にあるのは揺るがぬ旋律と、舞の流れだった。
「もっと強く!」彩織が叫ぶ。「“芯”は、心の奥底からしか生まれない!」
裕也は最後の一打を振り下ろした。その瞬間、霧が音を立てて割れ、君不去塔の頂から一筋の光が溢れた。
霧が裂けた空間のなかに、それは浮かんでいた。淡く青白く光る球体。大人の拳ほどの大きさで、その中心には赤く脈打つ小さな核が見えた。
「……“魂の芯”」蒼空が呟く。「あれが……木更津の夏を、命を、支えてたものなんだ」
その声に応えるように、霧の残滓がうねる。しかし今のそれは、脅威ではなかった。敗北の名残ではなく、祈りを託そうとする存在のように見えた。
彩織は舞の最後の所作を終えると、ゆっくりと両手を差し伸べた。「お願い。もう一度、町の鼓動になって……」
“魂の芯”がゆっくりと降りてきた。音もなく、風もなく、ただまっすぐに彼女の手の中に落ちる。
触れた瞬間、空気がふっと変わった。木々がざわめき、遠く海から風が吹いてくる。
裕也が目を見開いた。「……戻ってきた。音が……風が、戻ってきたんだ」
君不去塔のまわりを包んでいた重たい沈黙が、ひとつの音で破られた。それは鳥のさえずりでも、祭囃子でもない。もっと小さな、けれど確かに“命”が生まれたときの音だった。
道の駅うまくたの里には、潮風とともに人の声が戻ってきた。干潟の看板に「潮干狩り開催中」の札が掲げられ、浜辺の屋台ではあさり飯が炊き上がる湯気が立つ。
八剱八幡神社の大神輿は、再び担がれるときが来た。音を取り戻した木更津ばやしが響き、神社の鳥居の下には、太鼓と笛に合わせて舞い踊る子どもたちの姿があった。
彩織が“芯”をそっと神輿の中へと納めると、太鼓の音がそれを包み込むように鳴り響く。
裕也はその様子を見つめながら、小さく息を吐いた。
「これが……“木更津市の輝”」
彼の掌の中には、確かに音と魂が残っていた。
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