大都市RPG 〜失われた輝きを取り戻せ〜

乾為天女

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第五十三章「鎌ケ谷市」

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 朝露に濡れた梨の葉が、風に吹かれて微かに揺れていた。例年なら、果実の膨らみが期待されるこの季節、木々は硬直したように無音の影を落としていた。市街地の空気は不自然に甘さを欠いていて、あの“香り”がどこにも存在しなかった。
 晴は、鎌ケ谷大仏の前に立ち尽くしていた。全高1.8メートルの青銅像は、ただ静かに町を見守っていたが、その表情はどこか寂しげにも見えた。
「……果実の珠が、凍ったままなんだとさ。うちの梨園ももう、実が育たなくなってる」
 言葉をかけたのは、大貴だった。梨農園の家系に生まれた彼の顔には、焦りというよりも、喪失に近い諦めが浮かんでいた。
「気づいたら、香りが全部消えてた。あれは“珠”が濁ったってサインだったんだろうな。祖父の言ってたとおりだよ」
「……私、情報集めてきた」結がカフェの窓から出てきて、小さなスクラップブックを手にしていた。「この前、郷土資料館で見た絵巻に、“珠は下根香取神社の御神事で清められる”って書いてあった」
「神社、か」有紀も加わる。「その前に、“おびしゃ囃子”の旋律を正しく奏でる必要がある。そうでなければ、霧の精に呑まれるって伝わってる」
「霧の精……まさかとは思ったけど、あの時の夜霧……音が消えた瞬間、梨の花も香りも、全部一緒に沈んだ」
 晴は拳を握った。「行こう、資料館へ。まずは囃子を正確に覚えよう。あとは……舞で“果実の珠”を呼び戻すんだ」
「それができれば、また梨サイダー作れるよね。梨ジャムも」結が、少しだけ笑った。

 鎌ケ谷市郷土資料館は、旧家を改装した建物で、静かな小道の奥に佇んでいた。木の引き戸を開けると、土間の先にある畳敷きの展示室に、時代を越えた空気が満ちていた。
「……ここが、その“囃子の所作”が刻まれてる場所」有紀がゆっくりと指を差した。
 壁一面に掛けられた巻物は、時の経過で色褪せていたが、その筆致はまだ力を残していた。墨で描かれた楽譜と、それに寄り添うように舞の型が並べられていた。
「これ、“おびしゃ囃子”の正規旋律だ」大貴が覗き込む。「鼓と笛、そして拍子木での三重奏。リズムは七拍子から五拍子へ変わってる。途中で舞が転調するんだ」
「わたし、音は耳で覚えるのが得意なの。再現してみる」有紀はそう言うと、手にした笛をそっと唇へ当てた。
 一音、二音。資料館の静けさに、澄んだ旋律が響く。大貴が太鼓を模した枠を叩き、晴が足元で手拍子を刻むと、やがてそこには確かな“音楽”が生まれた。
「このリズム……梨園で風が吹くときの音に似てる」結が目を伏せたままつぶやいた。「あの時、梨の花が一斉に揺れた音。思い出した」
 舞譜の最終行に添えられていた言葉を、晴が声に出して読んだ。
「“果実の珠は霧のなか 舞と音で呼び戻せ 香りを知る者が舞い 実りを結ぶ者が叩け”……」
「香りを知る者って……結のことだろ」大貴が言う。
「実りを結ぶ者……俺たち、農家の家に生まれたこと、そういう意味だったのか」晴は肩をすくめた。
 有紀は微笑んだ。「霧の精霊と向き合う前に、“果実呼びの舞”を完成させよう。音も動きも、ぜんぶあわせて」
「場所は、鎌ケ谷大仏の前がいい」結が静かに言った。「あそこなら、霧も舞も、全部届く」

 夕方、鎌ケ谷大仏の周囲は淡い霧に包まれ始めていた。湿った風が市街地の建物をかすめ、梨園から漂うはずだった果実の甘い匂いはどこにもなかった。ただ、冷たく乾いた空気が肌にまとわりつくばかりだった。
 晴はゆっくりと草の上に足を踏み入れ、大仏の前に立った。かつて祖父と一緒にここへ訪れ、手を合わせた日を思い出す。そのときの願いは、「今年も甘い梨がなりますように」だった。
「……今ならわかるよ、じいちゃん。あの時、手を合わせてたのは“収穫”じゃなくて、“命”に対してだったんだな」
 その後ろに、大貴が太鼓を肩に下げて立った。「準備はできてる。俺、音は任せてくれ」
 結は、無言で頷きながら衣の裾を直し、足元を確認した。
「私ね……誰かの役に立つなんて、思ったことなかった。でも、私が舞ってると、周りが笑ってくれること、あったんだよ。それって、こういうことだったのかな」
 有紀が静かに拍子木を鳴らした。乾いた音が霧を切り裂くように鳴り響く。笛の音が続き、大貴の太鼓が低く重なる。そして、舞が始まった。
 結の所作は流れるようでありながら、時折はねる。風が衣を揺らし、足元から桜の残り花びらが舞い上がる。彼女の表情には、もう“遠慮”も“他人に譲る気配”もなかった。
 晴は、その光景を目に焼きつけながら、胸の奥にふつふつと湧き上がる思いを感じていた。
「甘さを取り戻す……香りが戻れば、それはまた人を笑顔にできるって、信じてるんだ」
 霧の中から、確かに気配が現れた。それは言葉を持たず、姿もはっきりしない。ただ、空気の密度が変わり、温度が低くなったことで、誰もが“来た”と悟った。
「霧の精……」有紀が声を落とした。
 結が舞を止めない。太鼓も笛も鳴り続ける。彼女の足は地面に新たな拍を刻み、両腕は果実を抱くように空へ広がる。
 そして――霧が裂けるようにして消えた。
 地面に残されたのは、淡く白い光に包まれた球体だった。中にはきらめく水滴のような揺らめきがあり、ふわりと梨の花の香りがあたりに漂った。
「これが……“果実の珠”……」
 晴が両手で受け取った珠は、ほんのりと温かかった。そのぬくもりは、長い冬を越えた大地のように柔らかく、そして確かだった。
「“鎌ケ谷市の輝”……だな」
 珠が輝くと同時に、梨園には春が戻った。白く可憐な花が咲き始め、風に乗ってかすかな甘みが広がっていく。市街地には梨サイダーの試作品が並び、ジャムの瓶に人が集まりはじめた。
「やったな」大貴が肩を叩く。
「これで……もう一度、育てていける」晴は力強く頷いた。
【アイテム:鎌ケ谷市の輝】入手
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